13 やっぱり最後は力業
6月26日(日) 10:30 応接室
「いいえ、その前に」
わたしへの用件を話し始めようとした西井を、お母さんがぴしゃりと言い放って遮った。やや面喰らった様子の西井と白衣2人に向けて、お母さんは続けて浴びせる。
「まだわたしたちの後ろに立たれている3人についての説明を頂いておりませんわ。まるでわたしたちが監視されているかのようなこの状況で、あなた方はまさか、自分たちの話をまともに聞いてもらえるだなどとお思いではありませんわよね?」
お母さんがそう捲し立てている間に、わたしはこの部屋の様子を《変成》で調べておいた。《雑音》の相殺と同時に行っているので多少時間はかかったが、お母さんがさっきの言葉を言い終える前には調べ終えることができた。
結果は、室内には監視カメラが5台あった。
また西井の表情が一瞬だけ変わる。鬱陶しいモノを見る目だ。
「彼らも、わたしの部下ですよ。名前は、先程も申し上げたように控えさせていただきたいところですが」
西井が喋っている間に、わたしはさっき見つけた監視カメラの全てのレンズに、《変成》で微細なヒビを大量に入れておいた。画面に変な影が映り込むような程度ではなく、真っ白に曇って何も見えなくなるくらいに、だ。
この作業をしている間は《雑音》の相殺を少し緩めておいたので、もし西井や他の白衣たちに《変成》による《雑音》に勘づかれたとしても、もともとここに溢れていたものに埋もれて多少のゆらぎ程度にしか思われていないはずだ。
わたしが監視カメラの無力化を終えてすぐ、西井は胸ポケットから携帯電話を取りだした。どうやら着信があったようだ。
「失礼」
その一言の後、携帯電話に向かって何かを話し始める西井。途中、「何!?」とか、「馬鹿な!」とか、「原因の解明と復旧を急げ!」とか、小声ではあったが色々と怒鳴っている。
わたしは、握り直したお母さんの手を、つんつん、とつつき、
「……?」
顔だけをわたしの方に向けたお母さんに、小さい動作で監視カメラを指さしてみせる。そして、悪戯が成功した時のような笑みを浮かべた。
お母さんは呆れたように──わたししか気づかないような微妙な表情だったが──小さく溜息をついた。でも、わたしが握っていた手の中で親指が小さく立っていた。
やがて、西井が携帯電話を胸ポケットに戻す。その表情は、既にさっきまでの気味の悪い笑顔に戻っていた。
「失礼致しました。少々トラブルがあったようですが、大したことではなかったようです。さて、今回のお話について、わたし共はちょっとした契約、と申しますか、お嬢さんのご了解を頂ければ、で良いのですが、ある約束を交わしたいと思っておりまして」
西井は言う。こういう場面での社交辞令的な言い回しのせいか、やたら遠回りした言い方だったが、要約すると《まだ公表できない研究に関する約束事だから、今回の話し合いの結果を書面で残すことができない。だから、後で言った言わないのもめ事にならないよう、会話の場面をビデオ撮影したい》というものだった。
白衣の1人に命じてビデオカメラを取りに行かせようとする西井に、お母さんは鞄からICレコーダーを取り出し、
「それには及びません。そういうご事情があるのでしたら、録音はこちらで致します。もちろん、データはこの場で複製して、同じ物を差し上げますわ」
と、レコーダーを録音状態にしてガラステーブルに置いた。
西井の顔に苛立ちの影が現れる。……録音されるのが嫌、ということは、さっき西井自身が口にした《言った言わないのトラブル回避》というのは嘘だろう。
おそらく、西井が、いや、もしかしたらこの研究所の組織として、欲しいのはこの場の音声ではなく映像。それも、わたしやお母さんの顔や髪がただ映っていれば良いのではなく、欲しているのはわたしがここで行うこと全て。どんな魔法を使ったか、体術にはどの程度長けているのか……そして、こういった交渉にどの程度場慣れしているのか。
そこまで考えるのはちょっとうぬぼれが過ぎる気がしないでもないが、監視カメラを壊した直後に、おそらく監視カメラの制御室あたりからだろう連絡が西井に入ったり、言った言わないのトラブル回避と称して、音声だけで良いはずなのにビデオ撮影を要求してきたりと、怪しい点が多すぎる。警戒するに越したことは無い。
お母さんは続ける。
「では改めてお話を伺いましょうか、主任研究員の西井次郎さん。あなた方《異世界研究所》が、まだ未成年であるこの子に直接接触し、ある約束事を取り付けたい、しかも、ご自分は名乗ったのに、部下と仰るそちらの白衣のお2人と、こちらの背後に立たれている3人については名を明かしたくない。そう仰るその理由と、約束事の内容について、まずはこの子の保護者であるわたしにお話しください」
この間、西井はついに苛立ちを隠そうともしなくなっていた。さすがというか、こっちの後ろ3人に動じた様子はまだ無いが、西井の左右に座っている白衣2人はあからさまに怯えていた。
たぶん、西井は恫喝してでもお母さんの言葉を止めたかったはずだ。だが、そうするとその恫喝しているところが録音されてしまう。下手なことを言えば、自分たちがわたしたちを、いや、わたしを脅してでも従わせたかったことがばれてしまう。
かといって、テーブルに置かれたICレコーダーを勝手に止めたりすると、それはそれで自分たちが不利になるだけだ。
そして、実力行使に出るのも、今の西井たちは躊躇っているはずだ。彼らはさっき、わたしが同時に4つの魔法を発動させたところを見ている。それに、たぶん後ろの3人は、わたしとお母さんの戦闘能力を察しているだろう。
今の西井には、飽くまでも、普通の研究機関が民間人に研究への協力を依頼する、という体を装わざるをえなくなっていた。……本性を隠し通すつもりならば、だが。
「……調子に乗るのもそろそろやめていただきましょうかねぇ」
うん、やっぱり本性を現した。そして、ICレコーダーを強引に取り上げ、そのままテーブルに叩きつけ……は、させない。
わたしは《雑音》の相殺をやめ、西井の手から離れたICレコーダーに《加速》をかけてわたしの手元へ引き寄せた。そのままわたしはICレコーダーをお母さんに手渡す。
苛立ちに歪んだ西井の顔に驚愕が混じるが、すぐにその表情は苛立ち1つに戻る。
「調べはついてるんですよ? あなた方は、聖桜地区で竜之宮整形外科を開業している竜之宮源蔵さんのご家族ですよねぇ」
身元は割れている、おとなしく我々に従え、ってか。……と、ここでお母さんがICレコーダーを止める。そして、わたしに、ニッ、と笑いかけた。……了解!
まず、わたしとお母さんの2人で、後ろに立っていた3人を無力化。ここを突けば一撃で気絶させられるという急所はお母さんに徹底的に叩き込まれた。ちょっとした戦闘部隊に所属しているであろう程度の人間が、生きるか死ぬかの世界で磨き上げられた武術に敵う訳が無い。
「な……な……っ!?」
うろたえている西井はとりあえず放っておき、白衣2人も沈黙させる。西井が逃げるように部屋を飛び出したところで、わたしはお母さんを連れて次元の狭間へ転移した。
●
「で、これからどうするの? 由美」
次元の狭間で生成した仮想空間の中で、お母さんが聞いてくる。
「んー、あっちが《身元は割れてるぞ》攻撃をしてきたから、こっちも同じことをしてやろうと思って」
わたしは西井の移動先を追跡しつつ答えた。わたしの転移では、知っている人が居る場所にも移動できる。わたしたちが知らないはずの場所へ西井が逃げ込んだ時、その同じ場所へわたしたちが転移で現れれば、西井は逃げ場は無いと思い知るはずだ。そのことをお母さんに説明しつつ、西井の追跡を続ける。
そして。
●
「どこへ逃げようというんですか? 西井さん?」
転移すると同時に、わたしは冷たい声で言い放った。
「ひ、ひいぃぃっ!」
西井は情けない悲鳴を上げ、腰を抜かして崩れ落ちる。
そこはまるで何かの作戦司令室のような場所だった。壁には監視カメラの映像を映し出していると思われるモニターや、その他何に使うのかも分からない機器が所狭しと並べられている。
そして、わたしたちが転移してきた、その一瞬の後。事態が飲み込めなかったであろう室内の大勢は、即座に戦闘態勢になっていた。……この辺の対応能力はさすがといったところか。
戦闘員と思しき1人が、銃のような形をした、おそらく魔道具をわたしたちに向ける。そして、その魔道具に溜まっていく魔力。
「下がってて」
そう言ってわたしがお母さんの前に出たのとほぼ同時に、戦闘員が構えた銃から《光弾》が撃ち出された。
一旦発動した魔法を一時的に発動前の仮想状態に戻す、《逆発動》とでも名付けようか、その方法ですり抜けようかとも思ったが、ここはあえて、わたしの力を見せつけておくことにしよう。
わたしは、自分の左手首から先、左手の全体に《鏡化》をかけ、飛んできた《光弾》を手で振り払うようにして弾いた。弾かれた《光弾》は別の戦闘員に当たったが、その戦闘員にダメージらしいダメージが入った様子は無い。……対魔防具とか、ヘタしたらゼルク・メリスより魔法技術進んでないか?
そして、これをきっかけに、戦闘員全員がわたしに光弾銃の銃口を向ける。《変成》で床を組み替えて壁にするか、わたしとお母さんの体に《鏡化》をかけるか、それとも、先手を打つか。でも、先手を打つとしても、わたしが使える魔法の中で、単純な破壊力に優れていて範囲攻撃ができそうな魔法なんて……あった。
《変成》による物質破壊は強力だが単体、《加速》による下Gもせいぜい5~6人が限度。だったら、《光弾》を使えばいい。
《光弾》も普通に撃つだけでは単体攻撃だ。だが、複数の《光弾》を同一座標で圧縮して、それを一気に解き放つのではなく、持続して照射し続ける。そうすれば、照射している間は軌跡を自由に変えて、レーザーで薙ぎ払う、みたいなことができるかもしれない。
《光弾》を圧縮するには、さすがにわたしでも具体的な目安があったほうがやりやすい。手で包むようにしても指の隙間ができるから、人体で簡単に開閉ができ、かつ、ほぼ密封状態にできるのは……口腔。
圧縮した魔力が鼻から漏れるのと、喉の奥へ逆流することだけに気をつけて、わたしは、口の中に魔力を溜め始める。……ん? なんだか後ろでお母さんが驚いてるけど、まあ、今はそれを気にしている暇は無い。
戦闘員たちの光弾銃に魔力が溜まりきるより、わたしの口の中に圧縮した《光弾》の魔力が溜まりきるほうが、おそらく圧倒的に早い。なぜ戦闘員たちが常に銃に魔力を充填しておかないのかは、たぶん、そうすると銃がもたないからだろう。
わたしは閉じていた口を開き、圧縮した《光弾》をまずは室内の片側の壁付近へ向けて照射した。そのまま、室内を舐めるように反対側の壁まで振り回す。戦闘員たちは対魔防具を身に着けているようなので、ちょっとくらい強めに撃っても死にはしないだろう。西井にだけは当てないように気をつけないと。
口の中に溜めた魔力を撃ちきった時、室内で西井以外に動いている者は居なかった。
 




