3日目
夜十時を過ぎたころ、結衣は布団に潜り込みながらぼそっと言った。
「ねえ」
「なに?」
「……ここにいて、迷惑じゃない?」
その声はひどく小さかった。
昼間はあんなに冷めたような態度を取っていたのに、今の彼女の声は弱くて、壊れそうだった。
「迷惑なんて思ったこと、一度もないよ」
「ほんとに?」
「ほんと。……むしろ、結衣がいてくれるから、私の方が助かってる」
暗がりの中で、結衣の瞳がかすかに揺れた。
それを見て、私は布団の端に腰を下ろした。
「……でも、私なんか、何もできない」
「そんなことないよ。今日だって、一緒に買い物して、料理してくれて……すごく楽しかった」
「……普通のことじゃん」
「普通ができるって、すごいことだと思う」
しばらく沈黙が続いた。
そのあと、結衣は布団に顔を隠しながら、蚊の鳴くような声で言った。
「……変なやつ」
その言葉はもう、冷たさよりも照れが勝っていた。
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私は机に戻り、今日も日記をつけることにした。
ノートに文字を走らせながら、自分の胸の奥を整理していく。
「結衣がここにいる」
その事実が、どれだけ私を救っているか。
……本当は、私だって強くない。
毎朝ベッドから起き上がるのに時間がかかるし、仕事に行くのも憂鬱で仕方がない。
心臓の奥に針が刺さったみたいに、ずっと鈍い痛みがある。
けれど、それを結衣に打ち明けるわけにはいかない。
彼女が必死に呼吸しているときに、私まで弱音を吐いたら、きっと共倒れになってしまうから。
だから私は「元気な私」を演じる。
彼女の支えであり続けるために。
ノートに文字を重ねる手が震える。
でも、この震えも残しておこう。
後になって見返したとき、今日の私の必死さを思い出せるように。
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布団に戻ると、結衣は目を閉じていた。
けれど寝息はまだ浅く、眠ったふりをしているのがわかる。
「……おやすみ、結衣」
そっと声をかけると、数秒後にかすれた声が返ってきた。
「……おやすみ」
それだけで十分だった。
ほんの一言のやりとりが、私には宝物のように思えた。
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「3日目」
今日、私は強くなれただろうか。
結衣の心に、ほんの少しでも寄り添えただろうか。
彼女はまだ死にたいときっと思っている。
その衝動は簡単に消えない。
だけど、それでも今日を一緒に生きてくれた。
……私はその事実を抱きしめて眠る。
どうか、明日も一緒に。
どうか、明日も生きていてくれますように。