Side2 遂行能力試験 前編
ある冒険者の視点。
1月5日(水) 朝 ザールハインの宿酒場
年始の祝日が終わってまた1年が動きだす、その初日から、俺は最悪の気分だった。
事の始まりは今朝。俺は普段、朝飯は家で食うんだが、毎年、祝日開けの初日だけはおやっさんの店で食うと決めている。その、朝飯を食っていた時だ。
「ほ、ほんとに登録するの?」
いかつい男共……いや、まあ女の冒険者も居るっちゃ居るが、そんな店には場違いな、まだガキの女の声が聞こえた。この町ザールハインで知らないやつはたぶん居ない、伝説の傭兵クラウス・アルフィネート、その娘のイリスだ。1人で来た訳じゃないみたいで、一緒にクラウスさんも居る。
店の中に居た冒険者たち、まあ、俺の仲間とか商売敵共とかだが、そいつらの殆どは、イリスの姿を見つけると、割と好意的な反応をする。父親のクラウスさんの心証を良くしたいだとかいう下心を持ったやつも居るんだろう。
だが、俺はそういう下心が嫌いだ。そして、そんな下心からの心にもないおべんちゃらに踊らされてるやつも嫌いだ。だから、おやっさんからその話を俺に持ちかけられた時、
「なあ、おやっさん。新年早々冗談なんてやめてくれよ」
と、本気で返してしまった。
「冗談じゃないさ。彼女、イリスは去年基礎学校を卒業した。だから、ギルドに冒険者として登録するのは何の問題も無い」
冒険者ギルドに冒険者として登録すれば、ギルドが斡旋する依頼をこなして報酬を得られるようになる。登録するための条件は基礎学校を卒業しているか、登録したいギルドがある国で大人と認められる年齢に達していること、そのどちらかを満たしていればいい。加えて、登録にあたっては詳しい身元調査もあるが、既に登録済みの冒険者か、身元のしっかりした大人の保証があれば免除される。伝説の傭兵だなんてこの上無い保証人だろうよ。
そして、登録の最後の壁が、遂行能力試験だ。これは実際にギルドに出された依頼の中から簡単なものを選んで、登録したいと思ってるやつにやらせる、冒険者としてやっていけるかどうかの能力や適正を見る試験だ。失敗しそうになった時の保険として、熟練の冒険者が見届け役を務める。
おやっさんは言う。
「だからイーガン、おまえにイリスの見届け役をやってほしい」
「おいおい、嘘だろおやっさん。クラウスさんには悪いが、俺はイリスが冒険者としてやってけるなんて思えねえ」
俺がそう言ったら、イリスはびくっと体をちぢこませやがった。ほれ見ろ。今からこんな調子で、何が冒険者だ。
クラウスさんはイリスがだいぶ小さい時からこの店へ連れてきていたから、俺たちもイリスのことはけっこう知っている。おとなしい、普通の少女って感じの子だ。……今思うと、未成年の娘を酒場へ連れてくるのはどうなんだって思うけどな。
と、ここで今まで喋らなかったクラウスさんが口を開いた。
「確かに、イリスにまだ経験が無いのは事実だ。しかし、それを言うなら誰しも最初はそうではないのか?」
クラウスさんの口調は穏やかで、俺を責めるような意図は感じない。だというのに、なぜだか説教されてるような気分になってくる。俺に、イリスは親の七光で冒険者の道に足を突っ込もうとしていると見てる節があるからか?
「そりゃあ……まあ……」
「本当なら俺が見届け役をしたいところなんだが、父親が娘の見届け役をするというのは周りが納得しないだろう。だから、見届け役は俺が腕を信頼するやつらの中で、娘に厳しい目を向けられるやつに頼みたい」
腕を信頼する。そんな言葉を面と向かって言われるなんて思わなかった。自分でもそこそこ経験を積んできたとは思うが、クラウスさんの域には到底届きそうもないと分かっているからだ。横に並ぶなんてとんでもない、2歩も3歩も後ろでさえ、ついていけるかどうか。
同時に、店の中にちょっと不穏な空気が混じったことに気づく。クラウスさんに気に入られようとイリスに近づいてたやつらが発してるな、こりゃ。
「ク、クラウスさんにそこまで言われちゃあ、なぁ……」
「はは、俺こそそんな大した器ではないさ。ああそうだ。おまえのことは信頼しているが、それでも男と女だ。間違っても娘に手を出そうなどとは考えるなよ? 自分の命が惜しいのならな」
なんだか怖いことを言われた気がするが、まあこれはクラウスさんに限ったことじゃなく、父親なら普通の感情だろう。
こうして、俺はイリスの遂行能力試験の見届け役をすることになった。
●
ザールハインの近くを流れるディオス大河。主要街道を横切る形で流れているこの川は、地下に対岸とを繋ぐ洞窟がある。渡し船を運行させようという計画もあったそうだが、川幅が広すぎたのと、洞窟を街道として使うほうが面倒が少なかったってんで実現しなかったらしい。
で、なんで俺とイリスがここに来たのかっていうと、遂行能力試験に適した簡単な依頼が無かったからだ。だからといって試験をしない訳にはいかないから、洞窟を街道として使うための手入れとして定期的に行っている魔物討伐を、試験代わりにやらせようっていう、おやっさんの案だ。
イリスと俺と、それぞれ魔灯を手に洞窟に入っていく。魔灯ってのは、松明みたいな棒の先端に光を出すだけの魔法、正確に言えば、魔法を発動させるための《式》が組み込まれていて、一旦発動させると、後は勝手に持ち主の魔力を吸い上げて光を放ってくれる魔道具だ。
魔法ってのは、この《式》を組み立てて発動させるらしいが、俺には詳しい理屈なんて分からねえ。こんなもん、っていう感覚で使ってるからな。もちろん、魔道具に組み込まれてる魔法は、持ち主の意思でいつでも解除できる。
「それで、どれくらいの魔物を倒せばいいんですか? イーガンさん」
前を歩くイリスが後ろを振り向いて俺に聞いてくる。
「自分で判断しろ。それも試験のうちだ」
「は、はい……!」
イリスはそれだけの返事でまた前を向いた。……ほんとに、こんなやつに冒険者が務まるのかね。
●
なんなんだ、こいつは。
俺たちはちょうど洞窟の中間地点辺りまで来た。その間、何度か魔物と遭遇したが、イリスはそのことごとくを力業で屠ってきた。
堅い殻を持つ蟹の魔物、魔法を操る知能を持つ蝙蝠の魔物、糸を張って獲物を待ち伏せる蜘蛛の魔物、図体に物を言わせて突っ込んでくる鼠の魔物、それら魔物の特性に合わせて対処法を変え、優位に戦いを進めるのも熟練冒険者の腕の見せ所だ。
だというのにこいつは、イリスは、襲いかかってくる魔物は特性もクソも無く、蟹は火の魔法で焼き殺し、蜘蛛の糸は火の魔法で焼き払って蜘蛛本体も焼き殺し、鼠の口に火の玉をぶち込んで体内から焼き殺した。
一番驚いたのは蝙蝠の魔法をくらいかけた時だ。あいつらの使ってくる魔法は、魔力をそのまま攻撃力に変化させた光の弾丸だ。直線的にしか飛んでこないから避けるのは容易いんだが、直撃を食らえば、ヘタな防具ならそのままブチ抜かれちまうほどの威力がある。
その魔法を、イリスは不意打ちで頭に食らいかけた。それは、少し後ろを歩いていた俺からは、もちろん見えなかった。
見届け役を務めた新人を目の前で死なせちまう。俺はその覚悟をした。だが、次の瞬間俺の目の前で起きたことに、俺はしばらく言葉を失った。
イリスの頭を吹っ飛ばすかに見えた光の弾は命中の直前にいきなり消えて、その直後、まるでイリスの頭をすり抜けたかのように頭の反対側へ現れた。そして、そのまま飛んでいって洞窟の壁に大きめの穴を掘った。その魔法を放った蝙蝠はもちろん焼き殺された。
イリスは何事も無かったかのように歩きだす。
「お、おい、ちょっと待て!」
我に返った俺は思わずそう叫んでいた。イリスは、やっぱり一瞬体をびくつかせて、振り向く。
「な、なんですか? あたし、何かまずいこと──」
「違う! 今のは何なんだ? なんで蝙蝠の魔法がおまえの頭をすり抜けて飛んでったんだ!?」
「あ、あの……えっと、あれは──」
イリスは言った。まあ、その話の殆どは俺にはちんぷんかんぷんだったんだが、要するに魔法を発動する時と逆の《式》を組み立てることで、発動した魔法を一時的に発動前の状態に戻せるらしい。ただし、飽くまでも一時的にであって、そこから強制的に解除するか、さっきのイリスみたいに受け流すかしないといけないらしい。
しかも、ここまで来るだけでも、そこそこ経験を積んだ冒険者が、それほど魔物に遭わず順調に進んでこれた時と同じくらいの時間しかかかってない。……いや、待て。こいつ、魔灯を使いながらここまで戦ってきたよな?
人1人が持つ魔力の総量とは別に、瞬間的に発揮できる魔力の上限、ってのもあるらしい。当然、魔灯みたいな魔道具を使いながらだと、瞬間的な上限のほうがいくらか食われちまう。だから、洞窟なんかに潜る時はたいてい魔灯係を1人用意するし、今回の試験では一応イリスにも魔灯は持たせたが、いざ戦いとなれば俺がその役も兼ねるつもりだった。
こいつ、経験が無いだけの天才じゃねえか。これが経験を積んだらどう化けるってんだよ。……ああ、そうか。クラウスさんが言ってた「命が惜しけりゃイリスに手を出すな」って、あれクラウスさんに殺られるってことじゃなくて、イリスに殺られるってことだったのか。




