12.5 決着
【本体の視点】
11月6日(水) 17:45 次元の狭間
本体が仮想空間を展開し、分体がそれを《世界》から切り離す。ちょうど、PCにおけるサンドボックス、あるいはバーチャルマシン──切り離されたメモリ空間内でプログラムを独立して実行させる環境──のように、わたしが展開した仮想空間が、《わたしの世界》として動き始める。
この《わたしの世界》……仮想空間の大きさは、縦横高さ共に3mほど。この中に捕えたのが人間であることを考えると縦方向にやや無駄があるが、空間のXYZ各軸の大きさを揃えたほうが、空間の制御はしやすい。
やがて、我に返ったフォーデルが仮想空間の中で立ち上がり、周囲を観察するかのように首を巡らせる。そして、
「な、なんだ……貴様、ここはどこだ!?」
そう声を荒げ、彼の目の前で無防備に立っているわたしの分体に詰め寄った。
さっきまではまるで抜け殻みたいだったのに、すぐさま持ち直すその精神力には感心する。
分体はこの仮想空間を《世界》から切り離すための処理、《根底の流れ》を模倣して再現することに意識の殆どを使っているため、フォーデルに詰め寄られても、それに答える余裕は無い。
その対応を《無視された》と勘違いしたのか、フォーデルはさらに語気を強めて、
「おい、貴様! 我輩が問うているのだ! 答えぬとはどういうつもりだ!?」
と、半ば叫びながら、分体の襟に掴みかかろうとする。だが、その手は彫像の表面で滑ったかのように、分体の襟を掴むことはできなかった。
仮想空間を展開するだけでいい本体とは違い、分体は自身も空間内に入って《根底の流れ》を再現しなければならない。当然、その間は無防備になる訳で、対策は講じておくに決まっている。
ゼンディエールの事件の時にフォスティアが聖桜高校にかけてくれた管理者権限、《損傷無効》に似ているだろうか。
この仮想空間内でのあらゆる干渉は、分体に対しては影響を及ぼさない。……分かってはいても、分体に敵意を向ける相手が目の前に居る状況で冷静に処理を続けなければならない、というのは、実に神経の磨り減る作業ではあるが。
わたしは、分体が再現した《根底の流れ》に乗せて、通信魔法の要領でフォーデルに話しかけた。
「そんなに急かさないで。ようこそ、わたしの世界へ」
「……! な、なんだ? この声、《龍殺し》か!?」
フォーデルは一瞬ビクッとして、その後はキョロキョロと視線を泳がせる。そして、そのまま再び声を荒げる。
「答えよ、《龍殺し》! ここは何だ! 天使でありこの世界の王である我輩にこのような仕打ち、無礼にも程があるぞ!」
その慌てよう、自力で帰るという方法に気づいていない様子を見るに、どうやら、フォーデルは次元の構造を理解してはいないようだ。
もし、彼が灰の者だった場合、わたしが取った《彼を次元の狭間で拘束する》という手段は、彼に地球の存在を気づかせかねない。そうはならなそうだという今の結果に、わたしはとりあえず安堵した。
さて。念には念を入れて、彼が本当に灰の者でないことの確認も済ませておくとしよう。
「この世界の王? 寝言は寝てから言いなさい、フォーデル。世界の王だと言うのなら、あんたをこの場所に閉じ込めた、わたしの拘束ぐらい簡単に破れるはずよね?」
わたしは、わざと彼を煽るような口調で言った。フォーデルが、次元の狭間へ連れ出されて次元の構造を理解し、転移能力を得たものの、今は気が動転していてそのことに気づいていないだけ。その可能性を潰すために。
もし、彼がここから脱出できてしまったら、その時は急遽別の対策を考えなければならない。だが、幸いにもそうなることは無かった。
フォーデルが顔を真っ赤にして、その直後、わたしの分体が1つの……通信魔法の着信要求に似た、魔法的な《何か》を受け取った。その発信元は、フォーデル。
おそらく、フォーデルが管理者権限を使おうとしたのだろう。
わたしの予想どおり、《この仮想空間》の中では、管理者はイアス・ラクアではなくわたしになるようだ。そして、管理者権限はそれを使おうとした天使自身が使っているのではなく、管理者に要請して、実際の使用は管理者が行っていることも。
わたしがその《着信》を無視すると、フォーデルの赤かった顔が一気に白くなっていく。
「な、なぜだ……なぜ管理者権限が使えない!?」
「言ったでしょ? 《わたしの世界へようこそ》って」
わたしがそう返すと、フォーデルは改めて周囲を……といっても3m四方の狭い空間だが、見回す。
「……管理者領域? まさか、そんなはず……!」
当たらずとも遠からず、といったところか。
わたしも意識していなかったが、この《わたしの世界》はどこかアレに似ていると、今更ながら思い始めている。
「まあ、そんなところね。さて──」
わたしはフォーデルに宣言した。
この世界で、その管理者たるイアス・ラクアに与えられた力を使って何をしようと、フォーデルの自由だ。だが、その目的がこの世界を壊すこと、私物化することであれば、わたしはこの世界に住む1人として、フォーデルを止める。と。
フォーデルを《わたしの世界》へ閉じ込めることで、管理者権限を無効化することはできた。だが、《自殺以外の方法では死なない》という天使の特性まで無効化できているかは分からないので、最後の言葉はあえて《殺す》ではなく《止める》にしておいた。
脅しとしては弱いだろうが、少なくとも、今のように彼を捕えることはできているのだから、全くの無意味ではないと思いたい。
フォーデルは、悔しげな表情や、何かに葛藤しているような素振りを見せたりしている。何かを喋ろうとして口を開きかけて、結局何も発さずに閉じるというのもあった。
やがて。
「……く、くくっ。クハハハハ!」
フォーデルは狂ったように笑いだした。
そして、ひとしきり笑った後、今度はゆっくりと口を開く。
「これが世界の王になろうとした者の末路だとでも言うのか。なんともあっけないものよ。……ククッ、冥府で待っていてやるぞ、《龍殺し》!」
高らかに宣言するように。最後は腰に下げていた剣で、フォーデルは自身の喉を貫いた。
◆ ◆ ◆
【分体の視点】
18:30 どこかの山中
シェルキスは、他の白龍たちと共に抽出魔法の関連施設を破壊して回っているのだろう。今、ここにはフォスティアだけが居た。そのフォスティアの前に、わたしは、今やただの肉塊となったフォーデルの死体を横たえる。
彼に対して思うところは無い。ただの敵だ。それでも、その死体を……形として残った死体を乱雑に扱うのは憚られた。
直接、間接を問わず、わたしが関わった死者の数だけで言うなら、おそらく4桁は超える。それらに対しては殆ど何も感じないというのに、目の前のたった1つの死体には、敬意に似た感情さえ抱いている。
……その感情すら抱かなくなった時、わたしは、かつてデイラムさんに言われた《人間の姿をしただけの化物》になってしまうのだろうか。
「おおっ、さすが由美ちゃん! あたしも由美ちゃんを怒らせないようにしなきゃねー」
フォスティアが冗談っぽく言う。
「いや、わたしはこいつを殺してはいないわ。結局、自殺されたから」
「およ? そうなんだ。……って、それじゃ自殺するほど追い詰めた、ってことじゃん? そっちのほうが怖いよー」
……言われてみればそうかもしれない。
ともかく、ゼルク・メリス全土がフォーデルの手に落ちることは避けられた。王都が壊滅したり、先王が謎の死を遂げたレギウス王国にとってはこれからが大変だろうが、わたしの知ったことではない。
わたしはまず、フォーデルが死んだことを通信魔法でシェルキスに伝えた。その後は……
「ああ、ディナリウス卿と、デイラムさんとガディオンさんにも伝えなきゃなんないのか……」
面倒だなと思いつつ、わたしはついそんなことを呟いた。
「ん? あの貴族になら、あたしが伝えといてあげよっか?」
フォスティアがそう言ってくれるが、
「いや、今回の事以外にも聞きたいことがあるから、自分で言いに行くわ」
わたしはそう返した。




