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弐:兵車行(戦車は行く)杜甫

挿絵(By みてみん)

 

712年(先天元年) - 770年(大暦5年)

字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。



【しおの】

車轔轔,馬蕭蕭, 行人弓箭各在腰。

荷車のきしむ音が鈍く響き、馬がいななきを上げる。出征する兵士たちは、その腰に弓と矢筒を虚しくぶら下げ、列をなして歩き出す。


耶孃妻子走相送,塵埃不見咸陽橋。

年老いた父母も、愛する妻も子も、必死に彼らを追いかけてくる。舞い上がる凄まじい土埃に、出発地点であるはずの咸陽橋さえも見えなくなってしまった。


牽衣頓足攔道哭,哭聲直上干雲霄。

「行かないでくれ」と衣の裾を掴み、地団駄を踏み、道を塞いで泣き叫ぶ。その慟哭は、天高く雲を突き抜けて響き渡る。


道傍過者問行人,行人但云點行頻。

道端を通りかかった者が、兵士の一人に事情を尋ねた。兵士は力なくこう答える。「ただただ、絶え間なく徴兵が続いているのです」


或從十五北防河,便至四十西營田。

「ある者は十五歳の時から北の国境を守らされ、四十歳になってもまだ、西の果てで屯田兵として土を耕している」


去時里正與裹頭,歸来頭白還戍邊。

「村を出る時、若すぎて頭巾も巻けず、村長に布を巻いてもらった少年が、白髪になって帰ってきたと思えば、またすぐに辺境の守備へ駆り出されるのです」


邊庭流血成海水,武皇開邊意未已。

「国境の戦場では、流れた血が海を成すほど凄惨だというのに、時の皇帝(玄宗)は、領土を広げるという野心を一向に捨てようとはしない」


君不見漢家山東二百州,千村萬落生荊杞。

「ご存知ですか。この国の東にある二百もの州では、数え切れないほどの村々が荒れ果て、豊かな畑だった場所にはいばらやクコが我が物顔で生い茂っていることを」


縱有健婦把鋤犁,禾生隴畝無東西。

「たとえ気丈な女たちが鍬やすきを手に取っても、男のいなくなった田畑のうねは乱れ、作物はまともに育つことすらありません」


況復秦兵耐苦戰,被驅不異犬與雞。

「とりわけ、この地の兵士は忍耐強いと言われていますが、その忠誠心ゆえに、犬や鶏のように無残に追い立てられ、死地へ送られているのです」


長者雖有問,役夫敢申恨?

「あなた様のように慈悲深く問うてくださる方がいても、私たち役夫が、この深い恨みをすべて口にすることなど許されません」


且如今年冬,未休關西卒。

「ましてや、この冬。関門の西の兵士たちには、休息さえ与えられていないのです」


縣官急索租,租稅從何出?

「それなのに役人は、情け容赦なく重税を迫る。働き手を奪われたこの家々の、一体どこから税を出せというのですか」


信知生男惡,反是生女好。

「いまや誰もが痛感しています。男の子を産むのは不幸で、むしろ女の子を産む方がまだ幸せなのだと」


生女猶得嫁比鄰,生男埋沒隨百草。

「娘なら近所に嫁がせて、そばにいてくれるかもしれない。だが息子は、名もなき戦場にむくろを晒し、雑草の下に埋もれるだけなのですから」


君不見青海頭,古來白骨無人收。

「見てごらんなさい、あの青海湖のほとりを。古くから戦死した者たちの白骨が、拾う者もなく野ざらしになっている」


新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。

「新しく死んだ者の魂は恨みに身をよじり、古くから彷徨う霊は泣き続けている。空が曇り、雨がしとしとと降る湿った日には、彼らのむせび泣く声が、そこら中から聞こえてくるのです」

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歴史的背景と杜甫の眼差し

李白が「天」を見ていたとすれば、杜甫は常に「地」を見ていました。 この『兵車行』は、唐の絶頂期でありながら、終わりのない戦争(対吐蕃戦など)によって民衆の生活が崩壊していく様を描いています。

 「民風・俗習」の視点: 「里正(村長)が少年の頭巾を巻く」という描写は、当時の成人儀礼と徴兵の早さを象徴しており、読者の涙を誘います。

 「生男埋没」: 中国の伝統的な男尊女卑を覆すほどの絶望感。家系を継ぐはずの息子がただの「消耗品」にされた怒りが、この一文に凝縮されています。


李白の「酒と月」の華やかさを知った後に、この杜甫の「泥と涙」の詩を読むと、当時の唐という時代の持つ二面性がより深く理解できるのではないでしょうか。


李白が「天から降りてきたロックスター」なら、杜甫は「地を這い、泥を啜りながら真実を書き続けたジャーナリスト」です。

李白に憧れる若者は多いですが、人生の壁にぶつかった時、心に深く刺さるのは杜甫の言葉だと言われます。現代の感覚で、彼の「泥臭くも高潔な」生き様を紐解いてみましょう。


1. 杜甫の「履歴書」:挫折と就活の連続

杜甫の人生は、一言で言えば「報われない天才」です。

 エリート家系のプレッシャー: 祖父は有名な詩人。自分も当然、国を支える官僚になるつもりでした。

 不合格の連続: 猛勉強して科挙(国家公務員試験)に挑みますが、なんと落選。その後もコネを頼ったり、皇帝に作品を送り続けたりして、ようやく職を得たのは40歳を過ぎてからでした。

 安史の乱(大パニック): やっと仕事に就いた途端、国を揺るがす大反乱が発生。彼は捕虜になったり、家族を抱えて泥まみれで逃げ回ったりする極限状態に追い込まれます。

現代の日本の若者風に言うなら、「就職浪人を経てようやくブラック企業を脱出したと思ったら、国全体がパンデミックや戦争に巻き込まれた」ような、壮絶な不運の持ち主でした。


2. 杜甫が「詩聖」と呼ばれる理由

彼がなぜ「聖人(詩聖)」と呼ばれるのか。それは、自分も極貧で死にそうなのに、「自分よりも苦しんでいる人々」にカメラを向け続けたからです。

① 「私」よりも「社会」

李白は「俺が楽しい、俺が悲しい」と歌いますが、杜甫は「この戦争で、あの老婆の息子は死んだ」「重税のせいで、あの赤ん坊は飢えている」と、社会の歪みを克明に描写しました。

② 圧倒的な技術テクニカル・マスター

杜甫は「努力の天才」です。漢詩には非常に厳しいルールの「律詩」がありますが、彼はその制約を完璧に守りつつ、感情豊かな表現を両立させました。

ことば驚かさずんば、死すともまず」 (人を驚かせるほどの完璧な言葉が見つかるまで、死んでも筆を置かない) というストイックな職人気質は、現代のクリエイターにも通じる精神です。


3. 現代の若者の心に響く「エモい」代表作

春望しゅんぼう』:絶望の中の美しさ

「国破れて山河あり、城春にして草木深し」

(国はボロボロに破壊されたけれど、山や川の自然は変わらずそこにある。町に春が来れば、無情にも草木は青々と茂るのだ)

誰もが知る名句ですが、これは彼が反乱軍に捕まり、荒廃した首都・長安を一人彷徨っている時の詩です。 「世界はこんなに美しいのに、人間界はなんて最悪なんだ」という強烈な違和感。これは、SNSで流れてくる悲惨なニュースと、窓の外の穏やかな景色のギャップに戸惑う現代人の感性に直結します。

絶句ぜっく』:癒やしのデザイン

こうみどりにして鳥愈いよいよ白く、山青くして花然えんと欲す」

(川の水は深く透き通り、鳥の白さが際立つ。山の緑は濃く、花は燃えるように赤い)

苦難の旅の末、ようやく落ち着いた「草堂」で詠んだ詩です。色彩のコントラストが完璧で、まるでインスタのフィルターを通したかのような鮮やかさ。地獄を見てきた男が、一瞬の静寂に見出した「究極の癒やし」です。


4. 歴史的評価:李白と杜甫の「友情」

面白いことに、杜甫は李白の大ファンでした。 11歳年上の李白と一緒に旅をした際、杜甫は自由奔放な李白に憧れ、彼を想う詩をたくさん書いています。

 杜甫: 「李白さん、あなたは本当に天才だ。また会いたいな……」

 李白: 「おう、杜甫くんか。じゃあな!(酒飲んでどっか行く)」

この「真面目な後輩と、天才肌すぎる先輩」という関係性が、杜甫の人間味をさらに引き立てています。


5. まとめ:杜甫は「寄り添う人」

李白は私たちを日常から「連れ出してくれる」存在ですが、杜甫は私たちの日常の苦しみに「寄り添ってくれる」存在です。

「努力しても報われない」「社会が不条理だ」と感じた時、1300年前の中国で同じように悩み、それでも言葉の力を信じてペンを握り続けた杜甫の姿は、今の若者にとっても大きな励ましになるはずです。

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