第7話「最後の審問、名を呼ぶ声」
夕刻が近づいても、アルカは戻ってこなかった。
天窓から差し込む光は、朝の白さをとうに失い、埃と煙を染めながら橙色に傾いている。誰かが「もう夕方だ」と口にするたびに、教会の中の時間は一時間ずつ、まとめて削られていくように思えた。
サラは祭壇の側のベンチに座り、膝の上にノートを開いたまま、ほとんど何も書けずにいた。紙の上には、途中で止まってにじんだインクだけがいくつも残っている。
赤ん坊の泣き声だけが、時刻を告げる鐘の代わりになっていた。
「まだ…戻ってこないんだね」
リーナが小さな声で言う。トマが無理に笑顔を作って妹の頭を撫でる。
「すぐ戻ってくるよ。ほら、アルカさんって、なんだかんだで運いいし」
「そんな統計、どこにもないぞ」
ノラの乾いたツッコミにも、笑いは広がらなかった。
地下へ降りる螺旋階段からは、冷たい空気だけが上がってきている。さっきから何度も誰かが耳を澄ませているが、足音も、呼び声も聞こえない。
「もう一回、誰か降りて――」
と言いかけたときだ。
かさり、と小さな音がした。
誰も動いていないのに、空気が擦れる音。サラが顔を上げると、鐘楼とは逆側、納骨堂へ続く穴の縁に、小さな何かが引っかかっているのが見えた。
「紙……?」
ミラが近づき、慎重にそれをつまみ上げる。薄汚れた紙片が、ねじれた糸につながれている。どう見ても、この教会の備品ではなかった。
紙は、泥と水でぐしゃぐしゃになっていたが、ぎりぎり文字は読めた。
濡れた字で、三行だけ。
『水は手に入る、が、ここは出口ではない』
『上に戻れるとは限らない』
そして、かすれて読みにくいが、最後に一行。
『上を疑え』
教会の空気が、凍った。
「これ……」
サラは思わず立ち上がる。文字の形が、どこか見覚えがあった。線の強さ、ひらがなの癖、漢字の簡略の仕方。アルカが配給のメモに書き殴っていた字に、少し似ている。
けれど、泥と水に滲んだせいで、「そうだ」と言い切ることはできなかった。
「上って……」
トマが不安げに呟く。
「上って、ここ、だよね。教会のこと?」
「地上のことかもしれないし、私たち“上にいる人間”のことかもしれない」
エヴァが紙片を受け取りながら言う。
「『出口ではない』ってことは、地下に水がある場所があったってことでしょう。でも、そこからはこの教会へは戻れないかもしれない」
「じゃあ、これを書いたのは……」
ノラが周りを見回す。
「まだ地下にいるってこと?」
「あるいは、もう、別のどこかへ出たか」
マグダが静かに呟いた。
「“上を疑え”っていうのが、いいわね。曖昧で、みんなの不安をきれいに刺激してくる」
「笑い事じゃない」
ミラが睨む。
「アルカが書いたのかどうか、それだけでもはっきりさせたい」
「文字の癖は似てるけど、決めつけるには材料が足りない」
サラは唇を噛む。
「アルカに似せて書いた誰か、って可能性だってある」
「誰が、どうやって」
トマが震えた声で言う。
「アルカさんが地下で死んでて、その人の手から紙を取って、自分で書いて、それを上に向かって投げたって言うの?」
誰も、その想像を最後まで否定できなかった。
沈黙の中で、ヨナス神父が紙片をじっと見つめる。
「“出口ではない”か」
彼はぽつりと呟いた。
「ここも似たようなものだ」
その言葉には、自嘲と諦めが混ざっていた。
「出口じゃないからこそ、決めなければならないことがある」
マグダが、紙片から顔を上げる。
「誰を“内側”に残すのか。誰のために、在庫と水を使うのか」
エヴァが配給表を抱える腕に力を込める。
「……また、投票?」
「今度は違うやり方にしましょう」
マグダは祭壇の前へ歩み、くるりと振り返った。
「これまでの懺悔は“自分の罪”を語るものだった。でも、さっきから誰もそんなこと興味ないでしょう?」
ノラが苦笑する。
「まあね。“悪いことした自慢”なんて聞いてる余裕はないし」
「そう。だから変えるの」
マグダの声は、妙に澄んでいた。
「これから先の水と食糧を誰に優先して使うか。それを決める“最後の審問”を開きましょう」
「最後……?」
リーナが不安げにミラの袖をつかむ。
「“最後”って言わないでよ」
「名前は大事だからね」
マグダはあえて呻き声には答えず、続けた。
「ここにいる全員に質問する。今度は、自分の罪じゃなくて、“誰を生かすべきか”。“誰の命に、他よりも価値があると思うか”。それを言葉にしてもらう」
「そんなの……」
ミラの顔が歪む。
「言えるわけない。誰かを選ぶってことは、誰かを選ばないってことだよ」
「でも、もう皆、心の中ではとっくに計算してるはず」
エヴァが静かに言う。
「イレナと赤ん坊は最優先。これは誰も否定しない。でも、“二番目”は? “三番目”は? 私だって配給表を見ながら、無意識に考えてしまっている。“この人がいなくなったら、何日伸びるか”って」
その告白に、誰も彼女を責めることができなかった。
「だから、口に出そう」
マグダの目が全員を順番に刺していく。
「どうせ黙ってても、心の中で同じことを繰り返すだけだ。だったら、名前を呼ぶ声を、隠さずにここに並べる」
「イレナと赤ちゃんは……」
トマがためらいながら口を開く。
「守るべきだよね」
「当たり前だろ」
レオが言う。
「そこは争うところじゃない。イレナと赤ん坊のために水と食糧を優先するのは、この場の全会一致でいい」
イレナは俯いたまま、小さく首を横に振った。
「そんなの……私が決めることじゃない」
「決めるんじゃない。受け取るんだ」
ミラが言う。
「“守るべき命だ”って、誰かに言ってもらえること。それ自体が、今のあんたたちの仕事だよ」
イレナの目に涙が浮かぶ。腕の中の赤ん坊は、そんな大人たちの葛藤とは無関係に、小さな手をばたばたさせていた。
「では、一つだけ条件をつける」
マグダが言う。
「自分の名前は禁止。自分で自分を推薦するのはなし」
サラの胸がぎゅっと縮んだ。
「自分を生かしたいなら、誰かに言ってもらうこと。誰からも名前が出ないのなら、その人の命は、ここでは優先されない。……残酷だけど、わかりやすいルールでしょ?」
「そんなルールを“神様”みたいな顔で決めないで」
ノラが皮肉っぽく笑う。
「決めなきゃ先に進まない。だったら、誰かが嫌われ役をやるしかないわ」
マグダは祭壇の銃にちらりと目をやる。
「私は言葉を扱うのが仕事。神父さんの代わりに、“この場の神の役”を一時的に預かってあげる」
ヨナス神父は何も言わなかった。静かに目を閉じ、拳を握りしめているだけだった。
「審問」は順番に始まった。
丸く集まった輪の中央に、ひとりずつ立つ。周りにいる誰かの名前を挙げ、「この人を生かすべきだ」と証言する。理由を添えて。
自分の名前以外なら、何人挙げてもいい。ただし、“一番に”という言葉を付けるのは、一人にだけ。
最初は、誰も立ちたがらなかった。
「じゃあ、私から」
静けさを破ったのはミラだった。彼女は一歩前へ出て、皆を見回す。
「一番に、生かすべきはイレナとこの子。それはさっき決まったから、二番目の話をするね」
彼女は迷いなく指を向けた。
「エヴァ。あなたが倒れたら、私たちの食糧の計算は一瞬でめちゃくちゃになる。誰かが代わろうとしても、その人がまた責められるだけ。だったら今のまま、在庫を抱えていて」
エヴァは目を伏せて「責任、重いな」と呟いたが、その頬にはわずかに安堵が浮かんでいた。
「三番目は……」
ミラの視線がサラの方へ動きかけて、そこで止まる。
「レオ。外の地形を覚えてるのはあんただし、戻ってくる腕もある。きっと、また“必要なとき”が来る」
サラは息をひそめる。自分の名前が挙がるかもしれない、と思ってしまった自分にうんざりした。
次に立ったのはレオだった。彼は肩の包帯を気にしながらも、穏やかな声で言った。
「一番は、トマとリーナだ」
意外な名前に、トマが目を丸くする。
「子どもがいなきゃ、ここはただの待合室になる。ミラの言う“守るべき命”って意味でもそうだし、俺たち大人がどれだけ醜いかを見て、覚えてる奴が必要だ」
「ひどい言い方」
ノラが笑い、でも少し嬉しそうでもあった。
「二番は……サラ」
名前を呼ばれて、サラはびくっとした。
「記録を残してるのはお前だけだ。俺は、誰かが戻れなかったとしても、その名前がどこかに刻まれてるって事実が欲しい。……書くのはきつい仕事だけど」
「……書きます」
サラは小さく答えた。
「ちゃんと、全部。私に許される限り」
証言が一人ずつ、重ねられていく。
ガブリエルはヨナス神父の名を挙げた。「罪を背負ったまま生きて、最後まで見届ける人間が必要だ」と言った。
ノラはミラとエヴァとサラの名をほぼ同列で挙げ、「私みたいな“適当な奴”が生き残る世界は、あんまり楽しくなさそうだから」と笑った。
トマはリーナの名を真っ先に挙げ、「俺の分の水もご飯も、あいつに回してほしい」と言った。リーナは「半分こだよ」と泣きそうな声で言い返した。
サラの順番が近づくにつれ、ノートの余白が涙で少しずつにじんでいく。
「サラ」
マグダが促す。
「あなたの番」
サラは立ち上がり、膝がわずかに震えるのを感じた。
「……一番に生かすべきは」
言いかけて、喉が詰まる。
本当は、自分の名前を書きたかった。書いてほしかった。自分の命がここにあってもいいと、誰かに言ってもらいたかった。
それでも、口からこぼれたのは別の名前だった。
「……イレナと赤ちゃんを除けば、ミラさんです」
ミラが驚いたように目を見開く。
「怪我人を診られる人がいなくなったら、ここは本当に“待つだけ”の場所になる。それは、嫌だから」
「二番は?」
マグダが問う。
「二番は……」
サラは視線を泳がせ、ノートのページを見た。
そこには、これまで書いてきた名前が、びっしり並んでいる。
「サラ」
レオが呼びかける。
「無理に言わなくても――」
「エヴァさんです」
サラは絞り出すように言った。
「理由は、さっきミラさんが言ったのと同じ。私、計算が苦手だから」
笑いが少しだけ起きる。
「自分の名前は……」
聞かれていないのに、サラは続けた。
「言えません」
言った瞬間、頬を一筋の涙が伝った。自分の名前を誰も挙げてくれなかった、という事実よりも、自分の口から自分を推薦できない臆病さが、胸を締めつけた。
「それも立派な答えよ」
マグダが軽く言う。
「“自分が一番じゃない”って言える人は、案外少ないから」
最後に残ったのは、ヨナス神父だった。彼はしばらく沈黙したのち、低く言った。
「……私は、自分の名前を最初に消す」
「禁止ですよ、それ」
ノラが苦笑する。
「ルール違反は神父さんでもだめ」
「では」
ヨナス神父は少し考えてから、サラの方を見た。
「彼女を、一番に」
思わず、サラは顔を上げる。
「理由は?」
マグダが問う。
「私が犯した罪も、私が救えなかった命も、私が歪めてしまった“救い”の形も、全て書き留めておいてほしい。誰かが見ていた、という事実がなければ、私の過去はただの言い訳になってしまうからだ」
サラは、何も言えなかった。
そのときだった。
ふら、と誰かが身じろぎする音がした。
「……うるさいな」
低い声。納骨堂の隅で横たわっていたユリウスが、額を押さえながら身を起こしていた。顔色はまだ悪いが、目はしっかりと開いている。
「生きてる!」
トマが思わず叫ぶ。
「死なせるかよ」
ユリウスはそう言って、ゆっくり周囲を見渡した。
「何だ、この“優先順位会議”みたいなのは」
「最後の審問よ」
マグダが肩をすくめる。
「“誰を生かすべきか”の証言大会」
「くだらん」
ユリウスは即答した。
「どうせ、全員分の水は足りない。順番決めても、一番目から順に死んでいくだけだ」
その乱暴な言い方に、誰も反論しなかった。
「……一つだけ、言っておく」
ユリウスは左肩を押さえながら、サラの方を見た。
「鐘のことだ」
鐘。あの二度鳴って止まった鐘。
「何か、覚えてるんですか」
ミラが身を乗り出す。
「あのとき、お前らは下にいた。俺と、マグダと、ガブリエル爺と、鐘楼にいたのは三人だけだ」
ユリウスの目が天井を向く。
「一度目の鐘は、俺が鳴らした。二度目も、俺だ。三度目を鳴らそうとしたとき――」
彼は左肩を見下ろす。包帯の下には、弾が抉った傷がある。
「銃声がした」
「それは……」
「外からじゃない」
ユリウスはきっぱりと言う。
「鐘楼の中だ。もっと言えば、“俺より少し下の位置”からだ。外の狙撃なら、肩をかすめる前に壁に穴が開いてる。綱だけを撃ち切るなんて芸当、できるはずがない」
サラの背筋が凍る。
「つまり……」
「鐘は、中から鳴った」
ユリウスの言葉は、聖堂全体に重く落ちた。
「鳴らすふりをして、撃つための合図にした奴がいる。“三度目の鐘が鳴ったら撃て”と自分に決めて、引き金を待っていた奴が」
視線が自然と、二人の方へ集中する。
マグダと、ヨナス神父。
鐘楼にいたのはその二人だけだから。
「ちょっと待ってよ」
ノラが慌てて言った。
「ガブリエルさんもいたって言ってたじゃない」
「爺さんは綱から離れて、外を見てた。腕も震えてたし、あの反動に耐えられるとは思えない」
ユリウスはガブリエルを一瞥する。ガブリエルは膝を抱えて座り込み、何も言わない。
「マグダ」
レオが名を呼ぶ。
「やった?」
「いい質問ね」
マグダは微笑んだ。
「答えは?」
「ノーよ」
彼女は即答した。
「私は撃ってない。綱にも触ってない。あのとき私は、外の光を見ていた。『あれは救援だ』って、あなたとガブリエルさんに力説してたじゃない」
「神父さんは?」
エヴァが問い詰めるように言う。
「あなたはどこにいた?」
「私は……」
ヨナス神父は目を閉じ、短く息を吐いた。
「鐘楼にはいなかった。下で、結果を待っていた。鳴るのを、ただ祈っていた」
「誰かが嘘をついている」
トマが小さく言った。
「ここにいる誰かが、あの綱を撃った」
「犯人探しは、後だ」
マグダが軽く言う。
「今それをやり始めたら、この場は一瞬で壊れる。誰が撃ったかより大事なことがある」
「何だよ」
レオが苛立たしげに言う。
「“あの撃ち方を覚えてる奴”がいるってことよ」
マグダは淡々と続けた。
「鐘の音を利用して、合図にして、人の動きを操る方法を、ね」
その言い方が、むしろ彼女自身を一番怪しく見せた。
そのとき。
扉の向こうで、足音がした。
皆の体が反射的に硬直する。ベンチが軋み、誰かが思わず息を呑む音がした。
「また、あいつらか」
レオが低く言い、扉の覗き窓に目を寄せる。外の光が差し込み、煙にまみれた視界が揺れる。
焔の向こうに、人影が一つ。
レオの喉が鳴った。
「……アルカだ」
皆がどよめく。イレナは赤ん坊を抱きしめ、ミラは扉の方へ駆け寄る。
覗き窓から見えるアルカは、煤だらけで、レオが戻ってきたときと同じようにボロボロだった。肩には水袋がいくつも括り付けられ、腰にもタンクが見える。
そして、彼の右手には――
「銃……?」
サラの声が震えた。
アルカの手には、一丁の拳銃が握られていた。祭壇の上にあるものと同じ型。黒く、短く、重そうなそれ。弾倉の欠けもなく、傷もない。レオが最初に見たときの、あの“使われる前の形”そのものだ。
レオは扉に手をかけ、振り返る。
「開けるかどうか、三秒で決めろ」
「開ける」
ミラが即答した。
「罠かもしれない」
エヴァが言う。
「罠じゃなかったら?」
ミラは睨み返す。
「このまま扉一枚隔てて死なせるの? そんなの、本当に“神様”の仕事だと思う?」
「扉を開けた瞬間に撃たれたら──」
「それでも、私は開ける方に賭ける」
ミラの声は震えていなかった。
ヨナス神父が頷く。
「開けよう。私たちは、もう“鐘の音”で選ぶことはやめたはずだ。扉の前で躊躇うなら、せめて自分の手で選ぶ」
レオは閂を外し、扉を少しだけ開いた。熱と煙が流れ込み、外の赤い光が教会の床を舐める。
アルカが、よろめきながら中へ入ってきた。
足元がふらつき、そのまま膝をつきそうになったところを、ユリウスとミラが両側から支える。
「……ただいま」
アルカは笑った。
「随分と出迎えが豪華だな」
「どこほっつき歩いてたのよ!」
ノラが叫ぶ。
「手紙まで飛ばして!」
アルカは眉をひそめる。
「手紙?」
「これのことよ」
エヴァが紙片を見せる。
「『水は手に入るが、ここは出口ではない』『上を疑え』。あなたの字に見える」
「ああ、それ」
アルカは軽く鼻で笑った。
「俺の字じゃない」
「は?」
「似せて書かれてるけど、違う。俺は“疑え”なんて上品な書き方しない。“信用するな”って書く」
言われてみれば、とサラは思う。確かに、アルカの口から“上を疑え”なんて理性的なフレーズは、あまり似合わない。
「じゃあ、誰が……」
「それは、後で話す」
アルカは水袋をエヴァに押しつける。
「とりあえず、水。地下の通路の先に、ピットみたいな貯水槽があった。あれなら、何往復かすればもう少し――」
「帰り道は?」
レオが食い気味に問う。
「“出口ではない”って、さっき——」
「出口は、あった」
アルカは言う。
「ただし、ここじゃない場所に繋がってた」
皆が息を呑む。
「別の建物だ。多分、昔の避難所。地下で繋がっててな。そこには、まだ生きてる奴らがいた」
「生存者……!」
トマが目を輝かせる。
「じゃあ、救援を――」
「落ち着け」
アルカの顔には、喜びよりも疲労が濃く刻まれていた。
「“別の教会”みたいなもんだった。部屋の真ん中に祭壇みたいな台があって、その上に銃が一丁。周りを囲んでた奴らが、紙に何か書いて、名前を呼んで、誰かを外に出してた。……ここと同じだ」
サラの背中に、ぞくりと冷たいものが走る。
「指名制、ってやつ?」
マグダが笑いを消して問う。
「ここでさっき決めたルールと同じ?」
「似てたよ。誰かが“この人を生かすべきだ”って名前を挙げて、“外へ出る役”を押しつけてた。違うのは――あっちは、それを“神意”だって本気で信じてたところだ」
アルカはちらりとマグダを見る。
「壇上に立ってたのは、白いローブを着た女だった。自分のこと“預言者”とか呼んでたな。銃を掲げて、『選ばれた者は神に試される』って」
「その銃が、それ?」
レオがアルカの手元を見る。
「いや、あいつらのは、まだ祭壇の上だ」
アルカは手にした銃を持ち上げた。
「これは、そこのガキに渡そうとしてた“次の信仰の道具”だ。間に入って、もらってきた」
「奪ったんじゃなくて?」
「言葉はどっちでもいいだろ」
アルカは乾いた笑いを漏らす。
「一瞬だったよ。銃を掴んで、目の前の“預言者様”の額に突きつけて、『その神様、何発で死ぬと思う?』って聞いたら、あっさり譲ってくれた」
ノラが息を呑む。
「撃ったの?」
「撃ってない」
アルカは首を振る。
「撃ったら、あそこは地獄になる。それはここと同じだ。祭壇の銃に最初の血を吸わせた瞬間から、全部が“儀式”になる」
彼は祭壇の方を見た。
「人は、生き延びるために、すぐ神を名乗る。自分の決めたルールに“神の名”を貼り付けて、誰かを選んで、誰かを切り捨てる。あっちでも、こっちでも。やってることは同じだ」
ヨナス神父は、まるで自分の胸を撃たれたかのような顔をして、その言葉を聞いていた。
「……じゃあ」
サラが震える声で言う。
「ここで“神”を名乗ってるのは、誰?」
「さあな」
アルカは肩をすくめる。
「最初は神父さんだったのかもしれないし、途中からは投票の紙だったかもしれない。今なら、マグダかもな」
視線がマグダへ集まる。
マグダはしばらく、その視線を受け止めていた。いつもの薄い笑みは消えている。代わりに、どこか決意を宿した静かな目だけがあった。
彼女はゆっくりと息を吸い、吐き、その場で言葉を置いた。
「じゃあ」
その声は、聖堂の隅々まで届いた。
「終わりにしよう」
皆が息を止める。
「“誰が神か”って問答を、ね」
マグダは祭壇に歩み寄る。そこには、ヨナス神父が晒した古い一丁と、アルカが持ち込んだ新しい一丁。二つの黒い金属が並んでいた。
「神父さんが降りた椅子を、投票で埋めようとした。懺悔を、審問に変えて。鐘の音を、合図に変えて。銃を、信仰の形に変えて」
彼女はアルカの持ってきた銃を手に取る。重みが掌にのしかかる。
「ぐずぐずしてるから、誰の言葉が効いていて、誰の責任なのか、全部ぼやけていく」
サラは、喉がからからに乾くのを感じた。
「だから、はっきりさせる」
マグダは銃口をすっと持ち上げた。皆の視線が、その動きを追う。
「神は――」
彼女の視線が、一瞬だけサラのノートに落ちる。次に、ヨナス神父に。レオに。イレナと赤ん坊に。そして、最後に自分の胸元へ。
「わたしだ」
乾いた音が、教会の天井を撃ち抜いた。
耳をつんざくような銃声。石の天井に弾丸が当たり、粉塵と小さな破片が降り注ぐ。赤ん坊が驚いたように大きく泣き出し、誰かの悲鳴が重なる。
火花が散り、天井の黒ずんだ絵が一部剥がれ落ちる。その下で、マグダは銃を構えたまま微動だにしなかった。
「今のは、合図」
彼女は低く言う。
「“最後の審問”の、本当の始まりのね」




