第8話 ワビサビのサビは錆びですよね?
「……まずい……やりすぎたか?」
2階の男子トイレ。
個室の掃除を終え、廊下に出た俺は1階のロビーを見下ろして、ダラダラと冷や汗を流していた。
吹き抜けになっているロビーが、物理的に発光していた。
原因は、さっき俺が磨いた『英雄像』の剣だ。
俺が立ち去って数分しか経っていないのに、あの剣はまるで工事現場の投光器――いや、直視した瞬間に網膜を焼かれる核爆発の閃光のように、暴力的な黄金の光を撒き散らしていた。
「うわっ、眩しっ!」
「なんだこれ!? 英雄像が光ってるぞ!」
「目が、目がぁぁぁ!!」
ロビーを行き交う冒険者や受付嬢たちが、手で目を覆いながら大騒ぎしている。
サングラスをしていないと歩けないレベルの光害だ。
俺は手すりの影に隠れ、震える手でポケットの中の研磨剤を確認した。
『業務用・超強力サビ取り剤』
※使用上の注意※
削れ過ぎるため、重要文化財には使用しないでください。
特に聖剣。
……注意書き、今読んだわ。
「特に聖剣」ってなんだよ。
そんなピンポイントな注意書きがあってたまるか。
「やっちまった……」
俺は頭を抱えた。
あの剣、たしかにボロボロだったが、あれはいわゆる『侘び寂び』ってやつだったんじゃないか? 古い寺の仏像をピカピカに磨いたら怒られるのと同じで、あのサビ具合に歴史的価値があったのかもしれない。
それを俺は、安っぽいメッキのおもちゃみたいに光らせてしまった。
これ、完全に『器物破損』だ。
しかも相手は国宝級の像だぞ。弁償っていくらだ? 億か?
「――おい! 誰だ、あそこを触ったのは!!」
怒号が響いた。
1階のフロアに、警備員の制服を着た男たちが雪崩れ込んできたのだ。
その先頭には、ひときわ厳めしい顔をした警備責任者らしき男がいる。
「封印……いや、サビが完全に落ちているぞ!
何者がやった!目撃者はいないか!!」
責任者が血相を変えて叫んでいる。
――やっぱりだ。
『サビが落ちている』ことをめっちゃキレてる。
あんなに怒鳴り散らすなんて、よほど大切なサビ(歴史)だったに違いない。
「防犯カメラを確認しろ! 犯人を特定し、直ちに確保するんだ!
このままでは、剣の魔力が暴走してギルドが吹き飛ぶぞ!!」
……え? 今なんて? ギルドが吹き飛ぶ?
俺、そんなヤバいことしたか?
ただサビを取っただけなのに、まるでテロリスト扱いじゃないか。
サビ取り剤の説明書に「※磨きすぎると爆発します」とは書いてなかったぞ。
……逃げよう。
夜行列車で津軽海峡の冬景色を見ながら、逃げよう。
俺の野生の勘、もとい社畜の防衛本能が警鐘を鳴らした。
いまさら「すみません、綺麗にしようと思って」なんて言っても、問答無用で損害賠償コースだ。最悪、懲戒解雇だけじゃ済まない。裁判沙汰からのブタ箱行きだ。
俺は清掃カートを押し、忍び足でその場を離れようとした。
幸い、全員が光る剣に注目している。
今のうちに、影のように去れば――
その時だった。
「――あそこにいますわ!!」
凛とした、よく通る声がロビーに響き渡った。
心臓が止まるかと思った。
恐る恐る下を覗き込むと、金髪の少女――聖女アイラが、2階にいる俺をビシッと指差していた。 彼女の周りには、さっきの警備員や、野次馬の冒険者たちが集まっている。
「あの方です! あの方が、たった一拭きで聖剣を覚醒させたのです!!」
アイラが目をキラキラさせて叫んだ。
この時のアイラにはチクりの意図はない。
アイラ的心境としては、JKの彼氏がなんらかのイベントで活躍した際の……
『みてみて、ウチの彼ぴ、マジかっこいいんですけど』
に近い発言だった。
おい、バカやめろ。 なんでバラすんだ。
しかも「覚醒」ってなんだ。中二病か。
「なに!? あいつか!」
「逃がすな! 確保しろぉぉぉ!!」
警備責任者の号令と共に、屈強な警備員たちが階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
ドカドカという足音が、まるで地獄の使者のようだ。
彼らの目は完全に血走っている。
「損害賠償請求」という名の殺気が、俺の背筋を凍らせた。
「くそっ、あのアマ! 恩を仇で返しやがって!」
俺は清掃カートを放り出し、全力で走り出した。
清掃員(Fランク) vs ギルド警備隊(Bランク相当)。
まともにやり合って勝てるわけがない。
だが、この建物の構造なら、毎日床を磨いている俺の方が詳しい!
「待てぇぇぇ!!」
「止まれ! 貴様、何者だ!」
背後から怒号が迫る。
俺はコーナーをドリフト気味に曲がりながら、心の中で叫んだ。
俺はただの清掃員だ!ただ、ちょっとサビが気になっただけの善良な市民だぞ!
なんで掃除しただけで、追われなきゃならねぇんだよッ!
行く手には従業員専用の鉄扉。
その奥にあるのは、『業務用ダストシュート』だ。
あそこなら地下のゴミ処理場へ直通。
匂いはキツイし、ゴミまみれになるが、数億の借金を背負うよりはマシだ!
「そこだ! 追い詰めろ!」
背後に追跡者の声を背負いながら俺は鉄扉を蹴破り、室内最奥に備えられているダストシュートの蓋を開けた。
ぽっかりと暗黒の穴が口を開けて待っている。
「さらばだ! 弁償なんて知らねぇ!」
俺は叫び、勢いよく穴へと飛び込んだ。
俺の受難は、まだ始まったばかりだった。




