18 管理者 ★
6月27日(月) 17:40 どこかの山中
女神の加護により準管理者となった白龍シェルキスと、人間の少女……うん、見た目は少女のフォスティアと話していた時、唐突に日本語でわたしに語りかけてくる声があった。そして、その声が《聞こえた》とわたしが認識し終えた時には、辺りの景色はさっきまでわたしたちが居たはずのどこかの山中ではなく、別のものに変わっていた。
その風景の変化に、わたしは気づかなかった。写真が徐々に別の画像に変わっていく不思議体験映像があるが、あれがほぼ一瞬で行われたのにもかかわらず気づかなかったような、そんな気持ちの悪い感覚だった。
「え? な、何……これ?」
慌てて周囲を見回して、わたしは、ようやく変化した後の景色を認識することができた。RPGのラストダンジョンなんかにありそうな、水晶のような質感の床や壁で構成された不思議な場所。床や壁はわたしたちから……いや、わたしからある程度離れた所で急に無くなっていて、そこから先は、わたしが転移する時に経由する次元の狭間のような、何も無い空間が続いている。
いつの間にか、シェルキスとフォスティアも居なくなっていた。というより、わたしだけがこの不思議な場所へ招かれた、と考えるべきか。
……と、だいたいわたしがこの場所を把握し終えた頃だった。わたしの目の前にある円形の少し広い舞台のような所、その中央に、1人の女性が姿を現した。別の空間からここへ転移してきた、というより、その場所へ直接女性の体が生成されたように、わたしには見えた。
その女性の姿を一言で表すなら、女神。頭上に輝く金の環や、背中に翼こそ無いものの、神々しい衣装を身に纏い、絶対に逆らえない、いや、逆らおうという意思さえ抱けないような、何かがあった。
「竜之宮由美さん。ようこそ、管理者領域へ。わたしは管理者イアス・ラクア。わたしがどういう存在なのかは、既にシェルキスたちから聞いているわね?」
女神、いや、管理者イアス・ラクアは言う。わたしの望みを、代償さえ受け入れるのならいくつでも叶えてくれる、と。
今のわたしの望みは、2つ。
1つは、京の死を回避しつつ、それによって《京の生まれ変わりであるイリス》が生まれなくなるのも回避すること。これは、イアス・ラクアは方法は後で教えると言ったが、その過程で京の魂を2つに分割するという。
わたしが払う代償は、京の魂をわたしの手で分割することと、分割して半分の大きさになった京とイリスの魂を、それぞれわたしの魂で補填すること。
もともと黒龍の魂を持っているわたしにとって、実質京1人分の魂を差し出したところで、殆ど影響は無いと思う。だから、その程度のことで京とイリスを救えるのなら、これほど安い代償は無い。……むしろ、親友の魂をわたしの手で裂かねばならないことのほうが、痛い。
もう1つの望みは、わたしにも生殖能力が欲しい……いや、たとえ1回限りでもいいから、純の子を産みたい、ということ。
子供は両親の遺伝子を半分ずつ受け継いで生まれてくるが、灰の者はこの《自身の子に受け継がせる、自身の情報の半分を持った遺伝子》を生成できないらしい。地球人とゼルク・メリス人の遺伝子が両方揃って初めて《灰の者》になるのだから、それを半分にすると地球人かゼルク・メリス人のどちらかになってしまって、《灰の者の半分》ではなくなるから、だそうだ。
これを叶えるには、イアス・ラクアがわたしの体を《卵子に灰の者としての半分を乗せるのではなく、どちらかの遺伝子のみを乗せて排卵できるようにする》ように作り替えるという。体を作り替えられるというのは少し怖くはあるが、それ自体によるデメリットは無く、しかもそれで子を産めるようになるのなら、躊躇う理由は無い。
代償は、卵子がどちらの遺伝子を持っているのか、わたしには事前に判別できないため、生まれてくる子供が地球人か灰の者になるのかが分からない、ということ。そしてもう1つ、こちらはわたしが寿命を全うしたら教えてくれる、と。
管理者に願いを叶えてもらうための代償。それは、例えば材料が無ければ製品を造れないように、願いを叶えるために必須の資源、ではない。
イアス・ラクアは言った。世界の内側で生きるモノたちの願いを叶えるのに、資源など必要ない。PCのデータのように、0を1に、あるいは1を0に書き換えるだけで、世界の内側のあらゆる事象は管理者の思いのままにできる、と。実際、それをするのが管理者権限であり、準管理者となったシェルキスやフォスティアは、ある程度物理法則を無視した現象を起こせるらしい。
ならばなぜ、管理者イアス・ラクアは願いを叶えるのに代償を要求するのか。それは。
「そのほうが面白いからよ。あなたたちの《経済活動》とかいうものにしたって、何の対価も無しに何かを得ようだなんて、できないでしょ? あなたたち《内側の存在》は、願いを叶えてもらって幸せ。わたしは、そんなあなたたちが代償とどう向き合うのかを眺めて楽しむ。ね、お互いに利があるでしょ?」
イアス・ラクアは、わたしへの説明をそう締めくくった。
代償を受け入れて、願いを叶えてもらうかどうか。
わたしは、迷わなかった。
●
『あ、帰ってきた!』
元の場所に戻ったわたしを、どこか不安げなフォスティアの声が出迎えてくれた。
『女神……か』
『ええ』
シェルキスの落ち着いた言葉に、わたしは短く答える。
『どんな願い……いや、それを聞くのは無粋というものか』
『でも……もし、由美ちゃんもあたしたちみたいに天使になってたら……!』
天使。それは、イアス・ラクアが命名した準管理者の呼称だ。女神の下につく者だから《天使》と。そして、天使同士でも、初対面の相手が天使であるのかは、その相手が管理者権限を行使するまで分からないらしい。
不老不死になる。ぱっと見には、生物として究極の願いを達成したようにも見えるが、おそらく、フォスティアはその苦しみを知っている。
『大丈夫よ。……少なくとも、今は天使じゃないわ』
『え……今は……?』
フォスティアの不安の色が濃くなる。……我ながら、卑怯な言い回しだ。
イアス・ラクアには、わたしが彼女と、いや、アレとどういう話をしたのか、その内容を他者に話すことを禁じられてはいない。
わたしは、現段階での推測を、この2人に話すことにした。
シェルキスがどんな願いの代償で天使になったのかは分からないが、フォスティアは《シェルキスと同じ時間を生きたい》と願って天使になった、と言った。つまり、本来の寿命を超えて生きたい、自然の摂理を覆すような願いの代償として天使になったと考えられる。
わたしが子を産める体になることの代償として、その1つはわたしの死後に教えてもらうことになっている。もし、この願いが《自然の摂理を覆すような願い》に該当するのだとしたら。
例えば、《今まで生きてきた時間と同等の時間を、天使として生きなければならない》のような代償である可能性がある。
『……もし、そうだったら。もう十分生きすぎたフォスティアにとっては苦痛かもしれないけどさ……天使仲間として、仲良くしてほしいなー、なんてね』
『由美ちゃん……』
フォスティアは何か言いたげな顔でわたしを見詰めてくる。そして、その口から出された言葉は。
『うん、分かったよ。もう137年生きたんだ。由美ちゃんがもし100歳まで生きるにしたって、後80年ちょっとでしょ? 待てる待てる。……もし、待てなくて、一足先に逝ってたとしても、まだシェル君だって居るんだから、大丈夫だよ』
そう言ってシェルキスの方を向くフォスティア。ここでまさか話を振られるとは思っていなかったのか、シェルキスは一瞬呆れたような顔をしたが。
『……記憶は無いとはいえ、我が友の生まれ変わりだからな。その時はまた、よろしく頼むぞ』
……やばい、泣きそうかも。自分で選んだ道なのに、もう後悔し始めているのかもしれない。……でも。
わたしは、2人に背を向けた。
『ありがとう。できれば、この予想が外れていることを願うけど……』
それはそれで、この2人との交流がこれで最後になるという可能性を意味する。
『まあ、それはそれでいいだろうさ。もともと交わらなかった我らの道が、灰の者と、女神という奇跡的な要素によって交わっただけの話だ』
『そうだよ。天使じゃなくても灰の者同士、いつでも会いに来てね』
2人の言葉にわたしは片手を軽く挙げて答え、デイラムさんの所へ転移した。
 




