第3話:架空世界と創造主たち~中編~
目を開けると真っ白な世界が広がっていた。気持ちやや肌寒い感じだ。
ウォスリーは周りを見渡した。ここには何もないようだ。
服は氷の世界で着用しいていた物のままだ。
ここは死後の世界なのだろうか? そう思ったときに、目前に大きなスクリーンが出現した。その画面にいきなり映し出されたのは「中部高校」であった。
「これは?」
中部高校に電車で通う自分。情報室でパソコン部メンバーたちと駄弁る自分。高層マンションの18階に帰る自分。ありとあらゆる記憶が、映し出される画面とともに鮮明に蘇った。しかしこの今の状況は、一体全体何を意味しているのか?
スクリーンは突然に、3年B組の教室を映し出した。そこに小倉がいる。
何だか見覚えのある光景。夏仕様の制服を着た小倉を見て思い出す。そうだ。これは、小倉が岸田に好意を寄せていると、魚住に打ち明けた場面だ。
案の定しばらくして、顔の浮かれた魚住が教室に入ってきた。自分の姿を自分で見るというのは何とも言えないものだが、これはかなり恥ずかしい。
「よぉ。話ってなんだよ?」
「うん……あの…………真面目に聞いてくれる?」
「え? ああ。んんっ。わかった。真剣に聞こうか」
「えっと、その、あれ? あの……その……」
「なんだよ?」
「ごめん凄く言いにくいことで……」
「落ち着きなよ。ゆっくりでいいから」
「いや、えっと……凄く好きなの!!」
「え?」
「いやいやいや! 私好きな人がいるの!」
「ええ!?」
「ごめん。でも上手く言えなくて……」
「どういうことだよ? お前誰か好きな奴がいるのかよ?」
「えっ? ああ! 実は岸田君のことが気になっていて」
「ええ!? そうなのか!? 意外だな……」
「その、えっと、相談に乗って欲しいなと」
「ああ、かなり驚きだが大丈夫だよ。何でも話せよ」
「ちょっと聞いていい?」
「何だよ?」
「魚住君は好きな人いるの?」
「え? いや、今は別に……」
「そっか。岸田君はどうなのだろう?」
「さあな……今度聞いてみようか?」
「ご、ごめん」
「告白する気とかあるのかよ?」
「う、うん一応ね……」
「すぐにでも?」
「と、とんでもない! 私、フラれるかもしれないし……」
「大丈夫だろ! お前みたいな可愛い奴からなら昇天するぞ! でも、そうだな……今は止めとけよ。高校で付き合いだしたカップルって卒業してしまったら別れるのが多いのだって。だからアイツと結ばれたいのなら、卒業のタイミングを勧める。大丈夫。卒業までアイツに彼女できないように、一応キープはしといておくよ!」
「魚住君は優しいんだね……ありがとう」
「ほら! 部活行こうぜ! アイツもいるぞ!」
「うん! でもちょっと家族に電話する用事あるから、先に行っていて待ってて!」
「え? ああ。わかった。待っているからな」
改めて見直すと、実にストレスの溜まる場面だ。画面を消そうにも消せないのだからやるせない。だがこの場面はここで終わらずに、小倉が教室にいる状態のまま流れ続けた。すると、教室に残る小倉は急に泣き始めた。家族と電話する気配などひとつも見せない。妙な展開が画面上で起きていた。小倉が泣き始めてすぐだ。小倉の親友である柏木が教室のドアから入ってきた。
柏木は1年生・2年生と魚住と同じクラスで過ごして、3年生の時にはクラスを小倉と同じくした。その時に、小倉と親睦を深めた親友同士である。ただ彼女は、練習が忙しいことで有名な女子バスケ部のキャプテンでもあり、ここで登場するのはどこか違和感があった。しかし妙に現実味のある場面だ。魚住はこれまで以上に真剣な面持ちで、モニターを見ることにした。
「ちょっと! どうしてあんなこと言っちゃうの!」
「だって……グスッ……ウッ……」
「よりによって岸田だなんて。アンタ馬鹿じゃないの?」
「だって言えなかったもん! うまく言えるわけが……」
「卒業まであと半年だよ? 誤解を解かないと……」
「ウッ……でも……でもぉ……」
「私ね、私用があるって言ってここに来たの! 助太刀入れようと思ったのに!」
「ごめん! ごめんってば! 待って優子! このままじゃあ魚住君に嫌われるよ!」
「ごめん。付き合いきれない。諦めて岸田と付き合ったら? もう部活に行く!」
「そんな! 待って! 待ってよぉ!」
柏木は何かを振り切ったように、教室を飛び出していった。そういえばあの日を境に、小倉と柏木が険悪になったという噂を聞いたこともある。思い出せばあの日、遅れてやってきた小倉の両目は確かに赤く腫れていた。そう考えてみると、この映像は現実世界の事実を映し出しているということだ。
何ということだろうか。魚住と小倉は、すでに両想いだったのである。
現実世界にいる魚住ならば飛び跳ねて喜ぶようなことだが、ここではなぜか素直に喜ぶことができない。やはり、ここがどこかわからず魚住は不安なのだ。
再び場面が突然変わった。今度は別の教室で、岸田と加藤が話し合っている場面が映し出された。スクリーンの画面下にはよく見ると、場面上の日付と時間がデジタルで表示されている。だが日付は先ほどの場面と同じ9月3日を指しているものの、時間は魚住と小倉たちがいたときに戻っていた。先ほどの場面を、真剣にじっくりと見ていた魚住だからこそ発見したことだった。場面が変わってからは、しばらく小声の会話が続いていた。よく聴こえなかったのが、段々と音量が上がるにつれて、その話の内容が明瞭に聴こえてきた。
「頼みごとっすか?」
「ああ。ちょっと変わった遊びをやっていて」
「どんなんっすか?」
「やってみたらわかるよ。今度家に遊びに来るか?」
「何ですか? 変わっているって? まぁ、暇だからいいけど」
「ありがとう! や~助かったよ! でもあとひとつお願いがあるんだ」
「はい? なんです?」
「絶対にこのことは誰にも言うなよ……」
岸田たちの会話がひと段落すると、また場面が変わった。岸田の家の、彼の部屋と思われしき場所が映し出された。魚住も幾何回と行ったことがある場所の筈だが、そのイメージとかけ離れるほど室内の様子は一変していた。
部屋は暗闇に包まれており、床に置かれたローソクの明かりで何とかぼやけて見える程度だ。だがその範囲でも、部屋内の異様さは目に見えてわかった。床にはチョークで魔法陣のような陣形が描かれており、壁には何かの血痕らしきもので英語の文字が夥しいほど書かれていた。そこには聖書のような本を右手に持った岸田と、ローソクの点火などにとりかかる加藤の姿もあった。遊び半分の気持ちでやっているのか、加藤は終始ケラケラ笑っているようだ。
魚住はあまりにも強烈な衝撃を受けて心に空白の穴を空けた。さっきの小倉の件にしても言えているが、これは現実世界で実際に起きた事実だと言うのだろうか?
――だとしたら、何故岸田はこんなオカルトなものに手を出したというのか? 加藤まで巻き込んで……。次第に魚住は怒りを覚えてきた。そして場面はまた学校の校舎へと瞬く間に変わった。日付を見ると12月の…………岸田が死んだあの日だ。
時刻は午前6時を指している。朝練のある体育会系の生徒たちに交じって、岸田が登校をしていた。その両目には驚くほどの隈ができており、不気味にもニタニタ笑っているようだった。それから岸田はのっそりと階段を上り、やがて3年A組の教室に到着した。当たり前だが、こんな朝早く教室に誰も来ているはずがない。
岸田は教室の窓を開け、校庭を眺めていた。しばらくその場面がそのまま流れていたが、後ろから「先輩もうやめましょうよ!」と言う声が聴こえた。声の主は誰でもない加藤のものだった。加藤は両目を赤く腫らしていた。
「先輩はどうかしている。あんなことしていて……しまいには自殺ですか!?」
「違う。お前は人の話を聞いてないな。オレは神になると言った。よく見ていろ」
「嫌です! 止めます! 先輩がいなくなったら、ボクは誰に相談するのですか!?」
加藤は岸田にしがみついたが、岸田はこれをすぐに振り払った。
「お前もいずれこっちに呼んでやる。その日を楽しみに待つといい」
「い、いやぁぁぁぁぁぁ!」
突然に、岸田の両目が青白く光り出した。加藤は怖気づいて、尻もちをついた。
もはや怪奇現象である。教室の監視カメラにも記録されているはずだが……。
やがて恐怖に震える加藤は、猛ダッシュでその場から逃げていった。
怪人と化した岸田は目の光を消して、そのまま窓の外へ身を乗り出した。普通じゃないのはここからだった。何と岸田は校舎の壁に張りついて、蜘蛛のように校舎の壁をスルスルと登った。そして、一瞬で屋上の位置まで到着した。やがてフェンスを右手でしっかり持ち、ドアが開くように体を半回転させてニンマリとしてみせた。まるでサーカスの演技だ。しかし全然笑えない。
それから、校庭で岸田の姿に気づく者が出てきたようだった。朝練をしている体育会系の生徒たちが騒ぎ出し、それにつられて教師ら大人たちも目を大きく開けて驚きだす。この頃から、岸田の表情はとても冷めたものへと変わっていった。
「なぁ。真実ってよく見ないとわからないものだろ?」
スクリーンを眺める魚住の背後から声がした。
「やっぱりお前だったのか? 最初から何もかも……」
後ろを振り向くと、そこには見慣れた男が立っていた。
岸田愛之助だ。
「ご名答。ここはオレが創った世界だ。いつから気がついた?」
「さあな。お前には聞きたいことがありすぎて困る」
「はっはっは! そりゃそうだ! あれを見て平静でいられる馬鹿はいないな」
「笑い事じゃないぞ! 答えろ! 現実のオレはどうなった? 死んだのか?」
「ああ。死んだことになるかな。御愁傷様」
「なんてことを……川西もそうなのか?」
「アイツはリヴァイアサンにやられたからな。ここでも死んだことになるか」
「お前…………」
「いいじゃないかよ。小倉はお前が好きだった。これがわかっただけでもさ」
魚住はしばらく黙った。今目の前にいる男は岸田愛之助に違いない。多少毒を吐いたりもするが、その明るくあっけらかんと何でも話す姿はどう見ても本人だ。しかし本性を知ってしまえば、これほど怒りを感じることはない。魚住が現実では死んだと明言したが、これは諦めるしかないのか。沸々と怒りがこみ上げてくる。そして今にも崩れそうな自分を、拳で握りしめ抑えていた。この男に言いたいことなど山のようにある。しかし、説明のつかない恐怖のようなものが魚住を黙らせた。何ひとつ言葉が出ないのだ。
「おいおい。何か喋ろうぜ? 『聞きたいことがありすぎて困る』じゃないのか? あ! そうか! 聞きたいことがありすぎて何から聞いていいのかわからないのか? 無理もない。言うなればだ。ここは生と死の狭間の世界と言うヤツだ。もっとも、オレのオリジナルと言った方が良い。ここの“入場券”を直接手渡しさえすれば、ここへは強制的に夢の中から呼び込むことができる」
「!」
魚住はタクシーの運転手から「ICEISLAND」のチケット貰ったことを思い出した。そして、それを小倉と加藤へ相談がてらに手渡したことも……。
「お? 何か思い当ったか? その顔は何かを物語っているな? まぁ、御察しの通りだと言っておこうか。オレは一度死んでいるが、それ以前からこの世界の創造には取り掛かっていた。さっき映された儀式のような何かだよ。あれを長きに渡って続けることでオレは“転生”を成し遂げることができた」
「転生?」
「おっと、話が発展しすぎて難しくなったかな? 言うなれば、死からの蘇生だと一般的には言われているが、オレの場合は死の代償にこの世界を創り上げられたということだ。もちろんこの世界に引きこもるワケではない。今お前がここでそうしているように、現実の人間を巻き込むことが容易にできる世界を創造したのさ」
「…………」
岸田の話している内容はあまりに突飛で、幼稚さすら感じてしまうものだった。しかし自分は現に、どうにも取り返しのつかない空間に来てしまっているようだ。その事実が、魚住の心境をだんだんと悩ませはじめた。
「現実の人間を巻き込めると言ったが、その実用性は半端ないぞ。現実にいる人間に、幻想を見せることだって容易にできてしまう。ここの入場券でもそう。タクシーの運転手との再会でもそう。お前と加藤が入った鉄割山の洞窟ですらも、オレが創りあげた幻想だったのさ。くくっ。でもあれは実に傑作だったなぁ……」
「そうだったのか……」
「おお! 納得してくれるのか! なかなかレベルの高い親友だ。オレが考えたのはそれだけではない。この世界を利用して、壮大なゲームを作ることにも成功した。それこそ、今しがたお前がクリアを達成した『ICEISLAND』なのだよ!」
「そうだったのか……」
魚住の苦痛は、岸田の話を聞けば聞くほど煮えきらなくなった。同時に今ここにいる自分の経緯を、何となくの感覚であるが理解することができた。しかし、自分はこれからどうすればいいと言うのだろうか? 勢いの止まらない創造主の話に、ただ耳を傾けるしかなかった。
「おい。もっと喜んだらどうだ。お前は命懸けのアドベンチャーゲームを見事に攻略したのだぞ! そこらのテレビゲームをクリアしたのとはワケが違うぞ。お前だからこそ、ゲームクリアの報酬があると言うのにさ……!」
「何だよ?」
「ん?」
「何が報酬なんだよ?」
「最高の名誉さ。今日からお前もこの世界の創造主になれる!」
「はぁ? なんだそれ?」
魚住の言葉に、岸田はムッとした顔をしてみせた。すると、喋り好きな男の怪奇な話が再開した。どうも、この勢いは結論が出るまで止まらないようだ。
「お前なら喜ぶと思ったのに。本当に嬉しくなさそうだな。思い出せ。放課後に語り合ったあの日のこと。オレたちは、大人たちに操作された学校や世界で生きてきた。その不満をぶつける場所もなく、オレたちは使い捨てられるだけの玩具にされていたのだぞ! それを誰より熱く話していたのはお前じゃないか!」
「オレそんなこと話していたか?」
「ああ! 何なら見せてやるぞ!」
「いや、いい。一つ聞きたい」
「なんだ?」
「お前はそんなにも、目の前にある日常が不満で嫌だったのか?」
「ああ。じゃなきゃこんな世界を創ることなんかしないだろ?」
岸田の返答と表情には何の躊躇いもなかった。魚住は、この世界にいることにずっと不安を持ち悩み続けていたが、岸田には微塵もその様な感情がないのだ。だからこそ、この世界を創り上げたというのだろうが……。
「この世界の創造主になったら何かあるのかよ?」
「もちろん。あっちの世界の全てを覗くことや幻想を創り出すこともできる」
「それと『ICEISLAND』の管理や鑑賞ができるとでも?」
「ご名答。これからこの世界に入ってきた人間をプレイヤーにもできるぞ!」
「とんだはた迷惑だな」
「随分冷めているな?」
「ああ。ところでもう一つ聞いてみるが、創造主の話を断ったらどうなる?」
「何もないさ。正真正銘命の無い世界に逝くか、ここで漂うかだ」
「そうか。そうだな。そういえば、ここは生と死の狭間の世界だったよな」
魚住の中で結論は出た。魚住は目を閉じて「わかった」と言って、岸田に歩みよった。そして岸田に握手を求めて手を差し出した。岸田の表情が見えたりなどしないが、満面の笑みを浮かべていることぐらい容易に想像できた。
どれくらい振りになるのだろうか。長年連れ添った親友との握手をしっかりと交わした。そして目をしっかりと合わせるように魚住は赤く輝く瞳を開眼させた。岸田は顔面打撃を受けたかのように後ろへとよろけていった。
「やはりな。ここでも力が使えるのか。でも思ったより効いてはないようだな」
「貴様……よくも……なんの真似だ!」
「これがオレからの返答だ。ここでお前を倒す。そしてこの世界の破壊をする」
両手で顔を抑えて少しだけふらついた岸田だったが、魚住の返事を聞いた直後、すぐに体勢を直した。そして岸田が開いた両目は青白く輝いていた。加藤を畏怖させたあの目だ。既に氷の世界で幾多の恐怖と闘ってきた魚住からしてみれば何ひとつ恐怖に値すらしないが自身の瞳の異変には気付くことができた。
「あれ?」
「ふふ。今気づいたか。これがお前の能力でありオレの能力だったのさ」
「どういうことだ?」
「『イメージング・アイ』想像力を瞳に込める力さ。鍛錬を積めば強力になる」
「なんでだ! なんでオレの力が……」
「オレの力によって無効にしてやった。さっき言った筈だぞ? この世界は……」
「くそ! こんなワケがない!」
「全く人の話を聞いてないな。今やお前の力など存在しない。オレこそが神だ!」
岸田が右手を挙げると、そこには無数の光の粒子が集まった。同時に水蒸気のようなものが周囲に発生して、これまでの空間とは全く異なる空間を創り出した。やがて岸田の右手の光の結晶は、約5メートル級の巨大なビームサーベルを形成し、その周囲に竜巻のような強風を巻き起こした。
強風の速度は徐々にではあるが、台風の如く凄まじいものへと変わっていった。もはや魚住の能力は使い物にならないらしい。それは感覚でわかるのだが、これから何をどうすればいいと言うのか? 魚住に段々と「絶望」という感情が芽生えた。
岸田の攻撃は、他愛もなく打ち下ろされた。その威力は恐らく、リヴァイアサン以上のものなのだろう。魚住は間一髪で攻撃をかわすことができたが、左肩からは血がじわりと滲んでいた。激しい痛みも、じわりと浮かび上がってくるようだ。
岸田の攻撃は容赦なく続いた。2回目3回目とうまく間一髪でかわした筈だが攻撃ごとに魚住は負傷を負った。次第に立っていられるものやっとの状況になり、ついに4回目の攻撃をかわした時に転倒してしまった。
傷だらけの魚住は這いつくばったまま逃げるしかなかった。立ち上がろうにも力尽きて立ち上がれない程に彼は弱っていた。今すぐに止血を施したいがもはやウォスリー・スウィーニーとしての能力は何も作動できない。次第に体が冷たくなってくる。この感覚はどこかで覚えがあるようだ……
顔を上げるとすぐそばに岸田が立っているのが見えた。魚住を見下ろす青白くぎらついた眼光は酷く冷めていた。岸田の右手にはまだ巨大な剣が握られている。いよいよ天罰を受けるとでも言うのだろうか。魚住は思わず苦笑いをした。
「わかったか? ここはオレが創り出した世界だ。何があってもオレが絶対であることに変わりはない。このオレとともにお前も神として生きていけると言うのに何故受け入れない? オレがあっちの世界で死んだときにお前は悲しんだじゃないのか? お前の好きな小倉だって直にここに来る。ゲームで死んだとしても、お前が望むのならここで永久に傍にいることだってできるぞ? おい。魚住よ。もう一度考えを改めたらどうだ? オレだってお前を殺したいワケじゃない」
魚住は伏せていた顔を上げて、岸田を睨みつけた。もう覚悟を決めるしかない。
「ごちゃごちゃ五月蠅いぞ。デブ。お前のどこが神だよ?」
「なに?」
「オレが好きな岸田ならとっくに死んだよ。いや消えたよ」
「何を言っている? この場でまた死にたいのか?」
「ああ。それしかないのだろ? だけどオレにも話させろよ」
「なんだ? 何を話したい?」
「オレが知る岸田はみんなに温かくて優しい奴だった。オレは尊敬していたよ」
「そうか」
「確かにさ。世の中に対して、改革が必要だの何だの変なところあったけどさ」
「そうか。それで?」
「それでもオレにとっては、そんな下らない会話も日常もいつも愛おしかったよ」
「よかったじゃないか」
「ああ。もう戻れないと思うと尚更に……」
「残念だったな」
「岸田よ。それでもオレはもう一度あの下らない日常に戻りたいと思う」
「それは無理だろう」
「お前に聞いてないよ。オレが知っている岸田愛之助はもうどこにもいないよ」
「何だと?」
「おい。デブ。お前一体どこの誰だよ?」
吹き荒れている風が激しくなった。立ち上がれば吹き飛ばされるだろう。
岸田の右手の巨大な剣が、ものの数秒で巨大な光の球体へと変化した。
その大きさは、100メートルとも何とも想定のつかない位に、頭上を覆い尽くすほどのものになった。直撃すればひとたまりもない。今度こそ最後のようだ。
「よくもオレを愚弄したな! お前には最高で最大級の痛みをくれてやる!!」
岸田の右手が振り落されたと同時に、頭上の球体が落下してきた。
大きな轟音がどんどん近づいてくる。次第に耳が痛くなるのを実感した。
魚住は、ただ迫りくる球体と自分を見下ろす岸田を、侮蔑した目で睨みつけるのみだった。これしか自分にできる反抗はない。ウォスリーとしての能力が使えなくなっても、彼にとってはこれが精一杯の抵抗だった。
魚住の意志が気に食わなかったのか、岸田は舌打ちをして彼の腹部に激しい蹴りを入れた。蹴りを入れた腹部には、3回目の攻撃で受けた傷があった。激しい痛みが魚住を襲った。それでも、彼は岸田を睨み続けた。
頭上の球体は、遂に間近まで迫った。耳の痛みが激しくなる。鼓膜が破れそうになるのと同時に、眩しい閃光が目の前に広がった。今度こそ最後の瞬間のようだ。
光は広がったかと思うと、一瞬で消えてしまった。そして魚住の目に映ったのは、小さな少年に飛び込まれて顔面を殴りこまれる岸田の姿だった。岸田はそのまま倒れた。余程強烈な一撃を受けたのか、岸田は鼻血を流して倒れたままジタバタしていた。いつの間にか、空白の静かな空間へと戻っていた。岸田が作った巨大な光の球体もない。魚住の側にいるのは、治療にとりかかるベンであった。
「ベン!? お前がどうしてここに!?」
「あちゃ。これは酷いな。じっとしろ。オレが治療不得意なのは知っているだろ?」
「おい。質問に答えてくれ。お前はベンなのかよ?」
「ああ。話は後だ。今は喋らずにじっとしてくれ!」
「…………」
ベンの治療は5分もしないうちに終わった。氷の世界で治療の特訓を共に繰り返したベンの治療技術は他の2人に比べてやや劣るだけで、決して低いものではない。さっきの言葉は、ベンなりの冗談を交えた謙虚な姿勢だった。
復帰して立ち上がった魚住は、ジタバタしている岸田を目視で確認した。そしてベンの方へ振り向き、状況確認を急いだ。ベンも岸田を気にしているようだった。
「何がどうなっている? お前は確かダイナマイトを持って……」
「あれはオレじゃない。カトウとか言う奴だよ」
「加藤!? 何で加藤が!? まさか……」
「オレも詳しいことはわからないが状況が状況だ。簡潔に話すぞ」
「頼む!」
岸田は相当なダメージを受けたのか、しばらく立ち上がりそうもなかった。
「カトウとか言う奴は、どうやらお前と同時期に旅人として来た奴らしいな。ずっとお前を付けていたらしい。突然オレの横に現れてそんなことを喋ってきたからよくわからなかったが、野郎の能力は“気配を消す”とかいうものらしい。それで最終的に、本人自ら『囮になる』って飛び込んでいったよ。格好いい奴だな」
「本当か? まるで信じられない話だよな……」
「それよりももっと信じ難いような話がある」
「何だ?」
「どうやら目の能力が発動している時には、何でも想像したことが現実になる……なんて事をカトウとかいうヤツが話していたぞ。ここにオレを呼んだのは誰でもないお前なんじゃないのか? ウオズミさんよぉ」
「ベン?」
ベンは満面の笑みを魚住に贈った。その瞬間に、秒速のビームがベンの胸を貫通した。ベンはその場で倒れてしまった。離れた位置で這いつくばる岸田が、右手の人差し指から放ったものだった。
「ぐぞ…………ゲェムギャラグダー風情がぁあああぁぁあああ!」
岸田の叫びが空間中に響く。しかし、それ以上にベンの小声が魚住の耳に残った。
「ほら。早く倒せよ。ハァ……今ならお前の方が有利だ。色々とありがとう。これ以上深い話は、この後のおまけみたいなもので確認してくれ。それとリンから伝言だ。クリアおめでとう。約束ならもう良いって……良かったな……」
やがてベンは息を引き取った。それから、魚住の瞳が赤く輝き始めた。右手には、赤く輝く刀状のビームサーベルが具現化された。赤い眼光が岸田を睨み付ける。
岸田は一瞬ほど魚住の眼光に震え上がったが、青い眼光を復活させてゆっくりと立ち上がろうした。すると岸田の左右に青い光の粒子が集まり、人間の形をした物体が造られた。造られた光の結晶人間は、立ち上がろうとする岸田の身体を強く押さえつけた。よく見るとその姿は、まるで加藤と川西のようであった。
「ぐぞ! あびぼずるぅ! ぎざぶぁば! おのボデがぁおのぜがびのがびだどぉ!」
光の結晶人間は言葉を発することなく、ただ喚き散らす岸田の体を押さえつけるのみだった。しかしその目は、どこか表現し難い悲しいものを浮かばせていた。魚住には、それがどこか幻想的であっても、自分には悲哀的な光景に見えて仕方がなかった。やがて魚住がゆっくりと岸田に近づく。一歩を踏みしめるごとに、赤く輝く眼光に怒りが込み上げるようだ。押さえつけられた岸田が顔を上げた。青白い眼光には、いつの間にか余裕のひとつもなくなっていた。
「待で……だでぃをぼどべう? だんべおぼじぃぼぼぼばべぶぞぉぉぉ!」
魚住は赤く輝く刀を両手で持ち上げて、かつての親友に向けて振り落した。
魚住の斬撃はあっけなく岸田に命中した。岸田の奇妙な断末魔が耳に残る。
命中の瞬間に、眩しく巨大な閃光が再び空間一面に広がっていた。
氷の島では空を覆っていた雲が薄れ、太陽が現れて島の全てを溶かしていった。
ロボットの少女は、島とともに海の中へと飲み込まれていった。
ロボットの少女は穏やかな顔のまま、海に沈みながら透明になって消えていった――