4 言葉が通じるその訳は
6月20日(月) 放課後の教室
「さっそく今日から《向こう》へ行くの?」
帰り支度を済ませた京がわたしに聞いてくる。昨日、ゼルク・メリスからこっちへ帰ってきた時に京に、その後帰宅した時にわたしの両親にも話しておいた、《学校が終わったらそのままゼルク・メリスへ行く。晩ご飯までには帰宅する》ということについてだ。
なんだかどこにでも行ける扉を使った日帰り魔境探検みたいなノリだが、自力で行き来できるのだから、学校生活との両立を考えれば妥当なところだと思う。お母さんが「無理に晩ご飯に間に合わせようとしなくていいから、状況を見て判断しなさい」と言ってくれたのにはちょっと驚いたけど。
「うん。別に急がなくてもいいんだけど、早いとこあっちの空気にも慣れておきたいから」
わたしは小声で京に応える。聞かれても怪しまれないように言葉は選んでいるつもりだが、念のためだ。
わたしの魔法をゼルク・メリスでもあまり人に見せないほうがいいとカインに言われた以上、ある程度あっちの魔法を習得していたほうが都合が良い。そう思って、昨日寝る前に練習のつもりでゼルク・メリスの魔法を使おうとしたら、できなかった。
いや、正確に言えば《大いなるモノ》の力を借りて任意の現象を起こすこと自体はできた。できたのだが、その《大いなるモノ》の性質というか、干渉の仕方がゼルク・メリスとは違いすぎて、全然練習にならなかったのだ。
「まあ、ちょっと確かめたいことがあるから、今日は一旦家に帰るけどね」
わたしは続けて言う。その《確かめたいこと》を思いついたのはゼルク・メリスの魔法を練習している時だったので、今朝、登校前にお母さんに詳しく話してくる余裕は無かった。今日は一旦家に帰ることだけを伝えて、そのまま家を出たのだ。
「じゃあ、今日はいつもみたいに一緒に帰れるね」
弾けるような笑顔で京が言う。そんな京と2人で、今日はいつもどおりの帰り道だった。
●
帰り道の途中で京と別れて、帰宅。
「ただいまー」
「おかえり、由美」
お母さんは専業主婦で基本的に家に居るので、わたしが帰宅した時はだいたいいつも出迎えてくれる。居ない時はたいてい買い物か、趣味のドライブのどちらかだ。……わたしがバイク好き、というか乗り物好きになったのは、お母さんの影響が強い気がする。
自分の部屋へ鞄を置いて、普段お母さんが居るリビングへ。
「お母さん、今朝話した《確かめたいこと》なんだけどさ……お母さんも一緒に向こうへ行ってくれないかな。里帰り、になるかどうかは、分かんないけど」
わたしがそう言ったところで、お母さんの動きが一瞬止まった。
「由美……あなたやっぱり……」
「そりゃあ、ね。さすがに気づくよ。お母さんに教わった《故郷の言葉》が向こうで通じたんだもん」
そして、ゆっくりと話し始めたお母さんに聞かされたのは、ある意味で予想どおりの、しかしそれなりには衝撃的な話だった。
やっぱり、お母さんはゼルク・メリスの生まれだった。それがある日、昨日のわたしのように、突然空にできた亀裂に吸い込まれて日本へやってきた。言葉も全く通じない中、たまたま出会った1人の青年、後にわたしのお父さんとなる人に身振り手振りで助けてもらい、言葉を覚え、わたしが生まれ、そして今に至る、と。
この話は、お母さんはわたしが高校を卒業した時にするつもりだったようだ。あまり幼い時にこの話をしてしまうと、わたしが《自分には半分異世界の血が流れている》ということでショックを受けることを危惧していたらしい。実際、カインが《お母さんの故郷の言葉》を喋った時、わたしはちょっと、いや、けっこうパニックに陥っていた自覚があるので、その懸念は正しかっただろう。
「……でね、ついでと言っちゃ難なんだけど」
ひととおり話し終えたところで、さらにお母さんが付け加えるように言う。
「あんたみたいに、異世界の人間同士の間にできた子供のことを、向こうの言葉で『灰の者』っていうのよ」
『灰の者……?』
日本語だと、まんま色のグレー、あるいは中間的な、という意味か。
「ええ。『灰の者』は世界そのもの、次元を操る力を持つ、と、向こうの伝承では言われているわ」
なんか、ついでと言いつつ全然ついでで済ませられない言葉がお母さんの口から飛び出してきたんですけど。
お母さんが日本へ飛ばされてきたのは20歳になるかどうかの頃って言ってたから、伝承とかをある程度知ってても不思議ではない。それに、わたしがなぜ自力でゼルク・メリスとこっちとを行き来できるのかは、これで納得できた。今回の件以前になぜできなかったのかは、推測だが《異世界の存在を知らなかった》からだろう。
しかし、わたしが言うところの《確かめたいこと》とは、お母さんが本当にゼルク・メリスの出身かどうかではない。むしろ、それはほぼ確信していたことだ。わたしは、そのことをお母さんに説明する。
「え? じゃあ、何なの?」
「お母さん、こっち……日本に来てから、ゼルク・メリスの魔法を1回も使ってないでしょ。向こうでももともと使えなかった、って訳じゃなくて、こっちに来てから使えなくなったんじゃない?」
お母さんは驚いた様子を見せる。どうやら、わたしの予想は当たっていたようだ。
だから、また向こうへ行ったら魔法が使えるようになるんじゃないか、それを確かめたい。わたしがそう言うと、お母さんは少し躊躇う素振りを見せた。そして、その理由を話し始める。
どうやら、亀裂に吸い込まれた時に一時的に記憶が飛んでしまったようで、もし元の世界へ戻る機会があったとしても、またあの亀裂の向こう、次元の狭間を通るのは少し怖いようだ。なるほど、わたしがあの亀裂に巻き込まれてゼルク・メリスに行ったことを最初に話した時、異常なまでに心配してくれたのはそのせいだったのか。
「それは、たぶん大丈夫なんじゃないかな。あの時一緒だった京や久坂さん、ああ、もう1人一緒に居た人なんだけど、2人とも何ともなかったみたいだし。それに、今回はわたしがちゃんと案内するから」
わたしがそう言ったところで、お母さんは首を縦に振ってくれた。
余談だが、久坂さんにわたしの能力を話してしまったことについては、むしろ説明しないほうがかえって疑われていただろうと、お母さんも理解を示してくれた。
●
それは次元の狭間からゼルク・メリスへの転移先を探していた時だった。
次元の狭間の中でも通常空間と同じように活動できるようにするために、わたしが作り出した仮想空間、その中で、
「あらー、けっこう派手な戦闘になってるわね」
転移先の光景を目にしたお母さんが、バーゲンで特売品の取り合いをしている奥様方を遠目に眺めるような口調で言った。
転移先で繰り広げられていた光景、それは岩肌が露出したどこかの山中と思われる場所で、乱戦というほどではなかったが、1対多のけっこう入り乱れた戦いだった。1のほうは、カイン。多のほうは、たぶん昨日の襲撃者たち。
わたしはお母さんの目を見て、言う。
「行ける?」
「わたしを誰だと思ってるの? あんたに戦い方を教えた師匠よ」
お互いにやりと笑みを浮かべて、わたしたちはゼルク・メリスへ、乱戦の中心へ突入した。
●
今まさにカインに斬りかかろうとしていた襲撃者、全身を黒い衣装と鎧で覆った黒ずくめ野郎の頭に着地。地面と派手な接吻を交わしたそいつの得物を奪い、近くに居た黒ずくめ数人を牽制する。足下の黒ずくめは接吻の衝撃で気絶したっぽい。なんとヤワな。まあ、完全に不意打ちだっただろうし、当然ではあるか。
『っ!? な、なんだ、由美か。この女性は?』
少し疲れた様子ながらも、カインが黒ずくめの攻撃を捌きながらわたしに聞いてくる。……カインが少し疲れていて、まだ相手側は1人も脱落していない、いや、さっき1人脱落したか。とにかく、これはちょっと厳しいに戦いになりそうだ。
『わ……』
「あんたは目の前の敵に集中しなさい。説明はわたしがするから」
カインの言葉に答えようとしたらお母さんに制された。なるほど、そうしないとわたしでも危険、ということか。
『じゃあ、改めて。わたしは由真、この子の母親よ』
その言葉どおりに、わたしの代わりにカインに説明してくれるお母さん。で、こちらもお母さんの言葉どおり、わたしは黒ずくめたちの相手をするので精一杯で、お母さんとカインとの会話は意識の片隅で把握しておくぐらいしかできない。なるほど、カインが疲れる訳だ。
『由真さん、ですね。分かりました。……え?』
『そ、お察しのとおり、こっちの人間よ。アルフィネートの姓に聞き覚えは無いかしら?』
『アルフィ……!? ぼ、僕もアルフィネート姓なんですが』
ごきっ。
カインが答えた直後、何かが折れたような鈍い音が聞こえる。目だけでちらりと見たら、黒ずくめの1人の腕が肘じゃない所から変な向きに曲がっていた。カインの言葉に驚いたお母さんが、力の入れ具合でも間違ったか?
と、それは一瞬だった。一瞬、目の前の黒ずくめから目を離した訳でもなく、視界の端でお母さんの様子を確認しようとした。でも、それがいけなかった。
「──っ!?」
目の前の黒ずくめを牽制するために繰り出した拳、わたしの腕。すぐ近くに居た別の黒ずくめが振り下ろした刃が、わたしの腕を切り落とさんと迫っていた。
お母さんの方に意識を向けていなければ、あるいはかわせていたかもしれない。ゼルク・メリスでもわたしの魔法はあまり人に見せないほうがいい、その意識が無ければ、あるいはとっさに反応できていたかもしれない。
腕が、飛んだ。
「あぁぁぁっ!」
自分の喉から、抑えられない絶叫が噴き上がってくる。振り下ろされる刃をかわそうと、その体の動きをそのままに体勢を崩し、わたしは地面に転がった。右腕が、上腕の半ばほどで切断されていた。
「由美!? ええい、どけ!」
お母さんの悲鳴めいた怒声と、ぐしゃっ、という肉が潰れる音が聞こえる。
反射的に、わたしがその行動を取れたのは殆ど奇跡だった。切断された腕の断面から鮮血が噴き出し続けているが無視、受け身の要領で地面を転がりながら、落ちた腕を拾う。そのまま黒ずくめたちから少し離れた所まで跳び、腕の断面が土や草などの汚れに塗れているのも構わず、その断面同士を押し当てる。ぐちゅ、という濡れた音がした。
《変成》で傷口に付着した汚れや、目に見えない雑菌などを原子レベルで分解し、取り除く。そして、骨、筋肉、血管、神経、皮膚などを元どおりに繋ぎ直していく。直すまでの間にだいぶ出血はあったが、わたしを追撃してきた黒ずくめに追いつかれる前には、腕の接合は終わっていた。
わたしの首を狙って黒ずくめが刃を真横に振るう。が、わたしはそれをかわさない。わたしが使える魔法のうち、《加速》《変成》に続く最後の1つ、《鏡化》を、わたしの首を対象として発動させる。
わたしの首を飛ばすはずだった刃は、その刀身が粉々に砕け散った。《鏡化》によって、あらゆる現象を反射する《鏡》となっていた、わたしの首によって。
わたしはさらに《加速》で、得物を失って一瞬呆然としていた目の前の黒ずくめに、鉛直下向きに200Gほどをかけてやった。黒ずくめは、直径1mほどの赤黒いクレーターになった。
ここまでで黒ずくめたちは3人が脱落した。最初にわたしが踏んだ1人、お母さんが娘の腕を切られた怒りで頭を潰した1人、わたしが《加速》でクレーターに変えた1人。お母さんに腕を折られた黒ずくめは、折れた腕でなんとか戦い続けていたが、それも長くはもたないだろう。
お母さんは、とりあえずわたしの腕が繋っているのを見て安心したようで、再びカインの援護に回っていた。カインとは背中合わせの体勢で、互いに会話しながら──戦い方の方針などだろうか──戦闘を続行する。
……うん、悔しいけど、やっぱりわたしはカインより弱い。黒ずくめの攻撃を捌くだけで精一杯だったわたしと違い、カインは戦いながら会話をする余裕があるのがその証だ。まあ、わたしには実戦経験が無かったんだから当然といえば当然なのだが。むしろ、それでも昨日の襲撃者に《異界の実力者》と認められたことを誇るべきだろうか。
軽く頭を振り、まだ続いている戦闘に目を向ける。右手を握ったり開いたり、腕を振り回したりしてみたが、問題は無さそうだ。切断されていた上腕の真ん中辺りにはまだ少し違和感が残っていたが、すぐに消えるだろう。
『カイン! こいつらって皆殺しにしても良いのよね?』
ちょっとだけ声を張り上げて、わたしはカインに聞いた。
『え? あ……そ、そうしてくれれば助かるけど、どうやって?』
わたしは、聞き返されたカインの言葉に行動で答えた。《加速》で、カインたちと戦っている黒ずくめに1人ずつ、さっきクレーターに変えてやったやつと同様、鉛直下向きに100G超をかけていく。微調整はしない。それでも、黒ずくめたちは1人、また1人と、その場で赤いクレーターと化していった。
ゼルク・メリスでも、わたしの能力はあまり見せないほうがいい。だったら、目撃者が居なければ問題無いだけの話だ。わたしは、お母さんに腕を折られた1人を残して、全員をクレーターに変えた。
●
お母さんに腕は大丈夫だと伝え、わたしはカインから今までの経緯を聞いた。曰く、今朝辺りから何度か襲撃されていて、ついさっき本格的な襲撃に遭った、と。ちなみに、残しておいた1人はどれだけ問い詰めても一向に口を割る気配が無かったので、結局他の連中と同じくクレーターに変えた。
『たぶん、昨日襲ってきた連中の仲間だろうね。こっちの……ゼルク・メリスの魔法には遠距離で通話したり、映像を送ったりできる魔法があるから、それで見られてたんだと思う』
カインが言う。……ということは、こいつらを全員始末しても、結局はこいつらの親分に見られていたということか。まあ、それを言うなら昨日のあいつを殺した時の様子も見られていただろうから、これは今更か。わたしが日本に居た時のことは……これは心配しなくてもいいかな。ゼルク・メリスと地球とは魔法の発動方法自体が違うみたいだったから、カインが言う遠距離通話の魔法も発動していないはずだ。
『というか、何その盗み見し放題な魔法は』
まるで盗聴器や隠しカメラみたいな魔法だ。
『いやいや、これはけっこう高度な魔法だから、さすがに使い手はそんなに居ないよ。僕だって、知っている人が隣町に居る時ぐらいまでしか通話できないから』
カインが言う隣町というのがどれくらいの距離なのかは分からないが、ファンタジー世界的な常識で考えると、歩いて半日とか、それくらいではなかろうか。
そんなことを考えていると、唐突にお母さんが口を開いた。
『カインっていったっけ、あなた、もしかしてレギウス王国ザールハインの町の、クラウス・アルフィネートの子じゃない?』
お母さんはどことなく嬉しそうで、しかも目がちょっと充血している。……泣いてた?
『そ、そうです。でも、なぜ父をご存じで……?』
目を丸くしたカインが答える。
『やっぱりそうなのね? いやぁ、娘にこっちへ連れてきてもらって早々、甥っ子に会えるなんて思わなかったわー。あ、クラウスはわたしの兄ね』
……はい? お母様、今なんと? 甥っ子? 甥といえば、自分の兄弟、または姉妹の息子のことだ。ああ、配偶者の兄弟姉妹の息子のことも甥というか。けど、その場合はお母さんの配偶者、つまりお父さんの兄弟姉妹の息子という訳で、こっちに居る可能性は限り無く0に近い。ああ、ダメだ。わたしは混乱している。頭を整理して、よし。わたしは正気に戻った。
お母さんは続ける。
『さっきあなたが言ってた通信魔法ね、あれ、わたしも兄さんも使えるのよ。さっき試しに呼び出してみたら、見事に通話できちゃってねー。あははは』
お母さんはなんだか楽しげにケラケラと笑っている。……まあ、そりゃあ嬉しいか。
どう反応していいか戸惑っているらしいカインが、わたしを見詰めてくる。
『と、いうことは……』
『わたしたち、従兄妹ってことになるわね』
わたしとカインとは、遠いどころかすっごく近い親戚だった。