26 竜に家臣ができました
7月2日(土) 放課後 聖桜高校2年6組の教室
終業の学活……たぶん、他校ではホームルームなどと呼んでいるのだろうが、日本語を大切にするという校風の聖桜では、学級活動、通称《学活》と呼んでいる。これが終われば放課後となるのだが、今日はこの学活の最後に、わたしは先生に名指しで呼び止められた。
「あー、竜之宮は後で職員室に来るように」
このクラスの担任、鬼嶋伸夫。成績や素行で生徒への接し方を変えない、先生たちからの人気はあまり良くないらしいが、生徒からは絶大な人気を誇る先生だ。
先生が退室し、生徒たちも各帰り支度をする中、わたしの席に京、恭子と、今日の昼休みにも少しわたしに絡んできた男子、柊達也がやってくる。
まずは京が。
「由美、ついに何かやらかしたね?」
「昼休みの時の舎弟絡みと見た」
それに柊が乗る。2人とも、その顔にはわたしを気遣ってくれる様子は微塵も無い。むしろ、楽しんでいそうだ。
こん。すかっ。
わたしが両手でそれぞれ落とした軽い拳骨を、京には命中、柊にはかわされる。……まあ、たぶん柊の言葉のとおりだとは思うが。
「由美ちゃん、何があったの……?」
唯一、心配そうな顔をしてくれた恭子に聞かれる。
「まあ、ちょっとね。たぶん大丈夫だから、みんな先に帰ってて」
わたしはそう言って、やや早足で教室を出た。……京たちに事情を説明するには、唯との話について、魔法についても言わなければならない。わたしが逃げるように教室を去ったのは、できれば、それを避けたかったからだ。
●
こっそりとスマホを録音状態にしてから職員室に行ったら、鬼嶋先生にはそのまま生徒指導室に通された。
そこには、生徒指導担当の河野先生が既に待機していた。そして、しばらくすると、別の先生に案内されて2年生の女子生徒2人が入ってくる。……こいつら、わたしと同じ6組の、わたしを避けている女子グループの2人だ。昼休みにわたしと唯が屋上から帰ってきた時、便所でちょうど髪を整え直しているところだったか。
その2人のうち1人に、河野先生がもう1度話をするように促す。
「……今日のお昼休みにぃ、竜之宮さんがぁ、1年生の女子をお手洗いの個室に連れ込んでぇ、虐めていたみたいでしたぁ」
やたら語尾を伸ばして纏わり付くような喋り方をするそいつ、橘海亜。その言葉を受けて、河野先生が言う。
「ということだそうだが、本当かね?」
言葉こそ疑問形だったが、その口調からは、わたしがクロだと初めから決めてかかっているのがあからさまに伝わってくる。
「……ここでわたしだけがどう弁明しても信じてもらえないでしょう。今から、その1年生本人もここへ呼びます」
わたしはそう言ってスマホを取り出し──
「その必要は無いな。というか、犯人からの呼び出しに被害者が素直に応じると思っているのかい?」
──そのわたしの手からスマホを奪い取り、河野先生は得意げに言う。
「……いくら先生といえど、いきなり生徒のスマホを奪い取るというのは感心しませんね。しかも、両者の意見を聞く前から、教師が特定の生徒を……わたしをイジメの犯人扱いですか?」
椅子から立ち上がり、わたしは河野先生を睨みながら言った。……京や柊とじゃれ合う時の睨みではない、ゼルク・メリスで経験した、戦場で敵を睨む時の目で。
橘ともう1人の女子生徒、水谷翔子は完全に蛇に睨まれた蛙状態。河野先生も完全に目が泳いでいて、
「わ……わたしは……い、イジメの……っ」
と、その後も何か言いたそうにしていたが、全く言葉になっていない。
「スマホ、返してください」
静かに言ったわたしの言葉に、河野先生は素直に従ってくれた。わたしは改めて唯を呼ぼうと──
「由美先輩!?」
──したら、生徒指導室の扉が勢いよく開けられた。開けたのは唯だった。
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唯はわたしに用があったらしく、まず2-6の教室へ行った。しかし、既にわたしは職員室へ向かった後だったため会えず、ほかの生徒に行き先を聞いて、慌ててここへやってきた、と。
2-6の終業の学活がいつもより早く終わり、逆に唯のクラス1-1のそれが少し長引いてしまったせいで、ここへ来るのも少し遅れてしまったようだ。
そして、唯はわたしたちが便所の個室に2人で入っていた事情も、うまくぼかしつつ説明してくれた。
「──先輩には色々と良くない噂も立っているようですから、ああしたほうがわたしにも迷惑がかかりにくいだろう、と、今のようにご自分に災難が降りかかるかもしれないことを覚悟の上で、気遣ってくださったんです」
良くない噂、のところで橘と水谷に、今のように、のところで河野先生に、それぞれちらりと視線を向けつつ、唯は言った。……意外と言うな、唯。
「緒方君、心配しなくてもいいんだよ。……さあ、もう1度、本当のことを言ってみなさい」
「河野先生!」
唯が今の証言をわたしに言わされているとでも信じ込んでいるのか。河野先生の発言を、鬼嶋先生が諫める。
だが、唯は、河野先生に対して怒りを表すでも、侮蔑の目を向けるでもなく、淡々と、さっきと全く同じ言葉をもう1度繰り返した。女子2人と河野先生をチラ見するところも含めて。
「……だから、緒方く──」
「河野先生」
苛立ちを見せ始めた河野先生の言葉を、わたしが遮る。
「なんだね、イジメの張本人が!」
「わたしが本当に、唯を脅して今の言葉を言わせていたかどうかはともかく。河野先生が、最初からわたしをイジメの犯人扱いしていた様子は、全て録音してあります」
わたしはそう言って、たった今止めた録音のデータを最初から再生させた。その音声を聞いている最中、河野先生はわたしの手からスマホを奪い取ろうとしてきたが、当然、そんなものが成功するはずも無い。
「この件は、父に頼んで教育委員会に伝えてもらいます。……鬼嶋先生。わたしと唯は、もう帰ってもいいですよね?」
「……ああ。疑ってすまなかった、竜之宮。それと、緒方にも迷惑をかけたね」
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16:40 帰り道
「ほらほら、あんたがそんなに気に病まないの、唯」
学校を出てからずっと沈んだ様子の唯に、わたしは言う。
「でも、先輩はわたしのことを考えて……なのに、わたしったら先輩に迷惑をかけっぱなしで……!」
俯いたまま、呟くように言う唯。……さて、どうしたものか。
「……唯」
わたしは立ち止まり、少し低めの声で彼女の名を呼んだ。
「は、はい……!?」
「わたしは、できるだけあんたの《今》を守ってやりたいの。スクールカーストのトップに君臨する暴君と、友達として以上に、同じ個室にこもるほど仲が良いなんて思われたら、良くも悪くも、あんたの交友関係は変わるわ」
「暴君だなんて、そんな……!」
「そりゃ、わたしもそんなつもりでいる訳じゃないし、そんな風に思ってるやつらのほうが少数よ。でも、そう思ってるやつらは確実に居る」
「……………」
「だから、もし、あんたが今のまま変わりたくないと言うのなら、わたしに迷惑をかけることを気に病むのはやめて。……迷惑をかけるのが嫌なのなら、あんたも《こっち側》に……《暴君》の側に来なさい」
しばらくの沈黙。……そして、唯が出した結論は。
「分かりました! では、暴君の《臣下》として、改めてよろしくお願いします!」
唯は、深々と頭を下げた。……来ちゃったか。




