35 2人の親友
7月6日(水) 16:10 レディクラムの宿酒場
伯父さんとイリス、そして2人を迎えにいったカインとオージン。わたしは、この4人をそれぞれ転移でデイラムさんの店へ連れて帰った。その後、お母さんもここへ連れてくる。
伯父さんは、おそらく20年以上ぶりの再会であろうお母さんと話をするより、先にデイラムさんと作戦の詳細について話し合うつもりのようだ。……兄妹の再会より作戦を優先しなければならない。非情だが、これが《戦い》なのだろう。
デイラムさんと伯父さんが話し合っている間、わたしとお母さんはイリスと話をすることにした。まず、お母さんがイリスに話しかける。
『へえ、あなたがイリスちゃんね』
『は、初めまして……叔母さん』
答えるイリスは、どこかぎごちない。まあ、それはそうだろう。イリスとして会うのは初めてでも、前世で京としては何度も顔を合わせていたのだから。
イリスはお母さんに、自分が京の生まれ変わりであることを日本語で説明した。こっちの共通語を喋れるお母さんにわざわざ日本語で説明したのは、自分が京の生まれ変わりであることを信じてもらうための材料として、というのもあるだろうが、生まれ変わりがどうのなどという話を、この場に居るほかの人たちに聞かれたくなかったのもあるのだろう。
「なるほどね、道理で……」
お母さんは納得したように何度も頷いていた。
「あの……それで、あたしが京の生まれ変わりだっていうことは、京本人には言わないでおいてくれませんか?」
「え? ……ええ、それは構わないけど、それじゃあ、あなたは京ちゃんと会って、いったい何を話すつもりなの?」
「それは……分かりません。会って、どうするつもりなのかも、まだ……」
「……分かったわ。それじゃあ、わたしからは何も言わないから、後は由美と京ちゃんと、あなたたちだけで決めなさい」
「え? でも、叔母さんも立ち会うって……」
「それは兄さんが……クラウスがなぜ京ちゃんのことを知ってるのか、まだ分からなかったからよ。ぶっちゃけて言うと、あなたのことを疑ってたの。なんで知ってるんだろう、って。でも、今の話でその理由も分かったし、だったら、子供同士の話に親が口を出すなんて野暮なことはしないわ」
「叔母さん……ありがとう」
『ちょっといいか』
わたしたちの話がちょうど切りがついたところで、伯父さんがわたしたちに話しかけてきた。
『あら、何? 兄さん』
『作戦の決行は、明後日の19時からに決まった。由美も、それで良いか?』
『ええ』
わたしは短く答えて、首を縦に振った。
……地球人としては、わたしは親不孝者なのかもしれない。異世界での、わたしが参加しなければならない理由の無い、死の危険が濃厚な作戦に自ら参加すると言うのだから。わざわざアールディアの地下組織なんて潰さなくても、地球での生活になんら支障は無いというのに。
だが、ここで……龍と戦うことに比べればずっと《安全》なこの作戦から逃げ出すということは、デイラムさん、カイン、その他多くの、こっちで知り合った人たちを裏切ることになる。わたしにはそっちのほうが、自分で自分を許せそうにない。
お母さんにはまだまだ心配をかけることになりそうだ。……ああ、もちろん、お父さんにも。
●
17:00 由美の部屋
伯父さんとイリスの希望で、今日は2人は家で1泊することになった。お母さんと3人一緒にわたしが家へ連れてきて、今は伯父さんとお母さんはリビングで話をしている。その間、わたしは自分の部屋でイリスと過ごすことにした。
「きゃほーい! 久しぶりの由美の部屋ー!」
ばふっ!
歓喜の叫びをあげながらわたしのベッドへダイブするイリス。そんなイリスの様子にわたしは若干呆れつつ、PCの電源を入れる。
「ああ、由美の部屋……由美の匂い……懐かしいよぉ……」
「──っ」
ぴくっ、と。イリスの言葉を耳にして、わたしの、マウスに伸びかけた手が止まる。なんだか危ないセリフが混じっていた気がするが、イリスの声は震えていた。……顔は見えないが、泣いているのだろうか。気持ちは分かる。分かるが……
『……イリス』
『っ!? な、何……?』
名前を呼ぶだけの、単語たった1つ。それでも、日本語とゼルク・メリス共通語とでは微妙に発音が違う。この状況で、日本語ではなくゼルク・メリス共通語で名前を呼ばれたイリスは、体に変な力が入った状態でわたしの方を向いた。
『残酷なことを聞くようだけどさ、わたしは……今のわたしは、あんたが知ってる由美とは違うのよね。だったら、あんたは……今後も《イリス》としてわたしと付き合うのか、それとも《体がイリスなだけで中身は京》として付き合うつもりなのか……どっちなの?』
『そ、それは……』
『正直、わたしも迷ってるの。あんたと日本語で話してると、本当に京と話してる気分になってくる。わたしは、あんたを京として扱っていいのか、それともイリスとして接するべきなのか……教えて?』
家族以外に……お母さん、お父さん以外に初めて弱音を吐いた。……ああ、弱音という意味では、デイラムさんに《人殺しに慣れてきた》ことがどうのと相談したか。でも、あれはデイラムさんのほうから聞いてきてくれたから、わたしもつい喋ってしまったのだと言い訳できる。
今回のこれは、わたしから切り出した言葉だ。明後日には死の危険もある作戦が控えているというのに、こんな……
『……ごめん、これからアールディアのことで大変だっていうのに。今のは忘れて』
呟くように低くそう続けてから、わたしは、キーボードをどけて机に突っ伏した。
……おかしい。確かに今日は初日だ。だが、今までこんなに情緒不安定になることは無かった。いや、あるにはあったが、これのせいだと自分の中で納得できていた。気持ちを制御できていた。……女神に体を作り替えてもらったからか? これも、子を産める体になったことの代償だとでもいうのか?
聞きなれたPCの動作音まで耳障りになってはいないのが救いか。
「……イリス。あんたの《記憶》でさ、明日以降の、学校でのわたしの様子って、どうだった?」
わたしは顔を上げ、しかし、イリスの方には向かずに、聞いた。
「え……どう、って?」
「そのままの意味よ。毎月、今ぐらいの時期のわたしの様子はどうだった、って聞いてるの。……ったく、京の生まれ変わりのくせに察しが悪いわね」
……え? これ、わたしが言った?
『な……! 何その言い方! いくら由美でもちょっと酷いんじゃない!?』
「っ! 酷いって何よ! わたしの生理周期は知ってるでしょ!? あんたも女なんだったらこの前後に気持ちが乱れることくらい分かりなさいよ!」
体ごとイリスの方を向けて、高ぶる感情のままにわたしは怒鳴り散らす。
嫌だ、イリスと喧嘩なんかしたくないのに。……そう思ってはいても、その気持ちとは無関係に、イリスを罵る言葉が自分の口から跡切れること無く飛び出してくる。そして、お互いが自分の母語で怒鳴っているのに、意思疎通は全く問題無くできていることがおかしく思えてくる。
「……ふっ」
『何がおかしいの!? ……ええそうですよ! どうせあたしは前世の京と違って、元親友の由美のことすらロクに理解できない、察しの悪い女ですよ!』
「そ……そうは言ってないでしょ! ていうか、なんでそうなるのよ!?」
ぽーん。
不意に、PCが効果音を鳴らす。ビデオ通話アプリの、京からの着信リクエストだ。……このままわたしとイリスとの2人だけで話を続けても、喧嘩は収まりそうにない。わたしは、リクエストを受け付ける操作をした。
『ちょっと、由美! 無視しないでよ!』
「へーい、我が親友! いつまで待っても着信が来ないから、こっちからリクエスト……あれ、もしかして修羅場ってる?」
PCの画面にウィンドウが開き、言葉の前半だけはやたらと威勢の良かった京の映像が映し出された。その映像を見たイリスも、動きを止める。
「ごめん、京。ちょっと助けて……」
「え? あれ!? どうしたの由美!? 大丈夫!?」
驚きと、不安の入り交じった顔の京に、わたしは、事情を──イリスが京の生まれ変わりということだけは伏せて──説明した。この間、イリスはずっと黙っていてくれた。
「……じゃ、ちょっとイリスと替わってよ」
言われるがまま、わたしはイリスに席を譲る。イリスが京の生まれ変わりということは伏せたが、日本語を喋れるということだけは伝えたので、京も直接イリスと話そうとしてくれたのだろう。
仏頂面のイリスに、京が語りかける。
「ども、初めまして。由美の親友の吉田京です」
「……イ、イリス・アルフィネートです」
「ねえイリス、由美に何言われたのかは分かんないけどさ、アレの日の前後くらいは大目に見てやってくれないかな。あたしもそれで何度か由美とは大喧嘩してるし……ああ、それと。そのせいで由美、毎月この時期は不機嫌で仏頂面してるからね。機嫌の悪い時の由美なんて、学校では《暴君》なんて呼ばれてたり」
これが原因だったのか!? ……まあ、中学の時に不良グループを潰したという過去があってこそではあるのだろうが……気づかなかった。
京にそんなことを言われて、イリスは、
「……ああ、そういえば」
と、何かを思い出したように呟く。
「ん? そういえば、って?」
「な、なんでもないなんでもない。こっちの話……!」
「ふぅん……ま、そんな訳でね。由美のことで分かんないことがあったら、またあたしに聞いてよ。たぶん由美本人も自覚していない、あんなことやこんなこと──」
「わーわーわーわー!」
わたしは慌ててカメラの前を遮った。
「よし、イリス君。由美をカメラの前からどかすんだ」
「ははっ、了解であります」
「あ、ちょ……きゃー!」
京の指示でイリスに掴みかかられて、わたしは、そのままベッドの上へ組み伏せられた。……抵抗しようなんて思わなかった。京のおかげで、イリスとの仲が険悪になることが避けられたのだから。
●
17:40
結局、京とイリスとはあまり立ち入った話はしなかった。イリスは、喋り方が京に似すぎないように気を遣って喋っていたようだし、京も、イリスがなぜ自分のことを知っているのか、深く追求はしなかった。……もしかしたら、お互いに勘づいているところはあったのかもしれないが。
ビデオ通話を切る直前、京には、わたしとイリスそれぞれに、あまり喧嘩をしないように、と、釘を刺された。そして、今度はイリスと直接会ってみたい、とも。
「イリス……酷いこと言って、ごめん」
「ううん、あたしのほうこそ……」
仲直りは、どうやらできたようだ。まあ、まだしばらくは、気まずさ故にお互いの顔を見ることはできなそうだが。……いや。気まずさより、今のうちにやっておきたいことを1つ思いついた。
「あ、そうだ。イリス」
「な、何……?」
正面からイリスの顔を見て、わたしは、切り出した。
「体、見せて」
ばちーん!
わたしの頬にイリスの平手が飛んできた。イリスは顔を真っ赤にして声を張り上げる。
『な、何考えてんの!? 変態! ……そりゃあ、ね? 由美になら見られてもいいかなー、とは思うけど……その、まだちょっと、夜には早いというか……!』
「ご、ごめん、言葉が足りなかった。イリスの体を《変成》で解析させて」
ひりひりと痛む頬をさすりつつ、わたしが改めて言い直すと、イリスは安堵したような、しかし、どこか残念そうな表情になった。
『あ、そ、そういうことだったんだ。うん。それなら、い、いいよ』
千切れた手足を《変成》で繋ぎ直す。
内臓まで至るような致命傷を修復する。
どちらもわたしが実際に体験したことだが、これをするには、その修復対象となる体の構造を全て把握しておかなければならない。しかも、生物の体は常に成長、代謝し続けているので、定期的にその情報を更新する、つまり、体の構造を解析し直す必要もある。極端な例を挙げるなら、赤ん坊の頃に解析した構造を、そのまま成長後の大人の体に適用できるかというと、否だ。
とはいえ、これはわたしの経験からの判断だが、ある程度成長した体なら数日程度は大丈夫だ。明後日の壊滅作戦に備えて、せめてわたしの目の届く範囲の人たちだけでも守るために、今のうちにイリスと、後で伯父さんの体も解析させてもらいたい。ちなみに、お母さんの体は、日頃から1週間おき程度には解析し直しているから問題無い。
「由美ー、イリスー、そろそろご飯にしましょう」
階下からお母さんの声が聞こえる。ついさっきまで喧嘩していたわたしたちは、今はもう、2人並んで降りていった。




