【重要なお知らせ】を読んだ「個人の感想」 〜運営を経由しない書籍化打診について〜
うーん、震えた。
何がって、起こっていることの「切迫さ」についてである。
身近な例をもって、この問題の怖さについて考えてみようと思う。
例、その一。
今の小学生のドリル集はとても難しい。特に国語の文章問題……というよりは、問題文そのものが難しいのである。
算数しかり、他しかり、二年生程度と言ったってバカにはできない。ひと単元の復習の中に、大人でも「ん? これはどういうこと?」と読み返す必要のある文章が、いくつか隠されているのだ。
しかし悲しいことに、今の保護者たちは、これら夏休みの宿題に子どもと立ち向かえるほど、余裕がない。
現代の子育て世帯の一員として、申し訳ないばかりである。
宿題も遊びも学童まかせ。学童支援員は限られているので、一人ひとりに付き添ってサポートする時間も人員もいない。
宿題を完遂することは、物理的に難しい。
そんな訳で、効率重視の子どもたちは答えを丸写しするのである。
まぁまぁ、ズルを覚えたことは成長の証とも言えるけれど……いや、そもそもさ、勉強って、合ってるかどうかよりも考えることが大事なんであって……と、しがない母(筆者のこと)の煩悶は続く。
今、子どもたちの教科書や問題集をめくりながら感じるのは、この情報社会を生き抜ける教育をしたい、という国政の風向きだ。
「膨大な情報の海から、自分にとって必要で、信頼のおける文字列を探し出す力」
「AIにプロンプトを打ち込むとき、どのような文章構成であれば、極端でない回答を引き出すことができるか」
そういう意図が感じられる。
考えてみると、これは大いに皆さまの同意を得ることと思うが、社会に出て仕事をする上で、大切なものは何か。
「契約書」である。
貧富の差に関わらず、あっちにもこっちにもついて回る契約書。
この膨大な文字数の書類を読み解き、その正誤を確認しなければ、明日を生きるための金銭が手に入らないのだ。
この契約書にまつわるトラブルが、世の中になんと多いことか。未成年諸君はきちんと心の準備をしておいたほうがいい。じゃないと何千万の損をするどころか、人生が詰む。実際に詰む。
この例は「契約書や応募規約要項をしっかり読まないと、作品自体が詰む。さいあく書き手の執筆生命が詰む」ということを示している。
例、その二。
筆者は田舎の村落在住である。
今の時期だとナスやきゅうり、トマトが供給過多になり、この地域だけ食料自給率がケタ違いなのではと思うくらい、野菜が良く育つ。
夏に限らず、四季折々の花が咲き、農作がゆたかな土地である。
春に聞いた話だ。
あるご家庭の敷地内に、フキノトウが芽生えたらしい。翌日、それが潰れたようにひしゃげてしまったという。
猪か何かの仕業かと思っているうちに、またフキノトウが出てきた。
二度目は明らかに鎌で刈った跡があったという。
つまり、両方とも人間の仕業だったのだ。
散歩中にでも見つけたのだろう。ふつうは鎌を持って散歩なんてしない。だから一度目は、靴のつま先でほじろうと思い立ったのだ。しかしそれは上手くいかなかった。
だから二度目はご用意の良いこと、きちんと鎌を持ってきたのだ。
私はその話を聞いたとき、驚いて尋ねた。
「あの、それって私の感覚では、窃盗なんですけど……」
我ながらなんと遠慮のない物言い。恥ずかしい。
そのご家庭の奥さまは、ただ黙って頷かれた。わかっている、だけど田舎のことだから咎め立てはしない、という意思表示だと、私は理解した。
この例は、「泥棒は一度やったことは二度目もする」ということを示している。
この《小説家になろう》というサイトは、運営さま方が一生懸命耕してきた畑のようなものだと、私は思う。
作品や書き手は野菜だ。芋でも良し、花でも良し。あなたのお好みでどうぞ。
それならば、育ち具合を喜び、美しさを愛で、収穫の楽しさを分け合うのも、運営さまが先ず一番だと私は考える。
丹念に育った成果物を、横から取って奪うような輩は泥棒といってもいい。
しかも再犯率の高い、厄介な盗人だ。
盗人自身、お腹が空いていたのかもしれない、明日の食べ物にも困っていたのかもしれない。それならば百歩ゆずって、目のまえに熟れたおおきな桃が流れてきたら、持って帰るのは当然のこと——じゃないのよ。
昔むかしの桃太郎じゃあるまいし、現代の法治国家で許されることではない。
まとめ。
この例二つを通して、今回「重要なお知らせ」として注意喚起された「各応募作品に対する《運営さまの知らないルート》での商業化の打診」、この問題の本質を考えてみたい。
まず、創作者としてのプライド。
曲がりなりにも文字で食べていきたいと思っているなら、応募規約ぐらいはしっかり読みましょう。や、ね、私もうっかり粗忽者だから、人のことは言えませんよ。自省を込めて言ってますよ。規約を咀嚼し、噛み砕き、なんならダブルチェックを各自用意しましょう。
つぎ、作品の尊厳。
作品は宝石です。(上では野菜とか芋とか言ったけど、いったんそれは忘れてね)
どんなにプレビュー数が低かろうが、評価が少なかろうが、一人の創作者が命を削って、丹精こめて磨きあげた宝石です。
宝石は人を惑わす力があります。
美しさに目がくらみ、欲望丸出しで手を伸ばす人々も多く集まります。
それらの汚い手垢から大切な作品たちを守ってくれているのが、サイトの利用規約です。
作品の価値は、厳正なルールというショーケースの中にあって、初めて《商業化》という華やかさで飾ってもらうことが出来るのです。
これが作品の尊厳という言葉の意味です。
最後に、いちばん大切なこと。
信頼関係。
書き手のプライドと作品の尊厳が守られて、ようやく実るかけがえのない資産です。
銀行通帳の残高が増える訳でもない、いきなりポイントが増える訳でもない。数字じゃないから分かりにくいけど、これが見えざる資産というものです。
こういう目に見えない貯金残高は、ゆっくり積み上げていくものだから、すぐには理解できないかもしれない。だけどね、だからってそこにあぐらかいて粗相したら、崩れるのは一瞬だよ。
ちょっと怖い話をしましょうね。
もし今回のような問題を運営さまが見過ごしていたら、どうなっていたでしょうか。
トラブルの多く発生するところに、トクリュウ詐欺の悪い奴らが目をつけます。
ルート分岐!
せっかく運営さまが汗水流し、築いてくださった《作品の商業化》という華々しいルートが、負債シャッキン追い立て道中、死屍累々の墓場ルートへと変貌してしまうのです。
なんというバッドエンド。
こんなに怖いことあるでしょうか。
ひえぇ、騙されやすいババ(筆者)は腰を抜かします。
これは小説家だけの話ではありません。
サラリーマンも公務員も子どもも大人も、貴賤を問わず必要なのが信頼関係です。
だからね、一緒に学んでいきましょう。
私自身も偉そうなことは言えない、瑣末な書き手ではありますが。
ピンチはチャンス。
失敗は成功のもと。
使い古された言葉ではありますが、失敗の許されない空気で生きる現代人に対して、なんだか含蓄を感じます。
生きて、挑戦していれば、誰かに迷惑をかけることもある。
それを冷笑する人たちは置いていこう。
抱く夢の大きさと、契約書の文字数、利用規約のスクロールをしっかり確かめながら。
繁務をこなす運営さま方、
誠実な出版社さま方への感謝を胸に、
自分の活動を省みる機会といたしましょう。
この度は、重要なお知らせを伝えて頂き、ありがとうございました。
秋乃 拝




