15 わたしの隣空いてます
6月26日(日) 昼過ぎ とある街道沿い
ゼルク・メリスに居た、京と同じ気配を放つ少女。彼女に会うため、わたしは街道沿いに止められている熊車から少し離れた所に転移し、歩いて近づいていった。
ただ1人御者席で昼食を取っていた、御者と思われる男性がまずわたしに気づき、声を掛けてくる。
『失礼、この辺りでは見慣れない服装をしておいでですが、あなたは?』
一瞬、通りがかりのふりをしようかとも思ったが、やめた。車内の2人は、たぶんクラウスさんと、彼が京に会わせたいと言っている娘さんだろう。そう予想し、初めから素性を明かすことにする。もし、この予想が外れていたとしても、嘘をつく訳ではないので問題は無いはずだ。
『ユマ・アルフィネートの娘、由美です。わたしの人違いでなければ、たぶん、そちらの男性にお聞きになれば分かるかと』
わたしはそう答えて、車内の厳つい男性を指し示した。御者らしき男性は《アルフィネート》の姓に驚いた様子を見せ、慌てて車内の男性と話をする。……が、その話が終わりそうな雰囲気を見せる前に、熊車の扉が開いて、京と同じ気配を放つ少女が駆け降りてきた。
「由美ーっ!」
わたしの名前を叫びながら飛びかかって、いや、たぶん、抱きつこうとしてくる少女。熊車の窓越しに見ていた姿からは分からなかったが、意外と背が高い。たぶん、わたしと同じか、少し低いくらいだ。
「うぉ!? ぐ……っ!」
わたしは抱きついてきた少女を受け止め、どうにか、後ろ向きに倒れないように踏ん張ることに成功した。
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お互いに簡単な自己紹介と状況説明を済ませた後、わたしたちは熊車に乗り込んで出発した。
厳つい男性はやっぱりクラウスさんで、少女は彼の娘のイリス。
車内は進行方向と向かい合わせの座席で、前を向く側にわたしとイリス、反対側にクラウスさんが座った。ちなみに、わたしが1人増えたことによる熊車の追加の運賃はクラウスさんが払ってくれた。……後で返したほうがいいかな。せっかくデイラムさんの店で冒険者登録もしたことだし。
『さっきは、娘がいきなり失礼したね』
クラウスさん、いや、『できれば伯父と呼んでくれないか』と言われたので、これからはそう呼ぼう。伯父さんが代わりに謝ってくれた。
『いや、まあ……前世がわたしの親友だし、ねぇ』
初っ端にわたしの名前を叫ばれ、しかも放つ気配は京と同じ。とくれば、もう思い当たるのは1つしかない。というか、さっきの自己紹介で彼女自身がそう言っていた。
イリス・アルフィネート、吉田京の生まれ変わり。イリスが言うには、もともと、こっちでわたしと出会っても、そのことを明かすかどうかはまだ迷っていたらしい。が、わたしの姿を見た途端、そんな迷いなんか吹っ飛んで飛びかかっていた、と。
『……伯父さん、ちょっとイリスと2人で話したいことがあるんだけど、いい?』
イリスが本当に京の生まれ変わりだと分かったのなら、それはそれで別の不安要素が出てくる。わたしは、それを確かめたかった。
『ああ、構わんよ。俺や御者に聞かれたくない話なら、日本語、とやらで話をするといい』
『ありがとう』
そして、わたしはイリスの方に向き直る。
「イリス、あんたが前世で……京が死んだのはいつなの?」
問い詰めるわたしの言葉に、イリスは視線を泳がせる。
学校の屋上で、以前、わたしは京に「魂は必ずしも未来に転生するとは限らない」と言った。あの時は殆ど冗談のつもりで言ったのだが、それが実際にあったということは、今わたしの目の前にいるイリスにとっては過去の出来事である《吉田京の死亡》が、わたしにとってはまだ未来のことなのだ。
死んでも記憶を持ったままイリスとして転生して、またわたしの前に現れた。それはいい。だが、それは同時に、もしかしたらそう遠くない未来に、わたしは《京との死別》を経験しなければならない、ということでもある。……あなたはもうすぐ親友と死別しますよ、そんなことを告げられて、平静で居られる訳が無い。
わたしは、そのことをイリスに話す。
「そ、それは……!?」
言い淀むイリス。たぶん、イリスにしてもそんなことを言いたいはずが無いだろう。しかし、イリスという存在自体が、そのことを告げる死神のようなものに、わたしは見えてしまう。
ただ、もしそれを知ったとして、じゃあどうするのかというと、まだ分からない。京の死期を知り、わたしがそれを回避させたとしたら、今のイリスはどうなるのか。イリスと知り合ったわたしはどうなるのか。まるで親殺しのパラドクスだが、それ自体を回避することなんてできるのか。
「……言いたく、ない」
その言葉で、わたしの中の何かが切れた。
「なんでよ!? 前世の記憶があるってことは、自分がどういう死に方をしたのかも覚えてるってことでしょ!? それなのに、なんでそれを教えてくれないのよ!? わたしに、京といつ死に別れるか分からない不安に怯えながら過ごせっていうの!?」
イリスの肩を両手で鷲掴みにして食ってかかるわたしに、伯父さんが反応しかけた。が、それ以上動きは見せなかった。……娘に食ってかかって、伯父さんには申し訳ないことをしていると思う。が、たぶん、言葉は分からずとも、わたしの気持ちはなんとなく察してくれているのだと思いたい。
「そうは言ってないでしょ! あたしはずっと由美の隣に居たかっただけなの! もし、あたしの前世の……吉田京の死に様を教えて、由美が京を助けてしまったら……! 今のあたしがどうなるのかはともかく、由美の隣にはずっと京が居続ける! あたしの……居場所が……!」
イリスも、目に涙を浮かべつつ突っかかってきた。……イリス、いや、京。あんた、本当に……
なんか、変に落ち着いてしまった。
「……だったら、前世の吉田京としてじゃなくて、イリス・アルフィネートとしてわたしの隣に居ればいいじゃない」
「……え?」
「いつから、わたしの隣が1つ、いや、2つしかないと錯覚していたの? 純と、京と……イリスと。3人でわたしの隣に居ればいいじゃない」
「由美……!」
またイリスに抱きつかれた。……3人で、か。そうは言ったものの、いざ《その時》になったら、わたしは京を助けられるのだろうか。
そして、イリスはそれを説明してくれた。
イリスに聞いた、京の死期。どうやらそれは、わたしたちが大学に進学する直前、センター試験の前日のようだった。バイクで試験会場の下見に行った帰りに、見知らぬ中年の男に走行妨害され、転倒した勢いで飛び出した丁字路でトラックに轢かれる。
イリスは、このことは今の京には話さないでおいてほしいとわたしに言った。……まあ、さすがにこれは言われなくても、わたしもそうするつもりだったが。それに、異世界研究所の件で《上》の企業が京に手を出さなかったというのが分かっただけでも安心できた。
『さて、話は終わったかな?』
『ええ。……取り乱して、ごめん』
たぶん、伯父さんにも心配をかけただろう。わたしは、伯父さんに頭を下げた。
『気にするな。友の生まれ変わりが目の前に居るというのが何を意味するか、なんとなく想像はつく』
やっぱり、分かってくれていた。
『それで、わたしは今すぐにでも、伯父さんとイリスをデイラムさんの宿酒場へ連れていくことができるんだけど、どうしようか?』
『それなんだが、俺たちが関所を越えるまで待っていてくれないか? 後10日ほどはかかってしまうんだが』
伯父さんは言う。今わたしたちが居るのはレギウス王国、伯父さんの故郷がある国だ。対してレディクラムがあるのはビザイン共和国。
国境にある関所を通らずに出入国しても、それ自体が不法入国などの罪に問われることは無いらしい。が、かつて《伝説の傭兵》と呼ばれていた伯父さんがそれをすると、まあ、色々とまずいそうだ。有名人ゆえの動きづらさというやつだろうか。
『そういうことなら、分かったわ』
『すまないな』
それから、1度乗った熊車を途中で降りるのも御者に不審に思われてしまうので、わたしは伯父さんとイリスと一緒に、次の町までの約2時間、熊車に揺られ続けた。
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腰が痛い。尻も痛い。いや、決してわたしが17歳で腰痛持ちだとか、そんな嫌すぎる理由ではなく。
あの熊車、全然サスペンションが利いていないのだ。街道は石畳でそこそこ舗装されてはいたが、車内はガタガタと振動がひどかった。そんなのに2時間も揺られ続けたら、腰も尻も痛くなって当然というものだろう。
『さて、この町で次の熊車を手配するのだが……早くても出発は明日の朝だ』
伯父さんが言う。すると、それにイリスから何か提案があるようで、
『あ、じゃあさ、由美に1つお願いがあるんだけど』
と元気よく手を挙げて言ってきた。……あれに揺られ続けた後で、どこからその元気が出てくるんだか。
『ん、何?』
『由美の《加速》でさ、空を飛ぶことってできるよね?』
イリスの前では……あ、そうか。《空の亀裂》に巻き込まれて初めてゼルク・メリスにやってきた時に、京を抱えてゆっくり地上へ降りたことがあったっけ。
『ええ、できるけど……?』
『それで、あたしと一緒にザールハインの町へ行ってくれないかな。案内はするから』
『ザールハイン……たしか、あんたや伯父さんの故郷の町だっけ。でも、なんで……ああ、なるほど』
目的は、イリスをザールハインへ連れていくことではなく、わたしが行くこと。そうすれば、アールディアの地下組織壊滅作戦が終わった後、一旦関所を通る必要はあるものの、伯父さんとイリスを転移でザールハインへ送っていくことができるからだ。
イリスがそれを伯父さんに説明すると、伯父さんはどことなく不安げな表情を見せた。まあ、姪とはいえついさっき知り合ったばかりの他人に娘を預けるのは不安だろう。……と、思っていたが。
『《加速》というのは、あれだろう? おまえが魔法を使うためだけに全ての意識を集中させてどうにか発動を維持できるという……』
え? そんなに高度な魔法だっけ? これ。
熊車に揺られている間、伯父さんやイリス本人に聞いた限りの話では、イリスはゼルク・メリスでもかなりの魔法の使い手のようで、一部では《天才魔導士の再来》と言われている、とも。そのイリスでさえ、魔法を維持するだけで精一杯だなんて、とても信じられない。……いや、問題はそこではない。
以前カインに聞いた話では、ゼルク・メリスで《変成》を使える者は居ないだろう、ということだった。
しかし、今、イリスがギリギリとはいえ《加速》を使えたことを知った。まあ、これはたぶん、わたしがゼルク・メリスの魔法を見よう見まねで使えたように、イリスも前世の記憶から《加速》を再現してみたというところだろうが。
それでも、1度その魔法を見せれば、それを真似されるおそれがある、ということだ。……いや、イリスでさえ《加速》をどうにか使えるかというレベルなら、そんなに心配しなくてもいい、ともいえるか? どちらにしろ──
『──美。由美』
『……っ! な、何?』
『何? じゃないよ。さっきのあたしの話、聞いてた?』
『ご、ごめん、聞いてなかった』
イリスは頬を膨らませながらも、もう1度説明してくれた。イリスが《加速》を使った時は魔法を維持するだけで精一杯だったが、わたしなら同じ魔法を使いつつ、会話をする余裕もある。その様子を伯父さんに見せてあげてほしい、と。
わたしはそれに応えて、わたしとイリスの2人に《加速》をかけて地面から10cmほど浮かせつつ、伯父さんに説明した。
『まあ、こういう訳で。わたしとしては、そんな高度な魔法だとは思ってないのよ』
『これは驚いたな……さすがは灰の者ということか』
『え? それはどういう……?』
『あ、いや、すまない。これについては後で説明しよう。とにかく、そういうことなら、イリスのことは任せた』
伯父さんの言葉に疑問は残ったが、伯父さんは後で説明すると言ってくれた。それなら、今はイリスと一緒にザールハインへ行くことにしよう。
……ちょっと待て。熊車に乗っていた時の体感では、出ていた速度はだいたい時速20キロから30キロ程度。伯父さんたちが出発して、たしか今日でもう3日は経っているはずだから、大雑把に時速30キロで1日5時間×3日。
わたしが《加速》を連続して使える限界を、ちょっと無理して2時間として考えると……時速225キロで飛ばないと間に合わない。
『どうしたの? 由美』
『……イリス。生身で新幹線の速度を体験する覚悟はある?』
『え……!?』
驚いているイリスに、わたしはさっきの計算を説明した。
『ああ、大丈夫大丈夫。あたし、体の周りに風を纏って結界にする魔法を使えるから。由美も一緒に守ってあげられるよ』
『それを2時間、続けられる?』
『……が、頑張る!』
『よし』
わたしは、イリスを背負って上昇を始めた。




