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後編


『夜中に教室に行くと女の子の幽霊が見える。その子は特に何かをする訳じゃない。ただ、じっとこちらを見つめるだけ。悲しそうな目をしながら生前、自分が座っていた椅子に腰かけている』

それが、真夜の小学校に伝わる最後の七不思議。『死んだ女の子の幽霊』と呼ばれるものだった。それが噂されるようになったのは真夜が小学校を卒業するギリギリの時。ちょうど、彼女が死んで一年が経つ頃の話だった。

その話は、瞬く間に学校中に広まった。もちろん真夜にもその噂は飛んで来たが、適当にあしらい話題に入ることはしなかった。

気に入らなかったのだ。確かに皆の前で死んだはずの少女を噂の根にすることが。それが、真夜の大事な人だったと言うならなおさら。

しかし、その感情を表に出すことはない。あの日以来、真夜は自分の気持ちを偽って生きるようになっていた。

雪奈の死の責任は自分にあった。ちゃんと雪奈に話していれば、こんなことにはならなかった。それが原因。しかし、自分に責任を追及した結果、真夜は元々あんな争いさえ起こさなければよかったのではないか、と考えるようになった。争いの種を撒かない。それさえしなければ何も起こりはしない。いつも仲良く明るくして、それで相手の都合の良い事だけを言っていればいい。そして、相手とは一定のラインを保ち続ける。誰一人として近づかせることはしない。たったそれだけ。それだけで昔と同じ過ちは起きないのだ。

戒めだった。雪奈を殺した自分への。

もう二度と、同じことは起こさない。そう誓った真夜はこれを徹底して行うようになった。急な性格の変化に最初は両親も、教師も戸惑った。どちらも雪奈と仲良くしていた事を知っていたからだ。彼女が死んでしまったことで何かが壊れてしまったのかと、一人、三者面談もされた。しかし、表面上にはなんの問題もない。問題を起こす事も無く、いつも明るくしている、その姿にいつしか大人達は「彼は、きっとこの壁を乗り越えて成長したのだろう」と錯覚するようになった。大切な死を乗り越えて大人になったと。

その勘違いで歪んだ成長を続けた真夜はここまで生きて来た。それが普通になり当たり前となった。

「……」

教室までの廊下は酷く遠いものに感じられた。

もう何十分も歩かされているかのような感覚。実際はそんなことはなく、歩き始めて数分と言ったところ。心では早く会いたいと願っているのに身体が上手く動いてくれない。さっきまで自由に動いていた身体がまるで別の人の身体のように融通が利かなくなっている。

本当に雪奈に会いたいのか?そんな疑問すら浮かんでくる程に。

そんな足を無理矢理動かしながら真夜は教室を目指す。あそこにきっと居るはずなのだ。雪奈が。会って話さないと、謝らないといけない。

やっとの思いで教室に辿り着く。ドアは閉まっており、中の様子を窺う事は出来ない。全ての一般教室にはドアや廊下側に窓が取り付けられているのだが、何故だか深い霧に覆われているように曇っていて覗く事が叶わない。

確認する方法はただ一つ、中に入る事だけだ。

「……」

深く息を吸い込む。重い身体を動かして、真夜はドアの取っ手に触れた。

ゆっくりとドアを開く。

「……雪奈?」

曇ったガラスの向こう側、そこはどこも変わらない普通の教室だった。ただ一つ普通じゃないところを上げれば、あの時と全く同じ教室なだけ。時が止まったまま、この時間を進んで来たかのように全てがあの時と同じままだった。

そんな空間に彼女は居た。

生前、座っていた椅子に腰かけ、こちらを見つめている。その見た目は随分と変わっていた。あの時の小学生の姿ではなく真夜と同じくらいの年齢にまで。しかし、確かな面影はある。あのまま一緒に過ごして成長していたら、きっとこんな姿になるのだろう。

「……雪奈か?」

恐る恐る話しかけると、彼女はこくりと頷いた。

また、会う事が出来た。もう二度と会えないと思った彼女に。

信じられない感動が押し寄せる。しかし、それと共に一つの疑問が浮かび上がって来た。

彼女はどう見てもさっきまで一緒に回っていたはずの少女だった。それは、寸分違わずに。どこにもさっきとの違いは見てとれない。少しさっきと雰囲気は違う気もするが、それは今のこの問題には余り関係のない話だ。

どうして、今まで気付かなかったのか。真夜の抱いた疑問はつまりこういうことだった。出会ってからずっと一緒だった少女の事を、どうして雪奈だと気付く事が出来なかったのか。いくら、あれから長い年月が経とうが今でも雪奈の顔は思い出せる。鮮明な程に。それから少しの成長を遂げたところで真夜にわからない訳がないのだ。それだけ、真夜に取っては大事な存在だったのだから。

「仕方ないよ。そういう風にしたんだもん」

そんな真夜の問いに答えるように雪奈は口を開く。

「そういう風にしたって?」

「真夜が、ここに来た時に私のことをちゃんと判別出来ないようにしたの。そういう事が出来ちゃうんだよ、私は」

「それは、お前が……」

――幽霊だからなのか?それを言い終わる前に雪奈はこくりと頷いていた。

「私、ここに強い未練があってね。出ることが出来なかったんだ。ホントなら成仏しなくちゃならないんだけど、駄目だったの」

強い未練……。

雪奈の考えていた事を理解してしまった真夜にはどうして彼女がここに縛り続けられているのかを容易に想像することが出来た。

「それじゃ、あの七不思議は……」

「うん。見られちゃった。あんな時間に誰かが来るなんて思ってなかったからビックリしちゃったよ」

そう言って少し恥ずかしそうに笑う。その顔の裏側に哀しみの表情が隠れていることを真夜は見逃さなかった。

考えれば簡単な話だ。

知っている人間に出会った。その人間が自分の事を見て驚いて逃げ出す。それがもし、自分の仲の良かったクラスメイトだったら。考えるだけで雪奈がどれだけ寂しい思いをしてきたのかが痛い程伝わる。しかし、その痛みもきっと雪奈に取ってはほんの一部の事なのだろう。彼女はまちがいなく真夜が思っている以上の痛みを感じているはずだった。

「雪奈……」

「もう、そんな悲しい顔しないでよ。やっと会えたのに」

そういう雪奈の顔も同じくらいに暗い表情をしていた。それでも無理矢理笑顔を作っているのが痛々しくてたまらなくなる。

お互いがお互いを想っていた。それは彼女が死んだ後も変わらない。それこそ、相手の気持ちがわかってしまうくらいに。

真夜が悲しいのが辛くて雪奈は表情を暗くする。それを見て真夜はまた彼女を想い傷付く。それは雪奈も同じ事。終わりのない螺旋階段。スタートもゴールもわからずにただ、悲しみだけが満ちて行く。

それは思っているが故の哀しさ。その想いは確かに嬉しいはずなのに、上手く行かない。こんなはずではなかった。どうしていつも、こんな風になってしまうのか。

あの時と同じ感情が真夜の精神に襲いかかる。

「考えちゃダメだよ」

それを悟った雪奈が真夜へ語りかけた。

「そんなことを考えさせる為に私はここに呼んだんじゃないんだよ。違うの……」

必死に真夜を泥沼から引きずり出そうとする。しかし、真夜はわかっていた。彼女も自分と同じところに立っている事を。自分がその沼にいるのなら、彼女もまた、その沼に入っている。

彼女は悔いている。あの時の事をずっと引きずっている。ここに幽霊となって成仏出来ていないのも、きっとそれが原因なのだ。ならば、彼女に真夜を助ける事は出来ない。沼に浸かっている者が同じ沼に浸かっている人間を引っ張り上げる事が出来ないのと同じように……。

「俺は……」

どうして、こんなところにいるのだろうか。彼女に会えたとして、どうするつもりだったのだろう。悔いる?それだけ?それは果たして彼女の為を思って考えた行動なのだろうか?それで、助かるのか?彼女は。そんな訳ない。

結局のところ、助かりたいのは自分だけ。自分さえ助かれば、それで良いと、考えていたのか。

死者に責任をなすりつけて、一人のうのうと生きて。それは、あの時のクラスメイト達と変わらない。あの時、彼らが雪奈の霊で盛り上がっていた事となんら変わりはしない。いや、それはきっとそれ以上に残酷で――

「真夜」

いつの間にか下げていた顔を上げると目の前に雪奈の顔があった。肌白く、少し青い。血の巡りを感じられない冷えた身体。それでも、少女の目は真剣にこちらを見つめていた。

それは、真夜とは違う。今、真夜が考えている事を思っているような顔ではなかった。絶望していない。悲観していない。その目は真っすぐ、前だけを向いていた。

「ねぇ、真夜?ちゃんと聞いて欲しいの。お願い」

「だけど……」

「私は、ずっと悔やんでた。真夜と同じくらいにずっと。だから、こうして成仏出来ないで、未だにこの空間の中に閉じこもっていたんだと思うの」

わかってた。そんなこと言われるまでもなく真夜は理解していた。

「でもね。きっとこんなところ、いつでも出て行けたんだ。ここから抜け出して真夜にだって会いに行けた。ううん、会いに行ったよ。私が死んで一週間後くらいにね。一人で居るのが、誰にも気付かれないのが寂しくて、真夜の側に居たいと願って、私は真夜に会いに行ったの」

懐かしむように目を細めてその時の事を語る。その目には小さな水が溜まっていた。

「その時ね、真夜が私の日記帳を見ている時だった。一枚一枚、丁寧に読んでくれた真夜の隣で私も一緒に見てたんだよ?恥ずかしかったけど嬉しかった。だって、あれには私と真夜の楽しかった記憶が一杯詰まったものだもん」

でも……。と彼女はそこで一旦区切る。知っている。楽しかったのはここまで、それから先は……。

「そっから先はちょっと辛かったかな……。私、真夜の事を心配するばっかりで全然考えてなかったから。まさか、私のなんかの為に悩んでいてくれたなんて思いもしなかった。だから、どうして悩んでいるんだろって一生懸命考えてもわからなくて私に出来るのは一緒にいて慰めてあげるだけだと思ってたの。でも、それがいけなかったんだよね……。悩むばかりで真夜に心配かけさせちゃって結局、どんどん落ちて落ちて、最終的に私は死んじゃった」

雪奈が生きていれば、もしかしたら誤解は晴れたのかもしれない。しかし、現実は非情だった。それが晴れぬまま少女は死に、誤解が晴れた頃には謝る相手はもう、どこにも居なかったのだから。

「それを知った時の真夜の顔を見てたらさ、もう私は自分を責める事しか出来なかった。真夜は絶対にこれを引きずって生きて行くんだなってわかったから。死んだ私が重りになって前に進めなくしてしまった」

「そんなこと……」

さすがにそれは否定しようと口を開く。しかし、それは彼女の手によって塞がれてしまう。

「そんなことないって?あれを見た後に真夜は壊れていったのに?」

「壊れた?」

自分が?何を言ってるのかわからない。理解出来ない。壊れた?俺が?そんなことはない。俺は今もちゃんと普通に――



――本当に過ごしているか?



そんな声が聞こえて来た気がした。それは自分の身体の中から。自分の声で。自分を否定するように。

いや、過ごしているさ。大丈夫、俺は普通だ。友達だって居るし何の問題も起こっていない。普通の学生生活を楽しんでる。

「壊れてなんか、ないさ」

それでも、出て来る言葉に確信はない。自分の声なのに自分の声じゃなく、自分の思いなのに自分の思いではないように思えて仕方が無かった。身体の中に別の誰かが居て、そいつが声を出しているような錯覚を覚える。

偽物の感情。

それは、あの日の真夜が学んだ誰も傷付かない唯一の方法。自分の思いを腹に隠し、表で相手に取って都合の良い事だけを話していれば争いは起きない。いくら自分を傷付けようが構わなかった。あの時と同じ事を繰り返すくらいなら、いくらでも傷付こう。

それは、きっと雪奈への償いにもなるのだから……。

「……見えたよね?自分の心」

「……ああ」

静かに頷く。

仮面が壊された。鎧も、心を偽ったもの全てが壊された。

「私が何より辛かったのは、それなんだよ?真夜」

静かに、語りかけるように、彼女はそう口にした。その目に小さな水たまりを溜めながら。

「自分が何されたってどうってことない。それが真夜の為になるなら。でもね?その真夜が私のせいで傷付くのは見てられないよ……。だってさ、死んでる私には何もしてあげることが出来ないんだよ?私はどうやったって貴方の傷を癒す事が出来ないんだから…」

「だけど、俺は……」

「いいの。わかってる。真夜だって同じ事を考えてたんでしょ?全部の責任を背負って、自分に傷付けなくてもいい傷を作って……。それは全部、私の為にやってくれてたってわかってるから」

「雪奈……」

しかし、それを認めたら、自分を偽っている事を認めてしまったら、俺は責任を雪奈に押しつけていることにならないだろうか?俺のせいで死んでしまったのに、何も傷付かずに過ごしてしまうなんて……。

「だから、真夜のせいじゃない。あれは事故だったの。タイミングが悪かっただけで真夜には何の関係もない。ありもしない罪を背負って傷付かないで。そっちの方が、私は悲しい……」

「…………」

「お願い真夜。この事実を受け入れて。貴方にはどうすることも出来なかった。でも、その事実から目を背けないで。私の死を、受け入れて」

「俺は、お前の死から逃げてただけなのか?」

「それはもう、自分でわかっているはずだよ?」

目を閉じる。

あの日記を見た時、これが彼女の死そのものだと思った。これを自分の手に取って自分の目で読んでしまった行為自体が死だと感じた。

あの日、約束したのだ。絶対に守ると、雪奈の前で。それに対して雪奈はとても嬉しそうに微笑んだ。しかし、現実は違った。あっけない程簡単に、彼女は息を引き取った。真夜の知らない所で、知っていたとしても、きっと何も出来なかった場所で。彼女を守ると誓った少年に取って、それは大きな心の傷となった。辛かった。痛かった。守るという行為すら許されなかった現実に。だから、真夜は最後の手段を使うことにした。

つまり、自分の責任にするということ。

彼女を守ったという事実が欲しかった。守れなくてもいい、守ったという行為さえ認められればそれで良かった。でないと、真夜は本当に壊れてしまいそうだったから。自分の非力さに、無力さに、押しつぶされてしまいそうだったから。

結局のところ、彼は雪奈を守っていた訳ではない。


自分を守っていただけだった。


「……俺はどれだけ自己中なんだ」

目を開けてぽつりと呟く。その目からは涙があふれた。彼女が死んでから初めて流した涙。あの日からずっと溜まり続けた自己嫌悪の塊。真夜の心を覆っていた最後の殻が、塩辛い水となって彼の頬を静かに流れて行った。

「……ありがとう。真夜」

「どうしてお礼なんか言うんだ……こんなに酷い事をしてきたのに」

「いいの。こうなるのは当たり前のことだもん。だから、わかってもらえただけで良かったんだよ。それに、これで私も一歩が進める」

「一歩って……お前…」

「そりゃ、ね?」

その一言で真夜は確信した。

そして、ここに呼ばれた理由もわかった。

「行くんだな」

「うん。ここには長くいすぎちゃったから。もう行かないと」



二人は廊下を歩く。暗い闇の世界もそろそろお別れ。気が付けば、空が少しずつ青く染まり始めていた。

「日の出が見れてしまうくらい、ここに居たんだな」

「楽しいことってあっという間なんだよね」

そうだな、と真夜は後ろから聞こえた声に同意する。真夜の隣には誰もいない。あの時のまま、雪奈は真夜の後ろにまわって着いて来ていた。

「俺の後ろ好きだな、お前」

「私は後衛担当だからね!」

「まだ言ってたのか、それ」

思わず苦笑する。その声が聞こえたのか、雪奈は「なんで笑うのー?」と少し頬を膨らませた。

「いや、ちょっと懐かしくてな」

「ん、そうだね……ねぇ、真夜?」

「ん?」

「真夜は、ちゃんと私のこと守っていてくれたよ?」

ぎゅっと、真夜の服を掴む。その手は小さく震えていた。

「真夜は私にとって一番大事な勇者だった。でもね、それだけじゃ足りないの。勇者だけじゃ、誰も守れない。色んな人や仲間達が居て、初めて守れるものだってあるんだよ?だから、一人だけで何かを守ろうとしないで?私も一緒にいさせて?」

前衛だけが戦っても後衛だけが戦っても一人では勝てない。二人が協力をして初めて強敵を倒せる。それは、以前、雪奈が言っていた言葉だった。そして、それを怠った結果があの時の過ちを引き起こした。あの事故が無関係だとしても、それの責任だけは真夜と雪奈、両方にあった。どちらも、どちらを守る事ばかりで頼る事をしなかったのが、今回の原因。

そして、真夜は今もまた、それを実行し続けていた。

「皆から距離を置いて、線を作って、それでも皆の為に動こうとしてる真夜の事、私は知ってる。そんな真夜を見たくはなかったけど、それでも私はなんとかしないとって思ったから。だから、真夜の作った線が少しずつ揺らいで来てる事も知ってるんだよ?」

「……」

雪奈の言う通りだった。確かに真夜は全てに一定の距離を置いて、それでいて皆に良い顔をし続けて来た。しかし、それも限界はある。真夜が仲良くしているグループ同士でいざこざが起こっていた。それは、もの凄くどうでもいい理由。しかしそれが真夜の立ち位置を危うくしていた。こっちに良い顔をすれば、あっちへのイメージが悪くなる。それを補強しようとあっちに顔を向ければこっちが……。どちらにも敵は作りたくない。しかし、その中途半端な考えでどちらにも敵を作ってしまう可能性が出て来てしまった。二兎を追う者は一兎も得ず。

その言葉通りの状態に真夜はなりつつあった。

「一人で何でもしようと思ったら、真夜は今度こそ一人ぼっちになっちゃう。そんなの私やだよ。他の人にも頼って。それが正解であることを真夜は学んだはずなんだよ?」

「だけど……俺はもう誰も失いたくない。あの時のように過ごして、もし、また大事に思うような人が出来たとして、その自分の大切な人が居なくなってしまったら俺はもう……」

「真夜……?それ、矛盾してるよ」

「……え?」

「わからない?それじゃ、逆に聞くけど、真夜はどうして距離を置いてるの?」

「それは……!」

「大切な人だからでしょ?真夜にとって距離を置く人って言うのはそれだけで大切な人なんだよ?私だけじゃない。真夜はもう、たくさんの大切な人を持っているんだよ。大切だからこそ傷付けたくない。大切だからこそ、距離を置いた。一人で悩み抜いた。でも、それがどんな結果に直結したか真夜はわかってる」

それは雪奈のことだけじゃない。今の事も含めて。自分でなんとかしようと考えた挙句、今日という日までこうして間違いを犯し続けて来た。だからこそ、今度は間違える訳にはいかない。同じ選択をする訳には、いかない。

自分の為にも、そして何より彼女の為にも。

「……あの時と同じ痛みを味わいたくないのに、あの時と同じことをしてたんだな、俺は」

また、失くすところだった。大切な人を、場所を。あの日のように。

結局、俺は学習出来てないんだな。酷い自己嫌悪に襲われながらも、それを教えてくれた雪奈に感謝する。

「ありがとう、雪奈」

「うん。最初は辛いかもしれないけど大丈夫。それはきっと、真夜を幸せにしてくれるから……頑張って生きてね?」

「ああ……」

死んだ後もずっと真夜の事を考え、悩んでいた。その少女の頑張りを無駄にはしない。その事を胸の中で固く誓い真夜は一つ大きく頷いた。

それに満足した雪奈は歩いている足を速め、真夜の前を歩き始めた。

「さ、もう着くよ」

それは、二人の関係の終着点。奇跡の終わり。

雪奈が大きな鉄扉に手を掛ける。押すと錆びた音を立てながら大きく口を開けた。

その先は屋上だった。これは雪奈の願い。最後は暗い所じゃなく光の差す場所で別れたいと、雪奈が言ったからだ。

「もう、本当にお別れだね……」

「ああ」

朝日を背に少女は笑顔を浮かべる。もう、真夜の後ろには誰もいない。彼女は隊列を抜けた。これからはお互い別々の道を歩いて行く。しかし、それは一人になるということではない。そのことを雪奈は教えてくれた。

「今日、真夜に会えてよかった。気付いてくれてよかったよ」

そのままの笑顔で少女の目元から涙が流れ頬に伝って行く。それを拭うこともなく雪奈はじっと真夜の顔を見つめた。二度と会えない大事な人を忘れないよう心に、記憶に、留めながら。

真夜も同じように彼女を見つめる。その少女の後ろから段々に昇って行く太陽と一緒に。あれが完全に顔を出したらきっとこの時間は終わる。なんとなくだが、真夜はそう感じていた。だから、そのギリギリまで彼女の事を記憶する。言葉は最後だけでよかった。

「……そろそろ時間みたい」

そう言って足元を指差す雪奈。その足元が光に触れた途端、彼女の身体が少しずつ透き通っていく。

「最後に何か言おうかなって思ったけど何も思いつかないや。やっぱ、ドラマのようにはいかないもんだね」

「そうだな」

全く同じ事を考えていた真夜は思わず笑みをこぼす。おかしい、ここは笑う所じゃなく泣いて別れるシーンのはずなのに。

「はは……。やっぱり私達、最後までそっくりだったね」

「本当にな」

きっと一緒にいれば、お互い気の合う存在でいられたはずだ。今、もし雪奈が生きていれば、恋人同士にもなれたのかもしれない。

そんな現実は訪れないとわかっている。しかし、今の彼女ともっと長い時間一緒にいたかった。

「……ねぇ、真夜。私、まだ一つだけ心残りがあったんだ」

「なんだ?」

もう彼女の身体は半分が消えかかっていた。足は完全に消え、今や彼女は上半身だけでしか現界出来ていない。

もう、時間はない。

それでも、少女には真夜に伝えなければならなかった。最後の最後。それはきっと真夜を傷付けてしまうかもしれない。それでも、言いたかった。消える前に確認したかった。それは、もう二度と叶うことのない、もしもの話。死んだ彼女の、最後の我儘。

「もしかしたら、これは真夜を傷付けてしまうかもしれない。それでも、いいの?」

「当たり前だ」

即答だった。

雪奈は真夜の代わりにたくさんの傷を背負って来た。傷付く必要のない傷まで負った。だから、今度は真夜の番。自分を沼から押し出してくれた彼女を助ける番なのだ。

「一つだけ、言いたかったの。でも、怖くて言えなかった。もし違っていたらどうしよう。そんな事を思うと胸が締め付けられるみたいだった。痛かった。……おかしいね。私、死んでるのに心臓が痛いんだよ?言わないで去ろうって思った。でも、やっぱりハッキリさせておきたかった。このまま何も知らないまま消えるのもやっぱり怖かった。真夜が一歩を踏み出したんだから。私も一歩を踏み出すの」

そして、口にする。

「ねぇ、真夜」

あの日に感じた。

「私の事」

あの日ではわからなかった感情を。



「好き?」



「……っ」

それに対する真夜の答えは簡単だった。

ただ、抱きしめる。消えかけの体温も感覚も感じない身体を。抱きしめる。強く強く。本当にそこにいるかのように、真夜は彼女を優しく包み込んだ。それだけで、雪奈は満足出来た。

だけど、もう少しだけ我儘になってもいいよね?

「返事が、欲しいな」

「……好きに決まってんだろ」

彼女にだけ聞こえるよように真夜は囁いた。彼女の目から涙がこぼれる。さっきよりも大量の水が、彼女の頬を伝い、真夜の肩に。

「うれし、いな……」

「雪奈!」

慌てて身体を離す。その時に見た雪奈は、もう首すら存在してはいなかった。

「ほんとうに、あり、がと」

掠れる声に何度も頷きながら真夜は今度こそ涙を流した。

そんな真夜はを見て、雪奈は目にたくさんの涙を溜めながらも笑った。今まで見た中で一番綺麗な、笑顔だった。

――だいすきだよ。真夜。


一瞬の瞬きの後、そこにはもう真夜しかいなかった。彼だけが一人立ち尽くしている。最初からこの世界には彼女なんていなかったかのように。今までが全部、夢だったかのように。

「……雪奈」

一人、ぽつりと彼女の名前を呼ぶ。返事はない。いつもと同じ、日常。彼女のいない世界。それは、彼にとって当たり前だった日々。

「……っ!」

手近にあったフェンスを思い切り殴る。フェンスは音を鳴らし、右手は強い痛みに襲われる。それでも、その喪失感より勝るものはない。どんな痛みよりも、どんな耳触りな音よりも。この喪失感を埋め尽くすような物は、もうここには何もなかった。



あの後、真夜はすぐに昨日の友人に電話を掛けた。受話機の向こうからは眠たげな声で一言「久しぶり」と答えた。

その一言で全てを悟ると真夜は手短に話を切り上げて電話を切った。やはり、あの電話は雪奈のものだったらしい。どうして、今日だったのか、彼女の中で何の心境の変化があったのかはわからない。ただ、わかるのは雪奈が一歩前に進みたかっただけだということ。もちろん真夜と一緒に。

「俺が前に進まないと後衛も前に進むことなんか出来ないもんな」

雪奈らしい考えだと、一人笑う。

でも、おかげで目が覚めた。寂しいかと言われれば嘘になる。強がっているかと聞かれればもちろんそう。今、誰かに優しくされたらきっと真夜は涙を流して嗚咽を上げ始める。

しかし、それはきっと自分の為になる。誰の幸せでもなく、自分の為の幸せ。その幸せがきっと皆の幸せになる。雪奈の幸せになると信じた。

だから、今はまだ立っていなければいけない。楽して来た分だけ、努力しなければならないのだ。

「……ん?」

季節はもう冬。寒さで思わずポケットに手を突っ込むと何かが指に触れた。行く前に何かを入れた覚えはない。

怪訝な顔で取り出す。

それは……。

「……思い出は触れないんじゃなかったのかよ」

あの日、最後に二人で照らした小さな線香花火だった。



fin




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