25.5 目を着けられた後輩
7月2日(土) 昼休み 聖桜高校2年6組の教室
「由美先輩ーい」
教室の入り口から聞こえてきたのは、今週水曜日に知り合った後輩、緒方唯の声。その声を耳にして、わたしはあのことを思い出した。いや、忘れていた訳ではないから、思い至ったと言うべきか。
「お、ついに竜之宮にも舎弟ができたか?」
「殴るわよ、柊」
同級生の男子と馬鹿なやり取りを交わしつつ、わたしは唯の下へ。
「で、何? 唯」
「えっと……」
唯は言葉には出さず、1枚のメモ用紙をわたしに見せてきた。そこに書かれていたのは《魔法についてお話が……》。
●
唯を連れて、転移で屋上へ。……転移を誤魔化すために毎回女子便所を使うのも難だし、別の場所も探しておいたほうがいいだろうか。
まあ、それはともかく。さっき思い出した《あのこと》は、唯本人に言うべきか否か。
唯と知り合った翌日、次元の狭間で《魂の淀み》から切り取られた魂を追跡しようとした時、異世界にある無数の反応と共に、地球にも1つの反応があった。
それが唯だった訳なのだが、もし、唯が本当に啓太の生まれ変わりだったのなら、京とイリスのように、啓太と唯で2つの反応があるはずだ。さらにもう1度転生しているのなら、反応は3つになるだろう。
残念ながら黒龍イヴィズアークはもう居ないので、わたしと黒龍とで反応が重なるかの検証はできないが。
だが、その前に。
「……で、話っていうのは?」
わたしは唯に先を促した。まずは彼女の話を聞くべきだろう。
「あ、はい。実は──」
唯の話では。唯は、わたしと知り合った当日の放課後、わたしの家での練習で、《根底の流れ》への干渉と、簡単な魔法を1つということで《光源》が使えるようになった。
その後は、自宅では家族に見られていない時や、学校では便所の個室に入った時など、周囲の目が無い状況でひっそりと練習を重ねてきた。が、それだとどうしても限界がある。
「──だから、その……どこか、魔法を堂々と練習できる場所は無いものか、と……」
堂々と、か。
ゼルク・メリスなら、わたしがレディクラムの町に家を持って……そういえば、国民登録してから1度も行ってないな……まあ、家を持っているから、そこで練習できるといえばできる。が、あっちは《根底の流れ》が地球のそれとは異なっているので、地球の魔法の練習になるかというと、正直、微妙だ。
《根底の流れ》への干渉がほぼ完璧にできていて、その上で様々な種類の魔法を使うための練習としてなら、ある程度の意味はあるが。
もう1つの選択肢は、昨日わたしが行ってきたベアゼスディートで練習すること。《根底の流れ》が地球と同じあの世界なら、向こうで練習した成果はそのまま地球でも通用する。
だが、こっちにはわたしが信頼できる人脈と、拠点が無い。一応、アーゲン少佐は信じても大丈夫だとは思うが、あの人も、今は向こうでの社会的地位を殆ど失っているだろう。
後は……フォスティアを頼って、管理者権限の《根底の流れ》を読み替える能力が、他人にも適用できるかどうか、か。
「……ごめん、今すぐには思いつかないから、少し、心当たりを探してみるわ」
「そんな、謝らないでください。……でも、ありがとうございます。お願いします」
そう言って、唯は頭を下げた。
さて、これで唯の話は終わったか。後は、《あのこと》を唯に言うかどうかだが……
「……あの、先輩? そろそろ校舎に──」
「唯」
わたしが転移で校舎内へ連れていかない限り、唯はここから動けない。だから、こういう切り出し方は卑怯なのかもしれないが。
今を逃せば、言う機会が遠くなってしまいそうな気がした。
「は、はい……!?」
「もし、あんたは佐々木啓太の生まれ変わりじゃないかもしれない、って言われたら……どうする?」
「……………え?」
一瞬、唯が見せた表情。たぶん、彼女はわたしが何を言ったのか、すぐには理解できなかったかもしれない。
「……あ。あー……ああ、はい。いえ、それならそれで、わたしは構いませんよ。別に、自分が佐々木君の生まれ変わりであることに特別何かを感じているとか、そういう訳ではありませんから」
唯は、特に思い詰めた様子も無く、ごく平然と言った。……確かに、わたしも、自分が黒龍イヴィズアークの生まれ変わりであることを特に意識してはいない。わたしは由美だ。……それと同じことか。
唯はさらに続ける。
「ただ、それじゃあなんでわたしが佐々木君の記憶を持っているのかという疑問はありますけどね」
それには、おそらく女神が関わっているだろう。唯がどういう代償を払わされるのかは分からないが、啓太の記憶を唯の魂にコピーするとか、そういうもののような気がする。……それはそれとして。
《魂の淀み》から切り取られたジャンク魂を追跡していたら唯の反応と重なった、というのは、やっぱり言わないでおくことにしよう。
わたしは、唯を連れて女子便所の個室へと……すんなりと戻りたかった。
●
次元の狭間で、わたしは転移先の女子便所の様子を窺っていた。
「満員、ですね」
唯がどこかげんなりした声で言う。その原因、わたしが屋上への転移に使った個室のある便所は、全ての個室が埋まっていた。しかも、廊下には順番待ちの生徒が2人。
それ自体が問題、という訳ではない。実際、わたしが転移に使った個室は無人のままで、鍵もかかっている。だが、今、わたしたちがそこへ転移すると、そして、そのまま個室から出てしまうと、同じ個室から2人で出てくるところを確実に誰かには見られてしまう。
その2人は、片や、中学時代に不良グループを潰した経歴から、力で睨みを利かせるスクールカーストのトップ。……わたしにそんな気は全く無いのだが、どうやら、そういうものにこだわる一部の生徒たちからはそう見られているらしい。
片や、今まで普通に高校生活を送っていた吹奏楽部の1年生女子。
「……唯、ちょーっとだけ茶番に付き合ってくれる?」
「は、はい?」
わたしは、唯にその内容を説明した。
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唯と共に個室の中へ転移して、その扉を開ける前に、少し強めに扉を叩く。
どんっ!
その音が便所に響き渡ると、洗面台でお喋りしていた女子生徒たちが水を打ったように静まり返った。それを見計らってわたしは扉を開け、唯の背中をやや乱暴に個室の外へ押し出す。
「きゃ……! ひ、ひぃ……っ!」
事前の打ち合わせどおり、唯はやや怯えたような演技で走り去った。
その少し後、わたしが個室から出ると、女子生徒たちはまた別の意味で静まり返った。
便所の同じ個室から出てくるという状況では、仲の良さを見せつけるより、脅されて連れ込まれた風を装ったほうが、まだ変な噂は……特に唯のほうで、立つおそれは少ない、と思う。わたしが《後輩を便所に連れ込むような女》だと思われることについては……かわいい後輩のためと思って我慢することにしよう。……うん、変な伝説がまた1つ増えるだけだ。悲しくなんか、ない。
 




