29 着々と暮らしの準備が進んでく
7月3日(日) 12:40 グラストン砦 塞長室
わたしを毒殺しようとした兵士は投獄された。副司令が招いた国賓級の人物を殺害しようとした、ということで、この後、彼は首都へ送られて軍法会議にかけられるらしい。……もし、ジーファスさんも気づかないままわたしがあの料理を口にしていたらと思うと、ぞっとするが。まあ、それはともかく。
出された昼食は、念のためにわたしの分を含めて全て破棄された。今は調理にカインが立ち会い、作り直しているところだという。その、新たな食事が運ばれてくるのを待っている間に、
『《龍殺し》、竜之宮由美様。この度は我が身内の不手際で──』
ジーファスさんは席を立ち、わたしの前で深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べた。その言葉の中で、これはビザイン共和国軍の総意ではなくあの兵士の独断だとか、こんな言葉だけで許してもらえるとは云々だとか、とにかく、色々と並べている。
『え……? あの、頭を上げてください。確かに命を狙われはしましたけど、あなたのおかげでこうして無事だった訳ですし。それに──』
こういう場に慣れていない、というのもあるが、そもそもわたしが彼らに協力していること自体が、暇潰しというか仕方なくというか、とにかく好んで協力している訳ではない。だから、それこそこんな国賓を相手にするような謝罪をされると、かえって落ち着かない。
そういった旨の言葉を、上手な言葉で喋れた自信は無かったが、わたしはジーファスさんに伝えた。
『そ、そうですか……』
安堵したように、ジーファスさんは大きく息を吐いた。
この後、カインが戻ってくるまで、ジーファスさんとは当たり障りの無い話をして時間を潰した。
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13:00
昼食は、兵士2人の先導でカインが台車を押して運んできた。魔法剣士としても有名な《伝説の傭兵》の息子にそんなことをさせるなんて、と、運搬係の兵士たちは恐縮しきりだったが、安全を考えるとそれが1番なのだろう。……それはそれで、この砦の兵士たち全くを信用していないようで少し申し訳なくもあるが。
運搬係の兵士たちが食事をわたしたちの前に並べて、そして帰っていく。
『さて、だいぶ遅くなってしまったが、ここで昼食としよう』
ジーファスさんが宣言し、わたしたちの昼食、というより、どちらかというと会食か、それは始まった。
レディクラムもこの砦も海から遠く、食材は殆どが山の幸と、動物の肉だ。わたしにとってはほぼ全てが初めて口にする物で、久しぶりに食事で新鮮な気分になれた。
『……気に入っていただけたようで何より』
つい表情に出ていたか。顔を綻ばせたジーファスさんにそんなことを言われる。
そういえば、イリスを連れてアルフィネート家にお邪魔した時も軽い食事を出されたが、その時はこんな気持ちにはならなかった。食べ慣れたいつもの味で、出された料理にごく自然と手が伸びていた。
『さて。それでは、そろそろ本題に入らせていただこう』
ジーファスさんはそう言って、話を始めた。
このグラストン砦に隣接し、国境のレギウス王国側にも砦がある。だから今回、この砦の近辺で緑龍が見つかったことと、それをわたしが倒したことは、レギウス側の砦にも知られているだろう。
それ自体は問題ではない。砦に勤める兵士たちの間では、事の顛末はおそらく正しく把握されているはずだ。だが、複数の魔導士を経由して通信魔法で本国に伝えられた情報からでは、この事件は、ビザイン共和国が《龍殺し》の実力をレギウス王国に見せつけるためのデモンストレーションだと取られるおそれが、無いとは言えない。レギウス国内に居るであろう好戦派には、むしろ開戦を早める格好の材料──
ゴリッ!
『──っ!?』
出された食材の、名も知らぬ野菜の芯をわたしが食いちぎった音、その音に怯えたように、ジーファスさんの言葉が止まる。
……せっかくのおいしい料理がマズくなる話だ。好戦派連中はなぜこうも、政治とは全然関係の無い事までそれと絡めたがるのか。何かにつけて因縁をつけたがる不良学生と似たニオイを感じてしまう。まあ、実際はそんな単純な問題ではないだろうし、何より、わたしは部外者だからこんな気楽に考えていられるのだろうが。
かといって、1度協力すると言った以上、ここで放り出すのもすっきりしない。
『……ごめんなさい。聞いていて、気持ちのいい話ではなかったので』
『いや……緑龍との命懸けの戦いを政治に利用される心中、お察しする。……だが、レギウスの好戦派にそのように受け取られるおそれがあるといっても、現状、我々ができることは殆ど無いのだ』
ジーファスさんは沈んだ面持で言った。レギウス側の事態が動くにしても、砦からの通信魔法による情報を確かめるため、まずは調査隊とか視察団とかいったものがここへ派遣されてくるだろう、と。
『彼らの相手をするのは我々、幹部だ。少なくとも、末端で戦う兵やあなた方を政治の場へ出させるようなことはしない』
あなた方、という表現をしたのは、《龍殺し》としてのわたしだけでなく、《伝説の傭兵》の息子としてのカインも含めるから、だろう。そして、その言葉からは、政治を戦場とする者、現場を戦場とする者、それぞれの立場をしっかりと考えている、そんな信念を感じた。
……だったら、わたしはわたしの戦場で、思いっきり暴れるまでだ。その時が来るのは、たぶん、そう遠くない。
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14:00 レディクラムの宿酒場
デイラムさんにこれから店を訪ねる旨を通信魔法で伝えてから、店内に転移。そうして転移したわたしは、店内が一瞬静まり返った後、大歓声に出迎えられた。
『え、え……? 何これ?』
『何って、まあ、色々あるが。とりあえず、何の準備も無しに緑龍を倒したことには驚きだわな』
店内が落ち着くのを待ってから、デイラムさんは歓声の理由を説明してくれた。
まずは、緑龍を調査するだけの依頼で、わたしがそのまま緑龍を倒して帰ってきたこと。《龍殺し》の名は既に黒龍を倒したことで知られているが、それでも、事前準備無しで緑龍を倒したことはそれなりの驚きではあったようだ。……黒龍も殆ど同じ状況だったんだけど、それを言うとさらにとんでもない騒ぎになりそうだから、やめておこう。
そして、依頼主である軍は目撃報告が事実なら討伐隊を派遣するつもりだったようで、今回の件ではその手間が省けたとして報酬を倍にしてくれた。その額は──家の修繕費を差し引かれ、わたしの手元に来る分だけでも──日本円の感覚で言うと約50万円。
こっちでのお金があって困ることは無いが、ありすぎても管理に困る。……ああ、それとも。こっちでの自宅に、出入り口の無い地下室を《変成》で作って、そこに置いておけばいいか。転移ができるわたしにとって、物理的な出入り口の有無は関係無い。
歓声の理由の2つ目は、わたしが今着ている服。今までのトレーナーとジーパンから急に、《ビザイン共和国で一般に女性らしいとされている服装》になっていたものだから、まあ、いわゆる興奮したのだろう、と。
わたしがこの服を着ることになったきっかけをデイラムさんに話すと、
『……ああ、あの嬢ちゃんか』
デイラムさんはどこか呆れたように笑いながら言った。
『知ってるの? デイラムさん』
『ああ。ニーナ・エフィート、このレディクラムの出身だ。普段はあの砦に泊まり込んでるが、長期休暇なんかには帰ってきてるぞ』
ということは、もし、わたしが、アールディアの件が終わってからもこっちへ顔を出し続けるのだとすれば、どこかで彼女と出くわす機会があるかもしれない、ということだ。
『おいおい、そんな嫌そうな顔をしてやるなよ。……ま、気持ちは分かるがな』
そう言ってデイラムさんは豪快に笑った。
この後、わたしは報酬を受け取ったのだが、現金ではなく、日本でいうところの小切手のような形で受け取った。
軍からデイラムさんへはまだ支払われていないそうだが、既に軍幹部から支払いを約束することを記した書類を受け取っていることと、民間と違って支払いが滞ることはまず無いから、ということで、わたしにも少し早めに報酬を出してもらえることになった。
そして、ゼルク・メリスにも銀行というシステムはあり、このビザイン共和国では、国民登録をしている成人、つまり17歳以上であれば、犯罪歴が無ければ口座を持つことができる。……が、わたしの場合は報酬を現金で受け取ろうが小切手で受け取ろうが、管理に困るという根本的問題は解決しない訳で。
今、修復作業が進んでいる《自宅》に、普通の方法では出入りのできない地下室を作ることがこの国の法に触れるかどうか、わたしはデイラムさんに聞いてみた。
『ん? なんだ、あんたの世界じゃ、自分の家建てんのにもいちいちお上にお伺いをたてなきゃならねえのか?』
『……はい?』
『この国では、どんな家を建てようが、建てるやつの自由だ。その家が火事になったり崩れたりして人様に迷惑をかけたとしたら、それは建てたやつの責任だ。ま、賠償できなくて首吊るやつとかもたまに居るけどな。……けど、あんたの家の責任は、建築を請け負った俺がとってやる。そこだけは安心しな。ああ、建てた後の使い方で起きた問題までは、さすがに面倒は見ねえぞ』
なんだか凄い答えが返ってきた。だが、そういうことなら安心して地下室を作ることができる。
わたしは、まだ作業が続いている《自宅》へと向かった。
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転移を使うまでもない距離だったので……というか、歩ける距離をいちいち転移していたらどんどん堕落していきそうだったので、わたしは歩いて《自宅》まで行った。そして、《自宅》へ着いた時、作業はちょうど雑草の処理やがれきの片付けが終わったところだった。
これから家屋の解体に取りかかる皆に、家の基礎部分とは干渉しない位置に地下室を作ることだけは伝えておく。どうやって作るのかを聞かれたので、《変成》で地面を掘るところも軽く実演。その後。
「……よし、こんなもんかな」
天井から床までの高さが約2mで、広さは4畳ほど、地上までの距離が約5mの地下室を作る。壁、床、天井に貼り付ける板材は、皆が片付けてくれたがれきの中から使えそうな金属材料を適当に再利用した。通気口も作ろうかと思ったが、今のところはまだその必要は無いので、やめた。いずれ、この部屋を使う何か別の目的を思いついた時にでも作ればいいだろう。
わたしは転移で地上に戻り、用は済んだ旨を皆に伝えた。
さて、次の目的地はこの町の銀行だ。




