4 異世界からの侵略者
【分体の視点】
9月2日(月) 12:10 聖桜地区の路上
国防軍が動くにしろ、唯が佐々木たち以外に魔法を教えるにしろ、まともな戦力が確保できるまでは、できるだけわたしが魔物を倒して、死霊術で手駒を増やさなければならない。
……ベアゼスディートで初めてこの魔法を知り、一応自分でも使えるように解析はしておいたが、まさか本当に使うことになるとは思いもしなかった。
死霊《術》と名はついているが、これは魔法の1種だ。淀んでいる魂を《根底の流れ》の力で少し切り取って、現世の肉体に宿らせる。それが死体である必要は無い。まあ、生きている体から魂を追い出す手間が省ける分、死体のほうが楽ではあるが。
こんな魔法が《魔法》としてこの世界に設定されているという事実が、わたしがこの魔法をあまり使いたくない理由だ。
それはともかく。そうやって、まずはわたし、京、純、唯の自宅近辺へ優先的に《手駒》を配置する。後は、手当たり次第、目についた民家を守らせるように配置していく。
できれば、唯の同級生や聖桜高校の生徒たちの自宅、家族の勤務先などに優先して配置してやりたいところだが、それを個別に聞いて回る時間をかけるより、今のやり方のほうがより多くの民家、人々を守れる。
命を数で数えたくはないが、わたし1人ではできることに限界がある以上、仕方ない。
大学に事情を明かせば、本体と併せて2人で事に当たれるが……いや。本当にどうしようもなくならない限り、休学申請にしておこう。
そうやって《手駒》の配置をしている時、フォスティアから通信魔法で連絡があった。
『由美ちゃん、ついさっきシオンが自分の世界へ帰ったよ』
『ありがとう、フォスティア』
フォスティアといえば、今回の件で学校を守ってもらえないか聞きに行った時、二つ返事で了承してくれたのにはちょっと驚いた。
理由を聞いたら、純粋にわたしの手助けをしてくれるというのもあったが、それよりも《最近暇だったから、暇潰しにちょうどいい》と。……唯ならまだしも、それ以外の人には絶対に言えない理由だ。
フォスティアにシオンさんの動向を監視、報告してもらったのには理由がある。それは、文字どおりシオンさんの真意を探るためだ。
唯と死霊術で使い捨てられた魂を回収していた時にたまたまゼンディエールへも立ち寄ったから、あの世界への転移自体はいつでもできる。だが、あの時はシオンさんの名前を聞けただけで、彼が具体的にどんな人物なのかまでは調べられなかった。
今回、わたしがシオンさんと直接知り合えたことで、彼を追跡して調べることができる。
わたしは、シオンさんを追うために次元の狭間へ飛び込んだ。
●
シオンさんはとある建物の廊下らしき場所を歩いていた。途中、彼の部下と思われる何人かとすれ違いながら、ある部屋に入る。質素ながらも上品そうな調度品で飾られた部屋で、貴族の執務室といった雰囲気がある部屋だ。その部屋に居たのは、シオンさん以外には女性が1人のみ。
わたしは、その女性とは面識が無い。しかし、シオンさんと彼女以外誰も部屋に居ない今の状況は話を聞くには絶好の機会だ。……最悪、転移した途端に攻撃されるおそれもあるが、分体ならたとえ殺されても問題は無い。
わたしは、その部屋へ転移した。案の定、攻撃の態勢になる女性。しかし、一瞬遅れてわたしに気づいたシオンさんが、彼女を止める。
「お待ちください、王女様。この者は地球の人間です」
「地球……ああ、あの世界のか」
女性は何かに納得した様子で、しかし、どこか申し訳なさそうにも見える、そんな複雑な表情をした。そして、言葉を続ける。
「何から説明しようか……まず、我らはあなた方と敵対する気は無いということをご理解願いたい。その上で──」
彼女は言う。彼女やシオンさんは人間ではなく魔族。それは、外見は人間とほぼ同じ姿ながら、人間とは比較にならないほど強大な魔力を持つ、この世界で生きる種族の1つだ。
魔族は《魔王》を頂点とする絶対的な実力主義社会を形成し、政治的には多少弱くとも、戦いに強ければ出世できる、と。
「ええ、存じています」
「なんと……!?」
わたしの答えに、彼女は座っていた椅子から身を乗り出した。
以前、わたしは唯と一緒に死霊術で使い捨てられた魂の回収に来た後、改めてわたし1人でこの世界へ来たことがある。その時に知り合った魔族の青年から、だいたいのことは聞いていた。《ポートを開く》というこの世界の魔導技術についても、その青年に教えられた。
そして、さっきシオンさんが口にした《王女様》という単語から、この女性がどういう立場なのかが推測できる。
「あなたはもしかして、今の魔王ガイア・デストラードのご息女、ファーレン・デストクレス様ではありませんか?」
わたしの問いに、女性は言葉を詰まらせる。しばらくして、ようやく絞り出したという様子で、喋り始めた。
「よくそこまで……まさか、故郷を攻められた報復にでも来たのか?」
「……………はい?」
わたしは思わず素で返してしまった。そんなわたしの態度に、ファーレンさんも呆気にとられたというか、きょとんとしたというか、とにかく、さっきとは別の理由で言葉を詰まらせる。
この後しばらく話し合った結果、どうやら、ファーレンさんは盛大な勘違いをしていたらしいことが判明した。
まず、わたしが何の《雑音》も無くこの部屋へ転移してきたこと。
この世界には《隣接する世界》同士を行き来する《世界渡り》という魔法があるのだが、わたしがその魔法によらない転移を行ったことに、ファーレンさんは驚いたらしい。
次に、ファーレンさんはわたしの魂の大きさを見抜いていた。
黒龍の魂は魔王ガイアに匹敵するほど大きいようで、人間であるわたしがなぜそんな巨大な魂を持っているのかが分からなかった。
そして、今、ファーレンさんと魔王ガイアとは敵対関係にある。
この世界にも人間は居るが、種族としての戦闘能力の関係で、殆ど魔族に隷属しているようなものだという。ガイア勢力はそれを強硬に推し進め、ファーレン勢力は人間との共存を訴えている。
というより、この世界では以前から魔族内に2つの勢力があり、今は魔王ガイアとファーレンさんがそれぞれの筆頭に立っている、という構図らしい。それはともかく。
「──地球、といったか。父は、あの世界を見つけるやいなや直ちに魔物を送り込み、支配しようと動きだした。それと同時期に、あなたほどの魂を持つ者がこちらにやってきて、しかも我が名まで……実際はあなたの推測だったようだが、わたしには既に調査済みに思えたのだ。であれば、あなたは我々への報復を考えているのでは、と、勘ぐってしまうのも仕方なかろう?」
ファーレンさんはそう締めた。わたしが事前にある程度事情を知っていた、というのが、彼女の推測を悪いほうに傾けてしまったようだ。
「報復、ね。確かに、こっちの準備が調ったら、いつかは魔物を送り込んでくる元凶を叩こうとは思っていたけど──」
わたしは言う。ファーレンさんには《敬語はやめてほしい》と言われたので、いつもの口調で、だ。
「──そういう事情があるのなら、あなたたちに協力するのは吝じゃないわ」
ガイア勢力対ファーレン勢力という戦争状態にありながら、ガイアは地球に戦力を差し向けるだけの余裕がある。そして、《世界渡り》という魔法の存在。
ガイアは、地球以外にも既にいくつかの異世界を支配下に置いている、あるいは置きつつあると見て間違い無いだろう。そんな状況で、今、よくファーレンさんたちがガイアに対抗できているものだと思う。
わたしは、その推測をファーレンさんに話す。
「……あなたはいったい何者なのだ?」
微妙に震える声のファーレンさんに、わたしは、
「別に、ただちょっと異世界の神を殺してきただけの、普通の地球人よ」
と、嘘にはならない程度のハッタリを織り交ぜて、答えた。
この後、ファーレンさんは、ガイア勢力との戦いにわたしがどう関わればいいのかを部下たちと話し合う、と言って、部屋を出ていった。
わたしは、シオンさんに一言断ってから、次元の狭間に飛び込んだ。
……さて。
ファーレンさんに協力するとは申し出たが、さすがに、この件はわたしが1人で敵陣に突っ込んで暴れて終わり、という訳にはいかない。魔王ガイアとの一騎打ちに持ち込めれば、どうにか相打ちはできるかもしれない──その一騎打ちを分体で行えば本体は無傷だから、結果的にわたしの勝ちだ──が、そこへ行くまでの障害が多すぎる。
フォスティアには聖桜高校を守ってもらっているから、それ以外で積極的に力を貸してくれそうな知人、いや、知龍は1人居るが……
※ ※ ※
===2年前===
7月29日(金) グラストン砦近辺
今月3日、わたしと緑龍とが戦い、森の中に巨大なクレーターが穿たれた場所。まさか、あれから1ヶ月と経たないうちに、またここへ来ることになるとは思わなかった。しかも、状況もあの時と同じ、デイラムさんに頼まれて、だ。
今朝、分体と本体は朝食を食べた後、わたしは自室でのんびり、本体は《体が鈍らないように》と、軽い運動をするつもりで、レディクラムへ適当な依頼を探しに行った。
そこでデイラムさんに頼まれた1つの依頼が、これだ。
グラストン砦近辺で黒龍の目撃情報あり。調査、および、可能なら追い払うなり退治するなり、人目から遠ざけていただきたい。《依頼者:ビザイン共和国軍 請負人指定:龍殺しの英雄》
黒龍は、滅多に人間の前に姿を現すことは無いらしい。だからこそ、単独で国1つを壊滅させるだけの力がありながら、その被害を受けずに人間が繁栄できている訳で。
それはともかく。イヴィズアークと戦った時のような幸運にまた頼るというのは現実的ではない。本体はそう判断し、殺されても構わない分体でここへ来ることにした。
以前、わたしと緑龍との戦いでできた半径3kmほどのクレーター。その中心に《彼ら》は居た。
そこに居た黒龍は2体。1体はイヴィズアークとほぼ同じ体格で、もう1体はそれよりかなり小さい。とはいえ、小さくともその体長は3mはある、立派な龍だ。
そんな彼らに、今更こそこそ近づく理由は無い。わたしは、堂々と彼らの下へ歩み寄った。……本体は無事な所に居て、いつでも切り捨てられる分体で近づくことを《堂々と》と言ってもいいのかは、気にしてはいけない。
「……え?」
わたしは思わず声が出ていた。小さいほうの黒龍が、まるでペットが飼い主に、あるいは野生動物なら実の親に甘えるような仕草で、わたしに顔をこすりつけてきた。
 




