第3話:架空世界と創造主たち~前編~
ウォスリーたち一行が基地を離れてから約1週間が過ぎた。彼らはA~Cのエリアを少しずつ縦横無尽に進んでいたが、遂にA―90に到達した。アイザックが死んだA―99も、言ってみれば間近だ。
ここに至るまで、様々な困難が彼らを待ち構えていた。進めば進むほどに素早くなり手強い狼、大きくなり頑丈な熊、だんだんと強くなる雪風。ひとつひとつの難敵難関に、彼らは命懸けの戦いを強いられた。
そんな苦境に応じ続けていたからか、彼らも一段と強くなっていた。発火能力、治癒能力に加え、各々の能力も強力なものとなっていた。特にウォスリーの赤い眼力は戦闘では敵を瞬殺して、空に向ければ吹雪を多少抑えられるほどの力となっていた。
A―90より先ほどまで猛烈に吹いていた強風が、不気味なほどに静まった。方角を北一直線に進んでいた一行は、ウォスリーの指示で東へ進むことに決めた。
道案内は、エリア全範囲を自らの足で把握しているリンに当初任せていたのだが、序盤のエリア20よりウォスリーの「眼力による勘」が信頼されるようになった。
その発端は、B―20に入り夜が更けてきたときのことであった。泊まる当てもない一行が困り果てた時に、ウォスリーが赤い眼力を発動した。「あっちに何かある」と指さした先に、不思議にも小屋が存在したことがそもそもの始まりだった。
小屋での一泊後、ウォスリーが再度いきなり赤い眼力を発動し「こっちの方だ。何かこっちにある感じだ」と指さした方向に大きなソリを発見した。ハンドル付の大きなソリは座席が4席あり、治癒能力の際に発する黄金色の力をソリに込めることで動くというものだった。その実用性は高く、軽く力を入れるだけで50kmは走れるというものだった。このソリの発見と運用によって、リンが島中を駆け回るが如く巡ることが可能となった。そしてこの発見より、ウォスリーの存在そのものが一行の主導者に自然と決まったのであった。
話をA―90到達に戻そう。ウォスリーの指示によって北から東に方向転換した一行は、平行線上にC―90に辿りつき、そのままC―90からC―99まで進んだ。C―99付近では既に空も暗くなっていたのだが、幸いにもその地点で小屋を見つけられたので、そこで一晩を過ごすことにした。
偶然とはよく言ったものである。この小屋の到着に至るまで、ウォスリーは15カ所以上の小屋を自身の赤い眼力によって見つけ出していた。小屋によっては実用性のある武器が揃えてある所もあり、その場で仕入れたアイテムなどによって彼らの遠征が救われたと言っても過言ではなかった。
エリア90内にあるこの小屋には、20個ほどのダイナマイトが置かれていた。これまでそのようなことは何度かあったが、20個という数はこれまでにない数だ。思わず何か意味を考えてしまうが……保存しておいた方が良さそうだ。
特に強敵との遭遇がない1日だったが、いつもより長めの長距離移動ということもあって3人は早々に食事を済ませ、暖炉の火を焚いて体を休めることにした。
ベンがいびきをかいて寝ている。バチバチと炎を焚く音が聞こえる。ふとしてウォスリーが視線を感じて体を起こした。もう1人まだ起きているようだ。
「よぉ。眠れないのか?」
「貴方の方こそ。急に起きたりして何かあったの?」
「さぁ? なんとなく目が覚めただけさ」
「…………」
リンが、窓に映る暗闇を眺めていながら立っていた。相変わらずの無表情だ。
「そういや誰かの目線を感じたよ。オレを睨んだりしたか?」
「別に。ずっと外を眺めていた」
「真っ暗闇の中? お前も変わっているな」
「そう? 私はあの日からずっと外の世界を眺めることが癖になっている」
「あの日?」
「変な話だけど……何となくでしか覚えていない1日がある」
「何だよ。それ。何かのトラウマか?」
「カーラが死んだ日」
ウォスリーは言葉を失った。同時に魚住純一としての自分を思い出した。
カーラ・アバルキン。魚住たちの世界では川西真麻と呼ばれていた女子だ。
ウォスリーは座り込み、組んだ両手を顎に当て、目を閉じて想いを巡らせた。
不安なのだろう。
それはリンだけではない。
今のリンに、何ていう言葉をかければいいのだろうか。なかなか浮かばない。
静かな時間が刻々と過ぎていった。やがて、ウォスリーがリンに一言だけ送った。
「リヴァイアサンを倒そう。約束は必ず守るからな」
「わかっている。ありがとう」
リンと一言だけの会話を交わしてから、ウォスリーは眠りについた。
やがて朝を迎えた。ウォスリーたちはこれまでと同じように小屋を出発して、大型ソリに乗り込んだ。小屋で手に入れたダイナマイト19個は、ソリの物入れに積み込んだ。1個のダイナマイトが忽然と消えたが、気にせず出発することにした。
いつもと同じ1日の始まりだ。しかし、妙に静かだ。
エリア99という場所を通過しながら、狼も熊も出現しない。天候も平穏だ。
何とも言えない緊張感が、ウォスリーたち3人を沈黙させた。
やがて、大きな水晶が視界の先に見えた。水晶の中に大きな人が入っている。
水晶に近づけば近づくほど、確信は深まった。遂にA―99に到達したのである。そして水晶の中にいるのは、誰でもないアイザックであった。
A―99の目印にもなる水晶の前にソリを停止して、一行は降りることにした。水晶の中にいるアイザックは、傷一つなかった。恐らく、リンとベンで緊急処置を施したのだろう。彼女たちにしてみれば辛い再会になるのだろうが、意外なことに冷静で、落ち着いて水晶を眺めている二人の子供の姿がそこにあった。
「さてどうする?」
「おい。随分とあっさりしているな。この人はお前らの恩人だろ?」
「そうだ。でも私たちは仲間が亡くなることには慣れている」
「そうか……そうだよな。とりあえずソリに乗せて帰ろう。オレたちの故郷に」
「おいおい。オレたちはアイザックを連れ帰りに来たのか?」
ベンの問いかけにウォスリーは立ち止った。それもそのはずだ。彼は誰よりも宿敵が近くにいることを知っていた。しかしここに来て腰が引けてしまったのか、何かから逃げるような心持ちになっているようだ。
ベンもリンも、ウォスリーを真剣な眼差しで見つめている。
逃げてはいけない。そう心で唱えられたときに、それは勇気に変わった。
「あそこに崖があるだろ? 研究書にはあそこから出現すると書かれていたな」
ウォスリーは100メートル先の断崖の絶壁を指さした
「おそらくあの崖の下に奴は存在している。奴を目覚めさせることで、すぐ戦闘が始まる。戦うと言うのなら、逃れることはできないぞ。覚悟はできているな?」
「何を今さら。ビビっているのはお前の方だろ?」
「あなたは約束をした。破るならまた蹴るまでだ」
「全くとんでもない奴と仲間になったな……オレの提案を聴いてくれるか?」
ウォスリーの問いかけに、二人ともさも至極当然のように相槌をうった。ウォスリー以上に、この二人は覚悟を決めているのだろう。ウォスリーは息を深く吸い込み、大きな吐息として出した。吐息は、空気中の中へすぐに消えた。
「昨日手に入れたダイナマイトの全てをこのソリに詰め込む。それから発火する。そして、リンに全力でこのソリを崖に向かって蹴ってもらう。一瞬の作業になるぞ。しかも絶妙なタイミングを求められるが……まずはこれをお願いできるか?」
「おい! これを崖に棄てるって言うのかよ!?」
「ああ。でもオレたちは必ず“還れる”。責任はオレが取る。信じてくれ」
「ベン。彼の言葉を信じよう。彼なしで今の私たちはなかったはずだ」
「そりゃそうだけど……わかったよ! 話を続けろよ!」
「すまんな。だがここからが本番だ。いいか、これまでの敵と大きさも規模も全く違う奴が出てくる。どんなに巨大な奴でも気持ちで飲み込まれるなよ。勝負は一瞬だ。オレが至近距離で奴を止める。そこで奴の顔面を片方ずつ二人で攻撃してくれ。これもお願いできるか?」
ウォスリーの問いに、リンもベンも顔を俯けたまま、しばらく言葉を失った。
静かな空間が、より緊迫した雰囲気に拍車をかけるようだ。
「ウォスリー。ひとつ訊いていい?」
「ああ。なんだ?」
「あなたが死んだ場合はどうすればいい?」
「ああ。そうだな。実はもうひとつ聞いて欲しいことがある」
「?」
ウォスリーは二人に向けて穏やかに微笑むと、説明を始めた。
「さっき逃れられないと言ったが、リヴァイアサンから逃げる方法なら実はある。うつ伏せになって動かないことだ。これだけでアイザックは幾度も命を拾ったとここに書いてある。つまり、最初からうつ伏せになっていれば命の保障はある」
ウォスリーはペラペラとアイザックの研究書を二人に振って見せた。それからアイザックの方を向いてさらに話を続けた。
「オレの提案は、オレの声でお前らに攻撃に入って欲しいというものだ。それまでお前らはうつ伏せになったままでいい。どうだ? 不満はあるか? もう一度聞くぞ。お前らに覚悟はあるのか?」
ウォスリーの顔が、いつしか真剣なものに変わっていた。
「わかった。約束は果たしてもらおう!」
「ああ。必ず」
「失敗したら、お前を一生恨むからな!」
「おいおい。失敗なんかしたりしねぇよ」
いつしか3人の心はまとまっていた。
やがて、ソリへのダイナマイトの詰め込みと作動準備が終了した。
ベンが発火能力を発動して、精一杯伸ばしたダイナマイトのコードに発火する。リンがタイミングをみてソリに全力のキックをかますと、ソリは空高くアーチを描くように舞い上がり崖の下へと落下した。リンの脚力も進化していた。
しばらくして、大きな爆発音が聴こえた。ダイナマイトが爆発する前に海に落下した場合は失敗となり、その憂慮もあったが、どうやら上手くいったようである。
爆発音がしてから数分後に、雲が黒く濁りはじめた。
ゴロゴロと空から音がする。やがて眩しいほどの落雷が崖の下に落ちた。
雷が落下してから数秒後、今度は雪と強風が吹き荒れはじめた。ウォスリーが空を赤い眼力の発動で睨みつけるが、まるで効果がないようであった。
「うつ伏せろ!」
ウォスリーがそう叫んだ瞬間に50メートル、いや100メートル級の爬虫類が、崖の下から空に向かって勢いよく出現した。上空をぐるりと回ると、ゆっくりとその巨体を浮かしながら、大きな顔をウォスリーたちに向けた。
想像以上に巨大で壮大な敵である。長く巨大な胴体には、幾つも腕のような羽が生えている。とても普通の人間がまともに戦って勝てる相手でないのでは……そう思った瞬間に、大きく口を開けた怪獣が目の前へとドンと迫ってきた。瞬時にウォスリーは赤い眼力を発動して、それを迫りくるリヴァイアサン当体に向けた。
瞬間的な出来事であった。こちらに突進しようとしてきた怪物が、はるか上空で両目を閉じてのたうちまわっていた。
このときウォスリーは確信した。こちらには勝ち目が確かにある。
「おい! お前ら立ち上がれ!」
「なんだよ……もう大丈夫なのかよ?」
「倒せるぞ! おい! ベン! 聴こえるか?」
「なんだよ?」
「アイツは恐怖という存在でしかない! よく見ていてくれ」
「おい? さっきから何を言っている? お前も一旦休めよ!」
「その必要はない。そのままでいいから、よく見ていろ!」
リヴァイアサンは上空でグルグルと長い巨体を回すと、再びウォスリーたちのいる地上へ突進してきた。まさにその牙が迫った瞬間、すぐ近くまで迫っていたはずの物体が空でのたうち回っていた。ベンも遂に、この一部始終を目の当たりにした。
やがてリンが立ち上がった。いつも無表情の彼女が、これまでになく晴れやかな表情をみせていた。まるで、何かから解き放たれたようであった。
「そうか。思い出した。こんな簡単なことだったなんて……」
「どうしたリン?」
「今度は後悔をしたりはしない。ウォスリー。あなたに出会えて本当に良かった」
「おいおい。何を今更。何か思い出したのかよ?」
「ええ。その通り。今の私なら力になれる! カーラに会えたらよろしく言ってね」
「おい? お前ら何を話している? カーラ……って、おい! リン! どこへ行く!」
ベンの大声とともにリンは地面を蹴り上げ、空高く飛び上がった。その行先は軌道修正をしたばかりのリヴァイアサンの顔面近くだ。リンはリヴァイアサンに渾身のキックをお見舞いした後、羽の攻撃を全身に受けてどこかへ飛ばされた……。リンの蹴りが余程効果的だったのか、リヴァイアサンはこれまで以上にのたうち回っていた。ウォスリーはリンの覚悟を心で受け止めようと、目を閉じて念じた。驚いてはならない。悲しんでもならない。宿敵はまだ厳然といるのだ。
「リン、どうして……」
「ベン、落ち着け。憎きリヴァイアサンもあと一息だ。またここにやってくる。その時に、お前の一撃をあいつにくれてやってくれ。オレも……オレの体力も……そろそろ限界がきている。次の襲撃に耐えられるか自信があるわけでもないぞ。頼む! リンの勇気を無駄にしないでくれ!」
「…………」
ウォスリーは息を切らしていた。たった二度の対面でも、酷く体力の消耗をした。善戦していても、この世界では最強の敵であり、最後の関門だ。そう易々と倒すことができないのは明白だ。ベンの心境を察しながらも、ベンの力が必須なことは目に見えてわかっていた。ウォスリーは息を切らしながらも、最後の言葉をベンに吐き出すように言い切った。
「これで最後だ。よく聴いとけよ。オレはお前と一緒に戦えて良かった。お前が同い年で本当に良かった! 死んでも後悔はしねぇぞ!」
ベンはウォスリーの言葉を聴いて、両目に涙を浮かべだした。思い出してみれば、彼はリヴァイアサンが出現した時からずっと怯えていた。リヴァイアサンを攻撃できる感じは微塵もない。だからこそ、もう最後の一言に賭けるしかなかった。
リヴァイアサンはとぐろを巻き、大きな轟音のような鳴き声を島中に轟かせた。やがてウォスリーたちの方へ視点を合わせ、体勢を直した。またここに突進してくるのだろう。ウォスリーは全身全霊で両目に力を込めて、空に浮かぶ竜を睨んだ。遠距離からの攻撃はあまり効かないようだ。やはり至近距離での攻撃が望ましい。
吹雪が激しくなった。ベンはどうしているのだろうか。
大地が揺れ始めた。疲労で意識が朦朧として、フラフラしているのか。
上空でこちらへの攻撃態勢に入ったと思われていた、リヴァイアサンの様子も変化していた。青白く光っていた両目は赤色に変色しており、大きな顔部分も……いや、その巨体そのものがどこか萎縮しているようだった。敵も満身創痍なようだ。
今度こそ正真正銘の最後の一撃だ。ウォスリーは拳と腹に力を込めて叫んだ。
「かかって来い! バケモノオオオオオオォ!」
リヴァイアサンが、先ほどあげた轟音以上の雄叫びをあげて突進してきた。
一瞬の出来事であった。
頬に当たる膨大な粉雪と強力な冷風が、これまでにないほどウォスリーを襲った。
顔の前で腕を交差させて強くなる吹雪に対抗したが、視界が狭まった。
迫りくるリヴァイアサンはこれまでにない大迫力だった。
腕を外そうにもウォスリーの身体そのものが硬直していた。
まさに絶望と呼ぶに相応しい瞬間だった。
その刹那。目の前で一人の少年が目前に迫った強大な怪物の顔面に飛び込んだ。
少年の右手には、発火されたダイナマイトがあった。
少年は右手で握ったダイナマイトを振り上げて、怪物に殴打を見舞った。
少年の雄叫びが微かに聴こえた瞬間、眩しい閃光が目の前に広がった。
大きな爆発音と地響きが、氷の島の全域へぐんぐんと広がっていった。
それから随分と時間が経った。やがて、氷の島は静寂さを取り戻していった。
氷の島の片隅。頑丈に作られていた小さなロボットが、大きく破損していた。原型は崩れてはないが、体中の表皮は剥がれて、ロボットとしての骨格が露わになっていた。どうも強い衝撃を受けたらしい。自動修復にかなりの年月を必要としそうだ。しかし彼女には、それ以上にしなければならないことがあった。
腰ベルトに装着していた無線機を手にとり、交信を開始した。どうやら破損はしてないようである。皮肉にも、自分より頑丈に造られているようだ。
無線の交信が繋がった。ロボットの少女は、崩れた機械音の声で無線を送った。
『メーデーメーデー聴こえる? こちらリン。貴方は無事なの? そう。良かった。ええ。貴方もわかったでしょ? 彼は……うん。そうよ。だから祝ってあげて。あと「約束」はもういいと。そして彼に力を。ええ。健闘を祈るわ。アディオス』