Side3 遂行能力試験 後編
イリス・アルフィネートの視点。
1月5日(水) 昼過ぎ ディオスの洞窟
あたしが冒険者になれるかどうかが見られる遂行能力試験。今回はそれに適した依頼が無かったようで、おやっさん、あの店の店主のアイゾムさんは《洞窟の魔物討伐》を試験の代わりにすると言った。そして、あたしの見届け役を引き受けてくれたイーガンさんは、どれくらいの魔物を倒せばいいのかも自分で判断しろ、と。
それなら、洞窟から魔物の一掃は無理でも、せめて反対側まで普通に歩いていって遭遇するくらいの魔物はひととおり倒すことにしよう、あたしはそう判断し、今はちょうど中間地点まで来ていた。
イーガンさんにいきなり大声で問い詰められた時は、何かまずいことでもやらかしてしまったのかと不安になったけど、どうもあたしが蝙蝠の魔法をどうやってやり過ごしたのかが聞きたかっただけみたいだし。特に心配しなくても大丈夫かな。
洞窟に入ってからずっと、ちょっと早足ぐらいのペースを意識して進んできたから、日が暮れる前には反対側へ到達できそうだ。そう思って、歩きだそうとした時。
突然、洞窟の壁から何かが飛び出して、あたしの頭めがけて飛びかかってきた。蝙蝠の時みたいな攻撃魔法、ではない。あたしは咄嗟に反応できず、両手を目の前で交差させて、鎧の手甲部分でその突撃を受け止めるのが精一杯だった。
受け止めただけで突撃を止めることはできず、そのまま反対側の壁まで押し流される。そして、背中から壁に激突。
「がっ!?」
アイゾムさんにはそれほど強い魔物は出ないと言われていたから、動きやすさを重視して軽装の鎧で来たけど、失敗だったかもれしれない。背中を激しくぶつけたせいで、一瞬、息が詰まる。骨が折れなかったのが奇跡だ。
「岩蚯蚓だ! クソ、なんでこんなヤツがここに……!」
イーガンさんが叫ぶ。
岩蚯蚓。基礎学校の授業で習った、洞窟の地下深くに棲む、岩のような外殻を持つ巨大な蚯蚓だ。目の前の個体は、胴体の直径があたしの腰回りの倍ほどある。そして、その胴体の先端の頭部には、胴体とほぼ同じ大きさまで開く口がある。イーガンさんが言うように、本来はもっと深い洞窟に居るはずの魔物だけど……
「こ……のっ!」
あたしは、最も得意とする火魔法の1つ、《火球》を目の前で発動させた。今にもあたしの頭にかぶりつこうとしている、岩蚯蚓の巨大な口の前で。
その途端、岩蚯蚓は急にあたしから離れて、出てきた穴の中へ戻っていった。あたしは《火球》を解除してその場に膝をつき、息を整える。
あの穴……さっき蝙蝠の魔法が直撃した時にできたやつか。
「大丈夫かイリス! 急いで逃げるぞ!」
イーガンさんがそう叫びながら、あたしのそばに駆け寄ってくる。その時。
足下から突き上げるような衝撃。
「な、なんだこれは!? ……クソ! イリス、早く!」
イーガンさんに手を引かれて、あたしがそこから飛びのいた直後だった。さっきまであたしたちが立っていた場所、その地面が崩れて、下からさっきの岩蚯蚓が飛び出してきた。
イーガンさんは、崩れていない足場に乗ることができた。
●
落ちた距離は、体感的にはマンションの3~4階ぐらいだろうか。それでも、咄嗟に《重力制御》で落ちる勢いを弱めることができたので、地面にぶつかった時の衝撃は2階から落ちた程度、だと思う、で済んだ。それでもすっごく痛いけど。
目の前には岩蚯蚓の胴体。頭はまだ上階に居るみたいだけど、すぐにこっちへ来るだろう。あたしは、目の前の胴体に攻撃を加えるより、今は一旦下がることを選んだ。立ち上がろうとして、
「いっ──!?」
体の、とにかくどこら辺かは分からないけど、鋭い痛みが走り、そのまま転げるように距離を取る。その直後、さっきまであたしが居た所に降ってくる、うん、文字どおり降ってくる岩蚯蚓の巨大な口。そのまま地面に埋まってもがいてる。……これはチャンスかもしれない。
さっきあたしが落ちてきた落下点。その近くに散乱したあたしの荷物の中に《それ》があった。普段使う剣とは別にいつも持ち歩いている、お母さん特製の魔道具、光剣。見た目は、刀身の無い剣の握り部分だけのような形だ。
あちこちに痛みが走る体を無理やり動かしてそこへ辿り着き、あたしがそれを手にしたのと、もがいていた岩蚯蚓が埋まった頭を引っこ抜いたのはほぼ同時だった。
あたしは光剣を起動する。手に持った握り部分から普段使っている剣とほぼ同じ長さに光が循環し始め、1秒とかからずに刃を形作った。
岩蚯蚓がこちらに頭を向けるが、光剣を警戒しているのか、それきり動きは見せない。……そういえば、上階にイーガンさんの気配は……無い。1人で逃げた、のではなく、たぶん、助けを呼びに行ったんだろう。
不意に岩蚯蚓が動きを見せた。その大口を開けて、あたしを飲み込まんと飛びかかってくる。あたしも全身が激しく痛む中、最小限の動きでぎりぎりのところで突撃をかわす。その、かわしざまに、岩蚯蚓の口の横を光剣で切り裂いた。
岩蚯蚓の突撃の勢いと、切りつけた時の反動であたしは体勢を崩して倒れた。あたしの手から離れた光剣から光が消え、少し遠くへ転がっていく。まずい、早く起き上がらないと。その気持ちだけは急くのに、なかなか体が言うことをきかない。
岩蚯蚓は裂けた口から血を迸らせ、地面をのたうっている。……今しかない!
あたしは光剣を拾うのを諦め、岩蚯蚓にありったけの《光弾》、蝙蝠も使っていた、魔力を純粋な攻撃力に変換した光の弾丸を撃ち込んだ。命中精度は二の次にして、とにかく威力と数を最優先で、機関銃のように。
イーガンさんが呼びに行ってくれた助けが来ることに期待して、帰りのことは考えずに撃てる限り撃ち尽くしてやろうかとも一瞬思ったけど、やめた。これは試験で、そんな後先考えない行動をしたら冒険者として登録してもらえないかも、なんて考えた訳じゃない。そもそも、それを見届けるイーガンさんは今ここに居ないんだから。
そんな理由なんか無くても、今、全ての魔力を使い切るのはまずい。
狙いを外した《光弾》がいくらか壁や地面を削ったようで、岩蚯蚓は立ちこめる土埃に覆われて見えなくなっていた。そして、その土埃が治まった時。
見えてきた岩蚯蚓は、あちこちの外殻が剝がれて、動かなくなっていた。
「や、やったぁー……」
あたしは力無く喜びの声を上げた。
でも、単純に喜んでもいられない。岩蚯蚓以外にもまだほかの魔物が居るかもしれないからだ。ここで魔力を使い切るのはまずい理由は、単にそれだ。
体中が痛いのはたぶん殆どが打撲によるもので、切り傷などの怪我は少ない、と思う。しばらく動かないでいたら少しずつ痛みが引いていったので、さっき拾えなかった光剣を回収して、散らばった荷物もある程度集めた。そして、普通に立てるくらいには回復してきたところで、さっき落ちてきた上階の穴に目を向ける。高さは、目測でマンションの4階ぐらい。
「うーん、どうやって登ろうかなー……」
あたしは独り言を呟いた。《重力制御》では、最大でも0G、つまり重力無しまでしかできない。上向きの重力は発生させられ……上向きの重力?
そういえば、前世で由美が言ってたっけ。《加速》を使えば、対象に任意の向きと大きさの加速度を加えることができる、って。今ならあたしも魔法を使えるし、あの頃由美がやってたことを真似できるはず。と、思ってはみたものの。
ゼルク・メリスの魔法は、基本的にこの世界そのものを流れる大いなる魔力、《根底の流れ》の力を借りて発動させる。だから、使える魔法の種類に制限があり、その制限を外れるような現象を起こしたければ、《根底の流れ》の補助を受けずに全て自力で《式》の構築から処理の実行までをこなさなければならない。
あたしには前世の記憶があり、その中で高校の物理の授業で得た加速度なんかの知識はあるから、由美の《加速》を再現しようと思えばできるかもしれない。けど、それを実行できるだけの処理能力があたしにあるかどうかまでは、正直分からない。分からないけど……
「やるしかない、かぁ」
あたしはそう呟いて、《式》の構築を始めた。
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《式》はできた。できたけど。
「お……っと、くぁ! あぁーっ!」
鉛直上向きに1G強。地面から少し浮き上がるだけでも、構築した《式》が崩壊しないようにするだけで精一杯だった。
魔法を発動させるには、処理する手順に沿って複数の《式》を組み合わせる。直前の《式》の効果が残っているうちに次の《式》を処理し、連鎖的に反応を起こしていくことで、まとまった1つの現象として《魔法》という形になる。
この辺のことは、少なくともゼルク・メリスの魔法に限っては、魔法を詳しく学んだ人でなくとも、こんな感じ、でなんとなく使えてしまう。
これは、パソコンで喩えると、1つ1つのコマンドや行う操作の意味を理解していなくても、最初はここをクリックして、次にここをクリックして、と、操作方法の丸暗記だけでとりあえず使えてしまうのと似ているかもしれない。
でも、由美の《加速》はそんなレベルの話じゃなかった。
何なの、これ! パソコンの操作のために2つ3つクリックするなんてレベルじゃなくて、いや、考え方は同じなんだけど、クリックする数が20も30もあるんだけど!? しかも、それを2つや3つの時と同じ時間で処理しなきゃならないなんて!
なんとなくコツは掴んできたから、全神経をこのためだけに集中させれば、なんとか発動はできるかもしれない。でも、由美はこれをあたしと会話しながらやってたんだよね。……どんな化物なんだよ、由美。
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ようやく上の階に上がれたところで、イーガンさんが呼んだと思われる助けが来た。お父さんとイーガンさん、それとほかの冒険者が2人。
「イリス! 大丈夫か?」
足下がふらついてるあたしを、お父さんが抱き留めてくれる。
「あは、は……大丈夫じゃない、かも」
体のあちこちにまだ少し痛みはあったが、あたしの足下がおぼつかないのはそのせいじゃない。《加速》をどうにか発動しようとして、ちょっと頑張りすぎた。魔力の使い過ぎで体から力が抜ける、機械でいうところの電池切れを起こしかけていた。
あたしは、自分の体を優しく包んでくれるお父さんの温かさの中で、ゆっくりと意識を手放し、眠りに落ちた。