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それから本番まで毎日、キースはナターシャの家でダンスの練習をした。もちろん、二人ともちゃんと踊れるので、呼吸を合わせる練習をするのだった。
(ダンスの授業で習っただけだから、こうやって同じ男の人と何度も練習するのは初めて。段々と、呼吸が合ってきた気がする。それにリードが上手くてとっても踊りやすいわ)
下から見上げるキースは相変わらず前髪はボサボサで、あまり瞳が見えない。
「キース、どうしてそんなに前髪を長くしているの?」
「うーん、いろいろ面倒なんだ。学校を卒業したらちゃんと整えるつもりだよ」
「ふふっ、あなたって面白いわね。ハンカチを何枚も持つマメさはあるのに髪を整えるのは面倒だなんて」
「前髪が長い男は嫌い?」
「いえ、髪型なんて関係ないわ。それより、男の人は誠実で私のことだけを好きでいてくれる人がいいわね」
「僕は誠実な部類だと思うし、好きな人は一人でいいって思ってるよ」
踊っているから顔が近いうえに耳元で囁かれてナターシャはドギマギした。
「えーと、キース、そろそろ休憩しましょ」
ナターシャは顔が赤くなるのを誤魔化すために後ろを向いてお茶の用意をした。
(パーティーのためのレンタルパートナーなのに、キースったらなんだか恋人っぽいムードを作ってくれるから……本気にしないように気をつけなくちゃ)
☆☆☆☆☆
一方、ホリーとディーンはトントン拍子に話が進み、正式な婚約を結ぶに至った。双方の親たちはやっと相手が決まった、と大層喜んだのだ。
婚約指輪を贈られたホリーは初めて自分に自信を持っていた。
(私はディーンに選ばれた。ディーンは子爵家の長男だしいずれその位を継ぐわ。私はナターシャよりも上位になるのよ)
マリアンヌを味方にすることは出来なかったが、他の令嬢達は同情してくれた。これからは楽しい社交界生活が待っているはずだ。
(ナターシャはあの冴えない兄と出席するんでしょうね。あと一週間でパートナーが見つかる訳ないし)
ホリーは、自分の指に光る婚約指輪を見たナターシャがどんな顔をするかと想像してほくそ笑んだ。
☆☆☆☆☆
パーティー前日、ナターシャの屋敷にはキースからアクセサリーと花が届いた。
「まあ、なんて素敵なティアラとネックレス。お揃いのイヤリングまで。既製品のドレスが高級に見えそうよ」
母はドレスに合わせてみて喜んでいた。
「でもお母様、こんな高価な物受け取っていいのかしら」
「明日付けてきて欲しいってことでしょう? 遠慮なく着飾って行きなさいな。後で、お礼の品を持って行く時にお返しすれば大丈夫よ」
「あっ、そうね。そうよね。プレゼントかと思っちゃった」
(いけない、いけない。こういう、思い込みが激しいところがホリーに嫌われたのかもしれない。気をつけよう)
明日はディーンとホリーとも顔を合わせるだろう。正直まだ辛いけど、もし話すことが出来たらちゃんとおめでとうって言おう、とナターシャは思った。
そして当日。キースが公爵家の馬車で迎えに来てくれた。
「お手をどうぞ、ナターシャ」
柔らかく微笑んで手を差し伸べるキースに、ナターシャは心臓が止まりそうだった。なぜなら、今日彼は髪をきちんと整えて、美しいブルーの瞳と整った顔立ちが露わになっていたのだ。
(待って! こんなに綺麗な人だなんて聞いてない! いえ、マリアンヌ様のお顔から想像は出来たはずだけど……それにしても! 横に並ぶのが嫌になるくらいなんですけど……)
「キース、そんなに綺麗な顔をしているのにいつも隠していて勿体ないわ」
馬車の中で思わずそう言うとキースは、
「うん、そうなんだよ」
と照れるでもなく言った。
「この顔のせいで女の子からは追いかけられ、先生からは贔屓され、そのため男子からは嫌われ……と、散々な思いをしてきたからね。いっそのこと髪で顔を隠すようにしてみようと思ったんだ。僕の中身だけを見てもらいたかったから。だけどもう、いいかなって」
「そうなの? もう追いかけられても平気なの?」
「うん。もう、断る理由は見つけたからね」
そう言ってニコニコしているキースを、ナターシャはやっぱりヘンな人だなぁと思いながら見つめていた。