23 留まる魂どこへ行く
6月30日(木) 15:55 次元の狭間
昨日、唯に聞いた話に出てきた異世界ゼンディエール。今日、わたしはふとした興味からそれを探そうと思い、学校が終わるとすぐ、次元の狭間に飛び込んだ。
転移の時、目標地点だけでなくその周辺もある程度見えるので、同じ理屈で異世界そのものを探すことはできないか、という興味だ。
初めて次元裂に巻き込まれた時、次元の狭間で、わたしは3つの《モノ》がそこにあるのを確認している。
1つは地球、というか、《地球がある世界》。
もう1つが《ゼルク・メリスがある世界》。たぶん、ゼルク・メリスというのはあの世界そのものの名前ではなく、地球と同じように、あの星の名前だろう。
そして最後の1つ、何かの塊。ただし、これが何なのかは分からない。迂闊に近づかないほうがいいような気がして、今まで転移の度にそれに気づいてはいるものの、ずっと触れないでいた。
さて、新たな異世界があるとしたら、これら以外の4つ目の《モノ》がどこかにあるはずなのだが……
『面白そうなことしてんじゃーん』
「うぉあ!?」
いきなり聞こえた少女の声に驚き、振り向いた先に居たのは。
『……なんだ、フォスティアか。脅かさないでよ』
『別に脅かそうなんて思ってないよ。天使でもないのに、よく《ここ》を探索しようなんて気になるなー、って思ってさ。……ああ、別に天使じゃなきゃここに来ちゃいけない、って言ってる訳じゃないよ。ただ、あたしも天使になって初めて《ここ》に来た時は、ちょっと怖かったからね』
『ふぅん……ん?』
今のフォスティアの言葉で、わたしに1つの疑問が浮かんでくる。
さっきフォスティアは、天使になって初めてここに来た、と言った。わたしの経験から考えると、灰の者が次元の狭間へ来れるようになるには、自力で来る以外の方法で、例えば次元裂に巻き込まれるなどで、1度ここへ来なければならない。だが、フォスティアは天使になる前は来たことが無いと言う。
彼女は天使になってから次元裂に巻き込まれたのか、それとも、天使になれば経験が無くとも来れるようになるのか。
わたしは、そのことをフォスティアに聞いた。もし、それができるのなら、白龍シェルキスも地球へ来ることができる、ということだ。
そのわたしの問いに、しかし、フォスティアは首を横に振る。
『んーん。あたしは、天使になる前も後も、次元裂に巻き込まれたことは無いよ』
フォスティアは言う。天使になったら、確かに次元の仕組みは理解できる。が、それは《理解できる》だけであって、実際に行き来できることとは別だ。わたしと黒龍との戦いを見ていた時のように、管理者権限を使えば異世界だろうがどこでも《中継》はできるが、それは女神の力で《見せてもらっている》だけ。自力で行き来できるのは、天使にも不可能な、灰の者独自の能力だ、と。
ということは、フォスティアは天使になって次元の仕組みを理解したから、もともとの灰の者の能力で《ここ》へ来ることができた、ということか。
『それでそれで? 由美ちゃんはなんでわざわざ《ここ》へ来てるの?』
興味津々といった様子でフォスティアが聞いてくる。そんな彼女に、わたしは、唯から聞いた異世界ゼンディエールのことを説明した。そして、最後に、
『ああ、それと。地球でもゼルク・メリスでもない、《アレ》って何なの?』
現状わたしが把握している《モノ》の3つ目、何かの塊についても聞いてみた。
『ああ、あれはねー──』
特に言いたがらなそうな素振りを見せるでもなく、フォスティアは素直に教えてくれた。
アレは《魂の淀み》。地球にしろゼルク・メリスにしろ、あらゆる世界の中で生きるモノたちの魂は、《魂の源泉》から汲み上げられて、肉体という《器》に入る。そして《器》が死ぬと、そのまま次の《器》に転生する場合などの例外を除き、《器》に入っていた魂は再び《魂の源泉》へと還っていく。
しかし、稀に、現世への未練が強すぎて、肉体の死後も源泉へ還るのを、異なる生命として生まれ変わることさえも拒み続ける魂がある。そんな魂たちが寄り集まり、混ざり合って、生前の《個》も無くして、ただ未練だけで次元の狭間に留まり続けるだけの塊となり果てたのが、あの《魂の淀み》だ、と。
聞くだけでぞっとする話だ。今までも触れずにいたが、これからもアレには触れないままのほうが良さそうだ。
『……あれ? じゃあ、わたしやイリスって……』
『うん。源泉に還らないで、そのまま次の《器》に入った、ってことだね』
……シェルキスに言われた、《中古の魂》の意味が分かった気がする。
フォスティアは続ける。
『さて、それじゃあゼンディエール、だっけ。あたしも初めて聞く名前だけど、地球と《根底の流れ》が同じだっていうのなら……そうだね、地球がある世界の《裏側》を探してみる、ってのはどうかな』
『世界の裏……? あ、そうか!』
ある上位次元の物体には、複数の下位次元が併存している。例えば、立方体には正方形の面が6つある。《世界》という3次元物体が、それより上位の4次元物体の1つの側面だとするなら、その4次元物体には別の側面があるはずだ。
『面白そうだから、あたしもついてっていい?』
『んー、むしろ天使が一緒に来てくれたほうが心強いから、わたしからもお願いするわ』
『やったー。それじゃ遠慮無くー』
●
『……で、ゼンディエールがあると思しき世界は見つかった訳だけどさ』
フォスティアが遠い目で言う。……うん、なんとなく予想はできてた。
地球がある世界でさえ、観測可能な宇宙が直径930億光年もあるのだ。ゼンディエールがある世界の宇宙も、それぐらいの大きさがあって当然だ。で、その宇宙から《ゼンディエール》という星を探さなければならない。何の目標も目印も無しに。……できるか!
魔物討伐のためにゼンディエールから来たという魔法剣士のせめて名前くらいは唯に聞いておけば、とも一瞬思ったが、名前だけを知っていてもおそらく探すのは無理だろう。……でも、一応、試してみるか。
フォスティアにそのことを説明し、
『──という訳で、今の時代に生きていて、わたしが知らない、人でも龍でもいいから、誰かの名前を言ってみて』
『んー……じゃあ、ベン・ジョー』
ぶ。
わたしは思わず噴き出してしまった。
『あれ、なんで噴いてるの?』
心底不思議そうな顔をするフォスティア。
『ご、ごめん……《ベンジョ》って発音、日本語で便所のことなの』
今度はフォスティアが噴いた。
……気を取り直して、わたしはゼルク・メリスから《ベン・ジョー》という名前を探してみた。そして、予想どおり、見つけられなかった。
『やっ、やっぱり……ダメ、だったみたい、だね……くくっ』
笑いに顔を引きつらせながらがっかりした様子で、フォスティアは言った。
『ええ。……じゃあ、今日のところはもう帰ろうか』
『……だ、だね。じゃ、また何か面白そうな、ぶふっ……ことがあったら、んで、その時にあたしが……見て、なかったら、くくっ……できるだけ呼ん、っ、呼んでねー』
笑いを堪えつつそんなことを言いながら、フォスティアは自分の世界へ帰っていった。……どうやら、《ベンジョ》は相当彼女のツボにはまったようだ。今後、彼女がベン・ジョーさんを見る目が変わらないことを祈ろう。
「さて……ん?」
わたしも家へ帰ろう。そう思った時だった。地球でもゼルク・メリスでもない塊、さっきフォスティアに教えてもらった《魂の淀み》から、その塊の一部が分離し、ゼンディエールがある世界へと流れ込んでいった。
「見間違い……じゃ、ない……わよね?」
分離した魂の規模……物理的な大きさではなく、魂を色に喩えるならその濃さとでも言うべきか、それは人間より──わたしや伯母さんのように変態じみた大きさの魂を持つ人間ではなく、普通の人間と比較して──少し小さい程度で、数は20。
今のわたしは《魂の淀み》そのものを認識しているから、そこから分離した魂ももちろん転移で追うことができる。
「……フォスティアも呼んだほうがいいわね」
呼ぶ理由は、これからわたしがしようとしていることが《面白そうなこと》だからだ。……わたしはそう思ってはいないが、たぶん、フォスティアにとってはそうだろう。
●
一旦ゼルク・メリスへ行き、フォスティアを呼んでまた次元の狭間へ戻ってくる。
『アレから魂が分かれて、ゼンディエールの世界へ飛んでった、ねぇ……』
フォスティアの顔に浮かんでいるのは、疑問と好奇心。
『ええ。だから、それを追えば、もしかしたらゼンディエールを見つけられるんじゃないかと思って』
『でも……いや。あれこれ考えるより、まずは探してみよっか』
そして、分離した魂の気配を追跡した結果……
「なに……これ……!?」
さっき分離した20個だけでなく、無数の……もはや数えるのも馬鹿らしく思えるほどの魂が、ゼンディエールがある世界、その中のあちこちの星に点在していた。おそらく、これらの星には文明が、知的生命体が存在しているのだろう。……だが、わたしが気になったのはそこではない。
地球にも、1つ反応があった。
「唯……!? なんで……」
あらゆる生物の魂は《魂の源泉》から汲み上げられる、フォスティアはそう言っていた。そしておそらく、生物として死んだ魂は1度《魂の源泉》に還ることによって、灰の者の能力でも追跡できなくなる、いわば、魂がリセットされるのだろう。だから、源泉に還らずにそのまま転生したイリスやわたしは、魂としては《中古品》だ。
そんな中古の魂が寄り集まって、生前の《個》すら無くすほどに劣化した《ジャンク品》ともいえる魂。なぜ、唯がそんな魂を持っているのか……いや。なぜ、そんな魂が、また《緒方唯》として生まれ変わることができたのか。
『とにかく、行ってみようよ』
『え、ええ……』
フォスティアに促され、わたしは、反応があった中からとりあえず、適当に唯以外の魂を選んで、そこへ転移した。
●
そこは戦場だった。辺りの景色は、ゼルク・メリスとよく似たファンタジー世界のような感じだが、だいぶ荒廃している。
『***、****!?』
わたしたちが突然現れたせいだろう、そこに居た魔導士と思しき人物が、問い詰めるような口調で何か語りかけてくる。その言葉は、少なくともわたしが知っている、日本語、英語、ドイツ語、ゼルク・メリス共通語の、どれでもなかった。……そう、思った瞬間。
「何者だ、おまえたちは!?」
「──っ!?」
通信魔法のように。頭に直接言葉が響いてくる。しかも、日本語で。フォスティアの様子を横目で見てみると、彼女も驚いているようだった。……まさか、この通信魔法、それぞれ受け取った人間の母語で聞こえている?
彼……見た目はわたしやフォスティアと同じく《人間の形》をしている、彼がそう言った、その一瞬の後。周囲に居た彼の護衛と思われる兵士たちが、わたしとフォスティアに武器を、剣や槍を向ける。……これは、ちょっとまずいか?
わたしは、ある兵士1人の足下に着弾するように《光弾》を放った。そして、さっき魔導士の彼が使った魔法を真似して、かつ、それを広域発信する。
「落ち着きなさい、わたしたちは敵じゃないわ。ただし、武器を向けるなら、わたしはあんたたちを敵とみなす!」
「ちょ、ちよっと由美ちゃん……!」
フォスティアがやや慌てた様子で……ん? なんで日本語……ああ、もしかして。
この魔法、発動中は自分の言葉が相手には相手の母語で聞こえるだけじゃなくて、相手の言葉も自分の母語で聞こえるようになるのか。便利だ。消費魔力も殆ど無視できるぐらいだし、ここに居る間は発動させたままにしておこう。
「い、いきなり魔法をぶっ放すヤツの言葉なんか信用できるか!」
「そうだ! それにここは後方部隊とはいえ戦場だぞ! 怪しいヤツを《敵じゃない》とその本人に言われて、はいそうですか、と置いておけるか!」
……くそ。状況を確認したいのに、こいつらの相手でそれどころではない。それに、フォスティアは《根底の流れ》がこことは異なるゼルク・メリスの出身だから、管理者権限を隠す前提では戦力として──
ずどん!
「敵じゃないって言ってるじゃんよ。ちっとは人の言うことも信じなさいな」
さっきとは別の兵士の足下へ《光弾》を飛ばし、わたしと同じようにそいつを脅すフォスティア。……え? なんで魔法が使えるの?
そのことをわたしが疑問に思っていたら、フォスティアが限定発信の通信魔法でわたしに話しかけてきた。
「んっふふー、管理者権限を使えば、別の世界の《根底の流れ》でも、そこにあるように再現できるのだー。威力とか消費魔力とかの面でちょっと無駄は増えるけどね」
……昨日、この世界は……わたしたちの人生はゲームエンジンの中で動くゲームみたいなものだと思ったばかりだというのに。模倣して無駄が増えるとか、ここが本当にPCの中のように思えてくる。……オーバーフローで任意コード実行なんてバグ、やめてよ? 女神様。
いや、今はそれより。
「……信じるしかないようだな。何より、何も無い所から突然現れるような相手に、我らが勝てるとも思えぬ。……同行を願えるか? 我らの指揮所へ案内しよう」
兵士たちの隊長と思しき人物が、諦めたようにそう言った。