2 戦う準備はできてません
佐々木啓太の視点。
9月2日(月) 09:20 聖桜公園
ポートを開く。それは、喩えて言うなら、初めて触る楽器の運指を、まず手本で吹いて見せてもらうのではなく、直接手を添えて体に教え込ませてもらうみたいな感覚だった。
そうやって、僕と一真は、魔力を体の内側から外側へ放つ方法をシオンさんに教えてもらった……いや、叩き込まれたというほうが近いか。
「じゃあ、次ね。──」
緒方さんは言う。今、僕たちがやってもらった《ポートを開く》というのは、魔法を使えるようになるための最低限の基礎。楽器でいうなら、とりあえず音が出せるようになっただけだ。だから、そこから《音楽》を奏でられるように……魔力をただ放つだけではなく、《魔法》を使えるようにならないといけない、と。
一真は、さっき竜之宮さんと緒方さんに続けて投げ飛ばされたからか、不満げな顔をしながらも文句は言わないでいる。
剣道部員で唯一、顧問の先生と対等の勝負ができたのは一真だけだったみたいだから、反射神経とか身のこなしには相当の自信があったんだろう。その一真が、片や帰宅部の竜之宮さん、片や吹奏楽部の緒方さんに立て続けに、しかも手も足も出ないまま投げ飛ばされて、たぶん、プライドみたいなものはあっさりとへし折られたに違いない。
「……なんだよ、啓太」
「ううん、なんでもない」
でも、それは竜之宮さんや緒方さんがそれだけ強いということだ。
そう考えると、僕には何がある? 吹奏楽部で、管楽器を吹けるくらいには肺機能を鍛えている。でも、魔物に襲われた時に、それが役に立つのか?
竜之宮さんや緒方さんには格闘と魔法、一真には剣道があるけど、僕には?
そんなことを考えながら、僕は、緒方さんとシオンさんの即席魔法練習を淡々とこなしていった。
●
10:00 聖桜公園
僕と一真の魔法練習が一段落した頃、僕たちの目の前に竜之宮さんが再び転移で姿を現した。その光景に、相変わらず、僕も含めて緒方さん以外の全員が驚きを露わにする。
そんな僕たちが驚きから落ち着くのを、竜之宮さんは待ってくれていたのだろう。しばらくしてから、僕たちとシオンさんを連れて、聖桜公園を離れた。向かう先は聖桜高校だと、彼女は言った。
学校までは歩いて移動した。竜之宮さんは転移ができるらしいのに、なぜそうしないのか。その理由も含めて、学校までの移動中に、今の状況を説明してくれた。
まず、僕たちを転移で学校へ連れていかない理由は、シオンさんをまだ完全には信じきっていないから。転移をする過程で別の異世界に触れることもできるため、万が一シオンさんが敵だった場合、別の異世界を危機にさらすおそれがある。
次に、僕たちを連れていく先が、なぜ、国防軍の施設などではなく学校なのか。
これは、竜之宮さんの知人に天使が居て、いわゆる《天使の加護》によって、学校の建物だけはあらゆる攻撃を無効化するように守ってもらえるよう、協力を取り付けることができたから。
そして、今回の件で非常事態宣言が発令されたこと。それに伴って、竜之宮さん、緒方さんと、さっきの聖桜公園で魔法に関する能力を開花させることになっていた僕と一真を、これから校長先生に《戦力》として紹介すること。
さらに──
竜之宮さんが次のことを説明しようとした時、僕たちはちょうど学校の正門前に着いた。
ここまでの移動中にも何度か魔物と出くわしたけど、今朝とはちょっと様子が違っていた。ゾンビみたいというか、明らかに死んでるはずの傷を負った魔物が、別の魔物を襲っている光景を何度か目にした。
その様子を、相変わらず竜之宮さんと緒方さんだけは全て知っているかのような表情で見詰めていた。そのことが、さらに一真の機嫌を悪くさせた。
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学校に着いてからは、竜之宮さんは僕たちを校長室へ案内した。
校長室にはもちろん校長先生と、おそらく、竜之宮さんが言っていた《天使》だろう、小柄な女性、その2人が居た。
「言われたとおり、全ての生徒を各教室に集めて担任に監督させて、それ以外の教職員も全て職員室に集めておいたよ。竜之宮さん」
校長、郷田光晴先生が言う。
郷田先生はまさしく文武両道を絵に描いたような人で、若い頃のいわゆる《やんちゃ話》では、負け無しだったらしい。そんな人が、竜之宮さんの……卒業したとはいえ、元教え子の指示を受けて動いていたなんて。
「ありがとうございます、校長先生」
「いやいや。君と天使様のおかげで、少なくとも学校だけは安全になったんだ。気にしないでくれ」
校長先生とそれだけのやり取りを交わして、竜之宮さんはまた転移で姿を消した。その後を継ぐように、緒方さんが話し始める。
まずは校長に僕たちについて説明してから、改めて僕たちに向けての説明をしてくれた。その中でも最も重要だったのが、《魔物には魔法でないと傷を付けにくい》ということ。
今回の事態に対し、緒方さんや校長が言うには、数日以内には国防軍が動くだろうとのこと。しかし。
「校長先生、何か硬い物でわたしを殴ってみてください。佐々木君も薬袋君も見ててね」
緒方さんはそんなことを言い、校長先生も躊躇うこと無く戸棚に飾られていたガラス製の調度品を取り出す。そして。
校長先生が緒方さんの頭に向かって振り下ろしたガラス製品は、淡い輝きを放つ緒方さんの頭に叩きつけられた瞬間、粉々に砕け散った。
僕も一真も、ただその光景を凝視していた。
「……という訳よ。さっきわたしがやったのは、体の表面に魔力を込めて耐衝撃性を高めただけ。それでもあれだけの防御力になるんだから、死角から不意打ちでもしない限り、物理的な手段では魔物、というか、魔法には対抗できないわ」
それに、現代兵器では魔物をピンポイントに狙うのは難しい、緒方さんはそうも付け加えた。……確かに、攻撃ヘリや戦車からの銃撃、砲撃なんてしようものなら、周辺への被害のほうが大きくなりすぎる。
人間とほぼ同サイズの魔物が町中にゲリラ的に出現してくる現状では、こっちにも人間サイズかつ戦車並の戦力が必要、ということか。
と、ここで、今まで黙っていた一真が、低い声で喋りだす。
「……魔法が重要ってのは分かった。けどよ、なんでそれに俺らを巻き込むんだ。俺や啓太より、おまえや竜之宮のほうが魔力? ってのも強いんだろ? だったらなんでおまえらが魔物を退治しに行かねえんだよ!?」
「へえ……魔物が現れたばかりの時は《説明しろ》って喚いて、説明したらしたで、今度は《倒しに行け》なんて言うんだ」
答える緒方さんの声は、冷たい。
「なんだと!?」
今にも殴りかかろうとする一真。緒方さんはそんな一真をとりあえず無視して、天使の女性の方を向く。
「フォスティアさん、お願いします」
「はいはーい」
フォスティアと呼ばれたその女性の返事は、僕の耳からではなく頭に直接響いてくる。シオンさんの時と同じように、翻訳魔法を使っているのだろうか。
フォスティアさんが返事をしてすぐ、僕たちの目の前に……空中の何も無いはずの所に、どこかの商店街のような風景が映し出された。
「こいつは……!?」
それを見て一真が驚愕の声をあげる。
その映像に映っていたのは、町中に溢れる魔物たちを次々と退治していく竜之宮さんの姿だった。それも、今朝学校で緒方さんが見せたような、単発の魔法でどうにか戦っているのではなく、何十発もの《光の弾》を同時に発射し、押し寄せてくる魔物たちを余裕で蹂躙していく。
彼女の攻撃は的確に魔物だけを狙い、たまたま出歩いていた人々や、周囲の建物への被害は全く無い。
その光景は、相手が魔物とはいえ、殺戮だ。だというのに、竜之宮さんの戦い方は芸術的にさえ見えてしまう。どこか幻想的で、惹き付けられる魅力を放っていた。そして。
「な、何……これ……!?」
僕は思わず声に出していた。竜之宮さんが倒した魔物たち、その死骸が起き上がり、新たに現れた別の魔物に襲いかかっていく。
「由美先輩は、わたしたちが今こうしてる間も遊んでる訳じゃない、ってのを言おうと思っただけなんだけど、ついでにこっちも説明できるわね」
緒方さんはそう切り出した。
今後、魔物たちがどこに現れるか分からない状況では、竜之宮さんや緒方さん、僕たちだけでは対処しきれない。それをカバーするために、竜之宮さんが《死霊術》で、魔物の死体を手駒として再利用している、と。
「さて、薬袋君。これだけの活躍をしてくださっている先輩に文句を言うってことは、あなたはこれ以上の活躍をしてくれる、と、期待してもいいのよね?」
緒方さんの声には静かな怒りが込められていた。
「……あ、後からこんなのを見せるなんて卑怯じゃねえか! 最初っからこれを見せられてれば、俺だって──!」
「先に説明しろって言ったのはおまえだろうが! 俺だって、何だ? 先輩の戦う姿を見せてれば、おまえは今の状況を全部納得して受け入れてたのか!? いつまでも都合のいいことばっか言ってんじゃねえぞ!」
緒方さんはまた一真の胸倉を掴んで怒鳴った。そんな緒方さんをフォスティアさんが宥める。
「まーまー唯ちゃん。戦場を経験してない人間にそれはちょいと酷だと思うよ。それと、一真君だっけ? 君ももうちょっとだけ、相手のことを考える余裕を持とうか」
フォスティアさんの言葉に、一真は面喰らったようだった。まさか自分も責められるとは思っていなかったのだろう。
フォスティアさんは僕の方にも丸くした目を向ける。
「でも、啓太君は落ち着いてるねー。もしかして、君はもう唯ちゃんのことを全て知ってるのかな?」
「いえ、一真が荒っぽいのは今更ですし。それより、《緒方さんのこと》というのは……?」
僕がそう聞き返すと、フォスティアさんは緒方さんに目で合図を送る。緒方さんはその視線を受けて、何かを決心したように、ゆっくりと口を開いた。
「正確にはちょっと違うけど、わたし、佐々木君の生まれ変わりなの」
僕と一真とシオンさん、この場に居た全員が固まった。




