11 生かすも殺すも自分しだい
6月25日(土) 14:30 旧レディクラム遺跡深部
旧レディクラム遺跡は、もともとは普通の町だったそうだ。だから、地上部分には朽ち果てた建物の残骸が残っていたり、地下室のある民家ではその地下部分がわずかに残っていたりするくらいで、複雑な地下迷宮とかダンジョンとかいうたぐいの場所ではない。わたしはそう思っていた。
その予想は大きく裏切られた。……デイラムさんに『遺跡に潜るのなら鎧が要るだろう』と言われた時にもっとよく考えるべきだった。
地上部分には殆ど何も残っていない。所々、民家の残骸と思しき壁や石垣などの残骸があるが、見通しはすこぶる良い。問題は地下だ。
当時のレディクラムの町は魔法技術が非常に発達していたようで、ゼルク・メリスの魔法を使う時の土台ともいえる《大いなる何か》、遺跡研究所で聞いた話では《根底の流れ》というらしいが、そこから純粋な魔力を汲み上げて動力源とし、各家庭に配布する《導魔線》が地下に張り巡らされていたらしい。
そして、そのメンテナンスを行うための地下坑道もあちこちに掘られていて、さながら町の中の大迷宮とでも言わんばかりの様相を呈していた。もちろん、遺跡研究所で話を聞いた時に地図を借りてはいるが、ここからたった1匹の大栗鼠を探し出すというのは、なかなか骨が折れそうだ。
魔灯を分析して再現した《光源》を自分の頭上から少し前方で輝かせ、わたしは地下坑道を進んでいく。時々、ちょっとした魔物と遭遇するが、それらはわたしの姿を見るなり逃げ出すか、たまに牙を剥いて襲いかかってきても《光弾》で迎撃しているので問題は無い。……そういえば、《光源》を出したまま《光弾》を撃った時、ベイセンさんがすごく驚いていたが、同時に2つの魔法を使うのはそんなに驚くことなのだろうか。
そうして歩き続けること約30分、地下坑道の先に光が見えてきた。その先に進んでみると……
『眩し……!』
突き刺さる日光に目を細め、わたしは思わず呟いていた。
そこは巨大なクレーターだった。わたしたちが居るのは、そのクレーターの壁面に空いた穴。というより、もともと坑道があった場所に後からクレーターができた、と言ったほうがいいか。導魔線と思われる太いケーブルも無残な断面を晒している。
ぢゅー……!
不意に背後から変な音が聞こえてくる。振り返ったわたしの目に飛び込んできたのは、大型犬ほどの大きさのリス。今回の討伐対象だ。さっきの変な音は、もしかしてこいつの鳴き声か。
『まずいな、この状況では……!』
ベイセンさんが呻くように言う。わたしはそんな彼を庇うように前に出て、
『下がって』
『お、おい! いくらあんたでも──!?』
ベイセンさんの言葉を遮り、《光源》を解いて《光弾》を2つ同時に発動。
今わたしたちが居る地下坑道は剣を振れる広さは無い。が、それなら魔法で迎撃すればいい。とはいえ、わたしの《変成》で分解したり、《加速》で下向きのGをかけて圧殺したりすると死体、特に頭部が残らないので、たしかに討伐したという証拠を持ち帰ることができない。だから、ここはあえてゼルク・メリスの魔法で仕留めることにする。
大栗鼠がわたしに飛びかかってくる。
ベイセンさんが言うには、大栗鼠は分厚い皮膚による高い防御力を持ち、剣でも魔法でもなかなか傷を負わせられないという。
それなら、その防御力を突き抜けるまで連続して攻撃を加えればいいだけの話だ。そのために、わたしは《光弾》を2つ発動した。《光弾》は発動準備から実際に撃てるようになるまで、ごくわずか──実感では約0.5秒──だが間がある。その間に、同時発動しておいたもう片方を撃つ。
こうして発動中の間を埋めるように交互に連射すれば、通常の半分の間隔で連射できる。たぶん、5発程度までは同様に時間差射撃ができると思うが、今回はそこまでする必要は無いだろう。
大栗鼠は、最初の数秒は耐えていたようだが、途中から《光弾》が大栗鼠の体を貫通し始めた。おそらくもう息絶えているだろうから、わたしもそこで《光弾》の連射をやめた。
『魔法の同時発動だと……!?』
わたしの後ろでベイセンさんが惚けたように呟く。……さて。
ほぼ同時だった。わたしがデイラムさんに買ってもらった剣をここで初めて抜き、それを振り向きざまに突き出したのと、その切っ先が喉に軽く触れたベイセンさんが動きを止めたのとが。
ベイセンさんの手には先端の尖った細長い金属の棒が握られていた。おそらく、その棒でわたしの首なり骨の隙間から心臓なりを突くつもりだったのだろう。
『いつから……気づいていた……?』
ベイセンさん、いや、ベイセンの絞り出すような声。
『確信を持ったのはこの遺跡への移動中よ。角熊に乗せられながら《雑音》がダダ漏れだったわ。もしかして、と疑いを持ち始めたのは、デイラムさんに剣を買ってもらった時。わたしの魔力なら、仮にこの遺跡に棲み着いてる魔物を魔法だけで全滅させても、ちょっときついかもしれないけど、たぶんまだ余裕があるからね』
後は、デイラムさんがわたしに《一応》で課した試験とはいえ、新人にこんな難易度の高い依頼を充てて、しかもその見届け役に、試験を受けるわたしとは面識があるだけのほぼ初対面の人間を選んだ、というところだろうか。わたしの力量を信頼して何かをしてほしいのでは、と、勘づかないほうがおかしいと思う。
ベイセンが後ずさる。それに合わせて、わたしも前進する。わたしが進む先、ベイセンの背後にはクレーターの絶壁。
『わたしが《雑音》から魔法を再現した時は焦ったでしょうね。今まで自分がアールディアへ送っていた会話が盗み聞きされていたかもしれない、って』
まあ、実際にレディクラムからここまでの移動中に盗み聞きはしていたのだが、その内容は大したものではなかった。単に、これからこの遺跡でわたしを暗殺する、という報告だけだ。
ついに後が無くなったベイセンの踵が、坑道の床からその先、クレーターの絶壁へ少しはみ出す。
『さて。それじゃあ、選ばせてあげるわ。ここで崖下に落ちて死ぬか、あんたの仲間みたいに頭を壊されて死ぬか、それとも、仲間の情報を全部ここで喋るか』
『……く、な、なめるなぁっ!』
雄叫びと共に、ベイセンは自身の目の前に《光弾》を出す。そしてそれをわたしに向けて飛ばすが、
『な……っ!?』
黒龍のブレスをやり過ごした時と同じ方法で、わたしはその《光弾》を背後へ送った。
……このことにベイセンが驚いたことから、1つ推測できることがある。黒龍と戦った時、わたしは地球から直接ベアティスの町へ転移した。その時の様子をベイセンが知らないらしいということは、どうやら対象を監視するには、まず対象を直接認識する必要があるのかもしれない。そして、1度認識した相手、つまり既に知っている相手であっても、監視から外れた後に監視を再開する時は、その存在を再度認識し直す必要がありそうだ。
通信魔法を使った監視、それは範囲内の対象を全て検出するレーダーのような性質のものではなく、応答のあった相手を認識し続けるというもののようだ。
と、その時、わたしはベイセンから《雑音》を感じた。たぶん、通信魔法で援護を呼ぶつもりなのだろう。が、そんなことはさせない。
黒龍やカインからの通信魔法を真似て再現しておいた、まだ試していない魔法、それと今ベイセンが発している《雑音》とを組み合わせ、たった今ベイセンが使った魔法と全く逆の波長を持つ《雑音》を広域に響かせる。
『は、発動妨害だと……!?』
驚愕の表情を張り付かせ、大きく目を見開くベイセン。
情報を聞き出すためにこいつを確保するだけなら、さっさと《変成》で四肢を壊して動けなくしてしまえばいい。しかし、それだと抵抗の意志までは奪いきれない。四肢が無くなっただけでは、まだ魔法で逆転できるかも、という希望が残ってしまう。
肉弾でも勝てない、魔法も効かない、そう徹底的に抵抗の希望を奪っておかないと、どこかで牙を剥かれるおそれがある。だから、わたしは、
『く……くそがあぁぁっ!』
あえて、ベイセンに最後の吶喊を許した。突きつけていた剣を弾かせ、隙を見せる。……ゼルク・メリスに来て初めて襲われた時の襲撃者は、わたしやカインよりはるかに強かった。ベイセンも同等に強い可能性を考慮していたが、それならわざわざ今のように2人きりになれる状況を待つ意味が無い。
ベイセンがわたしを始末するのに暗殺という手を選んだ時点で、こいつの戦闘能力という意味での強さはその程度だと分かる。
自慢の細い針も投げ出し、徒手で殴りかかってくるベイセン。わたしはその手首を掴み、彼の肘を逆向きにへし折った。
『ぐぎゃあぁぁっ!』
絶叫を背後に聞きながら、わたしはさっきベイセンに弾かせた剣を拾い、俯せに倒れ込んだ彼の顔の横へ切っ先を振り下ろす。
『ひ……っ!』
『これで分かったでしょ? あんたに残された選択肢は、仲間の情報を全部喋るか、喋るつもりが無いのならここで死ぬしかない、ってことが』
『……わ、分かった! 分かったから、殺すのだけはやめてくれぇっ!』
悲鳴じみた懇願。通信魔法と思われる《雑音》も感じないから、どうやら本心のようだ。
ちょうど、すぐそばに外へ通じるクレーターがある。わたしは大栗鼠の首だけを刎ねて回収し、その後は転移ではなく《加速》で、ベイセンをデイラムさんの店へ連れ帰った。
その理由は、1つには、まだ信用しきるのは危険なベイセンを次元の狭間に連れていきたくないから。地球との行き来の仕方を知られるおそれが無いとはいえないからだ。
もう1つは、わたしがベイセンを抱えて飛ぶのではなく、わたしとベイセンとに個別に《加速》をかけ、ある程度距離を空けて飛ぶことで、ベイセンにさらなる恐怖心を植え付けるため。
●
デイラムさんの店に戻り、ベイセンの身柄を引き渡す。
『やっぱりコイツが回し者だったか!』
語気荒くデイラムさんが言う。
『た、助けてくれ! 言う! なんでも言うから命だけは!』
そのデイラムさんに泣いてすがりつくベイセン。
『お? おお……まあ、聞くだけのことを聞いたら役所には突き出すが、おまえ自身が無意味な人殺しなんかで罪を重ねてなけりゃ、そうそう死刑にはならねえと思うぞ。……由美、いったいこいつに何をしたんだ?』
デイラムさんが不思議そうな顔でわたしを見てくるので、
『んー、ちょっと。クレーターの上へ追い詰めて、ここで死ぬか全部喋るか選べ、って迫ったり、帰ってくる時は空の高い所を角熊の倍の速さで飛んできたりしたくらいよ』
と、わたしはちょっと明るめの声で答えた。わざと明るく答えないと、自分自身への恐怖に負けてしまいそうだったからだ。
あの時、わたしはベイセンを殺しても構わないと思っていた。実際、デイラムさんもそういう事態は想定していただろう。ただ、わたしが想定以上にベイセンより強すぎて、たまたま殺さずにベイセンの抵抗心を挫くことができたというだけだ。
わたしは、カウンター席の椅子に沈むように腰を落とした。
『……どうした?』
わたしの様子に気づいたらしいデイラムさんが、ベイセンの尋問を別の人に任せて、声を掛けてくれる。
わたしは、抱いている恐怖や不安などをデイラムさんに打ち明けた。
『そりゃあ、人を殺すことに慣れ始めてきてるな』
『人殺しに、慣れる……?』
なんだかさらに怖くなるようなことを言われた。
『ああ。あんたの世界じゃどうか知らんが、こっちじゃ理由のある人殺し、例えば外を歩いてる時に追いはぎに襲われたから返り討ちにしたとか、そういうのはまず罰せられることは無い。けど、殺しは殺しだからな。何度もやってるうちに、《人間を殺す》ことに何とも思わなくなってくる。そこらの小さい虫を踏み潰すのとか魔物を退治するのとかと、感覚的に同じになってくる。……あんた、外を歩いてる時に、自分に牙を剥いてきた訳でもない蟻を踏み潰したとして、何か感じるか? 罪悪感を感じるか?』
『それは……無い、わね』
デイラムさんに言われて気づいた。たしかに、うっかり蟻を踏み潰しても、何も感じない。そもそも、踏み潰したことにすら気づかないかもしれない。
『だろ? なんで人間にだけは罪悪感を感じて、蟻には何も感じないんだ?』
『それは……』
分からない。いや、たぶん分かってはいるのだ。人間を殺した時に罪悪感を感じるのは、同じ人間だから。
『同じ人間……だから?』
『ああ。共食いする動物なんてのも居るらしいが、少なくとも俺ら人間は共食い、同族殺しは嫌悪するみたいだからな。だからもし、あんたが同族殺しに何も思わなくなったら、その時あんたは《人間》じゃなくなる。人間の姿をしただけのバケモンになっちまう』
『……………』
『……まあ、何が言いたいかってえとだな。人間も所詮動物の1種だってことだよ。てめぇの命を守るためだけに戦ってりゃ、それでいいんだ。同族殺しにだって、ある程度は慣れなきゃいけない。が、慣れすぎるな。それだけだ』
デイラムさんはぽりぽりと頭をかきながら、そう締めくくった。




