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十六の春  作者: 五十鈴スミレ
第一章
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その五 告白は奇想天外



 あのあと、パンを惜しんで、っていうのが本当の本当に本音だったと知って、思いっきり脱力したっけなぁ。

 私がそこにいる証みたいなものが欲しくて、近くの町へ買い出しついでに、職人さんに見てもらいながら湯飲みにお揃いの絵を描いた。

 赤い花と黄色い花。毒であり薬でもある花と、私の手を治した油の花。ヴィーの瞳と、私の瞳。

 運命みたいよね、なんて言いながら渡したらすごい嫌な顔をしたけど、ちゃんと使ってくれているのを見て泣きたいくらいうれしかった。単に、使えるものはなんでも使う精神だって、わかっていても。

 赤い花を見て、ヴィーのことを思い出すなっていうほうが、無理な話だ。


 あれから十年間、なんとかヴィーを振り向かせてみようとした。

 湯飲み以外にもプレゼント攻撃はしたし(日用品なら一応は使ってもらえた)、デートにも誘ったし(結果はもちろん全敗)、快適に過ごしてもらうために家事もがんばったし(一人暮らししていたときとは比べものにならないレベルで)、特にヴィーの好きなパンは毎日のように焼いた(飽きられないように試行錯誤が大変だった)。

 とはいえ、その、アレだけは故意ではなく酔った末の事故だ。誘うつもりなんてなかった。なかった、はず。

 なし崩し的にずっとそういう関係を続けていたのだって、好きな人に求められたら誰だって拒めない、ってだけで、いやその、別に嫌だったわけではないんだけども。って私は誰に言い訳しているのやら。


 涙ぐましい努力の日々は、結局、報われることはなくて。

 唐突に終わりを告げられて、今はこんなところで一人っきり。私はいったい何をしているんだろう。

 さっさと、忘れてしまえばいい。十年も抱いていた想いなんてきっととっくに咲く時期を逃してる。いつまでもぐじぐじしているなんて非生産的すぎる。赤い花を見てもヴィーなんて思い出さず、きれいだなぁって眺めていればいい。

 ……でも、そんなの、私じゃない。


 この半年、毎日ヴィーを想った。頭から離れなかった。

 いい加減やめようとしても無駄だった。心には逆らえなかった。

 好きだって、まだ忘れられないって、彼を思い描くたび胸が破裂しそうだった。

 今、私の心を取り出したなら、きっとあの花のように真っ赤な色をしている。ヴィーの色。十年前から変わらず、染め上げられたまま。

 全然まったく、忘れられる気がしない。


 ああ、ねえ、いいんじゃない?

 どうせ今、ここには誰もいないんだし。

 自分に正直になったって。


「ヴィーー!!!」


 めいっぱい、叫んだ。


「ちくしょー!! 愛してるーーー!!!」


 忘れようとして、忘れられなくて。

 苦しくて切なくてつらくて悲しくて。それでも気持ちを捨てようとは思えなくて。

 このままおばあちゃんになったって、私はヴィーのことが好きなんじゃないだろうか。

 そんな、ありえそうな未来予想に、私はくすっと、笑って。


 影が、見えた。


 それを目で捉えると同時に、私は駆けだした。


 一歩近づくごとに、はっきりとその影の形を、色を、認識する。


 影が動くよりも先に、私はその影に飛びついた。


「ヴィー!」


 サラサラの黒い髪が風になびいて。花のように赤い瞳はめずらしいことに大きく見開かれている。

 形のいい唇が開かれて、言葉が吐き出されることなく閉じられる。

 その口が、『アーシャ』と動いたように見えたのは、たぶん私の願望だ。


「迎えに来てくれたのね!」

「え、違うけど」


 がっくし。


「……空気読んでよ……」

「ごめん?」

「いや、うん、謝られると余計に惨めになる」


 わかってたよ、わかってたけどね。

 ヴィーがそんな、少女小説みたいなことをするとは私だって思っていなかったよ。

 でも、こんなときくらい、ちょっと夢見たっていいじゃない? 乙女の憧れじゃない? 実年齢いくつだっていうのは聞かないでください。


「……子ども、なんだけどなぁ」


 ぽつり、とヴィーはつぶやく。

 唐突なのはいつものことだけど、意味も意図もわからなすぎて首をかしげた。


「誰が? 私が?」

「百年以上生きてる僕から見たらね」

「手を出したくせに」

「それはまあ、据え膳だったし」


 ケロリとヴィーは言う。

 ほんと、そういうとこ、半年たってもぜんっぜん変わんないんだから!


「だったら受け取ったままでいてよ! 何も返すことないじゃない!」

「返してって言ったのは君のほうだよ」

「複雑な乙女心っていうのを理解しなさいよ!」


 誰が、好きな人にもらってもらったバージンを返してほしいなんて本気で思うのよ!

 私はただ、ヴィーのことをあきらめるためには、十年前に、ヴィーを好きになる前に戻るしかないと思っただけだ。

 身体だけ十年前に戻ったって、心がそのままだったら意味がない。

 本当にヴィーは、言葉を額面どおりに受け取るんだから。

 言わなくても察して、って思うのがまず厚かましいっていうことも、わかってるけど。


 さらり、と。

 ヴィーの細いきれいな指が、私の髪に触れた。

 背中を覆うくらいまで伸びた髪を一房手に取って、無表情のまま、瞳を細めた。


「……髪、伸びたね」

「おかげさまで」


 髪が伸び始めたのはヴィーにバージンを返されたからだ。それくらいはヴィーも理解していると思いたい。

 もう何年も私の髪の長さが変わっていなかったこと、ちゃんと気づいてた、よね……?

 下手するとそこから説明しなきゃいけないんだろうか。あなたに抱かれていたおかげで老化が止まっていました、って? 何その羞恥プレイ。


「また汚れた綿毛って言う?」

「そんなこと言ったっけ?」

「忘れたの!? 私の心の傷よ!!」

「ごめん」


 謝られたって過去の発言がなかったことになるわけじゃない。

 たしかあれは押しかけ女房を始めて一年くらいのときだ。当時の私は今ほどタフじゃなかったから、それはもう、どん底まで落ち込んだんだから。


「今は、花の蜜みたいって思うよ」

「……頭でも打ったの?」


 そんな、女性を褒めるときに使うようなたとえを持ってきて。

 普通だったら喜ぶべきところなんだけど、相手がヴィーだと、うさんくさいとしか思えない。


「不用意に触れて、慣れて、気づいたらボロボロになってた。僕よりも君のほうが似てるよ」

「汚れた綿毛の次は、毒花……悪化してるのは気のせいじゃないわよね」


 えーえーわかってましたよ、褒め言葉じゃないことくらい。

 ……もうさっきから何度目だろう、上げて落とされるの。そろそろ立て直すのが大変になってきた。

 泣いていい? 泣いても許されるんじゃない、私?


「だって、君のせいで、僕はこんなに苦しい」


 その、声が。

 私よりも切実に泣き出してしまいそうな響きを持っていて。

 顔をあげれば、赤い瞳が。

 朝露を、宿していた。


「アーシャ」


 はじめて。

 はじめて名前を呼ばれた。

 もう呼ばれ慣れたような、そんな気がするのは、何度も夢で見たからだろうか。


「アーシャ」


 今にも雫がこぼれ落ちそうな、赤い瞳が私を映している。

 縫い止められたように身体が動かない。

 ヴィーの手が、私の頬に伸びる。

 私よりも冷たい体温が、直に伝わってきた。


「な、なに」


 声が情けなく震える。

 同じくらいヴィーの声も震えていたから、気づかれないと思いたい。


「どこに、行こうとしていたの?」

「み、都に」

「遊びに?」

「うん」

「そっか……」


 ほう、とヴィーは息をつく。

 気が抜けたように、かすかな笑みすら浮かべて。

 赤い瞳には安堵の色。そして春の日差しのような、優しい色。

 誰だろう、これは。

 私の知っているヴィーは、こんなに、こんなに。

 表情を動かさない。感情を動かさない。私に、こんな、こんな目を向けない。


「アーシャならその心配はないってわかっていたけど、少し、気になって。この先には崖があるから」


 私が誤って落ちないように?

 いや、もしかしてもしかしなくても、ヴィーに振られた私が世を儚んじゃうんじゃないかって、そういうこと?


「それで、止めに来たの?」


 思わず私は笑ってしまいそうになった。

 まったく、心配性なんだから。

 他でもないヴィーが、私に最強のボディーガード魔法をかけたのに。

 崖から落ちたところで、どうせ傷ひとつなく守られるって、それくらい予想がつく。

 ……最強魔法をかけてまで追い出すなんて、そんなに私のことが邪魔だったのかな。そう、卑屈に思う自分もいた。

 でも、今のヴィーを見れば、そんな悩みは吹っ飛んでしまった。

 ただ単に、本当に純粋に、心配だっただけなんだね。

 なら、そもそも最初から追い出したりなんてしなければよかったのに。


「あ……それとはまた別口というか」


 ヴィーは視線を泳がせて、指で頬を掻いた。

 そうして、語られたのは……


「実は、たまにアーシャの様子を見に来ていたんだ。いつも、アーシャの家や仕事場の近くに転移して、気配を隠して見ていた。でも、さっき行ったら仕事場にも家にもアーシャがいなかったから。アーシャから三十メートル離れたところに、っていう指定で飛んだら、一面花畑だったから隠れる場所がなくて……」


 は?


 はい?


 え、……えっ!?







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