真実
俺の能力──それは俺自身が考え続けても答えなんて出ないものだということが昨日の段階でわかった。発想が乏しいのか、目を向けるところが違うのかは知らないが、とにかく自分で気付くのは無理だと思った。メアか、あるいは他の誰かに指摘してもらわねばわからないかもしれない。
学校に着くと始業ギリギリの時間だった。
もうほとんどの生徒が登校し、席に着いて自学やら読書やらをしている。流石は進学校、勉強に対する意識はそこら辺の中学校よりは高い。
教科書や勉強道具を机に収納していくと、始業を告げるチャイムが鳴った。間もなく一時限目の授業担当の教師が入ってくることだろう。俺は授業の準備をして窓の外を眺めて時間を潰す。
しかし五分が経過してもなお、教師が教室に入ってくる気配が無く、俺は窓の外を見るのにも飽きてきていた。他の生徒たちは授業に関係無く自分で勉強を進める。
俺はそんな生徒たちの様子を見回していた。
教室の真ん中辺りまで視線を移した所で、空席があるのを見つけた。
その席に座っているのが誰だったか思い出せないが、そいつの欠席報告か何かを受けていて教師が遅れているのだろうという事が想像できた。そういえば一時限目は担任の授業だった事を思い出した。
俺も渋々出されていた課題を消化することにした。
テキストを机に引っ張り出してシャーペンを握ると同時に教室前方の扉が開き、担任が入ってきた。
「授業を始める前に。ホームルームをします。とても大切な話です。全員自習を止めて話を聞いてください」
教師のあまりにも重々しい雰囲気に、何かあったことを察した生徒達は次々とテキストを仕舞い、教師の発する言葉に集中する。
「──今日は小杉が登校していません。その理由を話します。皆さん、これからの話はとても受け入れ難いものです。覚悟して聞いてください」
担任はそういうものの、覚悟を決めるまでの時間は与えず、すぐに続きを話した。
「──昨日の夕方、小杉が屋上から飛び降りて自殺しました」
担任の告げた事実は。中学生が受け止めるにはあまりにも重く、その場に居た全員が性質の悪い冗談だと思ったに違いない。
事実俺は受け止めきれずに、反射的に勢いよく立ち上がっていた。
「受け止めるのに時間が掛かるのはわかります。秋築、気持ちは解るが座りなさい。まだ続きがあるのだから」
俺は、担任の言葉が耳に入らなかった。立ち上がったまま硬直している。ぐるぐると昨日の出来事が頭の中で巡り、今までの考えがぐちゃぐちゃに掻き回される。
*
それからの事は覚えていない。ただ、気が付いたら俺は部屋で蹲っていた。
ベッドの上で体育座りをして、頭から毛布を被っている。窓から差し込む明かりが何とも恨めしく俺を照らしていた。
「……俺が……殺したって言うのか……」
誰に言うわけでもなく、呟く。
「……御主人は──何もしてないの……」
慰めるように呟かれたメアの一言も俺の心には届かない。響かない。
「俺の言葉が……アイツを殺したのか……」
「……御主人、今朝、美影が言っていたのはこの事だったのかも知れないの……。──ねえ、御主人、美影なら、この事について、何か知ってるかもしれないの。だから……神社に行ってみよう?」
「……俺……出掛ける気分じゃないんだ……放っておいてくれ……」
身体の臓器を全て握られたような圧迫感と、緊張感。そんなものが俺の身体を蝕んで、怠さと吐き気を引き起こしていた。今は動ける状態ではない。だからといって眠ることも出来ない。悪い夢を見るのが怖いんだ。だから、俺は一人で部屋に居たい。
「真実を確かめないといけないの。御主人ホラ、立って」
メアは蹲る俺の腕を引っ張り、ベッドから引きずり出す。俺には抵抗する力なんてなくて、そのまま床に落下する。
「真実なんて──どうせろくなものじゃないんだろ……」
一度回りだした俺のマイナス思考は止め処なく溢れて脳内を満たし、俺を絶望の底に誘った。
「そんなの、聞いてみないと分からないの。だからホラ、立って。本当の事を知らないと」
「──嫌だ」
「そんな事言わないで、早く」
「嫌なものは──嫌なんだ……。良いから放っておいてくれよ。これ以上嫌なことなんて聞きたくない」
俺はそう言って耳を塞いだ。
「御主人がどうしても行かないって言うなら、ウチが無理矢理にでも連れて行くの。真実はまだ分からないの」
「──分かるさ。どうせろくなことじゃない」
「可能性が無いわけじゃないの」
メアは声に苛立ちを隠しきれず、俺の腕を掴んで引っ張り上げると、そのままズルズルと外へと引きずり出した。
注ぐ太陽の光が眩しくて、俺は目を閉じてメアに引きずられるままに旧市街へと足を踏み入れた。
神社の石段の前まで来ると、メアはずっと掴んでいた俺の腕を離した。俺はその場に力なくただ立っていた。
「ホラ御主人、ここからはウチが引っ張って行けないから、御主人が自分の足で歩くの」
そうは言われても元々気が進まないのだから俺が自ら足を進める筈は無い。
「……もーっ! 御主人の意気地なしッ!!」
メアはそう言うと俺の背後に回り、両手で背中を押してきた。俺は転ばない様に足を前に出した。
そうやって何度も何度も踏み出すうちに、いつのまにか石段を登り終えていた。
「美影! 教えて欲しいことがあるの! お願いだから出てきて欲しいの」
メアの声は木々に吸い込まれて行った。
「──何ですか?」
「今朝言っていた事について、もっと詳しく教えて欲しいの」
「──タクト君はその様子だと、学校で事実を確認したようですね。良いでしょう、私が真実を教えてあげます」
俺はその一言にビクリと反射的に震えた。こんな事言うのは恥ずかしいが、怖かったんだ。真実を知って、もしそれが俺に都合の悪い事だった場合、俺の精神は崩壊するんじゃないかって思って、とても怖かった。
「タクト君のクラスメイトが自殺した理由、それは──タクト君、貴方が彼に向けた、『言葉』の所為です」
──ああ──やっぱりな──。
心の何処かで、そうなんじゃないかと思っていた。
でもそれを認めたくは無かった。
俺は加害者なんかじゃない、そんな被害妄想ばかりがその答えを隠して俺を偽った。
でもさ、そうでもしないと俺、どうにかなっちゃいそうだったんだよ……。
「──タクト君、聞いていますか? 貴方の放ったあの暴言が、彼を死に追いやったのですよ。貴方が殺したと言っても過言ではありません」
美影の言葉は俺に追い討ちを掛ける様に心を抉った。
「やっぱり……そうだったのか……」
「気付いていたんですね」
「……薄々……な……」
「言葉は──刃物なんです。上手に使えば大切な物を守ることが出来ますが、それは同時に自分を傷つけるリスクを孕みます。タクト君、貴方は使い方を間違えて、一人の掛け替えの無い命を奪った。そしてその反動として貴方の胸の奥には、量りきれない程の罪悪感が巣食っている。タクト君、貴方の持っている能力、それは『言葉』を操る力なんです。貴方の一言は他の人の何倍もの勢いで心を動かします。どうか、これ以上使い方を間違えないで下さい。傷付く人が──これ以上増えない様に──」
「嘘だと……思いたかった……」
俺はそう言い捨てると、駆け出した。
これ以上誰も傷付けない為に、極力人と会うのを避けようと思った。部屋に閉じこもれば誰にも会わなくて良い。俺も皆も救われる。
そう思って全力で街を駆けた。
「あら? タクト君じゃない? どうしたの、こんな時間に。学校は?」
ふと、自分を呼ぶ声に俺は足を止めた。そこには隣の家に済む隣人が居た。四十代位の、中年のおばさん。外で顔を合わせる度に声を掛けてくる世話好きのおばさんだった。こんな旧市街との境目で会う事なんて珍しい。
「あ……」
俺は言葉に詰まった。
「学校、もしかしてサボったの?」
おせっかいな隣人は俺の行動についていちいち口出ししてきた。
「え、いや……」
「ダメじゃない、貴方は学校に行かせて貰ってるのよ? それがどんなにありがたいことなのか、貴方分かってる?」
おせっかいもここまで来るとうっとおしい。
俺に喋らせないでくれよ。もう誰も傷つけたくないんだよ。
その一心で必死に言葉を探す。
「……サボりじゃ……ないです……」
「ならどうしてこんな場所に居るの? もしかして今日はお休みなの?」
「え、あ、いや、そうじゃなくて……」
「そんな訳無いわよね、だって貴方制服着てるし。どうしたの? 学生の本分は勉強でしょ? サボってるのならすぐに学校に行きなさい。おばさん送ってあげるから」
「え、いや、大丈夫です……。俺……具合悪くて早退して……そう、それで今病院から買える途中なんです……」
「早退したのに一人で帰るの? ご両親は? どうして一緒じゃないの?」
「両親は……仕事が忙しくて……」
「まあ、子供が具合悪いのに仕事を優先するなんて親として失格ね。大丈夫なの? 良かったらおばさんが面倒見てあげようか?」
顔をしかめ、両親を批判した隣人は俺が最も望まないことを申し出た。
「あ、いや……大丈夫です。薬飲んで寝てればすぐに良くなるんで……」
「ダメよ、栄養のある物を食べて暖かくしていないと。タクト君、具合悪いんだから料理なんて出来ないでしょ? だからおばさんが──」
「いいって言ってんだろ!!」
俺は堪らず大声を出した。
「余計なお世話なんだよ。毎日毎日……俺は俺の生活に口出しなんかされたくないんだよ! 何なんだよ、どいつもこいつも俺の望まないことばっかりしやがってッ……。邪魔だッ! 俺の目の前から消えろッ!!」
言った瞬間に、俺はしまったと思った。
「ごめんなさい……消えるわね……」
隣人は虚ろな瞳をこちらに向け、たった一言そう呟くとフラフラと車道に向かって歩き出した。
「待っ……」
刹那、走行していた大型トラックによって、その身体は意図も容易く跳ね飛ばされた。
地面に落下し、横たわった身体はピクリとも動かず、あるべき筈の部位が離れていたり、赤い液体がコンクリートを染めたりと、日常では考えられない光景が目の前に転がっていた。
「御主人!!」
背後からメアの声が聞こえた。
「──ッ!!」
俺は振り向いてその姿を確認すると、一目散にその場から逃げ出した。
「待って!!」
制止するメアの声も無視してただ一目散に家に向かって走る。
何も見たくない、何も聞きたくない、誰にも会いたくない。この世界の全てから目を背ける様にして俺は家に逃げ帰った。脱いだ靴も揃えずに、ただ部屋に閉じ籠もった。
「……御主人」
「……今は誰の顔も見たくないんだ……。何処かへ行っててくれ……」
「……分かったの」
メアはそう言って部屋から出て行った。
*
これで──俺は二人の人間を殺した。
日本の法律では、二人以上殺すと死刑が決まるらしい。
俺もそうやって殺して欲しかった。これ以上犠牲者が増えるのは嫌だ。これ以上罪悪感に苛まれるのは御免だ。
誰か──助けてくれ──。