32 生きる覚悟
今回の話には、人体が貫かれる描写があります。ご注意ください。
7月4日(月) 16:30 ザールハインの宿酒場
逃げ惑う一般客。戦える者は、そのほぼ全員がわたしに武器を向けている。
事の始まりは、わたしがこの店の主アイゾムさんに、わたしの転移能力について説明したことだった。知っている人が居る場所へ転移できる。そのことが、おそらく《面識のある相手ならいつでも寝首をかける》とでも思われたのだろう。威圧的に出てくるアイゾムさんに、わたしも舐められないようにと強気に出たら、こうなった。
高威力、広範囲の魔法や、長剣や戦斧といった大物の武器は、狭い店内では使えない。結果、短剣使いや格闘に秀でた冒険者がメインとなって、わたしに攻撃を仕掛けてくる。
彼らの攻撃を捌きながら、わたしは思考を巡らせていた。
高威力の魔法が使えないというのはわたしも同じだ。加えて、《加速》や《変成》を使うと、スーパースロー……桁違いの脳の演算力による加速現象が起きなくなり、この人数を同時に相手をするのが困難になる。《鏡化》を使えば被弾を無視できるようにはなるが、跳ね返した攻撃、折れた刃物の先端などがあらぬ方向へ飛んでいって彼らに傷を負わせるおそれがある。
そして、今わたしが転移で逃げれば、《龍殺し》とザールハインの冒険者ギルドが仲違いした、という結果だけが残る。ビザインとレギウスが戦争するかという今の時期……いや、そんなことはどうでもいい。
戦争なんかより、お母さんの故郷に入りにくくなるのが嫌だ。……ほんとに、どうしてこうなった。
アイゾムさんが光の剣を振るい、わたしがそれを避ける。あの《光の剣》はどんな魔法か、それとも魔道具か。いずれにしろ、物理的手段では防げなそうだ。わたしは《光の剣》を振りきったアイゾムさんの手首を掴み──
「──っ!?」
その瞬間、《光の剣》の握り部分を手放したアイゾムさんの手のひらに《光弾》が生み出される。狙いは、おそらくわたしの顔面。
緑龍の時とは違って今はまだ余裕があるが、わたしがこの《光弾》を逆発動でやり過ごすと、やり過ごした《光弾》は天井に着弾する。2階には宿泊客が居るだろうし、《光弾》が当たった部分の天井が崩落するかもしれない。……仕方ないか。
わたしも目の前に《光弾》を発動させ、アイゾムさんのそれとぶつけて相殺させる。が、もちろん炸裂した2発分の《光弾》の衝撃はわたしの顔面を直撃する訳で。
「がふ!」
反動で掴んでいたアイゾムさんの手首を離し、わたしは大きく体勢を崩してしまった。当然、アイゾムさんがその隙を見逃すはずが無い。
わたしのみぞおちめがけて彼の拳が……ショートソードが握られた拳が繰り出される。《光の剣》も《光弾》も牽制だったか。それとも、もともと3段構えの攻撃だったか。
《鏡化》を使う余裕はあるが、そうするとショートソードはおそらく刃が砕け、その破片が彼の手や体に突き刺さるかもしれない。何が何でも彼らに傷を負わせる行為を行わず、わたしの意図を理解してもらえるよう試みるか、それとも自分の身を守るためにやむを得ない場合は諦めるか。
迷ったのは一瞬だった。だが、《鏡化》を発動するためのわずかな余裕は、その迷いに消費されてしまった。
「──っ!」
わたしのみぞおちに、アイゾムさんのショートソードが深々と突き刺さる。幸いにも背骨は外したようだが、その刃はわたしの胴体を完全に貫通し、背中から切っ先が飛び出した感覚があった。
アイゾムさんが剣から手を離し、わたしは数歩下がって蹲る。
「あ……ぐ、ごぇ」
嘔吐する時のように、喉の奥からこみ上げてくるものがあったので、吐いた。
びしゃっ。
床に落ちたそれは、どす黒い赤。
まずい。内臓をやられて吐血したことよりも、今、わたしは完全に動きが止まってしまっていることがまずい。この瞬間に攻撃されたら、避けられない。
わたしは、次元の狭間へ逃げ込んだ。
●
アルフィネート家
『あら、由美ちゃん。いらっしゃ……って、どうしたの!?』
伯母さんの言葉の後半が悲鳴じみたものに変わる。
わたしが緊急の避難先として選んだのは、ここだった。転移といえど、距離が近いほうが当然移動にも手間が掛からない。その意味では地球の自宅よりこっちのほうが転移が楽で、信頼できる人物も居る。
しかも、冒険者ギルドの建物からは街区1つ分ほど離れているので、殺気立った彼らがもし屋外へわたしを探しに出たとしても、ある程度は時間を稼げるだろう。
伯母さんを巻き込みたくはなかったが、今はそんなことを考えている余裕は無い。
『伯母さん……これ、抜いて』
床に倒れて、わたしは自分の体に刺さったままの剣を指さして言う。伯母さんは慌てた様子でわたしのそばへ駆け寄ってくる。
『でも、そんなことをしたら……このまま病院に行きましょ──』
『いいから……!』
わたしは強い口調で、伯母さんの言葉を遮った。……伯母さんに《変成》のことを、体組織の修復もできることを話しておかなかったのが悔やまれる。そうすれば、今、少なくともどうやって治療するのかで心配をかけることだけは避けられたはずだ。
刺さった剣を自分で抜くのは、たぶん、痛みのせいでまともに力が入らないから、無理だ。
剣は抜かず、体に刺さったまま《変成》で分解するのは、できなくはない。だが、それだと剣を分解した時の金属原子が体内に混入するから、それを選別する手間が増える。
今この場に自分しか居ないのならともかく、目の前には伯母さんが居るのだから、その伯母さんに抜いてもらうのが最善だ。
『……いいのね?』
『ええ……お願い』
わたしがそう答えると、伯母さんはわたしの体に刺さった剣を一息に抜いた。
●
体組織の修復、飛び散った血の後始末、服に空いた穴の修復など全てを終えた後、わたしは伯母さんに事情を説明した。
『アイゾムもアイゾムだけど、由美ちゃん。あなたもあなたよ……と、言いたいところだけど』
一瞬、アイゾムさんに対して強気に出たことを叱られるのかと思ったが、どうやら違うようだ。
伯母さんはどこか呆れたような声で続ける。
『たぶん、あなたが下手に出ていたとしても、アイゾムはあなたを敵視したままだったでしょうね』
『じゃあ、どうすれば良かったの……?』
『んー……選択肢その1、レディクラムからここまで、熊車で移動した時にかかる日数と同じだけの日をおいてから来る。まあ、それでも《龍殺し》ってだけで警戒はされてたでしょうけど。で、選択肢その2、諦める』
わたしの疑問に、伯母さんは、ぴっ、と指を立てつつ、2つ目の選択肢はいっそ清々しいまでの笑顔で答えた。
諦めるって、そんな。……と、伯母さんにツッコミを入れようとした時。不意に、わたしは魔法の《雑音》を感じた。伯母さんへ向けた通信魔法か?
『あ、ちょっと待っててね』
どうやらわたしの予想は当たっていたようだ。……盗み聞きするつもりは無いのだが、漏れてくる《雑音》から、会話の内容が聞き取れてしまう。発信者は、アイゾムさんだ。
『ああ、レフィアさん、すんません。ちょっと相談したいことが──』
『その前に。あなた、自分が何をしたか分かっているかしら?』
『え? いや、何をって……その、俺らに脅しをかけてきた《龍殺し》を──』
『女の子のお腹にショートソードを突き刺して瀕死の重傷を与えた。まさか、本気で殺すつもりだった訳じゃないでしょうね?』
『え!? レフィアさん、なんで知って……いや、というか、あんな危険なヤツ、今のうちに殺しとかなきゃ、いずれ俺たちが──』
『先に《龍殺し》に喧嘩を売ったのはあなたでしょう! いいからうちに来なさい!』
『は、はいぃ! ただいま参ります!』
通信魔法を終えた伯母さんはわたしに笑顔を向け、
『あらあら、もしかして聞かれちゃってたかしら?』
と、まるでわたしが《雑音》を拾えることがさも当然のように言った。でも、その笑顔から感じるのは純粋に正の感情だ。嫌らしい雰囲気は無い。
自分もできるから。だから、わたしに『自分が《雑音》を拾えるからって調子に乗っては駄目よ』と警告しているというより、同じレベルで話ができることが嬉しい、のだろうか。
●
針のむしろ。彼にとって、今はまさにそんな状況なのだろう。
《天才魔導士》と《龍殺し》、片や社会的にも物理的にも高い実力者、片や社会的地位はほぼ無いが物理的には単騎で国を半壊できる実力者。そんな2人に怒りの視線を向けられているのだ。わたしより少し背が低いだけのはずのアイゾムさんは、やけに小さく見えていた。
そんなアイゾムさんが、最初に伯母さんに言いかけた《相談》。それは。
『《龍殺し》、いや、由美さんは、どうも俺たちを本気で殺すつもりには見えなかったんですよ』
『だったら、なんであんなにまでしたの?』
これは伯母さんの言葉。わたしが初めて伯母さんに会った時の雰囲気からはとても想像できない、聞く者を心の底から震え上がらせるような《芯》のある声だ。
『そ、それはその……はい、申し訳ございませんでした』
『謝る相手はわたしじゃないでしょう?』
『は、いや、その……コイツは……』
アイゾムさんは露骨に躊躇う様子を見せる。……どうあってもわたしに頭は下げたくないか。
『コイツ? わたしの姪に向かって《コイツ》?』
アイゾムさんの顔を下から見上げるように伯母さんは言う。
『いや……あの……』
『わたしより年上のくせに、変なプライドに拘ってるんじゃないの! 悪いことをしたら謝る、基礎学校で習ったでしょうが! それとも、このことを夫に伝えましょうか? 娘の親友が殺されかけたことを、今この場で伝えましょうか?』
『ひいぃぃっ! そ、それだけはご勘弁を……!』
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17:30
結局、あの後。わたしが、ギルドの皆を本気で殺すつもりではなかったことを、アイゾムさんは分かってくれた。ギルドの皆にも説明しておくことを約束してくれた。……それはいい。それよりも。
わたしは、伯母さんと伯父さんの……《天才魔導士》と《伝説の傭兵》という肩書き、社会的地位に守られる形となった。アイゾムさんがあそこまで2人を恐れたのも、たぶん、その肩書きがあったからだ。わたしに《龍殺し》という物理的地位だけがあっても意味が無い。そのことを伯母さんに話したら。
『そんなこと、気にしなくてもいいわよ』
意外な答えが返ってきた。
『え……なんで?』
『だって、結局わたしもクラウスも、今まで生きてきた中で得た《天才魔導士》だとかっていう肩書きを利用してるだけだもの。由美ちゃんが《龍殺し》であることを利用するのと、本質は変わらないわ。後は、それをどう利用するか、よ。使い方を間違えると、今回みたいに敵対者を皆殺しにすることでしか事態を収拾できなくなるかもしれない。それでもいいって言うのならいいけど』
……これは、わたしは伯母さんに叱られているのだろうか。自分の立場を利用するのなら、その利用の仕方をもっとよく考えろ、と。
伯母さんは続ける。
『別に、由美ちゃんを叱っている訳じゃないわよ? 由美ちゃんがどう生きるのか、それは由美ちゃんが決めることだもの。ただ、自分で決めたことの結果は、それがたとえ良いものであれ悪いものであれ、全て受け入れる覚悟を持ちなさい、ということよ』
なんだか、昨日お母さんに言われたのと似たようなことを言われた。
これがゼルク・メリスの一般的な価値観なのか、それとも、お母さんの兄……伯父さんと結ばれた人だからたまたま似たような価値観を持っているだけなのか。
自分で決めたことの結果は、全て受け入れる覚悟を持て。
ゼルク・メリスはわたしが生きる世界ではない。以前はそんな軽い気持ちで、いざとなれば逃げ出せばいいと思っていた。だが、今はレディクラムで冒険者登録をし、特例付きではあるものの、ビザイン共和国に国民登録もした。そろそろ、軽い気持ちでこの世界と向き合う訳にはいかなくなってきたのかもしれない。
怒らせたら国が消える恐怖の《龍殺し》か、それとも、わたしが守る国には龍ですら手を出せない《龍殺しの英雄》か。
わたしは、どう振る舞うべきなのか。




