暴走
『お前が俺を殺した』
何も無い筈の場所に、ぼんやりと一人の人間の姿が浮かび上がった。その姿を見た途端、俺は恐怖した。
「お前……何で……」
『俺は死んだ筈──そう言いたいのか』
「どうして……」
『そんなに知りたいのなら教えてやる。俺は確かに死んだ。お前の言葉の所為で俺は自ら命を絶たざるを得ない状況に陥った。──見ろ』
そこに現れた人影は、俺が殺したクラスメイトだった。あの日最後に見た時の姿のまま、俺の前に姿を現した。
そしてそいつが促す通りに足元を見ると、そこには見たくも無い光景が広がっていた。
足元に見えたのは、俺が殺したクラスメイトの死体だった。屋上から飛び降りて、地面に叩き付けられた衝撃で壊れた、身体の残骸だった。
『目を逸らすな。これがお前を発端として起こった事の顛末だ。どうだ、満足したか? 俺を殺して自らが上位である事を証明出来たか? それでお前は満足したか?』
「ち……違……俺は、ただ……」
『おいおい、ただストレスを発散したかっただなんて言うなよ。お前の本性はそんな綺麗な物じゃないんだからな』
「そ……れは……」
俺は何も言い返せなかった。否定しきれるだけの絶対的な自信が無かったからだ。
『俺はお前の所為で死んだ。俺はもっと生きていたかった。もっと人としての生を謳歌したかった。それをお前の身勝手なプライドと、品格の無い言葉で絶たれた。俺の人生はお前に強制終了させられたんだ。何でだよ。何で、俺が死なないといけなかったんだよ。なあ、教えてくれよ。なあ!!』
声は言葉を紡ぐ毎に大きくなり、俺に殺された事に対する怒りを露にしていた。
『お前が死ねば良かったんだ。お前が居なければ、俺は死ぬ事なんて無かった。お前が死ねば──お前が──ッ!!』
怒りは明確な殺意へと変貌していた。
俺が殺したクラスメイトは静かに俺に歩み寄り、その両の腕を俺に向かって伸ばす。
俺はそこから動く事も出来ずに、ただそいつの虚ろな瞳を見つめていた。
『お前なんか、生まれてこなければ良かったんだ』
俺に伸ばされた両手は、俺の首を握り込むととてつもない力で締め上げてきた。
「うっ……ぁ……」
『苦しいか。痛いか。死ぬのが怖いか。そうだろ、そうだよな。俺だって痛かった。怖かった。でもそんな感情すら、お前の言葉一つで奪われた。だからお前はその恐怖も絶望も痛みもしっかりと味わってそして──死ね』
俺を締め上げるその力は、本当に人とは思えなかった。
脳に酸素が回らなくなり、目の前がチカチカと点滅している様に見えた。血液が頭に残留して破裂しそうな苦しさを感じる。
俺はこのまま殺されるのか……。
どんどん締め上げられて、最後にバキリ、という野太い音が聞こえたと思った瞬間に全てが眩んだ。
*
「────ッ!!」
悪夢に魘された俺は、痙攣でも起こしたかの様にビクリと大きく跳ね起きた。
外はまだ暗い。夜は明けていなかった。
「夢にまで出てくるとか……笑えねえよ……」
俺は自分の肩を抱いて震えた。まだ春先という事もあって、半袖のティーシャツではまだ冷える。風邪を引いたら病院に行く為にまた外に出なくてはならない。それは絶対に嫌だった。
俺は気怠い身体を無理矢理動かして、汗でびっしょりと濡れたティーシャツを着替え、もう一度横になる。しかし再び眠る事は出来なかった。
また同じ夢を見るのでは無いかと怯え、眠る事に恐怖した。
今までの短い人生を思い返しても、現実の出来事が夢に出てきた事なんて今まで一度も無かった。夢は所詮夢。現実とは関係の無い物だと思って生きてきた。こんなにリアルで、感触まではっきりと思い出せた事が初めてだったからか、妙な気持ち悪さが身体に残っていた。心なしか首が痛む。
「……ウッ……うぅ……何で…………何で、俺なんだよ……。何で俺だけこんなッ……こんな……!」
恐怖に支配された思考が溢れ返り、涙となって頬を伝う。
それは止め処なく溢れ、俺の体中の水分が全部無くなるんじゃないかという勢いで零れた。
「何で……何で俺なんだよぉ……うぅ……」
涙だけでは飽き足らず、嗚咽までが込み上げてくる。
俺は思っていたよりも全然強くなんてなかった。その事実も手伝って、俺の心に巣食った闇は晴れる事がなかった。そんな俺を部屋の隅でメアが黙って見ていた。
*
太陽が昇る頃にようやく俺は眠りに就いたらしい。俺が目を覚ました昼頃にメアがそう言っていた。俺に気を使ってか朝食──というか、昼食まで用意してくれたらしいが生憎俺の今の精神状態では何も喉を通らなかった。唯一いつも飲んでいた炭酸飲料だけは飲めたが、それ以外の固形物は一切喉を通らなかった。食べてもすぐに戻してしまって、勿体無いから俺は何も食べなかった。
俺はこの日、無断で学校を休んだ事になる。多分担任あたりが電話を掛けてくるだろうから、丁寧に考えた文章を告げれば良い。俺は初めて電話のありがたさを知った。顔を見ないで話が出来るというのは何とも素晴らしいものだ。
俺は早速ありとあらゆる担任の質問を想定して文章を考えた。それはノートの二ページ程に至る少ないものであったが、恐らく十分だろう。あまり多くを語るつもりはない。あくまで具合悪そうに、そんな演技をしながら迂闊な言葉を避けなければならない。
そうして呆然としていると電話が鳴った。
俺は恐る恐る受話器を手に取り、演技を始めた。そして見事に何気ない会話を避けて電話を切った。
電子音の鳴る受話器を置き、俺はまた自室に戻った。ベッドに横になり、天井を仰ぐ。何も無い無機質な白い色だけが目に映る。変化もなく、ただただ白いそれを見ていると何故だか少しだけ落ち着いた。
生きていない物がこんなに安らぎを与えてくれるとは思っても居なかった。しばらく家から出るのはやめよう、そんな決意がそんな事で固まった。
幸い両親は同時に出張。家に帰るのは一週間後になるらしい。両親の出張のタイミングが今で良かったと心底安堵した。普段顔を合わせなくても、俺を産んだ親だ。それなりに思い入れと言うか、そんな感じの感情は抱いている。そんな人達を失ったらきっと俺は狂い果ててしまうだろう。それは考えるだけでゾッとした。
何故かメアだけは俺の言葉の影響が少ないらしい。俺の暴言に対してもあまり変わった反応を見せず、割かしいつも通りに接してくる。流石にふざけきった行動は控えているらしいが、それはアイツなりの気遣いなのだろう。それはそれでありがたいものだった。
最初は常識知らずな変な奴だと思っていたが、そんなこともなかったらしい。俺は今、アイツの常識的な行動に救われている。
俺は数日間、その優しさに甘えて過ごした。
*
「ねえ、御主人」
俺が部屋に引き篭もって数日が経過したある日、しばらく何も言わなかったメアが話しかけてきた。俺は話し相手も居ないから素直に耳を傾けた。
「……何だ?」
「そろそろ外に出たほうが良いと思うの。ずっと部屋の中に居たら不健康なの」
「……嫌だ」
「でも……」
「……言ったろ。人に会うのが怖いって……これ以上誰も傷つけたくないんだ。だから誰にも会わない様にする為に俺は一人で居る」
俺は毛布を被った。
「誰にも会いたくねえんだ。外には行きたくねえ」
今外に出たら、何も見えないようにカーテンを締め切り、何も聞こえない様に耳を塞いだ俺の数日間は無意味になってしまう。外に意識を向けないように、自分に意識を定めた。自分の生きる意味や、この能力の意味を考えるだけの数日。答えの見えない考え事をしていれば外に意識を向ける余裕がなくなる。人は二つの事を同時に同じ質のまま進行させる事なんて出来ない。その不器用さは素晴らしく俺に都合が良かった。
「ずっとこんな所に居たら腐っちゃうの。それに──」
「……なんだよ」
「そろそろ、食料もなくなっちゃうの」
メアは後ろめたそうにそう言った。
俺は三食きっちり食べていた訳ではないし、一食でそんなに多くを口にしてはいない。それなのにどうしてそんなに早く食料がなくなるのだろう。それ程までに我が家の備蓄は少なかったのだろうか。
「だから、買い足さないといけないの。ウチが行っても良いんだけど、ウチは現実の物に触れないから、買った物を持ち帰れないの。だから……ね?」
メアに言われた事について少し考える。確かに食料が無いと俺は確実に栄養失調で死ぬだろう。それなら苦しむ事無く死ねる気がする。誰にも迷惑を掛けなくなると考えるとその方が良い様な気がする。
しかしその事を考えた瞬間、メアを含めた俺以外の十一人の子供達の顔が浮かんだ。全員揃わなければこの世界を抜け出すことが出来ない哀れな子供達。当然俺一人が欠ければ全員が困る事になる。だから俺は──死ねない。
誰にも言葉を掛ける事無く帰宅すれば良いんだ。口を開かなければ良いんだ。そうだ、いつも通りじゃないか。余計なことは愚か、今は必要なことであっても何も言ってはいけない。そういう条件が追加されただけで、本質はいつもと変わらない。元々集団行動が苦手で学校なんかでもあまり喋っていないのだ。いつも通り、いつも通り──。
「分かった、行くよ」
俺はそうして久し振りに私服に袖を通したのだった。
*
玄関の扉を開けると、日光が眩しく感じられた。しばらく薄暗い部屋に閉じこもっていたから余計に眩しいのかもしれない。
俺は歩き出した。家から一番近いスーパーに、最短距離で向かった。人と会わないように、何も喋らないように、平静を装って。
メアも心配そうに俺の後ろをついてきた。
道中、沢山の人とすれ違った。どうして今日はこんなに人が多いのだろう、と思ったら、今日は休日だった。しばらく時間の感覚なんて無かったから分からなかったけれど、そうだ。
買い物をしている間も、幸い知り合いには会わず、メアに色々言われたがそれも首を降るだけの簡単な質問だけだったから声を発する必要が無くて助かった。メアの気配りが行き届いていた。
俺はそうして大量の食品を買い込んで、帰路に付いた。
この調子で誰にも会わない事を期待した。
しかし──。
「あれ? 秋築じゃん」
「ホントだ。学校にも来ないでこんな所で何してるんだよ、秋築」
「買い物か? お前いつから専業主夫になったんだよウケるー」
後ろから嫌な声がした。
振り向くと、遊びに行く途中と思われる三人組がニヤニヤとこちらを見ていた。
「学校サボって何してんだよ」
ニタニタと人を不快にさせる笑みを浮かべてこちらへ近寄ってくる三人を俺は無視してまた家までの道を歩き始めた。
「おい、無視してるんじゃねーぞ。お前はいつからそんなに偉くなったんだよ」
そのうち一人が俺の腕を掴んで思い切り引っ張る。
逆にお前らに問いたい。お前らは俺より偉いのか。
俺は数日間動かなかったというのと、睡眠不足、その他色々な要因が重なって体力が衰え、簡単によろけて持っていた袋を落とす。中身が散らばり、足元に転がる。
「お前がアイツ殺したんだろ?」
一人が向けた質問が俺の心臓を鷲掴みにした。冷や汗が吹き出て、吐き気がする。視界が暗くなり、立っているのも厳しくなる。
「なあ、どうなんだよ。お前、アイツと言い争ったんだろ? お前が屋上から突き落としたんじゃねえの?」
明らかに悪意の籠もったその問いに、俺は立っていられなくなった。
「ホントの事言えよ。お前が殺したんだろ?」
「……ち……ちが……俺じゃ……」
俺は耐え切れなくなって今まで押し殺していた声──言葉を遂に発してしまった。
「じゃあ何でアイツ自殺なんてしたんだよ。悩みなんて無さそうじゃねえか」
中学生──子供の悪意の籠もった質問ほど心に刺さる物はない──。そう思った。
俺は悪くない。俺は────。
「おい、何か言えよ」
「俺──お──れは──」
震えて言葉が上手く出てこない。俺は──どうしたら──。
「お前、殺人犯じゃん」
その時、今まで黙っていた一人が口を開いた。
「────ッ!」
平坦で興味の無さそうな声でありながら、俺の動揺を煽るには十分な一言だった。
「俺はッ! ──俺は殺してない……。俺はあの日、本当に用事があってすぐに帰ったし、屋上には立ち入ってない……」
「誰がそんな嘘信じるって言うんだよ。お前以外に居ないだろ。あいつは悩みがあればすぐに相談してたし、死ぬほど深刻な悩みを持ってる様にも思えなかった。原因があるとすればお前との言い争いしか考えられない」
どうやらコイツらは自殺したあの生徒と仲が良かったらしい。
「ッ! 俺は、やってない」
「お前が殺したんだろ」
美影に真実を告げられた時と酷く重なる気持ちがあった。ショックで、ショックで、もうおかしくなってしまいそうなほどに衝撃を受けた、あの時の気持ち。言い表すのが難しい、とても抽象的な、そんな気持ち。
『お前が俺を殺したんだろう?』
交差点の向こう側に、自殺した生徒の影が見えた。夢で見たのと同じ姿をしたそいつは、顔を歪めて笑い、俺の罪を嘲る。
「煩い────煩い、煩い、煩いッ!!」
「なっ、おい、いきなりどうしたんだよ」
「煩い、煩い、煩いッ!! 何で俺が悪いんだよ。何で俺ばっかりこんな目に遭わないといけないんだよッ!! 黙れよッ!! 俺が殺した? そんなの分かってるんだよ!! そんな事言う奴、俺の前から消えろよ!! 俺を貶める奴ら全員、俺の前から消えろよッ!!」
俺は遂に心の奥に仕舞い込んでいた本音をぶちまけてしまった。
発した言葉は撤回できない。一度出てしまった物が訂正される事なんて在り得ない。それが言葉のルール。紡いだ言葉は紡いだ本人に責任という鎖を与える。
「……わかった、俺、消える」
三人の重なった声がそう告げる。
そうして三人はフラフラと別の方向に歩いていった。
一人は歩道橋の上に、一人は赤信号の交差点に、一人は廃ビルの屋上に、それぞれフラフラと意思のないままに歩みを進めた。
これから起こる展開など、容易に想像が付いた。
また──惨劇が繰り返されるのだ──。
「や──やめろおおおぉぉぉッ!!!!」
否定の言葉は────届かなかった。
三人の命は、儚く、そして簡単に散った。
同時に、三人の命が消える音が聞こえた。
走っていた乗用車に身体を跳ね飛ばされる音、ビルから落下し頭が潰れる音、歩道橋から身を投げ出し車に引き摺られる音。
どれも聞いて気分が良くなる音ではない。
三人の同時自殺に、通行人はただパニックに陥るばかりだった。俺もその一人で、顔面蒼白でその場から動けずに居た。足が竦んで、立ち上がることすら儘ならない。目の前で起こった事象が信じられず、受け入れられず、認識できず、ただその場で呆然としていた。
俺が、俺が殺した。
また、俺の言葉で人が死んだ。
俺は──殺人犯でしかない──。
「御主人! 御主人は悪くない! 御主人は何も悪くないっ!」
メアの声が遠くで聞こえるみたいに響く。実際、脳内に直接響いているから近いも遠いも無いけれど、そんな気がした。
「見たくないなら早く帰ろう。御主人、大丈夫だから……だから……っ」
メアの言葉が俺に届いていたのか、よく分からない。そんな余裕も無い程に、頭の中は真っ白だった。人の言葉を認識して、処理出来るほど、俺の今の状態は正常ではなかった。
これで────俺は何人の人を殺した?
五人────。日本では死刑になってもまだ償いきれない人数だ。
死刑────俺は死ぬのか? 俺は、人の命を奪ったから、自分の命で償わないといけないのか?
怖い。これ以上人を殺すのは怖い。罪を犯すのは怖い。
──気付けば俺は走り出していた。何処へ? そんなの俺にもわからない。恐怖から──現実から逃げ出すように走り出していた。
自宅の玄関の扉を勢いよく開け、部屋に駆け込むまでの描写が、まるで写真の様にコマ撮りに脳内で切り替わる。その位の記憶しか、俺には残っていなかった。
どうして俺はまだ生きているんだ。
あんなに命を奪っておいて、どうして俺はのうのうと生きている。
アイツらには何の罪も無かった。なのに、俺はそんな奴らを殺した。
よくニュースで報道される殺人犯たちは、「カッとなって殺った」なんて言うけれど、俺も同じだ。カッとなって言葉を発して意思を奪って殺した。どこに違いがあるって言うんだ。
俺も裁いて欲しい。罪に見合うだけの裁きが欲しい。でないと俺は自分を許せない。
でも言葉で操ったと言って信じる大人が何人居るだろう。物証が無ければ罪は認められない。法的に裁く事なんて出来ないのだ。
じゃあ、誰に裁いて貰えば良いんだ。俺は、どうやって罪を償えば良いんだ。
知らない。分からない。子供の俺に思いつくのはとてもシンプルで、明白な方法だけだった。
自分で裁くしか──ないじゃないか──。
俺は近くにあったハサミを手に取った。
震える両手で柄を掴み、喉元に突き立てる。
頚動脈を切れば、俺は死ねる。自分で自分を戒める方法しか、俺には思い付かなかったのだ。
死ねば楽になる、という安心感と、犯した罪に対する償い、戒め──。そんな気持ちが俺の自殺を後押しする。
短い人生だった。生まれ変わる事は出来るだろうか。だとしたら幸せな人生を歩めるだろうか。こんな捻じ曲がった運命の元ではなく、普通の、在り来りな幸せを手にすることが出来るだろうか。
一旦喉元からハサミを遠ざける。そしてそのまま勢い良く喉元に突き立てた。
しかし、その勢いは喉に到達する前に止まってしまった。
どうして──どうして、止めた──。怖いのか、迷っているのか、死に対する何かしらの否定的な感情が俺の手を止めた。
俺の手は依然として震えている。力を入れようとしても上手く入らない。震えるまま、喉元にハサミを突きつけた状態で止まっている。
しばらくそうしていると、ドサリ、と、部屋の入り口から音がした。
何となく視線を向けると、メアが立っていた。その足元には、俺が帰り道で落とした買い物袋もあった。
「御主人──何──やってるの……」
「なにって……」
見れば、分かるだろ?
「自殺……しようとしてたの?」
「…………」
黙秘を肯定と受け取ったのか、メアは眉を吊り上げて、まるで怒っているかのような顔つきでこちらに歩いてきた。そして俺のハサミを奪い取ると、床に落とした。
「どうして自殺なんてするの!? 御主人は何も悪くないんだよ!? なのにどうして……ッ!!」
「……俺の所為だよ。……俺があんなこと言わなければ、誰も死ななかった。俺が黙ってれば良かったんだ。ああ、死ねないならいっそ、この舌切り落として何も言えない様にすれば良いのか……」
メアの顔を見ているのも辛くなって、俺は床に視線を落とす。
「何を……! 御主人は自分が何をしようとしているのか分かってるのっ!? 御主人が居ないと誰もこの世界から抜け出せないんだよ!? 皆には御主人が必要なんだよ!? どうして分からないのっ!!」
メアは物凄い剣幕で俺に怒鳴り散らす。それ程までに俺の自殺が腹立たしかったのだろう。
「俺の命なんて、全員が助かる為の道具に過ぎないだろ。道具に意思は無いって言うのかよ」
「そうじゃないっ!! 御主人が道具な訳ないっ! 皆には御主人が必要なの!」
「俺じゃなくて、俺の命だろ」
「ウチには御主人が必要なのっ! 御主人が居ないとダメなのっ!!」
メアは泣きそうだった。
「俺、もう誰も傷つけたくないから……お前も早くどっか行けよ。俺なんかと居ると、いつか死ぬぞ」
「人間なんていつか絶対死ぬの。だからそれがいつだろうとそれは関係ない。だからウチは御主人と一緒に居る。例え世界が御主人の敵になっても、ウチは絶対御主人の味方で居る。だから、自殺なんて……しないでよ……」
ポタ、ポタ、と、床に水滴が落ちた。
それは俺の目から落ちたものではない。メアが零したものだ。
何で──お前が泣いてるんだ? どうして、お前が泣く必要があるんだ?
俺はメアが泣いている理由を分からずに、ただその様子を虚ろな瞳で見ていた。今の俺は感情が理解できなかった。どうして、どうして、どうして、と、感情の理由を追い求める。現実逃避をするかのように、その理由を思考する。
「何で──お前が泣いてるんだよ……」
俺はメアに手を伸ばす。その涙を拭うように、そっと触れる。
考えてみれば初めてだった。俺からメアに触れるなんて、今までの俺では考えられない行動だ。でも、そんな風に変わったのもこの事件の所為かも知れない。
「ウチは──ウチには、御主人しか居ないの──」
考えてみれば、俺はメアの事を何も知らない。メアの家族も、本当の名前も、何処から来たのかも、何も知らない。
「──なあ、メア──お前、一体何者なんだ?」
俺は初めて本気でメアに質問した。本気で知りたいと思ったことを訊ねた。
「ウチの事なんて、今はどうでもいいの。それより御主人。そんなに死にたい?」
「……出来ることなら、今すぐにでも、死にたい……」
「何で、そんなに死にたいの?」
メアは俺の意思を確かめるように重ねて訊ねた。
「もう誰も、傷つけたくない──罪を重ねたくないんだッ!!」
俺はいつの間にか本音を吐露していた。
「じゃあ、ウチが助けてあげる」
俺は顔を上げる。メアは冗談を言っているわけでもなく、真剣な眼差しを俺に向けていた。
「──どうやって」
「ウチの嘘で、全部塗り替えてあげるの」
「──出来るのか」
「分からない。でも、上手く行けば御主人の罪も無かった事に出来るの」
希望は、賭けだ。失敗したら俺は今よりも深い絶望の淵に立たされることになる。それに耐えられるだけの強い心は持ち合わせてなどいない。つまり、リスクが大きすぎるのだ。
「……少し……考えさせて欲しい……」
俺がそう言うと、メアはそっと部屋を出て行った。