39 つかの間の日常だったかも
7月10日(日) 11:00 商店街の端
「……お見通し、だったんですね」
唯は観念したように話し始めた。
最初は……わたしと初めて会った時に抱いたのは、本当にただ暴走車から助けてくれた感謝の気持ちだけだった。
その後、《暴君》というわたしの校内での立場を利用するためだけに近づいたのかもしれない、と悩みもした。
それも吹っ切れてからは、校内で《暴君》に関して変な噂が立つかもしれないことよりも後輩を守ろうとする、わたしの優しさに惚れ始めた、と。
わたしは小さく、しかし、やや長い溜息をつく。
「もしかしたら京に聞いてるかもしれないけど、唯、わたしには──」
「はい、知ってます。岡先輩……《熟年夫婦》と言われるほどの彼氏が居るんですよね」
「……それを知った上で、わたしを恋人として好きになった、と?」
わたしの言葉に、唯は弱々しく「はい」と答えて、首を縦に振った。そして、これ以降、唯は通信魔法で、わたしへの限定発信で言葉を伝えてくる。
「わたしが佐々木君の生まれ変わり……かどうかはともかく、記憶を持っていることは、前に話しましたよね?」
わたしは、なぜ急に通信魔法で、と思ったが、その話の内容を聞いて理解した。確かに、人通りの多いこの場所で、生まれ変わりがどうのという話は、口ではできない。
同じく、わたしも通信魔法で返す。
「ええ、聞いたわ。……それが?」
端から見たら無言で見詰め合う2人の女子高校生か。……まあ、気にしないでおこう。
「その記憶では、攻めてきたゼンディエールの魔物たちとの戦いの中で、わたしと佐々木君と、けっこういい仲まで行くんです。でも……」
「それまでに、わたしを諦められる自信が無い?」
「……はい」
唯はただ一言、そう言った。実際、今も、本気でわたしと両思いになれるとは思っていないのだろう。
それなら、ここでわたしがきっぱりと唯を振っても意味は無い。かといって、じゃあどうすればいいのかは、わたしにも分からない。失恋した経験が無いからだ。……とりあえず、今のわたしに言えることで答えよう。
「それは、本当にわたしを諦めきれないから? それとも、佐々木を好きになる自信が無いから?」
「……え?」
「あんたがわたしを諦められないのは、単にわたしに未練があるからというだけなのか、それとも男を恋愛の対象として見れないからなのか、どっちなの?」
わたしがそれを聞くと、唯はしばらく黙り込んだ。そして、ゆっくりと、わたしへの通信魔法に言葉を乗せてくる。
「それは、分かりません。少なくとも、前世の……佐々木君の記憶では、《彼》は《緒方さん》のことが好きだったようですが」
「両思いだったかは自信が無い、か。……ま、無理に《記憶》とのつじつまを合わせようなんて、しなくてもいいと思うけどね」
わたしは、あえて軽い口調で言った。
「え? で、でも……」
唯は戸惑ったような顔を見せる。そんな唯に、わたしはわざと少しきつめの口調で言う。
「あんたは佐々木の記憶をトレースするだけの高校生活を送りたいのか、それとも緒方唯として生きたいのか、どっちなのよ」
「──っ!?」
はっとする唯。その様子を確認して、わたしは口調を戻す。
「たぶん、そうやってあんたがあんたらしく生きてたら、気づいたら《記憶》と同じ結果になってるんじゃない?」
この後、またしばらくの沈黙。そして。
唯からの通信魔法が……魔法と同時に発せられていた《雑音》が消える。
「そう……ですね。由美先輩。今日は一緒にお出かけしてくださって、ありがとうございました」
その表情は、今までの笑顔に戻っていた。
●
13:00 どこかの山中
一旦家に帰って昼食を食べた後、わたしは、フォスティアの下を訪ねた。
明日、再びレディクラムの宿酒場でデイラムさんたちと再会するまで、わたしはこっちに来るつもりは無かったのだが。
『んふふふ、由美ちゃん。かつて自分がイヴィ君に掛けた言葉、覚えてる?』
フォスティアが悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言ってくる。
『……忘れる訳無いでしょ。《首だけになっても魔法が使えるようなやつとの再会なんて、わたしはもうごめんよ》』
アールディアの地下闘技場での戦いを見られていたのなら、絶対突っ込まれると思っていた。
黒龍イヴィズアークは、わたしに首を刎ねられた後、通信魔法でわたしに語りかけてきた。叶うのならば生まれ変わってまた会いたい、と。
その生まれ変わりであるわたしは、状況は違えど、首を刎ねられた後、色々あって結局無事に生還した。……うん。《再会》はしていない。自分がそうだった、というだけだ。
『で、由美ちゃんがここへ来たってことは、またあたしかシェル君に何か用?』
フォスティアはいつもの調子に戻り、聞いてくる。
『ええ、実は──』
わたしは、唯に頼まれて魔法を教えていることを話した。地球の魔法を練習するために、地球と同じ《根底の流れ》を扱える状況を作り出せないか。《根底の流れ》を読み替える管理者権限は、他人に対しては使えないのか。
しかし、フォスティアは申し訳なさそうに答えた。
『あれは自分にしか使えないんだ。ごめんねー』
ということは、やっぱりベアゼスディートの……例えばここみたいな、誰も立ち入らないような山奥なんかで練習するしかない、か。
『ううん、いいの。……あ、管理者権限といえば──』
アールディアでの戦いを見ていたのなら、フォスティアは当然この件も把握しているだろう。わたしは、《根底の流れ》を利用した管理者権限の強制発動について話した。
『ああ、あれねー。……実際のところ、あたしもシェル君も分かんないんだよね。なんで女神が、あんな現象を起こせるようにしているのか』
「──っ!?」
フォスティアの言葉で。今まで、わたしの中でなかなかすっきりしなかった《何か》が、パズルの最後のピースのように、かちっとはまった。……だが。
もし、わたしのこの予想が当たっているのなら、近い将来、わたしは《世界》の枠を超えて、それこそ管理者レベルの騒動に巻き込まれることになる。それがどんなものなのかは、今のわたしには分からないが。
『ん? どしたの、由美ちゃん』
『……ねえ、フォスティア。すっごく、馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど。もし、わたしが……女神に作られた武器、だとしたら?』
『……はぇ?』
きょとんとするフォスティアに。そして、そばに居る白龍シェルキスに。わたしは、その《予想》の内容を説明する。
まず、管理者イアス・ラクアがなぜこんな回りくどい方法を採ったのかは分からない。単に管理者権限を使わせるだけなら、白龍でも人間でも、天使化させればそれで済む。というか、そもそもそんなことをしなくても、《内側の世界》に対してなら管理者自身でそれをすればいいはずだ。
何らかの理由で、天使ではない《内側の存在》に管理者権限を強制発動させたかったのか。しかし、その場合でも、管理者自身が直接、白龍なり黒龍なりにその知識を与えればいい。
だが、今回、イアス・ラクアはわたしに……イヴィズアークに対してそれをしなかった。わざわざ《己を殺した人間と再会したい》という願いを抱くように仕向けてそれを叶えるという形で人間に生まれ変わらせ、そのわたしに対しても、自力でこの現象に気づくように仕向けた。
その準備として、転生先の《器》となる肉体を用意するためにお母さんを日本へ送り、灰の者を産ませるという手順を踏んでさえいる。
そして、今ここで、わたしがこういう予想をするということも、おそらくイアス・ラクアは見越している。
天使ではないわたしが、管理者の意思に反して、この世界の内側でわざわざ管理者権限を強制発動できるようになる意味は無い。にもかかわらず、今、こうなっている。ということは、わたしは……《世界の外側》で、管理者権限を強制発動することを求められているのではないか。
わたしがそこまで説明したところで、フォスティアの顔色が変わる。
『ちょ、ちょっと待って、由美ちゃん。それってもしかして……』
『ええ。イアス・ラクア以外にも管理者は存在する。そして、その《ほかの管理者》との戦いのために、《管理者権限を強制発動できる存在》という武器が必要なのだとしたら?』
そして、その《武器》は秘密裏に用意する必要があったのだとすれば。イアス・ラクア自身が直接その《武器》を作らず、わざわざこんな回りくどい方法を採ったのも理解できる。
シェルキスは何も喋ってはいないが、人間でいうところの《冷や汗をかいている》ような雰囲気が伝わってくる。
『まあ、女神がどう思っていたとしても、内側のわたしたちがどうこうできることじゃないんだけどね。……じゃ、また来るわね』
わたしはできるだけ何とも思っていない風を装ってそう言い、次元の狭間へ飛び込んだ。
●
14:00 前線基地のテント
イアス・ラクアの思惑は気になるが、とりあえず今は、唯が周囲の目を気にせず、魔法を練習できる場所を探さなければならない。わたしは、フォスティアの管理者権限の次に候補として考えていたベアゼスディートにやってきた。最初は、候補地として人気の無いどこかの山奥をと思っていたのだが。
以前この世界で知り合ったアーゲンさんが、敵国に亡命した今、捕虜として収監されているのではなく、前線と思われる部隊に配属されていたのが気になった。
わたしは彼の目の前に転移し、翻訳の魔法を発動させてから話し始める。
「驚かせてすみません、アーゲンさん。お久しぶりです」
「……! おお、由美君か。久しぶりだ」
驚いた様子を見せつつも嬉しそうにそう言ってくれるアーゲンさんと、彼の部下だった人たち。そして彼らとは対照的に、わたしの転移から一呼吸遅れて、一斉にわたしに武器を向ける兵士たち。
「皆、武器を収めてくれ。彼女はわたしの亡命を手伝ってくれた人だ」
アーゲンさんがそう声をあげると、兵士たちは納得のいかない面持ちながらも、とりあえず武器は収めてくれた。
この後、わたしはアーゲンさんと共に亡命した、かつて彼の部下だった男性に案内され、この基地の指揮官の下を訪ねた。




