10 異世界で暮らし始める第1歩?
6月24日(金) 16時過ぎ レディクラムの宿酒場
昨日デイラムさんに言われたとおり、わたしは今日またこの宿酒場へやってきた。アールディアの地下組織壊滅作戦が始まるまでわたしがこっちですることは無いと思ってたのに、なんだかんだで毎日来てる気がする。……まあ、それはともかく。
宿酒場に来たわたしは、ここでカインとオージンと会った。昨日、わたしが帰った後にようやくベアティスから戻ってこれたらしいのだが、今日のこの時間までなぜ出発せずに待っていたのだろうか。
わたしのその疑問は、今日顔を合わせてすぐのカインの言葉で解けた。なんでも、わたしの転移で《龍の昼寝場所》まで送っていってほしいらしい。
ベアティスは街道沿いにあるから、《龍の昼寝場所》を越えるにはどうしても町のそばを通らなければならない。しかし、昨日あんなことがあったばかりだから、できればそれは避けたいところだ。
それなら、わたしが学校が終わってこっちへ来るのを待ったほうが、ベアティスを大きく迂回して《龍の昼寝場所》を越えるよりはるかに時間短縮になる、と。
さて、そんな訳で、カインとオージンを《龍の昼寝場所》へ送った後、改めてわたしはデイラムさんの店へやってきた。
『よう、あいつらを送ってってくれてありがとな。んで、今日もあんたに来てもらった理由なんだが──』
デイラムさんは、カウンターに座ったわたしの目の前にグラスを置き、その中に銘酒レディクラムを注ぎながら言う。
『え? これ……?』
わたしはそれを指さしながら思わず声を出していた。このお酒をボトルキープしてくれる約束は、壊滅作戦に協力することへの報酬だったはずだ。まだ作戦は始まってすらいないし、そもそもわたしはこのお酒を注文してもいないのに、なぜ今出されるのだろうか。
『ああ、気にすんな。黒龍騒ぎのせいで2日潰れて、しかもまた何日かかけて大回りしなきゃならなかったのを、あんたのおかげですぐに取り戻せたんだ。その礼とでも思っといてくれ。……それと、これはあんまり大きな声じゃ言えねえんだが──』
デイラムさんはわたしに耳打ちするように言った。この銘酒レディクラム、この町の名産品ではあるのだが、なにぶん酒としては軽すぎるため、注文する客が殆ど居ない。だから、在庫も常時余り気味で、今わたしが飲んでいるのももうすぐ賞味期限の切れる、要するにさっさと処分してしまいたいやつだ、と。……まあ、ね、うん。くれるっていうのなら、ありがたく頂くけどさ。
グラスに口を付けつつデイラムさんを半眼で睨んでいると、カウンターでわたしの横に座っていたベイセンさん……いかにも熊、という感じの冒険者がわたしに話しかけてきた。なかなかいい感じの、おっちゃん、というにはまだかわいそうな年齢か。
『気をつけなよ、姉ちゃん。このオヤジは、気に入ったヤツにはなにかと酒を飲まそうとしてくるからな』
『オヤジっておまえ、俺と同い年だろうが』
『気にすんな』
「……そろそろ休肝日を意識しようかな」
グラスの中身をちびちびと喉の奥へ流し込みつつ、わたしは半眼でオヤジ2人組を眺めていた。
で、改めてデイラムさんが言うには、今日わたしをこっちへ呼んだのは、わたしをここの冒険者ギルドのメンバーとして、つまり、ギルドに登録する冒険者として勧誘するためらしい。冒険者として登録しておけば、ギルドが斡旋する依頼をこなして報酬を得ることができ、そうやってある程度冒険者として名を上げれば社会的地位も認められる、と。
……うん、こっちで国民登録をしようとしているわたしにとっては、悪い話ではない。
登録のための条件も、デイラムさんは簡単に説明してくた。まず、基礎学校を卒業しているか、その国で大人と認められる年齢に達しているかのどちらか。ビザイン共和国では酒が飲める17歳から社会的にも大人として扱われるみたいだから、わたしはこの点でまず合格。そして、次の条件。
『昨日のうちにカインに話しといたんだが、あいつがあんたの保証人になってくれるって言ってたぜ』
これもクリア。後は、最後の条件を満たせばいいだけなのだが。
『後は遂行能力試験だけなんだが、黒龍を倒してきたあんたに今更試験ってのもなぁ……』
『というか、そんな大事な話をする前に酒を飲ませることのほうがどうかと思うんだけど』
などと、ちゃっかりグラスを空にしてから言うわたしもどうかとは思うが。
『気にすんな。こっちじゃ依頼の前に飲むヤツなんざそこら中に居るぜ』
『……………』
またまた半眼。仕事前に飲むなんて! みたいな意識は無いようだ。
『……けど、ここで試験を免除なんてしちまうと、ほかのヤツらから不満が出るだろうしな。一応やっとくか』
一応で課される試験、その内容とは。
デイラムさんはカウンター横の掲示板に張り出されている紙から1枚選んで、それをわたしの前に置いた。
《旧レディクラム遺跡に住み着いた大栗鼠の討伐》
依頼書と一緒に、デイラムさんはこの近辺の地図も見せてくれた。その地図を見ながらデイラムさんが説明してくれた内容によると、旧レディクラム遺跡というのは、今のレディクラムの町から直線距離で10kmほど離れた所にある遺跡らしい。
今から100年ほど前、ちょうどベアティスができたのと同時期に、魔法実験の失敗による大爆発で当時のレディクラムの町全体が崩壊。危険な実験だから、ということで事前に避難させられていた町人たちが、滞在していた野営地で再興させたのが今のレディクラムの町だとのこと。
大栗鼠については、ベイセンさんが絵を描きながら教えてくれた。それによると、見た目はそのままリス。ただし、そのサイズは大型犬並、ハスキーとかレトリバーぐらいあるようだ。そして、肉食。……何その猛獣。
依頼主は、この町で遺跡について研究している研究機関。研究員個人ではなく組織としての依頼らしい。依頼を請けたことを伝えれば最優先で話を通してもらえるそうだから、話を聞きにいったのに待たされるなどということは無さそうだ。
スマホを取り出して時間を確認する。今は16時30分。うーん……
『今日のうちに話だけしておいて、実際に遺跡へ向かうのは明日、とかでも構わないぞ』
不意にデイラムさんがそう言った。
『え、そうなの?』
『あんたのそれ、時計だろ? なんだか時間を気にしてるみたいだったからな』
時計、だけじゃないんだけど、まあ、時計で間違いは無い。ちなみに店内にも掛け時計があるのだが、わたしはいつもの癖でついスマホを見てしまう。
『すげえよな、そんな小さい時計を造れるなんてよ。……おっと、依頼の話だったな』
デイラムさんは言う。こういう討伐系の依頼は、だいたい何日までに達成してほしいという希望があるのだと。依頼の掲載期間だとか細かい話はあるが、依頼を請ける側がそこまで気にする必要は無いとのこと。
そんな訳で、わたしはとりあえず遺跡研究所に話だけを聞きにいって、今日のところは帰宅した。
●
6月25日(土) 昼過ぎ 旧レディクラム遺跡
今日は学校が午前だけだったので、家で昼食を食べたら早速ゼルク・メリスへ。ベイセンさんに見届け役を務めてもらって、わたしとベイセンさんとで依頼にあった旧レディクラム遺跡へ向かう。ベイセンさんは角熊を飼っていないので、飼っている別の冒険者に乗せてもらい、わたしはその隣を《加速》で飛んで、だ。
《加速》による高速飛行を試したのは空の亀裂に巻き込まれてゼルク・メリスへ来てからが初めてだが、低空でのホバリングなら、以前自分の部屋で試したことがある。その時は1時間続けたところで飽きてやめてしまったのだが、それでも全然疲れた実感は無かったので、今回のレディクラムから遺跡までの往路ぐらいなら問題無いだろうと判断した。帰りはもちろん転移にするつもりだ。
20分ほどでわたしたちは旧レディクラム遺跡に到着。角熊の冒険者には帰ってもらって、わたしは改めて、ベイセンさんと共に遺跡の入り口に立った。
今回は遺跡に潜るので、さすがにわたしも軽装とはいえ鎧を着てきている。冒険者登録のための試験とはいえ、依頼を達成すれば報酬は規定どおり貰える。その前払い、という訳ではないが、デイラムさんが立て替えてくれて、とりあえず簡単な鎧一式を買ってくれたのだ。……薄手のトレーナーとジーパンの上からファンタジーな鎧を着た姿というのはなんとも滑稽だが。
立て替えてもらって買ったのは、鎧のほかに剣が1振り。討伐対象の大栗鼠以外にも魔物と出くわすおそれがあり、いちいち魔法で対処していたのでは魔力がもたないだろう、とのデイラムさんの判断だ。剣と鎧を立て替えてもらった分で依頼の成功報酬は殆ど消えてしまうが、まあ、これは仕方ない。
ベイセンさんに松明みたいなものを手渡される。《魔灯》という光を放つ魔道具らしい。起動させると、
「うわ、気持ち悪……!」
わたしは思わず魔灯を放り投げてしまった。わたしの手から離れると同時に魔灯の先端から光と、わたしが感じていた気持ち悪さも消える。その気持ち悪さというのは、体の中から無理やり魔力を吸い取られるような感覚だった。いや、ような、ではなく実際に吸い取られていたのだろう。でなければ、勝手に光がともるはずが無い。
『ここまで拒否反応が出るのも珍しいな』
わたしが放り投げた魔灯を拾いながらベイセンさんが言う。
『あ、ごめんなさい。放り投げてしまって』
『いいさ、気にすんな。魔道具は人によって向き不向きがあるからな。それに、もともと魔灯係は俺が引き受けるつもり──』
『ちょっと待って』
ベイセンさんの言葉を遮り、わたしは《それ》を試した。
さっき魔灯を使った時の感覚を思い出しながら再現した魔法。それを発動させてみる。ゼルク・メリスの《根底の流れ》に干渉して仮想空間を生成、その中で発光現象を起こし、現実空間と接続。
わたしは、腰の辺りで上向きに構えた手のひらに魔灯とほぼ同じ発光体を出すことに無事成功した。しかもこれ、発光体を出している間は常に魔力を使い続ける必要があるものの、その消費魔力も、魔法を維持するために意識を集中させなければならない度合いも、殆ど無視できる程度。なんて便利な!
『へえ。あんた、《光源》使えたんだな』
感心したように言うベイセンさん。
『ううん、その魔灯の仕組みを真似して、今やってみたの』
『……………』
感心したように言った時の表情のまま固まるベイセンさん。
わたしとベイセンさんとの間を風に吹かれた1枚の葉っぱが舞う。
『……ちょ、ちょっと待て!? 魔道具の仕組みをこの短時間で解析して真似しただと!?』
驚くベイセンさんに、わたしは魔法を使った時に周囲に漏れる《雑音》と、それを分析すれば、元の魔法をほぼ完璧に再現できることを話した。戦闘中に使われた魔法を即座に真似するというのはさすがに無理だが、今みたいに時間に余裕があればできなくはない。
同じ理由で、黒龍やカインに使われた通信魔法も、やろうと思えば再現できると思う。が、これは相手が居る魔法なので、再現した魔法で本当に間違いが無いかを誰かに確かめてもらうまで使うつもりは無い。
『いや、たしかに理屈の上ではそうだが、それを実際にしてみせるっつうのは……! そんなの、俺も聞いたことが無いな』
ベイセンさんは言う。ということは、今わたしがやったことって、けっこう高度なことだったりするんだろうか。……まあ、それはともかく。
今回、この依頼を請けたのは飽くまでもわたしということになっている。だから、遺跡に潜るのはわたしが前で、見届け役のベイセンさんが後ろだ。
わたしは、慎重に歩を進めていった。




