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十六の春  作者: 五十鈴スミレ
第二章
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その三 不安はふとこぼれ落ちるもの



 私の誕生日は、もうあと数日後に迫っていた。

 ヴィーが覚えてないのはしょうがないとしても、その日にヴィーの口からお祝いの言葉をもらうくらいは、望んでもバチは当たらないはずだ。

 ご馳走を作ればヴィーだって喜んでくれるだろうし、頼めばおめでとうのひとつやふたつはきっと言ってくれる。た、たぶん!

 そんな楽観的な皮算用で、ヴィーには内緒でマイお誕生日パーティーの準備を進めていたわけなんだけど。

 ……何やら最近、ヴィーの様子がおかしいのです。


「最近、外に行くこと多いね?」

「必要なものがあるから」


 その、必要なものって何? っていう問いが喉を通り過ぎる前に、あわてて飲み込んだ。

 ヴィーの研究の邪魔はしない。好奇心で詮索しない。

 それが、私が押しかけ女房になる際に決めた最低限のマイルールだったから。


「お弁当は、今日もいらないの?」

「うん」

「でも、お夜食は食べる?」

「うん」


 簡潔すぎる返事に、また私の不安が少しふくらむ。

 植物によって、採取に適した時間があることは知ってる。薬の作成や植物の研究に関して妥協しないヴィーは、ご飯時にも普通に外に出る。

 この前と同じように、日が沈む前に家を出て、帰ってくるのは夜も更けた頃。作っておいた夜食を食べるとすぐに部屋にこもってしまう。

 ヴィーはお弁当のことでそうだったみたいに、いらないならいらないってはっきり言うし、料理がもったいないから食べるってことでもなさそう。

 お腹すかせて帰ってくるくらいなら、規則正しい食生活のためにはお弁当を持っていって欲しいんだけどな……。


 こもってる時間も長いけど、多くは聞けない。

 何やってるんだろう? って気にはなりつつも、専門的なことを説明されたって理解はできないし。ヴィーにそんな無駄な労力をかけさせるわけにはいかない。

 採取だって、私はついていったって手伝えるわけじゃないのはわかってる。植物の知識が圧倒的に足りない。

 連日採取に行くこと自体は、これまでもなかったわけじゃない。

 でも……なんていうか、ちょっとヴィーの様子がいつもと違うような気がする……。

 そわそわしているというか、浮き立っているというか、ちょっと、楽しそう?


「ハッ! まさか!! 浮気っ!? さっそく浮気なのヴィー!」


 色々足りない私よりないすばでーなお姉さまとしっぽりしちゃってるの!?

 ヴィーのおかげで若返って、お肌のハリツヤとか復活したんだけどな! 若さだけじゃダメかな!? それとも中身が若くないから!? ぶっちゃけ百歳超えのヴィーからしてみたら誤差じゃない!?

 暴走した脳内でGカップの赤髪美人さんがヴィーにしなだれかかってる。あわわわ待ちなさいそんなハレンチな真似お姉さん許しませんよ!!

 脳内彼女に、この泥棒猫ーー!! って叫ぶ一瞬前、はぁ……とヴィーのため息が聞こえた。


「アーシャの思考は理解できない」

「理解する気もないくせに!」

「そうだね」

「ガーン!!!」


 そ、そんなはっきり言わなくたっていいじゃないっ!

 売り言葉に買い言葉みたいなノリだったのに、まさか肯定されちゃうなんて……。

 ヴィーは嘘をつかない。だから本当に、ヴィーは私を理解しようって気がないんだろう。

 いや、もちろん、言葉にしなくてもわかってよ! なんて面倒くさいことを言うつもりはないんだけどさ! ちょっとくらい歩み寄りとか見せてくれちゃってもいいんじゃないかなって思うわけよ!?


「ヴィーは本当に私のこと好きなの!?」


 言うつもりのなかった問いだった。

 答えは、ちゃんとわかっているつもりだったから。


「好きだよ」


 返ってきたのは、予想していたとおりの答えで。

 初めて、その言葉をヴィーの口から聞いた。

 うれしい、本当にうれしい、言葉のはずなのに。


「あっ」


 ボロっと、何を言うよりも前にこぼれたのは、涙だった。

 堰を切ったように次々と流れ落ちていくそれに、一番動揺したのはたぶん私だ。


「ご、ごめっ、これは、そういうんじゃ……なくて、その……」


 がんばって言い訳しなきゃと思うのに、うまく言葉にできない。だいぶパニック状態だ。

 にじむ視界の向こうで、ヴィーの目がまんまるになっている。いつも眠そうな半眼なのにめずらしい。いやそういうこと考えてる場合じゃなくて……!

 拭っても拭っても、涙は止まらない。込み上げてきた嗚咽を、グッと奥歯を噛みしめて堪える。

 気にしないで、って言えればよかった。目が痛いだけとか、適当な理由をつけて。ヴィーなら騙されてくれるかもしれなかった。

 でも、私は。たぶん……気にしてほしいんだ。


 ずっと、不安だった。

 百年以上、研究一筋だったヴィー。森の奥深く、たったひとりで世捨て人のように暮らしていたヴィー。

 やらしいことをいたしたのも私が初めてだったらしいし、十年の間エロ本は一冊も見つからなかった。

 ヴィーからは、人が持ってて当たり前の“欲”を、ほとんど感じない。

 恋とか愛とか、それ以前の問題で。元々の価値観が、私とは違いすぎる。


 ヴィーが、私に向けるその想いが、恋愛感情じゃなかったらどうしよう。

 たぶん、今まで友だちも、信頼できる人もろくにいなかったヴィー。

 生まれて初めてできた心許せる存在が、私だったなら。

 ずっと一緒にいたいって気持ちは、失いたくないって気持ちは、別に恋じゃなくたって成立してしまう。

 だから、恋じゃないから、触れてくれなくなったんじゃないかって。女としての私は必要ないんじゃないかって。

 そんなふうに、考えてしまう自分を止められない。


「ご、ごめん……!」


 謝罪と同時に、私は身をひるがえして、家の外へと飛び出した。

 無性にヴィーの前から姿を消したくなった。

 勝手にわめいて、勝手に泣いて。好きな人をわずらわせるなんて、押しかけ女房失格だ。

 しかもヴィーは私の望むままに好きって言ってくれたのに。ヴィーからしてみたらわけがわからないだろう。

 それでも、一度あふれ出した不安は、もう盆には返ってくれそうになかった。


 私たちは本当に、両思いなのかな?


 信じたい私と、疑ってしまう私とが心の中でぶつかり合う。

 もし、ヴィーのその感情が、恋じゃなかったら。

 いつか叶えばいいと思っていた恋を失うよりも、一度叶ったと思った恋を失うことのほうが、何倍も何十倍も、痛い。


 振られても、離れても、ずっとヴィーが好きなんだって。忘れられるわけがないんだって。

 私は、すでに、知ってしまっているから。







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