42 地下に棲むものたち
7月12日(火) 16:50
伯父さんとイリスと共に一旦グラストン砦へ。国境警備の兵士たちに、わたしたちがビザインからレギウスへ入国するところを見せたら、人目を避けてザールハインへ改めて転移。
カインは、この後もしばらくはレディクラムを中心に活動すると言っていた。《伝説の傭兵》の息子として、ビザイン、レギウス間の戦争を回避するためにできることをしたい、だそうだ。
イリスもカインに付き合うつもりらしいが、今はわたしと一緒にディオス洞窟へ行くことを優先する、と。
『さて。それでは、まず冒険者ギルドに顔を出そうか』
それを言う伯父さんの顔には、悪戯を思いついた少年のような笑みが浮かんでいる。……伯父さん、こんな顔をするような人だったっけ?
とにかく、伯父さんとイリスが進んでギルドへ……宿酒場へ向かっているので、わたしもその後に続く。
伯父さんと、特にわたしが店内に入った時。店内に居た常連客と思われる冒険者たちと、店主のアイゾムさんが一斉に身を強張らせた。
『久しいな、アイゾム』
伯父さんの挨拶に、
『あ……ああ。よく来てくれた』
震える声で返事をするアイゾムさん。
伯父さんはわたしの肩を抱き寄せ、
『紹介しよう。俺の妹が《空の穴》の向こうへ飛ばされたことは知っているな? その行った先でできた子、つまり、俺の姪だ。竜之宮由美という。なんでも、特殊な力を持っているそうで、あちらの世界とを自由に行き来できるそうだ。良くしてやってくれ』
と、事情を全く知らない風を装ってさらりと、アイゾムさんに説明した。……笑いを堪えるのに苦労する。
結局、夕食は自宅で食べるから、と、伯父さんは宿酒場を後にした。もちろん、わたしとイリスもそれに続く。
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18:00 アルフィネート家
わたしは、伯父さんたち一家に全ての事情を話した。次元裂、管理者、天使、わたしの前世、そういったものを、全て。
ここに居ないカインには、伯母さんがわたしの声を音声として──日本でいうところの電話のように──通信魔法で中継してくれた。……さすがに、こういう芸当はわたしにはまだできない。お母さんも同じことをやっていたけど、わたしは技術面ではまだまだだということを痛感する。
わたしの説明が終わった後、イリスが口を開く。
『それで、由美。ディオス洞窟にはいつ行く?』
『んー……それじゃあ、明日、あんたには下層への入り口までの案内だけ、してもおらうかな。後は、まあ、少しずつ適当に進めるわ』
『……そっか。そうだよね』
イリスは少し残念そうに言った。
わたしとしても、できれば岩蚯蚓の生態を知っているか、そうでなくても戦った経験のある人に同行してもらえれば心強い。だが、伯父さんでもおそらく1人では勝てないであろう敵の退治に、他人を連れていきたくないという気持ちもある。それがわたしの従姉妹であり、京の生まれ変わりでもあるイリスなら、なおさらだ。
……アールディアの時に思い知った。わたしは、誰かを守りながら戦えるほど器用じゃない。
イリスは続ける。
『じゃあ、前にあたしが戦った時の岩蚯蚓の見た目とかを、通信魔法で教えるよ』
そして、イリスからの通信魔法で《それ》は送られてきた。
一言で喩えるなら、それは動画。岩蚯蚓の見た目や動きなど、たぶん、イリスが実際に遭遇した時の様子が、PCの動画データのように、わたしの脳に直接届けられた。……なるほど。通信魔法で映像と音声を送れるのなら、こういう使い方もできるのか。
この後、わたしは伯父さんたちと短い挨拶を交わしてから帰宅した。
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7月13日(水) 昼休み ベアゼスディート
今日も唯を連れてどこかの山中へ。昨日と同じ場所にしようかとも思ったが、魔法の練習をするという都合上、《雑音》に勘づかれてはまずい。毎回場所を変えるか、数ヶ所の使い回しにするかは後で考えるとして、とりあえず昨日とは別の場所にした。
「それじゃ、早速練習を──」
「その前に、先輩。昨日のことで1つお願いがあるんですけど……」
唯は言う。昨日、死霊術で使われた魂が勝手に宿って動きだした死体。アレとできるだけ会って、その魂を自分の中に取り込みたい、と。
アレの魂を死体から引き剥がす時、その魂には抵抗されるどころか、むしろ自分から望んで唯のほうに入ってきたらしい。
「──わたしの中に入ってきた後は、《彼》の意識は消えて、完全にわたしと1つになりました。だから、もしかしたら《彼ら》は、1個の命として死にたがっているんじゃないか……わたしの魂に取り込まれて、寿命で、人として死にたいんじゃないか、と」
フォスティアの話では、《魂の淀み》は、現世に執着するあまり《魂の源泉》へ還るのを拒み、未練だけで次元の狭間に留まり続けている魂の塊、とのことだった。それが死霊術で死体に宿らされ、一応、現世に戻ってくることはできたが……薄れすぎた自我ではまともに動くことすらままならず。
未練を果たすことを諦めて、《以前の自分》としては無理でも、《緒方唯》として死ねるなら……というところだろうか。
「……あんたはどうなの? 《彼ら》と同じ魂を持ってるあんたは、そういう……その、死にたい、とか、現世への未練、とかは?」
ふと気になったから。単なる好奇心で、わたしはそのことを聞いてしまった。
「……分かりません。少なくとも自殺願望は持ってませんし、死ぬのは怖いですけど。それが《現世への未練》かと聞かれると、ちょっと……」
「そっか。……ごめん、変なこと聞いて」
「いえ……」
「じゃあ、そのことはまた考えとくから、とりあえず今は魔法の練習をしようか」
「……はい!」
この後、わたしたちは昨日と同じように魔法の練習をして、学校へ戻った。
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16:30 ディオス洞窟
学校が終わったら、一旦ザールハインへ転移し、イリスと合流してから洞窟へ。町から洞窟までの移動は、わたしがイリスを背負って、《風結界》と《加速》での高速飛行だ。
『なんか、由美がどんどん化物じみてく気がする』
わたしの背中から降りたイリスがぼそりと言う。……反論できないのは自慢しても良いものか。
『化物ってあんた……否定はしないけどさ』
『……しないんだ』
緑龍を1対1の真っ向勝負で倒すことができて、20分以上も息を止めていられる人間が、化物でなくて何なのか。
まあ、それはともかく。
『それじゃあ、あたしについてきて』
イリスはそう言って、洞窟入り口に立てられた《立ち入り禁止》の立て札の脇をすり抜けて歩きだした。
イリスと一緒に洞窟をしばらく歩いて。
『んー……おかしいな』
ふとイリスがそんなことを呟く。
『どうしたの? イリス』
『いや、街道として使ってる上層にも、いくらか魔物が出るはずなんだよ。ギルドが定期的に退治しなきゃいけないくらいには。……でも、洞窟に入ってから全然出くわさないからさ』
『ああ──』
わたしは、旧レディクラム遺跡でのことを思い出した。魔物と遭遇しても、その魔物は逃げ出すか、恐怖に震えながらも襲いかかってくるかのどちらかだったことを。
そのことをイリスに話す。
『なるほど、魔物にとっては黒龍がやってきたように見えてるってことか』
納得した様子でイリスは言った。
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通路のど真ん中の地面に大穴が開いた場所。その穴の中、ではなく、わたしたちの頭上、天井付近で《光源》を発動させ、わたしは言う。
『へえ、この下ね』
『……ねえ、由美』
もう何も言うまい、そんな顔のイリス。
『ん、何?』
『《ん、何?》じゃないよ! 何なの、このやたら明るい《光源》は!?』
発光体を指さして、しかし直視はせず、イリスが叫ぶ。そのイリスが指し示す先、普通に使えば懐中電灯か松明でほんのり照らすくらいの明るさしかない《光源》の発光体は、深夜のコンビニくらいの明るさを放っている。
『ああ、《光源》に思いっきり魔力を突っ込んだらどうなるのかな、って。ちょっとやってみたの』
『……』
イリスは半眼をわたしに向ける。サスペンダーが片方ずり落ちるか、頭からアホ毛が飛び出していそうな雰囲気だ。
『それじゃ、今からちょっとだけ調べてみようかな。イリス、案内ありがとね』
『あ、う、うん。……気をつけてね』
『大丈夫よ。危なくなったら転移で逃げるから』
わたしは転移でイリスをザールハインへ送っていき、改めてここへ戻ってきた。そして、《光源》を発動させたまま穴から飛び降りて、《加速》でふわりと着地する。
「さて……」
眩しすぎないように《光源》を頭上で発動し直して、降りた先をざっと見回してみる。
広い。微妙に下りながら続いている通路自体の幅が広い上に、その通路もひたすら続いている。しかも、所々曲がりくねったり、脇道があったりして1本道でもない。まさに巨大な迷路といったところだ。
……仕方ない。まずは次元の狭間から、この地下迷宮の全体を見てみることにしよう。
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広い。この下層を歩いて踏破しようと思ったら、1月では済まないんじゃなかろうか。
そして、ここはどうやら、岩蚯蚓の巣のようだ。次元の狭間から見てみたら、巨大な魂の反応が大量にあった。たぶん、この1つ1つが岩蚯蚓なのだろう。
今、わたしの目の前には1匹の岩蚯蚓が居る。いちいち歩いて探すのは面倒だと感じたので、適当に《大きな魂》の反応を探して、そこに転移したら、当たりだった。……だが、1つ気になったことがある。
この岩蚯蚓、いきなりわたしが目の前に転移しても、襲いかかってこなかった。それどころか、こちらの様子を窺うような素振りを見せている。
岩蚯蚓にそれなりに知能があるのなら、ベアゼスディートで初めて知った相互翻訳の魔法で意思疎通ができないかと思い、わたしはそれを試してみた。が、ゼルク・メリスの《根底の流れ》では、あの魔法は発動できなかった。……あるシステムで対応している機能が、他のシステムでは同等機能が無いこともある、ということか。だが、それなら、その機能を自力でまかなえばいい。
わたしは、ベアゼスディートで《封魔》の中でやったように、完全に自力で翻訳魔法を発動させた。
さて、まずは何と言葉をかけるか……
「いきなり押しかけてごめんなさい。あなたたちと戦うつもりは無いわ」
「……我らの言葉を解する者が居ようとは。いや、これは魔法か。どちらにしろ、驚きだな」
目の前の岩蚯蚓は、わたしを警戒しながらではあったが、呼びかけに応じてくれた。




