12 この場所で何を研究してるのか
6月26日(日) 09:30 とあるビルの前
異世界研究所を訪ねるため、わたしはお母さんと一緒に、名刺に書かれていた住所に来ていた。
目の前にはごく普通の商業ビルがそびえ立っている。途中階にはもしかしたら企業の事務所などが入っているかもしれないが、少なくとも研究施設が入っているようには見えない。いや、実際に、入り口に掲げられている案内板にもそれらしい名前は書かれていない。
今週の火曜日、21日に山田さんに連絡した時に言われた言葉を思い出す。
「お出でになる際は、当研究所がある複合施設の総合受付にて、挨拶などの前置きを一切置かず、《もしもし、扉を開けてもらえませんか》と仰ってください。なにぶん、研究の内容はまだ公表できない段階のものでして、このような体裁をとらせていただいております」
……うん。これ、どう考えてもヤバいやつだ。
とはいうものの、最初にこちらから「まず話だけ聞いてみる」と伝えてしまった以上、後になって「やっぱりやめます」とは言いづらい。それに、もし今関わらないでおいたとしても、相手は異世界研究所を名乗っている以上、いずれわたしに接触してくるような気がする。たぶん、その時期が早いか遅いかの違いだけだ。だったら。
わたしは、そして1歩遅れてお母さんも、その商業施設に足を踏み入れた。
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カタカナで大きく《インフォメーションセンター》と書かれた案内板の下に小さく《総合受付》と書かれている。わたしたちがそこへ近づくと、カウンターの奥に居る店員さんが笑顔で声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
わたしは、覚悟を決めて《その言葉》を口にした。
「もしもし、扉を開けてもらえませんか」
一瞬、店員さんの顔から表情が消える。しかしすぐにさっきまでの笑顔に戻り、
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」
と、わたしたちをカウンターの奥へ招き入れ、さらにその奥、《従業員用》と書かれた扉を開けた。
店員さんに案内され、わたしたちは扉の奥にあったエレベーターで地下へ。そこからさらに通路を歩き、応接室のような部屋へ通された。
ガラステーブルを挾んでゆったりしたソファーが2つ向かい合わせに置かれていて、室内の調度品もどことなく高級感を漂わせている。そこまでなら、ごく普通の……まあ、地下にあるちょっと変なという前置きは付くかもしれないが、見た目には普通の応接室だった。
問題はここからだ。わたしは、念のためここへ来るまでの間に魔力の《雑音》を探しながら歩いてきた。地球では《根底の流れ》への干渉方法がゼルク・メリスとは異なるが、そこさえきちんとしておけば、その先は殆ど変わらない。そして、この《念のため》が見事に当たってしまっていた。
《雑音》だらけだった。ビルに入る前や、受付で話をしている間は《雑音》なんて全然感じなかったのに、エレベーターで地下へ降りたあたりから一気に増えてきた。これはもう、この《雑音》が文字どおりの《音》だったら耳を塞ぎたくなるレベルだ。
「……大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」
お母さんにも心配されるほど、顔に出ていたのだろうか。
……でも、気になるのはここの《雑音》の聞こえ方だ。ゼルク・メリスで人混みに入った時に感じた《雑音》は、本当に人間の話し声が混じり合ったような、強弱、緩急のある一定しないものだった。
しかし、今感じている《雑音》は機械の駆動音のような、一定した持続的なものだ。まるで、機械に魔法を使わせているかのような……もし、旧レディクラム遺跡の《導魔線》やその施設が生きていたら、たぶんこんなノイズを発するんだろうな、という感じの《雑音》だった。
旧レディクラム遺跡といえば、ベイセンが発動しようとした通信魔法を、逆位相の《雑音》をぶつけて妨害する、なんてことをわたしはやった。ということは、今これだけ《雑音》が多いと、ここでは普通に魔法を使うことさえ難しいかもしれない。
……何かあった時のためにすぐお母さんを連れて次元の狭間へ逃げられるように、手を繋いでおいたほうが良さそうだ。
「あら、どうしたの?」
「ん……ちょっと、ね」
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しばらくして、スーツ姿の中年男性と白衣の青年2人、続いて、カジュアルではないが身軽そうな装いの3人が部屋に入ってきた。スーツと白衣はわたしたちの正面のソファーに腰を下ろし、身軽そうな3人はわたしたちの後ろに立った。……そういうことか。
見た感じ、銃器のたぐいは持っていなさそうだが、ここに《雑音》が溢れていることを考えると、彼らは……
「待たせて申し訳ない。今日はよくお越しいただきました。わたしはここの主任研究員を務めている西井次郎と申します、よろしく。それで、こちらの2人はわたしの部下なのですが、まあ、こういう研究なものでして、名前の紹介は控えさせていただきたい」
わたしの思考を遮るように、白衣2人を両脇に従えて中央に座ったスーツ姿の男、西井が話し始めた。顔は笑っているのに何か黒いものを含んでいるような、気味の悪い笑顔で。
それに対しては、わたしが何か言うより先にお母さんが口を開いた。
「これはご丁寧にどうも。……ですが、あなた方は客をもてなすのに、こんなうるさい場所をお使いになるのですか? お話は、できれば静かな部屋で伺いたいのですけれど。ああ、それと、後ろの方々も気になりますわね」
わたしは少し驚いた。お母さんも、地球ではゼルク・メリスの魔法を使えないとはいえ、《雑音》を感じることはできているようだ。しかも、ここの《雑音》を感じているということはかなりの苦痛を受けているはずなのに、それを微塵も顔に出さず、わたしを心配してくれる余裕を見せた。
西井は言う。
「うるさい、ですかな? はて、ここは防音設備も整っておりますし、地上階の喧噪とは無縁の場所だと思っておりましたが」
言い終えてから、左右の部下2人に顔を巡らせる。その白衣2人も首を横に振った。
「いえ、そういうことではなく。たぶん、空調の音でしょうね。地下だから仕方ないと言えばそれまでですが、どうもわたしは昔から、モーターのような連続した音に敏感なようで。できれば地上の、そうですね、どこかの喫茶店ででもお話ができれば、と」
一瞬、本当に一瞬、西井の表情が動いた。
お母さんは、夏や冬にはあまり我慢せず割と早い時期からエアコンを使い始め、特に真夏ともなると扇風機もフル稼働させる。そんなお母さんがモーターのような連続音が苦手だなんてあり得ないから、たぶん今のはハッタリだろう。それはともかく。
西井は《モーターのような》に反応した。ということは、白衣2人や後ろの3人はまだ分からないが、少なくとも西井は《雑音》を感じることができる、つまり、魔法を使えるかもしれない、ということだ。
その魔法がゼルク・メリスのような、《根底の流れ》の補助を得て使うものならそれほど心配は無い。だが、わたしの《変成》のような魔法を使えるのだとしたら、これはかなり警戒しなければならなくなる。……と、背筋を嫌な刺激が駆け抜けたのは一瞬のことだった。
「……そうですな。この際ですから我々の手の内もある程度明かすとしましょう。これをご覧ください」
そう言うと、西井は手の中に光を生み出した。これは《光源》か。……これだけの《雑音》の中で魔法を発動させるというのは、なかなか驚かされる。
「おや、それは……」
娘だから分かる。お母さんは驚きを押し隠し、さも当然という風を装って応えた。
「さすがですな、ご存じでしたか」
「ええ。そういうものはわたしはできませんが、娘がよく見せてくれます」
ここでわたしに振るの!? まあ、向こうで魔灯を分析済みだから、後は地球の《根底の流れ》に合わせるだけですぐ発動はできるけど……いや。
西井はこの《雑音》の中で魔法を発動させた。そもそも地球で、《根底の流れ》を利用するほうとはいえ魔法を使える人間が居たことに驚きだが、その実力は決して低くない。同じことを真似してみせたところで、こちらが主導権を握ることはできないだろう。
「ほほう、それはそれは。よろしければ、それをここで見せていただいても?」
来た。
「……」
お母さんがわたしに顔だけを向けて、無言で促す。
わたしは、まず、旧レディクラム遺跡でベイセンの通信魔法を妨害した時と同じことを、ここの《雑音》に対して行った。ここに居て少し気分が悪くなってくるほどの《雑音》を完全に打ち消すことはできない。が、荒波がさざ波になるくらいには抑えることができた。
人が意思を持って使う魔法とは違って、機械による一定のノイズみたいなものだから、分析も、分析して作った逆位相の《雑音》を当てるのもやりやすい。
西井も、白衣2人も、《雑音》を感じているのならこれを理解できるはずだ。
「これは……!?」
わたしの予想は当たった。目の前の3人は大げさにうろたえ始めた。……お母さんには、後で説明しておくことにしよう。娘だから気づけたような、本当に微妙な表情の変化があった。ごめん、お母さんまで驚かせて。驚かせついでにもう1つ驚いてね。
わたしは、ここの《雑音》を抑えつつ、ガラステーブルの真上、ちょうどわたしの胸くらいの高さで《光源》を発動させた。
西井たちは完全に言葉を失っていた。お母さんも言葉を失っていた。相変わらず表情に変化は無いが。
さっき、西井が《光源》を発動させた時は手の中に光を生み出した。しかし、《根底の流れ》を利用する魔法では、仮想空間と現実空間との接続座標は使用者が任意に指定できるから、本来なら《手の中》などというような、分かりやすい目標がそこにある必要は無い。
西井があえて手の中に発動させたのは、ただのパフォーマンスにわざわざ本気を出すつもりが無かったか、それとも、目標が無ければ魔法を発動できない程度の能力しかないからか、だろう。
……わたしの頭には──魔法を発動させるための意識集中には──まだもう少し余裕がある。この際だからとことんやってやろう。目の前に差し出し、仰向けに構えた左右の手のひらの上に、握り拳くらいの大きさの火の玉と氷の塊を生み出した。
さすがに、《雑音》の逆位相、テーブルの上に《光源》と同時ともなると、手のひらという具体的な目標が無いと魔法を安定させるのは難しい。……安定させなくてもただぶっ放せばいい攻撃魔法なら、もう少し同時発動できるが。
わたしは数秒ほどこの状態を続け、そして魔法を解いた。解くと同時に抑えていた《雑音》が一気に降りかかってきて、軽い頭痛に襲われる。……やっぱり《雑音》だけは抑えておこう。魔力の消費量から考えても、2時間は軽い。
「……素晴らしい。お嬢さんは才能に恵まれているようで、わたし共としては羨ましい限りです」
西井は言った。驚きは隠しきれていないようだったが。
片やお母さんは、
「ええ。自慢の娘ですわ」
もう元の調子に戻っていた。なんだか娘として、山田さんと路上で話していただけで冷や汗ダラダラだった自分が恥ずかしくなってくる。
「それでは、お嬢さんへのお話の件でしたな」
西井は、わたしたちの後ろに居る3人には触れないまま、そう切り出した。
 




