28 竜が龍を殺す時
7月3日(日) 11:00 グラストン砦近辺
短距離転移で、緑龍のさらに上へ行く。
ついさっきの、互いに全力で放ったブレスの撃ち合いはわたしが負けてしまった。やっぱりというか、まあ、分かってはいたのだが。もともと瞬間最大の魔力では緑龍のほうに軍配が上がるため、さっきのような本当に真っ正面からの撃ち合いでは、わたしに勝ち目は無い。
直径1kmだった森の中の空白地帯が、2発分のブレスの直撃で直径3km、深さ数百mのクレーターに変貌していたが、気にしない。抉られた大地や薙ぎ倒された木々の破片が土煙として立ちこめていないということは、全部吹っ飛んでいったのだろうが、気にしない。
転移したわたしを見失っている緑龍の背中めがけて、わたしは落下しながら全力の《光弾》をこれでもかと撃ち出す。炎や氷、電撃などを撃ち出す魔法もあるにはあるのだが、純粋な攻撃力で考えると《光弾》が最も強い。
わたしの《光弾》に気づいた緑龍は、背中に直撃するぎりぎりのところでそれを回避した。標的を失った無数の魔力の弾丸は地面を抉り、クレーターの底にさらにいくつもの大穴を穿つ。
落下を続けるわたしに、緑龍も上昇して突っ込んでくる。……今なら《変成》で仕留められるか! そう思って発動しようとした瞬間、緑龍の目の前に小さな《光弾》が生み出される。威力や命中精度より発動時間を最優先した、おそらく《変成》を使おうとしたわたしの迎撃用だ。
わたしは発動準備に入っていた《変成》を慌てて解除し、放たれた《光弾》を同じく《光弾》で迎撃……は、もう発動が間に合わない。こうなったら、異世界研究所の対魔防具を真似して、単純だが今着ている服にこの一瞬で込められる限りの魔力を込めよう。何の対策もしないより多少はマシなはずだ。
緑龍が放った《光弾》はわたしの腹部に直撃し、あらかじめその部分に込めていたわたしの魔力と相殺して炸裂した。何もしていなかったら、たぶん、そのままわたしの体を貫通していただろう。それでも、《光弾》が炸裂した時には、落下中だったわたしの体が少し浮き上がるほどの衝撃があった。
短距離転移でどうにか地上に降りることはできたが、
「う……ぐぇぁ……!」
年頃の乙女としてはあまり見られたくないモノを吐いてしまった。
わたしを踏み潰さんと急降下してきた緑龍を、再び短距離転移でかわす。
警戒の目でわたしを睨む緑龍。わたしはそんな緑龍を睨み返し、汚れた口周りを袖で拭う。
「……ふ。っふふふ」
その声が自分の口から出たものだと、最初は気づかなかった。
緑龍の攻撃は、爪、牙、尻尾、魔法、そのどれをとっても、わたしが1発でも食らえばほぼ即死だ。対してこちらの攻撃は、当たり所が良ければ浅い傷を負わせられる程度。そんな戦力差、ゲームだったらとんだクソゲーだ。
……だというのに、楽しい。
クソゲー上等! 隙を突いて《変成》で仕留める? なんともったいない。せっかく用意された圧倒的脅威だ。じっくりと味わわねば損というもの。
緑龍の目に、かすかな恐怖が宿る。そうだ、怯えろ。怯えて、その恐怖をもたらす者に自慢の爪を振り下ろすがいい。その爪すらも砕いて、貴様の絶望を味わってやる!
わたしの《光弾》では緑龍に致命傷を与えることはできない。できないが、小さくとも傷を負わせることはできる。
今、わたしと戦っているこの個体は、目の前の脅威から逃げるのではなく、潰すことでその脅威から遠ざかろうとしているが、根はやはり臆病なのだろう。5発同時で連射しているわたしの《光弾》から、できるだけ被弾を避けようと動き回っている。
だが、そのほうがむしろありがたい。多少の被弾を覚悟で突っ込んでこられたら、たぶん、わたしのほうが分が悪いからだ。緑龍が被弾を嫌うあまり逃げに徹するのなら、その逃げ場を無くすように《光弾》を撃ち続ける。そうすれば、緑龍をジリ貧に追い込むことができる。
距離をとられすぎて《光弾》の狙いをつけにくくなったら、一旦攻撃を止めてブレスの準備をすればいい。その隙に緑龍がまた近づいてきたら、準備しておいたブレスで迎撃しよう。
……と、今まさにその状況になった。ほぼ真上に向けて撃ったさっきとは違い、今度は斜め上への攻撃だ。ブレスの余波というか反動というか、ともかく後ろへ吹っ飛ばされないように、四つん這いになってしっかりと体を支える。……龍が4足歩行の理由が分かった気がする。そうでないと、全力のブレスに耐えられないのだろう。
1度距離をとった緑龍が反転し、再びこちらへ近づきながら、その口に魔力を溜め始める。が、わたしのほうがわずかだが早い!
緑龍の頭部を飲み込むようにして放たれた黒い閃光は、緑龍も準備していたブレスの暴発もあったのだろう、その胴体のほぼ上半分と、背後の山脈の山頂部分も少し削り取り、空の彼方へと突き抜けた。
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11:20 グラストン砦
調査だけのつもりだったが、緑龍に喧嘩を売られたから返り討ちにしてしまった。胴体の上半分が無くなった緑龍の死体を証拠として持ち帰り、砦の見張りの兵士にそう報告したら、その兵士と、表へ出てきていたカインとオージンは腰を抜かしてしまった。
……そういえば、伯父さんがカインに通信魔法で連絡しておいたのだろうか。当初の予定では、彼らはもう少しレギウス王国に入ったところの町で合流する予定だったらしいのだが。わたしが伯父さんたちを関所で拾うことになったからか、カインたちもここに滞在していたようだ。
軍の直轄である砦に報告した、ということで、わたしが請けた依頼はこれで達成ということになるらしい。デイラムさんには砦からも連絡しておいてくれるようだが、この後わたしからも完了報告をして報酬を受け取るように、と、応対してくれた兵士に言われた。……報酬なんて、空き家の修繕費があるからわたしが貰える分は無いけどね。くそぅ、こうなったらデイラムさんが奢ってくれるお酒を楽しみにしておいてやる。
そして、この後カインたちも交えて砦の責任者から話があるそうなのだが、その前に、わたしは女性兵士2人に更衣室へ案内された。……ああ、確かに。今着ている服はお腹の部分がボロボロになっていて、袖口が汚れている。汚れは《変成》でどうとでもなるが、生地が失われた部分はどうしようもない。
それに、こっちの服にも少し興味が湧いてきた。
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『おー、似合うっスよ由美さん』
『うん、いいんじゃないかな』
更衣室を出たところで待ってくれていたオージンとカインが、それぞれ言ってくれる。
兵士たちが用意してくれた服は、レディクラムでもよく見かけた、おそらくこの国で一般的な女性物の服なのだろう。ケープのような肘までの肩掛けと、体の線が出すぎず、かといってゆったりしているというほどでもないトップス。……上はいい。
問題は下、膝下丈ではあるがスカートだ。ちょうど、わたしの身長に合うサイズの服がこれしかなかったらしい。幸い、タイツも用意されていたので、素肌を晒さずには済んだが。
……ファンタジー風な服装にスニーカーか。気にしないようにしよう。
『よろしければ、それは差し上げますよ』
わたしを更衣室へ案内してくれた兵士の1人が言う。
『え……い、いいんですか?』
着てみた感じ、肌触りも良く、ゼルク・メリスでの服の相場は分からないが、それでも上質そうな服だというのは感じられる。そんな物を貰ってもいいのか、と、わたしが少し困惑していたら、
『ええ。というか、この子が……』
その兵士はそう言って、どこか呆れたというかうんざりした様子で、もう1人を指さした。
『ついに……ついにこの服を着てくださるお姉様が現れたのです! わたしの理想の身長! 緑龍を単騎で屠る強さ! ああ、わたしをお姉様の妹分にしてくださいま──へぶっ!?』
どぐしゃっ!
やたらエキサイトして顔面ダイブしてきた彼女に、わたしは思わず拳を繰り出してしまった。
『顔面どついちゃったけど、良かったわよね?』
『……すみません、ご迷惑をおかけして』
が、幸いにもお咎めは無かった。……つい撃沈させてしまったが、彼女の趣味、というか、《理想のお姉様像》のおかげで、わたしの体格にぴったりの服が用意されていたことには、素直に感謝しておこう。
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砦の責任者ジーファス・ガイナートさん。砦という要塞の長、ということで塞長という肩書きらしい。わたしたちはその塞長室に招かれ、時間的にも砦のほうで昼食を出してもらえることになった。
こっちで昼食を出してくれるのなら、お母さんに家での昼食はいらない旨を伝えてこないといけない。その帰宅するために、ジーファスさんと、塞長室に居る兵士2人にわたしの素性を話しておく。
わたしは既にこの国の軍幹部と……副司令のガディオンさんと面識を持っている。それならば、できるだけ多くの軍関係者にわたしのことを知っておいてもらったほうが、《気ままな異邦人》としては動きにくくなるだろうが、各所での面倒事は避けられると思う。
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お母さんへの話を終え、わたしが砦へ戻ってきてから少し後。わたしたちと、塞長室に居た兵士2人、合計6人分の食事が台車で運ばれてきた。
『……ちょっといいか、君たち』
食事を運んできた兵士2人を呼び止め、ジーファスさんが言う。その声は至って穏やかで、兵士たちが何か粗相をしたという訳ではなさそうだ。だが、どこか冷たい。
『この食事、俺と由美さんの分を交換してくれないか』
その一言で、食事を運んできた2人の間に明らかに動揺が走る。……え? 何この展開。まさか……毒?
その後ジーファスさんが何かを言う前に、2人のうち片方は硬直して立ち尽くしていたが、もう1人はそのまま出口へ向かって駆けだした。
ジーファスさんは隣の兵士に、逃げた兵士を追うよう指示。だが、わたしを含め全員が既に席に着いていたので、今から追ってもおそらく間に合わない。……仕方ない。
わたしは逃げた兵士に《加速》で下向き3Gをかけ、床にへばりつかせた。ジーファスさんの指示を受けた兵士2人が追いついたところで《加速》を解き、おそらく毒殺未遂犯──まあ、ほぼクロだろうが──が縛り上げられるところをのんびりと眺める。
毒殺未遂犯は脱走を諦めたのか、今度は声を荒げてジーファスさんに抗議し始めた。
『塞長! どいつもこいつも甘い、甘過ぎるんですよ! 《龍殺しの英雄》? はっ、そいつが我が国に牙を剥いたら、黒龍なんかよりよほどの脅威となり得ることを、なぜ誰も理解していないんだ!?』
そんなことを叫びながら、毒殺未遂犯は親の敵とでも言わんばかりの形相をわたしに向ける。……で、そんな彼が垂れたご高説は──
確かに、《龍殺しの英雄》はレギウスに対して我が国の絶好の切り札となる。だが、同時にそれは、もし《龍殺しの英雄》が我々を裏切った時は、我々にとって最悪の敵となることをも意味する。
現に、今も手を触れずに俺を無理やり地面にひれ伏させるという摩訶不思議な現象を起こしたではないか。切り札を失うのはレギウスに対して不利ではあるが、裏切られた時の危機的状況とを天秤に掛ければ、迷う要素はどこにも無いはずだ。
──と、そんなところだった。裏切られたらどうのなどと、よくその本人の前で言えるな、と思う。それとも、最初からわたしのことを信用していないのか。
まあ……ね。軍関係者の中で、軍に対するわたしの態度を正しく理解してくれているのは、やっぱり、わたしが直接話をしたガディオンさんだけなのかもしれない。もちろん、ジーファスさんみたいな人も居るのだろうが。……軍という巨大な組織は、1枚岩ではないということだ。
わたしは、束縛されているそいつの顎を下から手を掛けて持ち上げ、そして顔を近づけ、そいつを見下ろすように睨みながら、言った。
『さっきから聞いてりゃ人のこと切り札とか裏切るとか……わたしはあんたらの兵器か? 下僕か? わたしは、あんたらの副司令に頭まで下げられたから協力してあげてるだけよ。わたしはあんたらの命令は聞かない、飽くまでもわたしの判断で動くわ。そこんとこ、肝に銘じておきなさい』
言い終えてから手を離すと、毒殺未遂犯は静かになった。




