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第4話 ウェットティッシュは常備しましょう。



 ――翌朝。

 いつも通り、午前6時起床。

 昨晩はサウナ効果でぐっすり眠れた。

 体調は万全だ。


 トーストをかじりながらテレビをつけると、どのチャンネルも昨日の「ドラゴン騒動」の話題で持ちきりだった。


『――依然として、ドラゴンを一撃で消滅させた謎の人物の正体は判明しておりません』

『ネットでは「吉岡」がトレンド入りするなどしておりますが、まだ謎に包まれています』

『現場に居合わせた聖女アイラ氏は、「彼は掃除の神様です」と意味深なコメントを残しており……』


「神様ねぇ。……そいや、『トイレの神様』って歌あったよな。」


 『トイレを磨くとベッピンさんになれる』とかいう、あの歌だ。

 俺はうろ覚えな歌を歌いながら、熱いコーヒーを啜った。

 映像の男は作業着で顔がよく見えないし、身バレはないだろう。


「たかだか、掃除屋が掃除しただけで何を騒いでんだか。」


 俺はテレビを消した。


 ――さて、仕事行くか

 今日も俺を待っている汚れがある。

 それだけで、清掃する理由は十分だ。


 ◇


 ギルドへ到着すると、正面玄関はマスコミでごった返していた。

 カメラやマイクを持った集団が「英雄探し」に躍起になっている。


「うわ、邪魔くさ……」


 俺は舌打ちをし、そそくさと裏口の社員通用口へと回った。

 IDカードをかざし、静かな通路を歩く。

 平和だ。やはり裏方はいい。

 目立たず、騒がれず、淡々と仕事をこなす。

 これこそ正に『プロの姿勢』だ。


 渋い自分に酔いながら更衣室で着替え、事務所の扉を開けた、その時だった。


「――よ、吉岡さん!!」

 悲鳴のような声で、直属の上司である課長が飛びついてきた。

 顔面蒼白で、脂汗をダラダラと流している。


「お、おはようございます、課長。どうしました? そんなに慌てて」

「どうしましたじゃないですよ! 大変です! ギ、ギルド長がお呼びです!」

「……は?」


 俺は耳を疑った。

 ギルド長といえば、この巨大なダンジョン管理組織のトップだ。

 元SSランク冒険者で、『雷神』の異名を持つ伝説の男。

 俺のような末端のFランク清掃員が、一生会うことのない雲の上の存在だ。


「なんで、俺なんかが……あ、」


 嫌な予感が脳裏をよぎる。

 昨日の件だ。

 勝手に出てきたとは言え、 エリア外モンスターの襲来に対峙して、しかも貴重な生態サンプルであるドラゴンを勝手に「お掃除」しちまった。


 あれは確か、就業規則第8条『作業員によるダンジョン内生態系への過度な干渉の禁止』に抵触するはずだ。


「……やっちまったなぁ」

「えっ?」

「いや、なんでもないです。……わかりました。始末書なら書きますよ」


 俺は覚悟を決めた。

 最悪、減給処分か。

 サウナ代くらいは残してほしいもんだが。


 ◇


 案内されたのは、ギルド本部の最上階。

 重厚な絨毯が敷かれた廊下の突き当たりに、その部屋はあった。


「こ、ここです。入ってください……私は怖くて入れないので!」

 課長は俺を部屋の前に置き去りにして、脱兎のごとく逃げ出した。


 おいおい、部下を守るのが上司の仕事だろ。


 目の前には、巨大な両開きの扉。

 黒檀で作られた扉には、禍々しいほどの魔力が漂っていて常人では3秒と持たず失神する。


 ――らしい。


 俺にはよくわからない。

 ただ、なんかドアノブが「くすんで」見えた。


「てか、なんだよ、これ。手垢か?」

 俺は眉をひそめた。

 ギルド長様のお部屋の入り口のドアノブがくすんでいる。

 これでは、組織の品格が疑われる。

「本部の清掃班はプロとしてのプライドってもんがないのかね。」

 俺はポケットから「除菌ウェットティッシュ」を取り出し、ドアノブをゴシゴシと拭いた。


 パリンッ。


 何か硬質なガラスが割れるような音がした気がした。

「――ん?手垢って、酷くなるとガラス化するんだっけ?」

 俺はお構いなしに満足するまで、磨き倒す。


 よし、ピカピカになった。

 俺は満足して、コンコンとノックする。


「清掃班の吉岡でーす」

「……入れ。」


 ノブを回し、そーっと中を覗く。

「……失礼しまーす」


 部屋の中には、異様な静寂が流れていた。

 執務机の奥に座る、眼光鋭い白髪の巨漢――ギルド長『雷神』源田。

 そして、その横に控える聖女アイラ。


 二人は、開いたドアと俺の手にあるウェットティッシュを交互に見て、金魚のように口をパクパクさせて震えている。


「……ば、馬鹿な」

 ギルド長が俺の手元を見て、震える声で呟く。

「この部屋には、私が最大魔力で展開した『SSランク拒絶結界』が張ってあったはず……。

 それを、詠唱もなしに……ウェットティッシュで拭き消しただと!?」


「あ、すみません。ノブがベタベタしてたんで」

 俺はティッシュを丸めて、ポケットにしまいながら答えた。


 たしかに『おっさんの手垢たっぷりノブ』はイヤだよな。

 それを『拒絶結界』と呼ぶあたり、さすがギルド長。ナイスボケだ。

 年代が近い俺には、自虐ネタだって分かってますよ!


「よ、吉岡殿、参考までに聞きたい!その『ウェットティッシュ』とは通称名であって、正式名称はなんと言うんだ!—もしや、聖骸布!?ホーリークロス!?」


「え?……DAISO 破れにくいウェットシート徳用。98円」

 俺はパッケージの商品名を声に出して読んだ。

 なんだ?同じやつ欲しいのかな?


 ギルド長が固まった。

 隣のアイラも「きゅうじゅうはちえん……」とオウムのように繰り返す。


「……我が最強の結界が……98円の紙切れに……敗北したと……?」

 ギルド長の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 威厳たっぷりの紫電が消え、ただの顔色の悪いおっさんになっていく。


「そ、それで……お話というのは? 昨日の件での処分なら、覚悟してきましたけど」

 俺が言うと、ギルド長はハッと我に返り、椅子から立ち上がった。


 そして、机を回り込んで俺の目の前まで来ると――。


 ドォォォォンッ!!


 まるで隕石が落ちたような衝撃音が響き、床の大理石にヒビが入った。

 完璧すぎるフォームでの『ジャンピング土下座』だった。


「……うぉぉッ!焦ったぁッ」


「まっことに申し訳なかったァァァァ!!!!」

 雷のような大声が部屋に響く。


「貴殿のような『規格外(神)』を、あろうことかFランク待遇でこき使っていたとは……!これはギルド始まって以来の不祥事! いや、人類の損失だ!」


 大男の土下座なんて、人生で一回見るか見ないかの状況に思考が止まる。


「アイラ君から報告は受けていたが、まさか結界すら『掃除』してしまうとは……!

 もはや疑う余地はない!そして、試すような事をして申し訳なかったぁぁぁ!!」


 ギルド長は床に額を擦り付けながら叫んだ。

 そして、ガバッと頭を上げて、俺を見上げる。

 顔、めっちゃ怖ぇ。


「吉岡殿! どうか、我がギルドの『SSSランク特別顧問』になっていただけないだろうか!! 報酬は言い値で払う!!」


「…………」

 俺はガシガシと頭を掻いた。


 なんか、ものすごい勘違いをされている気がする。

 SSSランク特別 顧問?

 そんな肩書きがついたら、責任重大じゃないか。

 しかも、多くの人間との関わりを持たされかねん。


 そんなん冗談じゃない。

 あの社畜時代再来の予感しかしない。


「あー。ありがたいご提案ですが、お断りします」


「なっ!?」

 ギルド長とアイラが同時に声を上げた。


「こ、好条件ですよ!? 年収は億を超えますし、専用の執事も……」

 聖女アイラは、予想外の返事に混乱気味だ。


「興味ないですね。俺は今の『現場』が気に入ってるんで」

 俺はキッパリと言い放った。


「なにか勘違いされてますが、俺はただの清掃員です。

 管理職になってデスクに座るより、現場でモップ持ってる方が性に合ってるんですよ。今日の担当エリアの解放時間が迫ってるんで、もう行っていいですか?」


 俺はペコッと頭を下げて、開けっ放しのドアへと向かう。

 背後で、二人が呆然と立ち尽くしていた。


(億の報酬より、現場を選ぶ……

 これが……極めし者の真の姿なのか……!)


(あぁ……素敵です、吉岡様……!)


 始末書も減給も回避できたのはラッキーだったな。

 てか、時間掛かり過ぎたし、超特急で終わらさねば。


 今日はいつもより気合い入れてやるしかないな。

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