1 また日常が崩れゆく
佐々木啓太の視点。
※第2章では、由美以外の視点を主軸に物語が進みます。
9月2日(月) 朝 聖桜高校 正門前
夏休み明けの登校初日。
「あ、おはよう、一真」
学校の正門に向かう道の先に友達の顔を見つけ、僕は小走りに彼の下へ駆け寄った。
「おう、おはよーさん」
彼の名は薬袋一真。僕と一真とは中学からの付き合いで、一真のことは親友、と呼ぶのはちょっと恥ずかしいけど、けっこう仲の良い友達の1人だ。
僕も一真も、この夏休みで部活動を引退した。たぶん、殆どの3年生がそうだろう。だからか、けっこうほかのクラスメートたちとも顔を合わせる。普段、教室でしか話をしない友達と朝の挨拶を交わすのは、なんとなく気持ちが良い。……挨拶してきてくれる半分以上は女子だけど。
「くそぉ、相変わらずモテてんなぁ、啓太」
一真がちょっと悔しそうに、そんなことを言う。
「いやいや、あの子たちと僕とは普通に友達だからね?」
「それはそれで羨ましいんだよ。良い響きじゃねえか、《女友達》ってのはよぉ」
一真は、いかにも心の叫び、という感じの声を絞り出した。
高校に入学してから、一真はひたすら剣道部で頑張ってきた。その間、恋人とか告白とかいう話を、一真の口から聞いたことは無い。
対する僕はというと、ある女子が言うには「女の子みたいなかわいい顔立ち」だそうで、これはこれで、やっぱり恋人とか告白とかいう話には進展しなかった。……お互い、高校生のうちに春は来そうにないね、一真。
僕と一真がちょうど学校の敷地内に入った時。
「おはよう、佐々木君」
正門から少し入った所で、1人の女子生徒が僕に声を掛けてきた。緒方唯さん。僕とクラスは違うけど同じ3年生で、部活動も同じ吹奏楽部だった。
「あ、おはよう緒方さん」
「げ。《暴君》……!」
一真が足を止めてまでそんなことを言う。
「ちょっと一真……」
「いいわよ、佐々木君。言いたいヤツには言わせておけば」
緒方さんは一真の言葉を気にした風も無く、涼しい声でそう言った。
《暴君》。それは、元は僕たちの1学年上、竜之宮由美さんという女子生徒に付けられていた異名だ。
その竜之宮さんに緒方さんが《弟子入り》した、という噂が立ち始めたのが2年前、僕たちが1年生だった年の夏休みの前後頃だ。それから半年もしないうちに、クラスの、どころか、学年中の不良たちは、緒方さんにも手を出さなくなった。その頃から、緒方さんは《2代目暴君》と呼ばれるようになった。
「けっ、かわいくねぇ」
「あんたにかわいいなんて思われなくて結構」
「なんだとぉ」
なんだか喧嘩になりそうな雰囲気だったので、僕は思わず2人の間に入った。そして、
「やめなよ、一真」
と、言ってから思う。緒方さんがこんな喧嘩を買うはずが無いし、もし喧嘩になっても、彼女が負けるとは思えない。
「なんだよ啓太。女の前だからっていいかっこしやがってよー」
どこか拗ねたように言う一真。……これが無ければいいやつなんだけどな。
「一真!」
僕はちょっと強めに制した。強めに、といっても、本当に声変わりを迎えたのかと疑いたくなるような高い声だから、迫力は無いけど。
「……わ、分かったよ、俺が悪かった」
一真は、この場は引いてくれたようだった。……どことなく、顔が赤かったように見えたのは、僕の気のせいだろうか。
一真は僕より身長が高いから、今のように僕が一真の目を見据える時なんかは、下から見上げるようになってしまう。……女子に「女の子みたい」と言われた僕が、見上げる?
まあ、いいか。
僕は緒方さんの方に向き直り、
「それで、緒方さんはなんで僕たちを待ってたの?」
そのことを聞いた。彼女も部活動を引退し、もう朝練に出る必要は無い。だというのに、自分の教室に行かず、さっきは僕たちに前から挨拶してきた。これから登校する生徒たちの流れとは逆向きに、だ。
「ええ、ちょっと。……佐々木君、薬袋君。これから何が起きても、驚かないでね」
緒方さんは妙に低い声でそう返してきた。
「え……? それはどういう──」
僕が聞き返そうとした、その時。
間近でいきなり大きな音が……いや、物理的な《音》じゃない。とにかく、騒音が鳴り響いたような不快感に襲われ、僕は一瞬、意識が飛びかけた。どうにか堪えて、騒音のような《何か》が響いてきた方を振り向くと。
ゲームに出てくる《モンスター》のような化物が、3体。そして同じく、こちらもゲームに出てくるような《光の弾》を、緒方さんが化物たちに向かって撃ち出す。
「……魔法?」
そんな言葉が、僕の口からこぼれていた。
緒方さんが放った《光の弾》は狙い違わず化物の1体、その頭に直撃し、吹き飛ばした。
残り2体の化物が、その太い腕を緒方さんに向かって振り下ろす。しかし、緒方さんはそれを余裕すら見える動きでかわして、僕たちに指示を飛ばした。
「佐々木君、薬袋君! 聖桜公園は知ってるでしょ? 急いでそこへ行って!」
「わ、分かった。ほら、一真」
いきなりこんな事態になって、訳が分からない。でも、緒方さんの言葉には従ったほうがいいような気がした。僕は一真を促しつつ自分も走りだそうと──
「……なんなんだよ。こいつらは一体何なんだよ!? 説明しろよ、緒が──」
「いいから、早く行け!」
緒方さんの本気の怒声で、僕は前に出した足を思わず止めてしまった。緒方さんとは2年半一緒に部活動をしてきたけど、本気で怒鳴ったところを聞いたことは無い。彼女の顔にはまだ余裕があるように見えても、状況は切羽詰まってきているということだろう。
「一真!」
「あ、ああ……」
納得しきれていない様子の一真を引っ張るように、僕は校庭に背を向けて走りだした。
●
聖桜公園までの道のりは実に平和なものだった。さっき、学校の敷地内で化物に襲われたのは夢だったんじゃないかと錯覚してしまうほどに。
でも、あれは夢ではなかったのだと、僕は改めて思い知らされた。公園に3つしかない遊具の1つ、滑り台のそばに、ゲームに出てくるような鎧を着た男性が1人、立っていた。
「……! 君たちは、この世界の人間か?」
男性の口が動き、しかし、その声は僕の耳からではなく、頭に直接響くように聞こえてくる。一真も、僕と同じように目を見開いて、その男性を凝視している。
そんな僕たちの、ちょうど真ん中。僕と一真、そして鎧の男性の、ちょうど視線が交わる辺りに、人影が2つ、何の前触れも無く現れた。校庭の化物たちのように、姿を現す直前に騒音のようなものが響くことは無かった。……って、そのうちの1人は緒方さんだ。もう1人は、同じく女性で、一真よりも背が高い。
「緒方……さん?」
「ええ。さっきはごめんね、佐々木君」
僕と緒方さんが言葉を交わし、
「あーっ! こいつ、たしか先代《暴君》!」
一真は、緒方さんと一緒に現れた女性を指さしてそう叫んだ。その女性、竜之宮由美さんは一真の方を向いて、まず短い溜息をつく。そして、
「《暴君》、ね。それより、今は彼の話を聞くことが先だと思うんだけど?」
と、鎧の男性を目で示して、言った。
「世界がどうとかの話より、今どうなってんのか、まずはそれを説明しやがれ! あの化物共はいったい何なん──!?」
「あ、一真!」
僕の制止は間に合わなかった。片手で竜之宮さんの胸倉を掴んだ一真は、その体は、半回転して地面に叩きつけられた。それが竜之宮さんに投げ飛ばされたからだと、そばで見ていた僕でさえ、一瞬遅れてからようやく気づけた。
「わたしはまず彼の話を聞けと言ったの。死にたくなければ言うとおりにしなさい」
「ぐ……っ、お、脅すつもりかよ……!」
「脅しじゃないわ、それが今の状況よ」
竜之宮さんがそう言った直後、また騒音のような何かが響いて、僕たちの周囲に何体かの化物が現れた。
鎧の男性が何か行動を起こそうとしたようだったけど、それより早く、竜之宮さんが《光の弾》で化物たちを倒した。……竜之宮さんは、現れた化物と同じ数の《光の弾》を、同時に放っていた。
「ま、またあの化物が……」
「分かったでしょ? 死にたくなければ、分からないことはとりあえず分からないまま置いといてでも、今の状況を理解しなさい」
竜之宮さんはそう言うと、公園を出て町中へ駆けだしていった。
●
竜之宮さんが公園を離れた後は、緒方さんと鎧の男性とで今の状況を説明してくれた。時々化物が現れたけど、それも緒方さんと男性とで撃退していた。
鎧の男性の名はシオン・ガードナー。異世界のゼンディエールという星から、あの化物……シオンさんの世界では《魔物》と呼んでいるみたいだけど、あれを倒すために、地球へやってきた魔法剣士とのこと。
今、シオンさんと僕たちとが普通に意思疎通できているのは、彼がそういう、同時通訳のような魔法を使っているから。
そして、緒方さんが僕と一真をここへ来させたのは、シオンさんに魔法を教わるため。……この説明をした緒方さんに、僕たちではなくシオンさんが疑問の声をあげる。
「ちょっといいかな、唯君。なぜ君は、僕がここに居ることを……ここで僕と彼らとが出会えることを知っていたんだい?」
「後で説明します。それより、今はまず、彼らのポートを開いてやってもらえませんか?」
緒方さんの説明に、
「まさか、君がその言葉を知っているとは……!?」
シオンさんは驚き、
「おい、てめぇ! 緒方! ここへ来てまた後回しかよ! いいかげんにしろよ!」
一真は怒りを露わにする。そんな一真に緒方さんは無言で近寄り、一真の胸倉を片手で掴む。
「あんたね。由美先輩の言葉をもう忘れたの? 死にたくなければ、分からないことは後回しにしてでも状況を理解しなさい」
緒方さんのほうが身長が低いから、一真は無理やり屈ませられる体勢になっている。
「うるせえ! 分からないことだらけで、どこの誰かも分からねえやつの力を借りなきゃならねえなんて、そっちのほうが命の危険を感じ──!?」
一真の体は、半回転して地面に叩きつけられた。さっき、竜之宮さんに同じことをされた時よりも派手な音をたてて。
「わたしはまだ、由美先輩みたいに相手を傷つけないように投げるなんて器用な真似はできないから、もしかしたら魔物にやられる前に死ぬかもね」
「あ……お……ご……」
あ、一真、白目を剥きかけてる。どうやら、緒方さんの言葉は脅しなんかじゃないようだ。
「お、緒方さん。一真、こんなんでも一応僕の友達だから……」
「一応ってあんた……でも、ごめんなさい」
緒方さんは半眼を僕に向けた後、素直に謝ってくれた。
この後、どうにか復活した一真と一緒に、僕は緒方さんが言っていた《ポートを開く》というものを、シオンさんにやってもらった。




