5 あっちとこっちで急展開 ★
6月21日(火) 朝 竜之宮家
朝食を急いで食べ終えたわたしは、同じく急いで登校準備をしていた。
今日は聖桜高校の創立記念日。普通なら学校は休みになるはずなのだが、今年は学校の創立60周年ということで記念式典が行われ、全校生徒は強制参加させられる。まあ、明日が代休になるのでせっかくの休日が潰れるという訳ではないのだが。
それよりも、記念式典は学校行事。ということは出席時は制服を着なければならない。わたしが忌み嫌うスカートを穿かなければならない。
「由美ー、早くしないと遅刻するわよ」
お母さんの声で余計に焦ってしまい、スカートの下に穿くつもりのタイツがうまく穿けない。ああ、くそ。もう今日はタイツを穿かずに学校に行ってやろうか。
そもそも、なぜこんなに急いでいるのかというと、今朝は寝坊したからだ。普段は目覚まし無しでもきちんと起きられるのに、今日はなぜか寝坊した。昨日、ゼルク・メリスで黒ずくめに腕を切り落とされ、かなりの出血をしたせいで体力が落ちてたとか? ……いや、腕を繋ぎ直す際に噴き出した血も可能な限り回収したので、その可能性は低い。
とにかく、寝坊したものはしてしまったのだ。今は一刻も早く学校に行かなければならない。
「行ってきまーす!」
結局、わたしは今日生まれて初めて、タイツ無しでスカートを穿いて家の外に出た。
なお、わたしは急いではいたが、朝食は食べ終えていたので食パンを銜えてはいなかったし、ましてや髪に芋けんぴをくっつけていた訳でもない。学校に着くまではごく普通の登校風景だったことをここに報告しておく。
●
「あ」
わざわざ現実空間内の通学手段に依らず、次元の狭間経由で直接校内に転移すればよかった。それに思い至ったのは教室に到着し、ちょうど入り口をくぐったところだった。
「あれー、由美ちゃんが素足でスカートって珍し……どうしたの?」
思わず入り口で立ち止まっていたわたしに、教室の中から話しかけてきたのは、京以外では割とよく話す女友達の北見恭子。身長は女子平均よりちょっと高いくらいだが、体重は身長178cmのわたしと数キロしか違わない、実に貫禄のある体型だ。これは別に遠回しな表現などではなく、実際に彼女は未開封のスチール缶を片手で握り潰して破裂させたことがある。わたしも真似しようとしたが、さすがに未開封のは無理だった。
「おい、そこ邪魔だって、竜之宮」
「あ、あぁ、ごめんごめん」
同級生の男子に軽く背中を小突かれつつ、わたしは自分の席へ鞄を置いてから恭子の席へ。そこには既に京も居た。
「おはよー、由美。って、ちょっと」
わたしに目を向けた京は、そのまま手を伸ばしてわたしの腰、というかスカートを掴む。
「スカートずれてるよ」
呆れたように言いながら、ずりっ、とわたしのスカートの向きを直す。制服のスカートはボックスプリーツなので、ずれたまま穿いているとすぐ分かる。らしい。
「あれ、ずれてた?」
「うん、ずれてたよ。こういう時以外穿かないからって、ううん、穿かないからこそ、いざ穿く時くらいきちんと、あ痛」
わたしは京の頭に軽く拳骨を落とした。
うん、京の指摘は尤もだ。スカートの向きを直してくれた、その手がそのまま上方向へ侵食してこなければ、わたしも素直に聞いていただろう。
「で、なんで今日は由美ちゃん、タイツ穿いてないの? 教室に来るのも遅かったし」
「……寝坊したのよ。そのせいで穿いてる時間が無かったの」
恭子の前の席の椅子を借りて座り、わたしは答える。
「ダメだよ、夜更かししちゃ。筋トレも程々にねー」
「違うって。ていうか、あんたに言われたくはないわ」
こうしてお喋りしている間にも手の中で太い金属のバネが付いた器具をガチャガチャやっている恭子に突っ込みを入れて、足を組む。
「おぉう、滅多に拝めない由美の生足……これは良いものだ」
「──っ!?」
わたしは慌てて組んでいた足を戻した。
●
記念式典が終わって、下校。そろそろ自宅が見えてくるか、というところで、わたしは1人の男性に声をかけられた。
「突然で申し訳ございません、少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
男性はびっしりとスーツを着た、どこかの会社員といった雰囲気を……いや、どちらかといえば会社員というよりは医師に近いか、とにかくそんな雰囲気を纏っていた。物腰は、丁寧すぎてちょっと冷たい印象があるか。
……!
一瞬感じた寒気。……寒気? 校長室に入る時の緊張感にも似ていた気がするが。
「……あなたは?」
「これは失礼致しました。私はこういう者でございます」
そう言って男性は1枚の名刺を差し出した。そこに書かれていたのは。
《異世界研究所 上級研究員 山田泰二》
いかにも仕事ができそうな雰囲気見せててどんな痛いヤツだよ。今までのわたしなら、そういう感想を持っただろう。しかし、異世界研究所という単語は、今のわたしにとってはタイムリーすぎた。
わたしは思わず驚きを顔に出してしまいそうになった。
「あ、えっと。こういう時のマナーとか分からないのですが、頂いた名刺はどうすれば……?」
。
「まだ学生のようですから、どうかお気になさらず。お好きな仕舞い方でどうぞ」
一瞬の間を開けて、男性はそう答えた。
……しまった。異世界研究所などと書かれた名刺を受け取って、わたしは普通に応対してしまった。普通に考えれば怪しいことこの上無い人物に、異世界という単語に驚かないという情報を与えてしまった。
とはいうものの、後悔してももう遅い。とりあえず、好きなようにと言われたので、わたしは制服の胸ポケットから取り出した生徒手帳に山田さんの名刺を挾み、また胸ポケットへ戻した。そして、できるだけ平静を取り繕いつつ続ける。
「それじゃあ、1度両親に話して、それからお返事致します。見てのとおり、わたしはまだ未成年ですから」
「承知致しました。良いお返事を期待しております」
男性はそれだけ言うと、特にわたしに因縁をつけるでもなく、素直に立ち去った。
あー、なんか一気に背中に冷や汗が出てきた。因縁つけてこられて返り討ち、とかは大の得意だけど、こういう腹芸……っていうのかは分からないが、とにかくこういうのは苦手だ。身長ではわたしと男性とはほぼ変わらない、むしろあの人のほうが少し低いぐらいだったのに、見下ろすことによる優位性なんか微塵も感じなかった。
帰宅した後、山田さんの名刺を《変成》で調べてみたが、本当にただの厚紙だった。極小のチップが埋め込まれていて盗聴器が搭載されている、というような状況を危惧していたが、ひとまずは安心か。
この件はお母さんに話し、お父さんが帰ってきたらお母さんから話しておいてくれるように頼んでおいた。
いつもの私服に着替え、昼食を食べてからゼルク・メリスへ。
●
昼過ぎ とある町の宿酒場
カインはどこかの町の酒場で遅い昼食を食べているところだったので、直接店内には入らず、一旦店の裏へ転移する。それから表へ回り、普通に入店。
わたしが酒場に入った途端、店内のあちこちから囃し立てるような声が上がった。うん、もろファンタジー漫画とかに出てくる《冒険者の酒場》って感じの店だったからね。客層もいかついおっちゃんとかが多いし、なんとなく予想はできてた。
『あぁん、この辺じゃ見ねぇ顔だな。……ぉお、姉ちゃん、でけぇじゃねえか』
酒の臭いを漂わせながら、ハゲオヤジ、って感じのおっちゃんがわたしに絡んでくる。ちなみに、でかいとは言われたが、実はおっちゃんのほうがまだ少し背は高い。
『うわ、昼間から飲みすぎよ』
わたしが思わずちょっと引き気味にそう言ったら、おっちゃんと、店内のむさ苦しい男共の中で浮いているとさえ言える若い青年、カインが反応した。
『かてぇこと言うなって。姉ちゃんトシはいくつだ? この国じゃあ17から酒が飲めるんだぜぃ』
『その声は由美!? まさかこんな所に来るなんて』
こんな所、の一言に、カウンターに居た店主とおぼしき男性がちょっとむっとした顔をしたが、
『こーんな男ばっかの店、こんな所じゃなきゃ何なんだ?』
カインの隣、同じくカウンターで酒を飲んでいたフサフサのおっちゃんにからかわれて黙り込んだ。
わたしはカインにカウンターへ案内され、店主と、フサフサのおっちゃんにそれぞれ紹介された。その際、わたしが地球──ゼルク・メリスにとっての異世界──出身であるということは伏せられ、旅に出てばかりいるカインに会うために故郷から出てきたカインの親戚ユミ・アルフィネート、ということにされた。親戚という点は間違ってはいない。
『レディクラムの町へようこそ、ユミ』
店主、デイラムさんがやや演技がかった声で言ってくれる。そこには、それこそファンタジー漫画の酒場にあるような、来る者は拒まずの歓迎の気持ちが見て取れた。素性をやや偽っているのは申し訳ないが、こればかりは仕方ないか。
ここ1ヶ月ほど、カインはこの店を拠点にして活動しているという。それなら、と、わたしはここに来た理由を、カインがここを拠点にしているらしいと聞いたので、ここにはカインに会うために来た、昼食を食べにきた訳じゃなくて申し訳ない、とデイラムさんに告げた。
『そうか。……おぉ、んじゃトシ聞いてもいいかい?』
この状況で年齢を聞かれる。ということは。
『17ですけど、まさかお酒を勧めるつもりじゃありませんよね?』
さっきハゲオヤジが言っていたことを思い出す。この国では17歳から酒が飲める、と。
『おいおい、敬語なんてやめてくれよ。で、まあ、そうだ。酒は初めてだっつうんなら、うちの店で1番軽いのを出してやるが、どうだ?』
『姉ちゃん美人だしな、1杯目は俺が奢ってやるぜ』
フサフサのおっちゃん、ゴルテンさんも乗り気のようだ。美人と言われるのは嬉しいが、酒かー。日本じゃ20歳からだしなー……
ちらりと横目でカインを見る。
『奢ってくれるって言ってるんだし、貰っておけば? 無理だったら僕が飲んであげるから』
そういえば、地球でも、現地で食べる分には問題無いが、日本に持ち込んだら違法になるっていう食材があったっけ。……うーん。
『じゃあ、1杯貰おうかな』
結局、わたしはデイラムさんに酒を注文した。
『そうこなくっちゃな』
わたしの前に出されたグラスに、やや黄色がかった液体が注がれていく。これが酒か。
『ほらよ。うちの店じゃ1番軽い酒だが、町の名と同じレディクラムを冠する、この町の名産品だ』
デイラムさんに勧められたグラスに、わたしはまず少しだけ口をつけた。そして、その液体を口に含んだ瞬間、ツンと鼻に抜けるものを感じる。そのまま一気に飲み込むと、喉が焼けるような感覚を覚えた。が、それと同時に、果物特有の甘い味が口の中全体に広がる。
喉が焼けるようには感じるが、我慢できないほどではない。むしろ、その刺激があるからこそ、果物の味がより引き立っているような気がする。
『お……おい、ユミ?』
なんだか心配そうなデイラムさんの声が聞こえる。
『……ぷはーっ!』
気がつけばわたしはグラスの中身を一気に飲み干し、空になったグラスをカウンターに、だんっ、と景気の良い音を立てて置いていた。やばい、お酒おいしい。
『ひゅー、いい飲みっぷりだなぁ』
ゴルテンさんが感心したように言う。あ、カインが惚けてる。
『ゆ、由美、大丈夫?』
『うん、これくらいなら平気』
わたしがそう言うと、デイラムさんが何かを思いついたようにわたしに話しかけてきた。
『なあユミ、あんた故郷から出てきたって言ってたが、ってことは、当然それなりには戦えるんだよな?』
『え? んー……カインと1対1で、っていうのはちょっと無理かな』
あれ、デイラムさんたち驚いてる。え? というか、店の中が妙に騒がしくなったんですけど!?
『こいつぁ驚いた。いや、そういうことなら1つ頼みがある。報酬は、あんたのためにこの酒、レディクラムを1本とっといてやろう』
『頼み?』
『デイラムさん!』
わたしに頼みがあると言ったデイラムさんをカインが窘める。……いまいち状況が理解できない。
『カイン、戦力は少しでも多いほうがいい。おまえと並んで敵陣に突っ込むのは無理でも、雑魚掃除くらいは任せられるだろう。いや、むしろ本当にユミがおまえに迫るほどの実力があるなら、雑魚掃除をさせるのはちともったいなくないか?』
『それは……』
窘められたデイラムさんが逆にカインを諭す。
『あのー、ちょっと話についていけないんだけど』
『ああ、悪いな。実は』
デイラムさんは説明を始めた。
今朝、日が昇りきった頃。カインがこの酒場に着くと同時に、デイラムさんにその話を切り出したらしい。自分はアールディアの地下組織に本格的に狙われだした。レディクラムの冒険者ギルドはこの近辺でも精鋭揃いのはずだから、これを機にこちらから先に仕掛けて、アールディアの地下組織を壊滅させたい、と。
カインにかけられている遠隔監視魔法については、デイラムさんが言うには、アールディアからここまでくらいに距離が離れていればまず大丈夫だろうし、もし監視魔法が届いていたとしても、どうせ攻め込むのだから迎撃態勢が整ったところを完膚無きまでに叩くためには都合が良い、とのこと。
『アールディアは、ここから角熊で1日ちょっとと、まあ近くはないが、ちょっと遠出するぐらいのつもりでは行ける所だからな。あそこの地下闘技場はいつか潰さなきゃならん、って、近隣の冒険者ギルドとも話が進んでたんだ。そこへきてのカインのこの話だろ。まだ他ギルドとの調整はしなきゃいけないが、ちょうどいいきっかけだと思ってな』
なるほど、そういうことか。それに、カインは自分が狙われていることにしていたというのも驚きだ。まあ、それも全くの嘘ではないが。……わたしを巻き込まないための心遣いか。
『で、だ。もしあんたが俺たちに協力してくれるってんなら、その前にちょいとあんたの実力を見せてほしい。……いや、協力してくれなくてもいいから、新顔の実力を見てみたい、っつう興味もあるんだがな』
デイラムさんは、言葉の後半は冗談っぽく笑いながら言った。実力を見たい、というのは、たぶん試合とか手合わせみたいなことをするのだろう。わたしがデイラムさんたちに協力するかどうかはともかく、手合わせをすることで自分の実力がゼルク・メリスでどの程度なのかを知れるのは、わたしにとっても悪くない。……いや、それより。
あの地下組織の本拠地へ攻め込むのなら、お母さんにも来てもらったほうが絶対に良い。けど、そのためにはわたしが異世界間を移動できることをデイラムさんたちに明かす必要がある訳で。
『……ちょっとカインと相談したいんだけど、いいかな』
『え、僕と?』
『おう、構わないぜ。なんなら、2人っきりで話ができるように部屋を貸してやろう。まあ、物置代わりにしか使ってねえから、汚いのは勘弁してくれ』
そう言って、デイラムさんは部屋の鍵を貸してくれた。
●
わたしとカインは酒場の2階、宿屋として使われている階の、ある1室にやってきた。
『それで、相談したいっていうのは?』
『うん、こっちの世界で、灰の者がどう見られているか……ぶっちゃけて言えば、わたしが灰の者だと、デイラムさんたちに話してもいいのかな、って』
灰の者、という単語に、カインはやや驚いたようだった。が、すぐに元の様子に戻る。
『やっぱり、君は灰の者だったんだね。……それで、そのことをみんなに話してもいいか、か』
カインは少し考えて、続ける。
『たぶん、大丈夫だと思うよ。灰の者に関して悪い話は聞かないし。まあ、灰の者自体がお伽話としか思われてない、とも言えるけど、言い換えれば、結局その程度、ってことだと思うから』
『そっか……ありがとう』
それだけの短い相談を終えて、わたしたちは再び1階へ戻った。