十年なんてこんなもの……
この国を訪れる大商会の中で本所をこの国に置いているのは父の商会だけだった。
先代国王陛下に免除されていた父も、現国王陛下の即位と同時に停泊料という名の高額な税金を巻き上げられている。どんどん値上がりしていくそれに父は頭を抱え、そんな父を見る度にシャルロットは申し訳なさでいっぱいになった。
父は会う度に絵姿を描かせるほどシャルロットを愛してくれている。
先代陛下に約束されていた、父に爵位をとの話は現王陛下になかったことにされた。シャルロットの、王太子妃に相応しい家への養子縁組みも何年も中に浮いたまま。
約束を反古にされても父が従ってきたのは、ひとえにシャルロットの為。娘が、王太子殿下を愛しているからと、ただそれだけでずっと耐えてきてくれていた。
─でも、それももう終わりだわ……。
一年ほど前に病や怪我をたちまち癒す黒髪の『聖女』が現れ、国王陛下に謁見するほどの騒ぎになった。その『聖女』は王や貴族達の前で、本当に奇跡を起こして見せたらしい。
対してシャルロットのマイヨール家は平民のまま。ただの平民である商人の娘を『聖女』とすることにも、まして王太子の婚約者にすることにもしぶしぶ従っていた現王夫妻は、これ幸いとその場で『彼女』こそ本物であると宣言し、シャルロットの正当性を怪しんでみせた。
未来の王太子妃の座が空くと狂喜乱舞した貴族達も、奇跡を知った国民達も、こぞって新しい『慈愛の聖女』を持て囃している。
その結果、先代国王陛下の遺言だけが『聖女』である根拠だったシャルロットは、『偽聖女』として責められるようになってしまう。王家に庇ってくれる者がいなかったシャルロットは、日に日に窶れ笑顔も消えてしまった。
東大陸から帰国した父がその姿に激昂し、先代陛下との契約は全て無効だと、とうとう決断してしまったのだ。高額な慰謝料を支払いたくなかった現王は、待ってましたとばかりに『そもそも偽物だったのだから、もとより王家に責はない』と婚約解消を申し渡してきた。
─ジョシュ、私は八歳の初めて会った時から貴方だけだったの……ずっとあなたの隣にいたかったわ。
『僕の大切な聖女』と嬉しそうにシャルロットを呼んでくれていたジョシュとは、もう四ヶ月も会っていない。手紙を書いても返事すら届かなくなっていた。
数ヶ月前までシャルロットの友人を名乗っていた令嬢達も、一人減り二人減りして、とうとうヴィックス商会の船が到着してからは、皆多忙になったとかでお別れの挨拶すら出来そうにない。
「王太子殿下がお見えになられます」
メイドが後ろから呼び掛けてきた。
─ジョシュ、もう私には立ち話で十分だということなの?
だいぶ前から従僕にさえ相手にされなくなっていたけれど、とうとう、部屋すら用意されなくなったらしい。
「ハインケス侯爵、皆様、ご心配いただかなくても結構でしてよ。商人は名誉よりも契約や約束を尊ぶのですわ。私は本日が最後の登城ですの。王太子殿下がお見えになるそうですので、失礼いたしますわね」
王太子殿下に捨てられるシャルロットを嘲笑うつもりなのだろう。遠回しに『あっちへ行け』と告げたにも関わらず、ハインケス侯爵達はその場に居続けるつもりのようで、ニヤニヤ笑ったまま動こうとしなかった。
それ以上どうしようもなく、シャルロットはそのまま王太子を迎えるしかなかった。
「シャルロット」
「お久しぶりにございます、王太子殿下」
シャルロットがもう『ジョシュ』と呼ばないことに微かに目を見開いた王太子の腕には、黒目黒髪の新『聖女』の白い腕がかかっている。
それを見ても、シャルロットの胸はもう鈍い痛みしか起こさない。だいぶ前に涙も枯れたシャルロットからは、何日も泣き腫らしたことなどわからないだろう。
「シャルロット、大陸に行くというのは本当なのか?」
「はい。私をと望んでくださった方がいらっしゃるので」
「……そうか。そなたを溺愛しているマイヨールが手放すとは信じられないが。で、発つのはいつ頃だ?」
「本日発ちますの。お相手を大変お待たせてしておりますので」
「そんな急に……何故もっと早く……」
「僭越ながら、なかなかお会い出来ませんでしたので、その旨手紙でご挨拶させて頂いております」
「え?」
王太子のその驚きが、シャルロットに残っていた僅かな期待も打ち砕いた。
─手紙すら読んでもらえていなかったなんて……馬鹿みたい。もうとっくにジョシュの中に私はいなかったのだわ。
「ねぇ、ジョシュ。まだなの?」
「ああ、サリー。すまないな」
既に名前で呼び合う二人を見ても虚しいだけで、最早嫉妬すらわかなかった。それでもこの十年、未来の王太子妃として教育を受けてきた者の矜持がシャルロットにはあった。
「王太子殿下、聖女様、お伝えしたいことがございます」
「何かしら?」
『慈愛の聖女』の冷たい目に怯んでしまい、思わず俯きそうになる。
─駄目よ。我が儘を言って最後に登城させてもらったのだから。先代陛下の為にも、せめてこれだけは言わなければ。
シャルロットはグッとお腹に力を入れて顔を上げた。
「王太子殿下、私達はもう殿下やこの国を守ることが出来ません。聖女様、誰であろうと王太子殿下のお隣に立つのなら、守られるだけではいけません。そして殿下も、その隣に立つ者も、共にこの国を守る者なのだということをけしてお忘れにならないでくださいませ」
「シャルロット……」
「ジョシュ、しっかりして。ねぇシャルロットさん、偽物のあなたに言われなくても、本物の聖女である私がいるのよ。ご心配いただかなくて結構です。そうでしょう、ジョシュ?」
「え?! ああ、そうだな。そのとおりだ」
かつて自分ががそうであったように、自分を支える王太子の腕だけが拠り所なのかもしれない。シャルロットには新聖女の怯えが見える気がした。けれどそれはもう自分が気にすることではない。
「左様でございますか。……では殿下、お別れにございます。長きに渡り、ありがとうございました。どうか、この国と民をよろしくお願いいたします」
「ああ。だがシャルロット、もう少し……」
「あなた、平民なのでしょう? あなたに言われるまでもないことだわ」
「そうですな。最後の最後まで身の程を知らぬままでしたなぁ」
「さぁ、もう城に用はないであろう。とっとと下城するがいい」
「商人風情が。二度と登城出来ると思わぬように」
王太子が聖女に腕をひかれ、侯爵達に背中を押されてその場を後にする。ポツンとシャルロットを一人残して去っていく集団に疲労とタメ息しか出てこない。
「……十年なんて呆気ないものね」
王太子の金髪が振り返ったような気がしたけれど、シャルロットにはもう確かめようのないことだった。




