30 龍殺しと暴君
7月3日(日) 15:30 次元の狭間
レディクラムの銀行での手続きはすぐに終わった。口座開設時の身元調査もあるにはあったが、わたしの場合は既に《龍殺し》としてある程度名前が知られていたことと、まだ国民登録したばかりで、調査しようにも調べられる経歴が無かったことが、手続きがこんなに早く終わった要因だろう。
緑龍退治の報酬は、いくらかを手元に残して早速作ったばかりの口座へ入れた。その手元の資金で、今の服に合う靴と、今まで着ていた服を入れておくための鞄を購入。さすがに、ファンタジーの町娘風の格好にスニーカーというのは、あまりにも似合わなすぎだろう。
そして、今。そろそろビザイン共和国の首都に着いているであろうガディオンさんの所へ転移するため、わたしは一旦次元の狭間に来ていた。
ガディオンさんはどこかの建物のある一室に居た。建物内には文官よりも武官と思われる人物が多く居ることと、どんな使い方をするのかは分からないが、魔法を使った兵器と思われる備品が大量に保管されていることから、おそらく軍の施設だろう。
ということは、今、彼が居る部屋へ直接転移するのは避けたほうがいいか。……いや、変に入り口から《普通の訪ね方》をすると、わたしの応対をした役人や軍人たちに、なぜわたしがガディオンさんの居場所を知っているのか、と、かえって不審がられるかもしれない。今、彼が居る部屋が自室というより、どちらかというと客間のように見えることからも、ガディオンさんが普段はこの町に居ない可能性が高い。
少し考えて、わたしは直接彼の下へ転移することにした。
●
どうせ《目の前に転移》などという、どうあっても相手を驚かせてしまう方法で会いにいくのだ。それなら、その驚きを最小限にできるよう、思い切ってガディオンさんの目の前に転移する。
『……!? おお、由美殿か。いつもの装いではないので、少し驚きましたぞ』
『いきなり目の前に現れる無礼をお許しください。これが最も確実と思いましたので』
なんだか変な謝り方な気もするが、一応謝罪の言葉を述べておく。
『いや、わたしもその判断は正しいと思います。あなたが灰の者だということは、まだ我が軍には広く周知されてはおりませんのでな』
ガディオンさんも理解を示してくれたようだ。ひとまずは安心か。
『閣下、突然独り言のような声が聞こえましたが、いかがなさいましたか?』
部屋の外から男の声が聞こえてくる。廊下に見張りに立っていた兵士だ。
『おお、ちょうどいい。君も入りなさい』
ガディオンさんが扉の外へそう声を掛けた後、1人の兵士が入ってくる。外には2人立っていたから、もう1人は見張りを続けたままか。
そして、入ってきた兵士はわたしに気づいたところで腰の剣に手をかける。
『か、閣下! この者は……!?』
『安心しなさい、彼女は味方だ』
ガディオンさんは穏やかな調子で、まずはそう答えた。そしてすぐに声を低くして、続ける。
『ただし、我々が彼女の機嫌を損ねるようなことをしないのならば、だ。《龍殺し》の名は、君も既に聞いていよう?』
『りゅ、《龍殺し》……!? まさか、黒龍を1人で撃破したという、あの……!』
兵士は剣に手をかけた姿勢のまま固まる。
『そうだ。故に、彼女に対して粗相をすることは、我が国を滅ぼすことと心得よ。良いな』
『は、ははぁっ! し、失礼致しました、女史!』
剣から手を離し、兵士は物凄く機敏な動作でわたしの方に向いて、跪いた。……なんだか、早速話に尾鰭が付き始めてる気がする。
兵士が退室した後、ガディオンさんは話を始めた。
●
わたしと大統領との面会は明後日の17時から、ということで話がまとまりかけていた時だった。部屋の扉が激しく叩かれて、その直後、
『か、閣下!? たった今、通信兵から情報が入りました!』
と、おそらく報告に来た兵士の、かなり焦った声が聞こえてくる。
『なんだね、今は来客中だぞ』
『も、申し訳ございません。ですが、最優先で閣下のお耳に入れておいていただきたく──』
『入れ』
どことなく苛立った様子のガディオンさんに促されて、1人の兵士が入室してくる。彼はわたしと目が合った時、一瞬立ち止まって敬礼のような仕草をした。おそらく、日本での会釈のような軽い挨拶なのだろう。わたしはうっかり会釈で返して──頭を下げて──しまったが、彼に特に気に留めた様子は無さそうだった。
兵士がガディオンさんに耳打ちし、それを聞いていたガディオンさんの顔色が見る見る青ざめていく。そして。
『由美殿、グラストン砦で毒殺されかけたというのは……』
恐る恐る、といった様子で、ガディオンさんはわたしに聞いてきた。……ああ、あの件か。
『本当に毒だったという確認は取れていませんが──』
ジーファスさんが自分のと食事を交換するよう命じたら、運んできた兵士は逃げ出した。わたしはそのことと、今こうして無事なのだから、改めて謝罪してもらう必要は無い旨を話した。
通信魔法のおかげで、情報が伝わるのは確かに速い。だが、今日の昼にあった出来事が、ここ、おそらくこの国の首都へ伝わってくるまでほぼ半日を要した。
通信担当の魔導士が常駐しているとはいえ、各方面から次々と情報は入ってくるはずで。優先度ごとに振り分けられることを考えると、遅い時には1日程度遅れることがあるかもしれない、ということか。
この後、わたしはガディオンさんと日程の微調整の話をして、自宅へ──竜之宮家へ──転移した。
●
転移で帰宅したわたしとお母さんとの目が合い、その一瞬の後。
「……ああ、お帰り、由美。ところで、その服は?」
お母さんは、ちょっと驚いた様子でそう聞いてきた。……そういえば、わたしは今、ニーナに用意してもらった服を着たままだ。
「ああ、これは──」
わたしはお母さんに事情を説明し、ボロボロになったトレーナーとズボンを鞄から取り出した。すると、お母さんはいきなり固まった。
「りょ、緑……!?」
……そうだった。向こうではわたしは《龍殺し》で通っているから、ついお母さんにも緑龍の話をしてしまった。けど、当然、お母さんは向こうでのわたしの行動なんて全く知らないはずで。
あんたは無茶ばっかりして! と、怒られるかと思っていたが。
「……無事なら何も言わないわ。結果を全て受け入れる覚悟があるのなら、あんたはあんたの好きなように生きなさい」
そう言って、お母さんはわたしの背中を軽く叩いてくれた。……うん。お母さんの言いたいことは、なんとなく分かる。
お母さんには、もう少し、娘として心配かけさせてもらおうかな。
●
19:30 由美の部屋
インターネットでのビデオ通話で京と話していたら、スマホに通話着信があった。
「あれ、着信?」
PCの画面の向こうで京が言う。
「そうみたい。じゃ、一旦切るわね」
「りょうかーい」
京との通話を切断し、スマホの着信に出る。
「あ、やっと繋った! 先輩、今までずっと電源切ってたんですか?」
通話の相手は唯だった。曰く、今朝10時を最初に、その後も何度かスマホに電話をかけたが、ずっと繋らなかったとのこと。……今日はわたしは9時半頃からずっとゼルク・メリスに行っていたから、電話が繋らなくて当然だ。
わたしはそのことを──ゼンディエールではない別の異世界へ、と詳細はぼかしたが──唯に話した。
「そうだったんですか。せっかくの日曜日ですし、もしお邪魔でなければ、先輩の家で魔法の練習をしたかったんですが……」
唯はどこか残念そうに言った。確かに、魔法のことを自分以外の誰にも知られてはいけない彼女の自宅より、わたしの家のほうが何かと都合は良い。……それなら。
「じゃあさ、明日の昼休み、また学校で会えないかな」
「明日、ですか? ええ、構いませんけど……?」
頭に疑問符が付いていそうな声で返してくる唯。
「昨日の、スクールカーストがどうの《暴君》がどうのって話、覚えてるわよね?」
「え? ……ええ」
「その絡みで──」
昼休みに、女子便所の個室で唯の魔法の練習にわたしが付き合ってあげること。その後、同じ個室から2人で出てくるところをもし誰かに見られたら、堂々と《わたしが唯をかわいがっているところ》を見せつけること。
この2つを、わたしは唯に説明した。まあ、さすがに毎日2人して便所にこもっていたら、それはそれで別の噂が立ってしまいそうだから、頻繁にはやらないことも付け加えておいた。
「いいですね、それ」
……自分から提案しておきながら、何の迷いも無く同意してくれるとは思わなかった。
「わ、わたしから言っておきながら難だけど……本当にいいの? というか、その……なんでそこまでわたしのことを慕ってくれるの?」
わたしがそのことを聞くと、
「そ、それは……その……」
唯は急に口ごもり始めた。……え? 何この展開。まさか。
「……何?」
「あ、明日言いますっ!」
妙にばつの悪そうな言葉を最後に、電話は切れた。




