5 お父さんは女の子
【分体の視点】
===2年前===
7月29日(金) グラストン砦近辺
まるで親に甘えるようにわたしにすり寄ってきた、おそらく黒龍の幼体。その状況が飲み込めず固まっているわたしに、この幼龍の親と思われるもう1体の黒龍が、通信魔法で話しかけてきた。
『人語は苦手だが……おまえは……?』
『ああ、えっと。わたしは……いや、ちょっと待ってて』
わたしは普通にゼルク・メリス共通語で答えようとして、ふと、翻訳魔法を使うことを思いついた。発動前の《雑音》を攻撃魔法と勘違いされて先制攻撃されるおそれもあるが、分体なら問題無い。……それでも、肉体が壊される際の痛みなんかは本体と同じように感じるから、できれば避けたいところではあるが。
そんなわたしの懸念は幸運にも取り越し苦労に終わり……というか、たぶん、目の前の黒龍も戸惑っていたのだろう、翻訳魔法は無事に発動できた。
「これで、龍語で会話できるはずよ」
正確には違うが、翻訳魔法そのものが無いこの世界では、それを説明してもかえって彼らを混乱させるだけだろう。わたしはそう判断して、日本語で黒龍に話しかけた。
「なんだ、この魔法は……! いや、それは今はいいか。では、改めて我が名を名乗るとしよう。わたしは黒龍ディアーズライド。それは我が息子のベイスニールだ」
親龍ディアーズライドが言い終わると、今度は幼龍がわたしにこすりつけていた顔を離して、満面の、たぶん笑顔で言った。
「お帰りなさい、お父さん」
。
わたしの思考はフリーズした。お父さん? わたしに黒龍の子供なんて居ない。というか、そもそもわたしは女だ。お母さんと呼ばれるならまだ分かるが、お父さんと呼ばれる……いや、そうじゃない。
わたしが黒龍の子供に《父》と呼ばれる可能性は、1つだけある。
「まさか、あなたたちはイヴィズアークの……?」
わたしは、恐る恐るディアーズライドに聞いてみた。
「妻と子だ。まさか、我が夫が人間の女に生まれ変わっていたとはな」
彼女の声音は、苦笑というか、人間の妻が夫をからかう時のものにも似ていた。
……ふと、わたしが彼女の立場だったら、と考えてみる。純が過去へ戻って例えば雌犬に生まれ変わって、その雌犬に今の純が殺される。そして、わたしとその雌犬とが出会う。……うん、確かに。そんな状況、もう苦笑するしかない。
この後、彼女は、なぜ彼女たちがここに居るのかを説明してくれた。
もともと、イヴィズアークは放浪癖があったらしく、子育てで動けなかった彼女の代わりに2人分の食料確保だけはしていたが、それ以外は殆ど巣を空けていたという。そして、ベイスニールが自力で動けるくらいに成長した今、だらしない父親に母子揃って文句を言うため、その所在を探していた、と。
「──しかし、イヴィズアークは最初におまえと対面した時、その魂には気づかなかったのか? 生まれ変わった自分に喧嘩を売って返り討ちにされるなど、間抜けにも程がある」
ディアーズライドは呆れた様子で言う。
その言葉に、わたしは思うところがあった。しかし、それを今話してもいいのかは、自信が無い。だから、
「……わたしがこんなことを言ってもいいのかは分からないけど」
控えめにまずはそう切り出してみる。
「気にしなくていい。前世の自分のことだろう?」
ディアーズライドはそう返してくれた。……それなら、彼女たちにとってはわたしは夫や父親を殺した敵だから、などと、変な遠慮はしなくてもいいか。
わたしは、《今のわたし》の自己紹介ついでに、思っていたことを話した。
イヴィズアークは死の間際、わたしに《叶うなら生まれ変わってまた会いたい》と言っていた。だから、たぶん、わたしが自分の生まれ変わりであることは全く気づいていなかったのだろう、と。
その話をしていて、思う。わたしも、自分が通っている高校の創立記念日を失念していたり、自宅の風呂場で足を滑らせたり、たいがい間抜けだ。
「本当に間抜けだったか。……由美、といったか。生まれ変わって少しは間抜けは治ったか?」
ぎく。
「……おい」
ディアーズライドは、たぶん、人間なら半眼だろう、そんな目をわたしに向ける。その後、溜息……だろうか、妙に人間くさい仕草の後、言葉を続ける。
「まあいい。その間抜けさ故にまた死なれてはかなわんからな。何か面白そうな……いや、困ったことがあれば、遠慮無くわたしを頼れ。ベイスニールも、まだ幼いとはいえ《天才魔導士》の100人程度なら軽く潰せる力はある」
「……今、面白そうな、って」
「困ったことがあれば、だ」
きりっ。
……黒龍ってこんなにお茶目な生き物だったのか?
でも、まあ、その気持ちは分からなくはない。戦うことが好きでありながら、本気を出せば大陸の一角が消し飛ぶほどの力を持つ。おそらく、黒龍の生涯で、全力で戦える機会はまず無いのだろう。
「分かったわ。それじゃあ、その時はよろしくね」
わたしはそう答えて、黒龍の親子と別れた。
※ ※ ※
===現在===
9月2日(月) 13:20 次元の狭間
黒龍ディアーズライド。魂の大きさだけなら、わたしも彼女も大差は無い。しかし、人間という肉体の制約があるわたしとは違い、彼女は純粋な黒龍だ。発揮できる瞬間最大の魔力や、肉体そのものの筋力やダメージ耐性などといった性能は、彼女のほうが上だ。
だが、彼女はゼルク・メリスの《根底の流れ》しか知らない。ゼンディエールのそれを知ってもらうことはできるだろうが、同じように魔法が使えるようになるまで、どれくらいかかるか。
……ここで考えていても仕方がない。とにかく、まずは彼女に会いに行こう。
●
とある山中
ビザイン共和国とレギウス王国の国境が通る、大陸中央にある険しい山脈。そのさらに奥深い所に、彼女の巣はあった。
2年前に彼女たちと出会ってから、わたしは、白龍シェルキスに龍語を教わった。今後もディアーズライドたちと関わっていくのなら、毎回翻訳魔法を使うより、わたしが龍語を話せたほうが面倒が無いと思ったからだ。とはいえ、龍の口で人語を喋れないのと同様、人間の口でも龍語を喋ることはできないので、通信魔法は使わざるを得ないが。
そんな訳で、わたしが龍語で彼女に話しかけようとしたら、それより早く、彼女の息子ベイスニールが翻訳魔法を発動させた。その光景に、わたしは目を見張る。
「この魔法は……!?」
「えへへ。どう? 凄いでしょ」
ベイスニールは魔法を維持するので精一杯という様子ではあったが、それでも、普通の会話は問題無くできている。
さすがは黒龍、ということか。もしかしたら、わたしがイヴィズアークと戦った時、倒しきれずに日を改めて2回戦、なんてことになっていたら、《変成》を真似されていたかもしれない。
「凄い凄い! 黒龍の基準ではどうなのか分からないけど、少なくとも人間では、わたし以外に真似できた人を見たことは無いわ」
わたしは素直な感想を言った。
嬉しそうな表情を見せるベイスニール。彼は、2年前にわたしと会った時よりも大きくなっていた。まだ母親には及ばないものの、体格はあの時と比べてほぼ倍。……わたしには前世の記憶は無いはずなのに、その成長ぶりを目にして、なぜかこみ上げてくるものがあった……ような気がする。
わたしは、改めて通信魔法で彼らに話しかけた。もちろん、龍語で。
『その魔法を維持するの、大変じゃない? わたしも少しなら龍語を話せるようになったから、龍語でもいいわよ』
その言葉に、黒龍の親子は驚きを隠さなかった。その後、ディアーズライドがどこか愉快そうに口を開く。
『それで《少し》か? 謙遜はやめろ。そこまで流暢に龍語を操られては、まるで同じ龍族と話しているような気分になってくる。……だが、我が夫の面影は無いな。どちらかと言えば、白龍の喋り方に似ている』
彼女の言葉は、わたしには意外だった。黒龍と白龍とで、同じ龍語ではあっても、人語でいうところの《方言》のようなものがあるのだろうか。
わたしは、シェルキスに龍語を教わったことを話した。
『なるほどな、そういうことか。ところで、おまえが我らの下へ来たということは、何か面白い……困ったことがあって、我らの力を頼りたい、ということかな?』
『……面白いこと?』
『困ったこと、だ』
きりっ。
……2年前の既視感。
とにかく、どうやら彼女も積極的に首を突っ込みたがっているようなので、わたしは今の状況を簡潔に説明した。
『《根底の流れ》が異なる異世界で戦ってほしい、か。……良かろう、なかなか面白そうではないか』
声を弾ませてそう言うディアーズライドと、
『僕も行きたい!』
遊園地にでも行くような雰囲気でそれに乗ってくるベイスニール。
『決まりね。それじゃ、2人ともわたしの体に捕まっ……むぐっ』
……うん。そりゃあ、ね。いくら転移のためにはわたしに触れている必要があるとはいえ、黒龍の巨大な前足で体を掴まれればそうなるよ。
●
町外れの平原
ファーレンさんの執務室がある建物のそば、ではなく、わたしはまず、その建物がある町から少し離れたここへ転移した。魂そのものを感知できる魔族にとっては、わたしたちがどこへ転移してこようが大差無いのかもしれないが、少なくとも見た目では驚かせたくない。そう判断してのことだ。
『ふむ……確かに、あちらの世界と同じ理屈は通じぬようだな』
ディアーズライドがそんなことを呟く。しかし。
10分もしないうちに、彼女もその息子も、すぐにゼルク・メリスと同じように魔法を使いこなしていた。
ディアーズライドは翼を広げて、
『では、その戦いの指揮を執っている者の所へ案内してもらおうか。さあ、我が手に乗るがよい』
と、言いながらわたしに前足を……いや、手と言っていたか、とにかく、差し出してくる。だが、
『ありがとう。でも、自力で飛べるから大丈夫よ』
わたしは《加速》と《風結界》で宙に浮き、それを断った。彼女の手に乗るのが嫌な訳ではなく、共に戦うことになった以上、彼女にはわたしの実力を見せておくべきだと思ったからだ。
『……おまえは本当に人間か?』
どこか呆れつつも楽しげな口調のディアーズライド。
『自分でもたまに自信が無くなる時があるけど、人間よ。たぶん』
そんなやり取りを交わしつつ、わたしは黒龍2人を先導して飛んだ。




