壱:将進酒(酒を酌み交わそうではないか)李白
君不見,黃河之水天上來,奔流到海不復回!
ねえ、君。あの黄河の流れを見てごらん。天の果てから突き落とされたかのように凄まじい勢いで流れ出し、一度海へと飲み込まれれば、二度とこの場所へは戻ってこない。
君不見,高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪!
鏡を覗き込んで、白髪が増えたと嘆くことはないだろう。朝には黒々と艶めいていた若者の髪も、日が暮れる頃には雪のように白く染まってしまう。人の一生とは、それほどまでに一瞬なのだ。
人生得意須盡歡,莫使金樽空對月。
だからこそ、人生に追い風が吹いている時は、心のままに楽しみ尽くすべきだ。せっかくの黄金の酒杯を、虚しく月光にさらしておくような真似はしたくない。
天生我材必有用,千金散盡還復來。
天が私という人間をこの世に送り出したからには、必ず使い道があるはずだ。金などいくら使い果たしたところで、またどこからか巡ってくるものさ。
烹羊宰牛且爲樂,會須一飲三百杯。
さあ、羊を煮て牛を捌き、盛大にやろうじゃないか。飲むと決めたからには、一気に三百杯はいこう。
岑夫子,丹丘生。(將)進酒君莫停。
友の岑さん、丹丘さん。さあ飲みなさい。酒の手を止めてはいけないよ。
與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。
お返しに、君たちのために一曲歌おう。どうか耳を傾けて聴いておくれ。
鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。
美食や豪華な宴の設え、そんな贅沢など私には何の価値もない。ただ願わくは、この心地よい酔いの中に沈み込み、二度と覚めないでいたいだけだ。
古來聖賢皆寂寞,惟有飲者留其名。
古の賢者や聖人たちは皆、志半ばに孤独のうちに消えていった。後世にその名を刻むのは、いつだって豪快に酒を愛した男たちだけなのだから。
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
かつての魏の曹植(陳王)も、平楽観で宴を催した時は、一斗一万銭もする名酒を惜しみなく振る舞い、心の底から遊び笑ったという。
主人何為言少錢?徑須沽取對君酌。
主人が「金が足りない」なんて言うのは野暮だ。そんなことは気にせず、すぐに酒を買いにやってくれ。君たちと一緒に杯を交わしたいのだ。
五花馬,千金裘。
この五色の斑模様の名馬も、千金の価値がある毛皮のコートも、すべて。
呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。
小僧を呼んで、これらを全部酒に換えてこさせよう。そして君たちと共に、この胸の奥に澱のように溜まった、永遠に消えぬ孤独と悲しみを、一気に飲み干してしまおうじゃないか。
李白の『将進酒(酒を進めんとす)』は、人生の短さへの嘆きを、圧倒的なスケールの自然と豪快な酒宴の風景で塗り替えてしまう、まさに「詩仙」の真骨頂といえる作品です。
この詩が書かれた時、李白は朝廷での官職を離れ、放浪の旅の中にありました。
•「天生我材必有用」という言葉には、不遇の時代にあっても失われない、彼の傲慢なまでの自信と生命力が宿っています。
•「萬古愁」という結びの一言は、単なる酒乗りの言葉ではなく、宇宙の永遠と人間の儚さを対比させた、詩人の深い哲学的悲哀を象徴しています。
李白という男は、教科書の中に閉じ込めておくにはあまりに惜しい、「超弩級の自由人」です。
彼が現在のキルギス(当時の唐の西域)で生まれたという説は、彼の詩に見られる型破りなスケール感や、どこかエキゾチックな感性のルーツとして非常に説得力があります。
1. ルーツは中央アジア?「シルクロードの異端児」
李白の出生地については諸説ありますが、現在では中央アジアの砕葉城(現在のキルギス・トクマク近郊)で生まれたという説が有力です。
ハイブリッドな感性: 幼少期に西域(中央アジア)から現在の四川省へ移住したといわれています。漢民族の伝統だけでなく、シルクロードを通じた異文化の風を浴びて育ったことが、彼の「天上から降ってきたような」自由な発想の源泉になりました。
「詩仙」と呼ばれる理由: 努力して型を覚えた秀才というより、インスピレーションだけで宇宙まで飛んでいってしまうような天才肌。そのスタイルは、当時の中国社会の枠組みに収まりきらない「アウトサイダー」的な魅力に満ちています。
2. 李白の「推しポイント」:現代に通じる3つの顔
若者世代の価値観から見ても、李白の生き方はかなりエッジが効いています。
① 究極の「自己肯定感」
彼はニート期間も長く、定職につかない放浪の旅を繰り返しましたが、その自信は揺るぎません。
「天生我材必有用」(天が私を生んだからには、必ず使い道がある) このメンタルは、SNS時代の自己肯定感の究極の形と言えるかもしれません。
② 宮廷での「パンクな振る舞い」
時の皇帝・玄宗に才能を愛され、宮廷入り(翰林供奉)を果たしますが、彼は権力に媚びませんでした。
酔っ払って皇帝の最側近(高力士)に自分の靴を脱がせたという伝説があります。
「仕事が忙しいから」と皇帝の呼び出しを無視して酒を飲み続けるなど、「組織に縛られない個の力」を地で行くスタイルでした。
③ ロマンチックすぎる最期
彼の死については、「川面に映った月を捕まえようとして、船から落ちて溺死した」という伝説があります。史実ではないという説が強いですが、そんな死に様が似合ってしまうほど、彼は美学を貫いたアーティストでした。
3. 歴史的評価:杜甫との「エモい」関係
中国文学史上、李白と並び称されるのが「詩聖」杜甫です。
李白(詩仙) 杜甫(詩聖)
スタイル:天才・直感的・ロマン主義秀才 論理的・リアリズム
テーマ: 酒、月、旅、仙人 貧困、戦争、家族、政治
現代風に:自由奔放な天才アーティスト 社会の闇を告発するジャーナリスト
実は、この正反対の二人は旅先で出会い、深い友情で結ばれていました。杜甫は李白を熱烈に慕い、彼を想う詩を何通も書いています。この「対照的な二人の天才の交流」は、現代のバディもののような熱さがあります。
4. 現代の若者に贈る、李白の「エモい」代表作
『月下独酌』
「花間一壺の酒、独り酌んで相親しむもの無し」 (花に囲まれて酒を飲んでいるが、話し相手は誰もいない)
一人で酒を飲んでいる孤独な状況を、彼はこう彩ります。「空の月と、自分の影を誘って、三人でパーティーを始めよう」と。 「孤独を楽しむ」という現代的なソロ活の精神が、1300年前の詩に完璧に表現されています。
『静夜思』
「頭を挙げては山月を望み、頭を低れては故郷を思う」 (顔を上げては山の月を見つめ、うつむいては遠い故郷に思いを馳せる)
日本でも最も有名な五言絶句です。深夜、ふとした瞬間に感じる「切なさ」や「エモさ」。キルギスから中国へ、そして宮廷から地方へと流れ続けた彼だからこそ書けた、究極のホームシックの詩です。
5. 李白は「最強の自由人」だった
李白の魅力は、「どれだけ偉くなっても、どれだけ落ちぶれても、自分であることをやめなかった」点にあります。
キルギスの風を感じさせるその奔放な魂は、今の時代にこそ「もっと自由に生きていいんだ」という勇気を与えてくれるはずです。




