14 そんな事態は想定外
6月26日(日) 11:00 司令室
室内は完全に沈黙していた。さっきわたしが圧縮して放った《光弾》で、室内のほぼ全ての機器類は破損。戦闘員たちや指揮官と思しき人物も全員が気絶、もしかしたらうっかり何人か殺してしまったかもしれないが、ここで起きたことが外へ漏れる可能性はほぼ無いと考えて良いだろうから、これも問題は無い。
「き、貴様ら……! こんなことをして、ただで済むと──」
「器物損壊と、もしかしたら殺人。まあ、理由はどうあれ、わたしを告訴でもするつもりですか? ここの研究内容が……魔法に関する内容が外へ漏れることと引き替えにでも?」
西井の言葉を遮り、わたしは言う。……と、その直後、西井の表情が唐突に変わった。わたしたちのほうから罠にはまりにいった、そんな顔だ。
「くくく、この期に及んで表の正義に頼りますか。魔法が使えるので、あなたももしかしたらこちら側の人間かと思いましたが、やはりあなたは表の──」
「逆よ。むしろあんたがそう言いきってくれて、かえってやりやすくなったわ」
口調を戻して、わたしは言った。言うと同時に室内の壁に向かって手をかざし、その壁を《変成》で分解する。わざわざ手をかざすという動作をする必要は無いのだが、西井に状況を分かりやすく見せるためのパフォーマンスだ。
ちなみに、分解しても質量を消すことはできないので、その分周囲の壁を少し分厚くしておく。それでも、見た目には文字どおり消えたように見えるはずだ。
わたしとお母さんが余裕で並んで通れるだけの大穴が空いた壁に目を奪われる西井。そこへお母さんが畳み掛ける。
「そうよね。あなたたちがそういう行動に出るのだったら、わたしたちもそれなりの対処をさせてもらうわ。例えば、この施設を完全に破壊し尽くす、とかね。……地下が崩れれば、もしかしたら地上の複合施設も巻き添えになるかもしれないけど、謎の地下施設の爆発によって地上階も巻き添え、なんて、ニュースで流れたら面白いわよね」
さすがにそれをすると関係の無い人々まで巻き込んでしまうので、お母さんも本気で言っている訳では……ん?
お母さん、地球ではゼルク・メリスの魔法を使えないはずなのに、どうやってこの施設を壊すつもりなんだろうか。と、思っていたら、お母さんの手に光の弾が生み出され、それが西井の顔をかすめて飛んでいった。そして、西井の背後の壁に着弾。完全に固まる西井。
「お、お母……さん?」
「黙っててごめんなさいね、由美。あんたが学校とか行ってる時に、お母さんこっそり練習してたのよ」
てへ、みたいな感じで言った。
……考えてみれば当然だ。わたしだって、ゼルク・メリスの魔法を覚えてから、同じ魔法を地球ででも使えるようになるまで、そんなに時間はかからなかった。地球に来てもう20年近く経つお母さんが、未だに使えないままというのは考えられない。驚くべきは、それを今まで、同じく魔法が使えるわたしに全く勘づかれること無く隠し通してきた、お母さんの演技力か。
気を取り直して、わたしは西井に向き直る。
「わたしたちがここへ転移してきた時にあんたも理解したと思うけど、わたしが転移できるのは、知っている場所か、知っている人が居る場所よ。つまり、あんたと、この部屋に居る全員、ただの戦闘員とか指揮官も居るみたいだけど、そいつらの所ならいつでも、どこにでも行くことができるから。逃げ場は無いと思いなさい」
わたしは西井に向かって手をかざしながら言った。壁を壊した時の演技と、さっきお母さんが放った《光弾》が効いているのか、西井は床に座り込んだまま動けないでいる。……わたしの、1度覚えたら忘れられないというのがこんな所で役に立つとは思わなかった。
それと、今まで何度か転移を繰り返した経験から、どうも顔や風景ではなく《その人自身》や《その場所そのもの》を覚えているようで、視認に限らず何らかの方法で《それ》を認識できればいいようだ。
わたしはさらに、天井付近にあった監視カメラを睨みながら言う。さっきわたしが口の中で圧縮し、照射した《光弾》で薙ぎ払ったのは床付近だったので、天井はほぼ無傷だ。だから、監視カメラも生きている。
「この映像を見ているであろう施設の幹部連中にも言っておくわ。今後もし、わたしや、わたしの周囲の人間に手を出したら、その時はあんたたちの関係者に相応の被害が出ると覚悟しておきなさい!」
言い終わる頃、部屋から逃げ出そうとしていた西井をお母さんが捕まえていた。
わたしは《変成》で床材を組み替えて即席の手械を作り、それを後ろ手に組み伏せた西井の手首に掛ける。いや、正確に言えば、西井の手を封じるように、開閉のできない《手首を通す穴の空いた板》を作る。
「さあ、この施設を案内しなさい。そして、わたしたちをできるだけ多くの施設関係者に会わせること。死にたくなければ、ね」
「ひ、ひいぃっ……! む、無理ですよ。重要な場所には何重ものセキュリ──」
がごごん!
わたしが指を鳴らすと同時に壁の一部が崩落。《変成》で分解した。完全に原子レベルで分解するのではなく、分解精度を落とすことで、ある程度の塊を残して《崩落》させることができる。
「セキュリティが、何だって?」
「わ、分かりましたぁぁっ!」
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その後、西井に案内させてわたしたちは研究所内をくまなく回り──開けるのにセキュリティ解除が必要な扉なんかは全て《変成》で壊して──入手できる範囲での研究成果も調べ尽くした。今すぐには理解できないものもあったが、とりあえず丸暗記しておいた。
さっきの司令室のような場所で監視カメラに向かって宣言したのが効いているのか、この調べ回っている間に襲撃などは無かった。
わたしの前に姿を現せば、わたしの転移先として認識される。認識されれば、その者を施設の中枢へ帰還させる訳にはいかなくなる。加えて、こっちはわたしとお母さんとで死角が無くなるように警戒しながら移動しているので、狙撃も無理。
研究所としては、自分たちの被害を最小限に抑えるには、わたしたちに手出ししないという選択肢しか取れなくなっていただろう。
研究所を調べてまず分かったのは、主に以下の2つ。
1つは、この研究所ができたのは今からほぼ1年前、魔法について研究していたある民間の研究機関が、たまたま次元の狭間の観測に成功したことがきっかけらしい、ということ。
もう1つは、その研究成果を欲したある企業、要は、ここの地上部分の複合施設を保有、運営している企業が、研究成果の全権利を自社の物とする代わりに、その研究機関を表社会から匿うことと、研究に必要なあらゆる調査、情報提供に協力していること。
これらのことから、わたしがゼルク・メリスとを行き来するようになって1週間も経たない、こんな早い段階で、なぜ異世界研究所がわたしに接触できたのかが分かった。
異世界研究所は、次元の狭間の存在だけでなく、例えば地上から望遠鏡で宇宙空間を観測するように、次元の狭間の内部を観測する技術も既に持っていた。だから、わたしが初めて《空の亀裂》に巻き込まれて、その日のうちに自力で地球へ帰ってきた時に、既にわたしのことに気づいていたようだ。
その観測結果を不鮮明ながらも映像に起こすことに成功し、匿ってくれている企業に提供、顧客リストと照らし合わせ、わたしの身元が判明した。……そう、顧客リスト。
先週の日曜日、わたしが京と一緒にPCパーツを見にいこうとしていた店は、この複合施設に入っている店舗だ。あの店は普段からよく利用しているし、ポイントカード会員にもなっている。この複合施設を所有する企業とあのPCショップとは別会社だからまさかとは思っていたが。
……まあ、あの店もこことグルだったとしても、店長を含め、役員と思われる人物ともわたしは面識がある。ちょっとした店の不手際があった時に、直々に謝罪を受けたのだ。だから、向こうもそうヘタな手は打ってこないだろう。
「お、終わりだ……何もかも……」
わたしたちの目の前で腰を抜かしている、この研究所の所長が力無く言う。
結局、わたしたちは研究所のほぼ全てを制圧していた。もちろん、研究員などほぼ全員の顔も覚えたし、うるさい《雑音》を発していた機械も完全に破壊した。物理的にも社会的にも地下施設という都合上、外部との行き来はわたしたちが入ってきた時に使ったエレベーターしかなかったようで、逃げるに逃げられなかったようだ。
そのエレベーターは、わたしたちが施設内を調べ回る時に真っ先に壊したから、救助が来るまでこいつらはもう逃げられない。
所長の言葉に、わたしは溜息をつきながら返す。
「あのねぇ。最初にあんたたちがこんな手に出なければ、こっちだって話くらいは聞いてあげたのよ?」
これはわたしの本心だ。まあ、訪ねるのに合い言葉が必要な組織からもし何か依頼されたとしても、それを了承していたかは分からないが。……奪った研究成果を見るに、もし何かを求められていたとしたら、おそらく《次元の狭間の解明に協力してほしい》といったところだったのだろうか。
「……我らの欲が招いた結果、ということか」
「ま、とりあえず今は《上》がこの現状に気づいて、救助を差し向けてくれることを祈りなさい」
そう言い残し、わたしはお母さんを連れて自宅へ転移した。
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この後の色々と面倒な処理はお母さんがしておいてくれることになった。企業との戦い方なんてわたしは知らないから、もうこれはお母さんに全て任せるしかない。
そして、お母さんにも「あんたはあんたの心配事を片付けなさい」と言われたとおり、わたしには、この件で1つ気になることがあった。あの複合施設に入っているPCショップには、わたしだけでなく京もポイントカードの会員登録をしている。今更退会したところで、向こうに流されてしまった個人情報はどうしようもないが、しないよりはマシだと思う。
普段なら電話で済ますところだが、この件に関しては京に直接会って詳しく説明したい。そう思い、わたしは、京の所へ転移するために次元の狭間へ飛び込んだ。……そして、そこで驚愕の事態に遭遇してしまった。
転移先の目安になるのは、わたしが知っている場所か、知っている人が居る場所。その《知っている人》というのは、どうも顔を知っているという意味ではなく、《その人自身を認識している》という意味らしい。そのことを、異世界研究所を制圧する際、覆面を被った戦闘員を目にした時に知った。
覆面で顔が見えていないのに、この戦闘員を転移先にできる、と、理屈ではなく本能的に理解した。そして、京の《気配》を転移先にしようとした時、わたしは、そのことに気づいた。
京の気配が2つあった。
「何……これ……?」
誰にともなく呟く。
1つは地球の、京の家。ちょうど家族揃って昼食を取っているところだ。
もう1つは、ゼルク・メリス。どこかの街道沿いに馬車、いや、角熊だから熊車か、それを止め、こちらも昼食中のようだ。一緒に居るのは、たぶん御者の男性と、お母さんをそのまま男にしたような厳つい男性、そして、どこかわたしに似た雰囲気を持つ少女。京の気配はこの少女が発している。
京への説明も急ぎたい。が、家の中での食事中と、屋外での食事中、どっちにお邪魔するのをより避けるべきかといえば、家の中でのほうだろう。……京と同じ気配を放つ少女のことも気になるし。
わたしは、ゼルク・メリスへ転移した。




