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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

記憶喪失になったら恨まれてました

作者: 銀次郎

初投稿です。

 僕は動けない

 身体中が痛い

 目も開けられない

 どうしてこうなったんだっけ

 そもそも僕は……あれ


 僕って誰だ

「あはっ」

 誰かの笑い声が聞こえたのを最後に,僕の意識は途切れていった

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 僕には今記憶が無い。

正確に言えば,元々僕が僕であると分かる人生の記憶は数日前にはあったがその日に起きた事故のせいで記憶喪失ということになっているらしい。伝聞形になっているのは申し訳ないが,その事故というのがどういうものなのか,そもそも僕は誰なのかが分かっておらず自分のことなのに他人事に感じてしまったからだ。記憶喪失というのも医者から聞いたものだったし。

僕は現在病院の個室にいる。最初に目が覚めた時は真っ白な空間であったから一瞬死後の世界だと勘違いしそうになったが,寝ていたベッドや着ている服,そして周りにいた患者を見てそうではないことに気が付いた。こういう一般常識のようなことが分かるせいか自分が本当に記憶喪失になっているのかは疑問に思っていた。


「記憶障害といっても全ての記憶を失うという意味では一概に言えないですよ。短期記憶とか,長期記憶とか,たぶん斎藤がなっているのはエピソード記憶じゃないですかね?自分が体験してきたことを忘れてしまうっていうものですよ。ネットの情報ですけど」

 ベッドの横に座って僕に話しかけている子がいる。彼女は僕が入院,というか目を覚ました時から一緒にいた子だ。その時も制服を着ていたのだから学校帰りであることが分かる。彼女の存在を僕は目覚めた時には知らなくて,彼女は僕のことを知っていた。僕の名字は斎藤というらしい。

「記憶ってさ,どうしたら戻ると思う?」

「うーん,テレビとかで見るものだとふとしたきっかけや記憶喪失になった場所を見に行って思い出すとかがありますけど,ほとんどの人が思い出せずにそのままってことが多いんじゃないですかねえ,…私としてはずっと斎藤が記憶喪失なのも困るんですけど」

「そっか」

 心配しているのかよく分からない口調でそう言うが,最初に会った時は相当驚いていたからか今でも不安に思っているのかもしれない。僕が記憶喪失になっていることを知った時から,彼女は僕が以前どういう生活をしていたのかを教えてくれる。

どうやら僕は彼女と同じ学校に通う同級生らしい。友達はおらず,休み時間中も誰かに絡まれたりとかは特に無く読書やトイレに費やしている,いわゆる「ボッチ」又は「陰キャ」というものだ。正直それらの言葉にあまり良い印象を持たない僕にとっては否定したいが,数日間入院生活をしているのに彼女以外誰も来ていないことからそうなのかもしれない。

 …そういえばどうして僕の家族は見舞いに来ないんだろう?もしかして僕は家族がいないんだろうか,それとも入院していることを知らないのか。だとしたら僕は1人暮らし?いやでも連絡くらいはするだろうしそれなら「斎藤?」

「え」

「どうしました?何か考え込んでいるようでしたが」

「あーうん,別に何でもないよ,それよりもえっと,加藤さん?」

「加藤でいいですよ,あなたから「さん」付けされたことは無いので」

「そ,そうなんだ。じゃあ加藤,僕が通っている学校に案内してもらってもいいかな?記憶を取り戻すきっかけって,その人が元々生活してた場所とかが関係すると思うんだ」

 僕は今までずっと病院にいたせいで,以前の僕がどういう過ごし方をしていたのか,そもそも外がどうなっているのかが分からない。だから外に出て何があるのかを知りたい気持ちが高まっていた。それを加藤に伝える。

「私は別に構いませんが,そういうのってより自分と近い場所ほど思い出しやすいものですよ。学校に行ってもあまり意味はないんじゃないですか?」

「それでも,行ってみたいんだよ。何か思い出すかもしれないし,それに外出自体は今日から大丈夫になったみたいだし」

 目を覚ました日から定期的に脳の検診が行われていたが,正常な状態であっても安静にしていなきゃいけなかった日が続いて,今日になってようやく外出の許可が下りたんだ。加藤がいる今記憶を戻すチャンスを逃したくはない。

「…分かりました。今の時間帯ならまだ部活動はやっているから,門が開いているでしょうし,入ることなら容易いでしょう」

「ありがとう,加藤」

「礼を言われるまでもありません。私も斎藤の記憶が戻ってくれないと,嫌ですから。…一緒に読書の続きしたいし」

 僕が彼女と知り合いである理由についても彼女から聞いていた。どうやら彼女と僕の共通の趣味,及び好きなものが読書であり,たまたま同じ本を見ていたことが始まりだったらしい。その時声を掛けてきてくれたのが彼女からで,僕は最初は口数が少なかったけれど,彼女が積極的に交流を重ねるにつれて段々と仲良くなり,今のような関係になったんだとか。…記憶がないからだとは思うんだけど,この子が積極的になるの想像できないんだよなあ。

「でもその服で行くのは止めた方が良いと思いますよ。流石に患者服では目立ちますし,逮捕されるかもしれません」

「逮捕はされないんじゃない!?確かに不審者に見えるかもしれないけど!」

 ただ加藤の言う通り,このままの服装で行くのはあまりよろしくない。かといって代わりの着替えも持ってないし。

「一旦マンションに帰ったらどうです?替えの下着や制服もあるでしょうし」

「え?僕のマンション知ってるの?」

「学生証に載ってたんですよ。何を期待してるんですか?」

「してないよ!」

 というかマンション住みだったんだ。これなら一人暮らしの線は高そうだ。

「って,僕の学生証を持ってるの?」

「正確に言えば,事故に遭う前にあなたが身につけていた物を私が預かっていたんです。学生証以外にも,マンションの部屋の鍵,スマホとか」

 …いくら記憶喪失だからって自分の貴重品が他の人に渡るのは嫌だなあ。あと地味に,僕が一人暮らしだってことが分かってホッとした。そう思いながら,僕はベッドを降りて加藤に貴重品を返してもらった。でも患者服自体ポケットが付いてない構造のせいで入れる場所がない。

 {抱えていくしかないか,でも結構人目につくよなあ}

 そんなことを考えながら,僕は個室を出ようとした。ふとベッドの隣の棚の上にある花瓶に目を向ける。そこには綺麗な色をした花が一輪飾ってある。

「それはアザミですよ,可愛らしいでしょう?」

「うん。今まで気にならなかったんだけど,これって加藤が置いてくれたの?」

「…今更気づいたんですか?」

「え?」

「なんでもないです。さっさと行きますよ」

 そういって,さっさと加藤は個室を出ていってしまった。もしかしたらずっと前からあの花瓶はあったのかもしれない。そう考えるとさっきの言葉は軽率だったし,心配して飾ってくれた彼女の気持ちを踏みにじりかねない。後で謝っておこう。そう考えて,僕は後を追った。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------------------


(途中までは一緒の道なのでそこから別れましょう。私は一応学校に先生たちがいないか確認してきますので。まだあなたは入院していることになってるので,見られない方が良いです)

 そう言って加藤と別れて僕はマンションへと1人で向かう。今までずっと病院内にいたせいか,運動不足であまり身体が動かない。それに加えて記憶にない景色や街並み,道にいるのだから不安は増していった。頼りになるのはスマホによる家へのナビだけだった。住所を入力するだけでルートをナビしてくれるのは良いが,それでもマンションへ辿り着けるのかが心配になった。

そもそも僕の家,といっても本当に今の僕がその言い方をしていいのか気になった。それだけじゃない,登校していた学校,好きなもの,嫌いなもの,趣味,特技,それらの全ては今の僕ではなく記憶喪失前の僕が本来なら持っているものだ。もし僕のことを詳しく知っている人,親とかに僕のことについて聞かされても何もピンとこないだろう。だって僕は『僕』じゃないから。

(加藤だって,記憶を取り戻してほしいって言ってたもんな)

 歩きながら僕は考える。もし僕が記憶を取り戻したとして,『僕』は戻ってくるだろう。そしたらまた『僕』は僕の知らない日常を取り戻す。きっと退屈で,それでも平和に過ごしていけるんだろう。

 ―でも,それじゃあ,僕はどうなるんだ?僕が経験してきたことは『僕』の中に残るのか,それとも全て消えてしまうのか。もしそうなら僕はー

(何を考えてるんだ,どうしたって必要とされているのは『僕』なんだから,そうしなきゃいけない,余計なことは考えない方が良い…はず)

 一瞬よぎった思考を止めて僕は歩く。しばらくすると,スマホのナビが案内を終了を告げた。どうやらマンションについたようだ。

「ここが,僕の住んでいたところ…結構良いところ住んでるんだな」

 率直な感想を述べた後すぐにとマンションに入る。運よく誰にも見つからなかったとはいえ,マンション内で誰かと出くわすかもしれない,今の恰好上それは嫌だったのでさっさと部屋を見つける。202号室と学生証に書いてあったのでエントランスから階段を使って2階へ行き,部屋の前へとたどり着いた。鍵を取り出してドアノブの鍵穴に入れる。鍵はすんなりと入り,回して鍵を開けた。


 どんな部屋なんだろう,期待半分不安半分の気持ちで僕は部屋の中に入った。玄関には靴が1足だけ置いてあり,その横にある棚の中とには何も無かった。ただ,上には花瓶が飾られており中には病室で見たものと同じようなアザミの花が入っていた。病室といい,今はこの花が流行っているのか?

(…結局謝りそびれてしまった)

 一緒に歩く最中で言い出すことが出来ずに別れてしまったから,次こそは話さないと。

 靴をどけて履いていたスリッパを脱ぎ,廊下を歩く。奥にはリビングのような部屋が見えて左側にはトイレと個室が1つだけあった。先に個室の方を開けると,左側にはベッド,右側には勉強机のようなものと椅子が見えた。正面には小さい箪笥と窓があり,中を覗くとシャツやパンツなどのかなり多めの下着と,2,3着ほどの普段着が整頓されていた。どうやら『僕』はあまり衣服に対して頓着は無かったようだ。机の方を見ると,上には筆箱が置いてあり,ニンテンドースイッチのゲーム機や本棚が立てかけられていた。本棚には学校用の教科書やノート,読書用の本が乱雑に並べてあり,本にはカバーが掛けられていた。机の下には学校指定の鞄が置いてあった。

(制服は…あった)

 個室の入り口側に制服がハンガーに掛けられていた。これで『僕』は事故の日に私服であったことが分かった。制服を着ていたのなら,ここにあるはずがない。僕は初めてここに来たのだから。そういえば,『僕』はどんな本を読んでいたのだろうか。ふと気になって本棚の中から一冊取り出して読んでみた。栞が挟まっていたので読んでる最中だったのだろう。ペラペラと流し読みをしながら栞のところまであっという間にー

 殺してやる

「!?」

 いきなりその文字が飛び込んできた。本の文字として書かれていたわけじゃなく,ページ全体を使って文字の上から殴り書きされた赤い文字がそこにあった。この本だけでなく,教科書など他の本にも「許さない」「死ね」などの恨みの筆跡が残されていた。

「何だよこれ…」

 こんなことをされる身に覚えは記憶のない僕にはない。じゃあこれは『僕』に対してのメッセージ?一体何をしたらこんなこと書かれるんだよ,『僕』。というかこんなのいつ書いたんだ?最後に部屋を出て鍵を閉めたのは事故のあった日からだからそれ以前に書かれたことになるけど,誰が?どうやって?何の為に?疑問は尽きなかったが,『僕』は誰かから嫌われている,ということだけは理解した。

 一旦個室を出てリビングへと向かう。もしかしたら本以外にも恨まれている痕跡があるかもしれないと考えた。リビングには向かって右側にソファーと1人用のテーブル,左側にはキッチンと奥に繋がるドアが1つあり,ドアを開けると洗面所と風呂場,洗濯機が設置されていた。どうやらテレビは置いてないようだ。

 キッチンに目を向けると,ゴミ袋が置いてあり,中には大量のティッシュペーパーとカップ麺などのインスタント食品や冷凍食品などの袋が捨ててあった。どうやら自炊はしてないようだった。ガスコンロも使われた形跡ないし,冷蔵庫や冷凍庫には食材というよりも飲み物や冷凍食品が多く,キッチンの上の棚には紙コップと紙の皿が大量にあった。そんなに食器を洗うのが嫌なのか,と自分で自分に突っ込みを入れたくなる。自分といっても別人だけど。

(…もう一度確認するか)

 念の為にリビング全体と風呂場の方をもう一度見渡す。そもそも家具が結構少ないからか何かが隠れている,隠しているといったものは見つからない。あと見てないところと言えばせいぜい個室にあった机の引き出しくらいしか思い当たらない。

(何かヒントがあれば良いんだけど,うん?)

 ゴミ袋の中をよく見ると,大量のティッシュペーパーの下に何かキラキラした切れ端があった。ゴミ袋から取り出して見ると,どうやら写真のようだった。

(でもこれだけじゃあな)

 写真はビリビリに破かれているため何を撮ったのかよく分からない。というか何で撮った写真をわざわざ破く必要があるんだ?何を撮ったのか気になった僕はゴミ袋の中にある残りの写真の切れ端を探った。そうして見つけた写真の切れ端を繋ぎ合わせると,ある人物が見えた。

(これは加藤?でもこの画角からじゃ,まるで…まさか)

 嫌な予感がした僕は急いで個室へ行き,まだ見ていなかった引き出しを開けた。

「マジかよ」

 そこには隠し撮り,もとい盗撮された加藤の写真が大量にあった。どうやら『僕』は加藤のことを盗撮した上で大量にコレクションしていたらしい。破いていたのは,証拠隠滅のためだろうか。あの恨み事が書かれたのも,多分この行いに気づいた加藤がやったのかもしれない。

 でもそれならどうして僕にそのことを何も言ってくれなかったんだろうか。僕が記憶喪失だから言っても仕方のないことだったからなのか?それともあえて何も言わずに僕を家に帰らせて『僕』がしてきたことを分からせるためだったとか。


 違う,そうじゃないだろ。加藤がしたことはこの際関係ない。そもそも加藤が気付いていたのも書いたとも限らないことだ。大事なのは『僕』が加藤を盗撮していた事実だ。それは最低で,愚かで,恥である行為だ。そのせいで,僕はどうしても許せなかった,友達をそういう目で見ていて,加藤を傷つける行為をした『僕』のことが。

「…!」

 僕は写真を破く。破けば破くほど『僕』に対する怒りと悲しみの気持ちが湧いてくる。本当なら,僕は記憶を取り戻さないといけない。必要とされているのが『僕』であるなら,僕は早く消えないといけなかった。だけど,この家にあった『僕』の秘密を知ってしまったせいで,僕は『僕』が嫌いになってしまった。こんなやつ,いない方が良いと思ってしまったんだ。

 何も知らずにいれば良かった。記憶を返してあげたいと思えるような人でいてほしかった。

 どうして盗撮なんかするんだよ,何で僕でも気づくような場所に置いておくんだよ。頼むから,僕を失望させないでくれ。こんなことなら,僕の方がー

「!?」

 携帯電話のバイブレーションを感じて写真を破く手を止めた。見るとそこには加藤から電話がかかってきていた。

(やっぱり加藤は僕のことを…!)

 一瞬最悪の展開を考えて戦慄しそうになるが,それを振り払って電話に恐る恐る出る。悩んでも仕方ないんだ,とりあえず出ないと。

「も,もしもし」

「斎藤?今学校にいるんですけど,もう仕度は終えましたか?今正門には警備員が不在中なのでチャンスなのですが」

 どうやら催促の電話だったようだ。僕はホッとした気持ちとドキドキした気持ちで半々だった。

「えーっと,ごめん。まだ準備が整ってなくって」

「なら急いで下さい」

「う,うん。あ,そういえば加藤,ちょっと聞いても良い?」

「…なんですか?もしかしてまだ道に迷ってるんですか?」

「流石に家には着いてるよ!そうじゃなくってさ,真面目な話,加藤って僕ん家来たことってある?」

 正直今このことを聞くのは正しいことなのかどうか分からない。でも加藤に何も言わずにそのままにしておくのも悪いと思ったので,写真のことや殴り書きのことについては伏せておいて聞いた。

「どうしたんですか急に,私が斎藤の部屋に来たことが分かる何かがあったんですか?」

「いや,僕の部屋の中を見てたらさ,なんとなくだけど『僕』のことが分かってきてそれで」

「思い出したんですか!?」

 ふいに加藤が声を上げた。

「どんなことをですか!?学校のこと?家のこと?本の内容について?それとも私の」

「お,落ち着いてよ加藤!具体的に何かを思い出したんじゃなくってさ,僕の家での生活とかが少し分かったから,なんとなくだけどその気になったってだけなんだ。ごめん」

「そ,そうでしたか。こちらこそ少し興奮してしまいごめんなさい」

 歓喜の声から落胆の声へと変わったことが電話越しに伝わった。今まで加藤が大声を出していたのを聞いたことが無かったから驚いた。

「実は,玄関に花瓶が置いてあって花が飾られていたんだけど,病室にあったアザミと似ている気がしたんだ。それで加藤が同じアザミを生けたんじゃないかと思って。あと,ずっと病室で飾ってくれてたアザミのこと,今まで気づけなくてごめん」

「…病室のことについてはもう気にしてませんし大丈夫です。そして花瓶についてなんですが,私は何も知らないです。たまたま斎藤が生けていたんじゃないですか?」

「そ,それはそうかもしれないんだけど」

「忘れてるんですからそういう偶然にも気づいてないんですよ。それよりも,結構長電話になってしまいましたし,早く準備して学校に来て下さい。学校の場所はナビで多分出ますので,それでは」

 そういって加藤は電話を切った。結局花瓶のことは何も分からなかったし,強引にはぐらかされた気もした。


 あの写真といい,文字といい,花瓶といい,僕の部屋で見つけたことから,僕にはある1つの疑問が浮かんできた。

 本当に僕は事故に遭ったのか?

 制服を着ながら考える。もしも事故じゃなくて事件―人の手によって僕が殺されそうになったのなら,あの怨恨の文字や写真についても色々と納得がいく。でも,事件じゃなくて事故扱いなのはどうして?誰も見ていないところで起きたのか?僕は事故現場がどこなのか知らない。そもそもずっと記憶のことばかり考えていたけど,何で事故の内容について先生から何も聞かされていないんだ?いくら記憶喪失とはいえ,概要くらいは耳に挟んでいそうなのに。それとも,誰かが意図的に隠しているのか?何の為にー

「…」

 結局結論が出ないまま,着替えを終えて家を出ようとする。とりあえず学校へ行って,加藤の話を聞こう。それから考えても遅くはないのだから。あとは,あれについても調べないと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 マンションを出てしばらくして近くにある学校へと辿り着いた。途中で加藤が手を振ってるのが見えた。

「声はあまり出したくなかったので。連絡もしてませんし,制服とはいえ見つかったりしたら面倒ですからね」

「教師は生徒の顔を覚えてる,というか忘れないしね,良くも悪くも」

「そういう知識みたいなのはあるのにどうして自分自身のことは思い出せないんでしょうか…まあ良いです。その為にここへ来たのですから」

 加藤はジト目で見つめる。それに関しては本当に悪いとは思ってる。

「オドオドしてる方が目立つので,なるべく自然体で行きましょう。あと,あまり顔を見せないためにも顔は下げた感じでお願いします」

「結構難しい注文だね,頑張るけど」

「では参りましょう」

 そうして僕と加藤は学校の中に入る。時刻はすでに5時を回っていて夕焼け空が見え始めていた。

 加藤がこの学校にある下駄箱,運動場,教室や移動教室,体育館などの場所を教えてくれてその都度案内してくれている。意外なことに他の生徒とも教師とも鉢合わせすることは無かった。というか人影自体見当たらなかった。吹奏楽部の音とかも聞こえないし,どうしてだろうか。見つからないっていうのは良いけど。

「それで,どうですか?何か斎藤が思い出せたことはありますか?」

 普段授業を受けている教室の外(中には入れなかった)で加藤が聞いてくる。

「ううん,駄目みたい。やっぱり,無駄だった」

「そうですか…」

 加藤に焦りの表情が見えた。懐疑的だったとはいえ加藤も学校での記憶を取り戻すことに期待していたのだろうか。

「何か,何かが足りないんでしょうか。思い出す為の何かが,本の内容とか,話したこととか」

「そんなに,僕の記憶が戻ってほしいんだ」

「当たり前じゃないですか!だって,そうじゃないと,私は何の為に今まで!」

 加藤の声が響く。

「本当はずっと心配してるんですよ!あなたが戻ってきてくれないと,私はまた独りぼっちになってしまうんです。あの時だって本当は,あなたが声を掛けてきてくれたから,そうじゃなかったら私は…」

「加藤…」

 次第に声は小さくなり,詰まってしまった。

「は,はは。情けないですよね,たった一人の友人の記憶すら取り戻せないなんて」

 乾いた笑みを浮かべる加藤に,僕は何も言えなかった。それだけ僕がいないことがショックだったのだろう。

「私って,結構強がりなんですよ。だから全然素直になれなくって,友達作れなかったんです。声を掛けてきてくれた時も,あまりコミュニケーション取れなくって」「それでも,読書の話が出来たことが嬉しかったんです。私のと同じ本をあなたが読んでいた時も何を考えてるのかとかどう思っているのかを,共有できて,それで楽しいって思ったんですよ」

「こんなこと,斎藤には言えない,『あなた』にしか見せられないんですけどね…だからどうしても,記憶を取り戻してほしいんです。また一緒に本の感想や,貸してある本の意見とかを聞きたいんです」

「…」

 この独白を聞いて,僕は決心した。このままではいけない。加藤から何が出来るのかを家から学校まで考えてきたつもりだったけど,こういう反応をされるんだったら,今更隠してもしょうがない。意味がない。

「加藤」

 何よりも,僕に加藤が教える僕の人物像が何もかも違いすぎて,耐えられなくなった。耐えられなくなってしまった。気持ち悪くなった。

「はい」

 だから教える,本当の僕を。そしてー

「僕はもう記憶が戻っている」

「…」

「僕を殺そうとしたのが,お前だってことも,思い出した」

 本当の『彼女』を。

「あはっ」

 彼女は笑った。聞き覚えのある笑い声だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「本当に,ゴキブリみたいにしぶといですね。ちゃんと,この手で殺したはずだったのに,階段で突き落とした後,ナイフで刺して,脈の確認もしたのに,何で死んでくれないんですか?」

「ていうか,酷いですよね,記憶喪失のフリをしてたなんて,おかげでやりたくもない友達のフリしなくちゃいけなかったんですから。まあ,思い出してほしかったのは本当ですけど」

「ええ,ええ。忘れないでほしかったんですよ,私にした仕打ちのこと,友達を装って私に近づいてきて,尻を触らせろだの,胸を揉ませろだの,抱かせろだの,断ろうとすれば,盗撮された写真をばらまくと脅されて散々酷いことされて,そんなことされて恨みを抱かない人なんていない」

「私が死のうと思っても,どうせあなたはまた

 別の人を見つけて同じことを繰り返す。私が告発しても,どうせみんなはあなたの方を信頼する。成績優秀で,運動も出来て,顔も良い。私とは正反対。そんな人が私を脅してたって言っても誰も信じてもらえない。結局全員,あなたの裏の顔なんて知らなかった!」

「…だから,この負の連鎖を断ち切るには,私自身で,終わらせないといけないんです。記憶喪失になった時は流石に焦りましたよ。何も覚えてないあなたを殺しても意味なんてないですから」

「言っておきますけど,助けを呼んでも無駄ですよ?この学校には誰もいません。だってあの時と同じ休校日なんですから記憶取り戻したのに確認もせずに来ちゃうなんて,斎藤って思ってた以上に馬鹿なんですね,ふふっ」

「でも,本当に記憶が戻って良かったです。これで,やっと,あなたを,お前を殺せる!ああ憎い,お前のことが憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くて,憎くてたまらない!」

「だから,死んで?」

「あっははははははははははははははははははははっははははははっはははははははっはははははっははははははははははははははははははは!」

 長々と話したかと思うと,半狂乱になって僕に襲ってきた。見ると右手にはナイフが握られていて,僕を刺しそうとした。

「っつ!」

 間一髪で避けて,踊り場へと逃げるが,加藤も追いかけてくる。このままだと僕は殺されてしまう。加藤は僕を殺した後のことなんてまるで考えちゃいない。でも僕はこんなところで死にたくなんかない!あんな奴に僕の学校生活を邪魔されてたまるか!階段を下りて正門へと向かう。とにかくまずは警察をー

「あ」

「え?」

 呆気ない声を出した加藤に思わず上を向くと,加藤が階段を踏み外して,床に激突していた。顔から血が流れて,床一面を真っ赤に染め上げている。ピクピクと痙攣しているのが見えた。

「ひ」

 たまらず僕は逃げ出す。逃げて,逃げて,ひたすらに安全地帯へと逃げる。誰かに見つかるかもしれない。だけどそんなことはもうどうでも良かった。あるのはただ,その場にいたくないという恐怖心と,現場を目撃されたくないという利己的な考えだけだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 あの日,僕は家へと戻り患者服に着替え直してから病院へ帰ってきた。その日のことは,誰にも何も言われなかったし,聞かれなかった。そして数日後退院し,再び日常生活を送れるようになった。同じ学校のクラスメイトが事故に遭ったということで事情聴取を受けたが,何も知らないと突っぱねた。両親もクラスメイトも,深くは聞いてこなかった。幸か不幸かあの日誰も学校にいなかったことが影響しているのだろうか。

自分が事故に遭った前後関係を詳しく調べてみた結果,どうやら彼女は僕が意識を失ってる間に僕の部屋へと入り込んで花瓶と殴り書きを仕込んでおいていたらしい。多分,僕の記憶が戻った時に気づくように,もしくは記憶が無い僕に恐怖を植え付ける為に。

「はい,はいそうです。加藤恵美さんと同じ○○○○学校のクラスメイトの斎藤祐樹で,クラス代表としてお見舞いに来たんですけど…」

 彼女以外に誰も見舞いに来なかったのも,記憶喪失の原因が伝えられなかったのも,全部彼女が情報統制していたからだった。前者は面会謝絶であるほど酷い状況であるという嘘の情報を学校や両親に伝えていたから,後者は先生の話を彼女が代わりに全部聞いていたからだ。

そうやって僕を孤立無援のように見せて,加藤に頼らざるをえないようにしていたのだ。今まで気づかなかったけど,両親の連絡先は消えていたし,学校でのアドバイスも,違和感に気づかせない為のものだった。こういう所だけは本当に頭が回っていたと感心し,また僕は追い詰められていたのを思い出してゾッとした。

「あ,はい。202号室ですね。え?あ,そうですか。分かりました。それだけは注意しますので,ありがとうございます」

 現在僕は,加藤がいる病室へと向かっている。一命はとりとめたものの,意識不明らしく,絶対安静が必要な状態らしい。

(あの状態で生きているなんて,本当にしぶといな…僕もそうだけど)

 あんな奴に殺されそうになるなんて夢にも思わなかった。中途半端にしないでちゃんと証拠隠滅はしておかないと。

 手に花束を抱えながら歩く。今どきクラスを代表して1人にお見舞いへ行くという風習はない。それは建前で,本音は加藤を監視する為だ。仮に意識が戻った時に僕のことについて何か言うかもしれない。それだけは絶対に避けなければ。

 病室に辿り着いて中を見渡す。見舞いの客は誰もいない,親すらも。なんだか哀れに見えた。

「あ」

 加藤っぽい姿が見えた。ベッドに横になって眠っている。顔全体が包帯に巻かれているせいで一瞬誰だか分からなかったが,それ以外に人がいない為,間接的に加藤だと分かった。ちょうどいい。

 僕は抱えていた花束を,アザミの花束をベッドの横の机へと置く。花瓶の時とは比にならないほど多かったが,その分アザミの意味合いが強くなる。これからずっと加藤のことを逃がさないために,許さないために,そしていつか殺す為に,その思いで束にしたんだ。

 それに,これは僕があの時記憶を取り戻したきっかけにもなったのだから,感謝しないとな。ああ,加藤もこんな気持ちだったんだな。

「あの」

 ふと声が聞こえただけで心臓が掴まれたかのように鼓動する。それだけ聞きたくなかった声を不意打ちに喰らわされてしまった。振り返ると,彼女が上体をベッドから起こして僕を見つめていた。包帯の隙間からわずかに見える瞳が恐ろしくてたまらなかった。

 しかし彼女の二言目で,ようやく気付く。それは僕が最も待ち望んでいて,そしてー
















「あなたは,誰ですか」


 僕にとっての,呪いの言葉だった。


 


アザミの花言葉は「復讐」,「私に触れないで」です。記憶喪失モノは書くのが難しかったです。

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