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「大丈夫ですか?」
振り向くと、昼休みに出会った二年生男子が目の前にいた。
「顔色が悪いですよ。医務室へ行きましょう」
彼は手を差し伸べ、ナターシャを立ち上がらせた。
「ええ……ありがとう」
そのまま彼はナターシャに付き添って中庭から連れ出してくれた。人の目が無くなったことでナターシャは少しホッとした。
「どうします? 医務室へ行きますか? それともあの木立にしますか?」
「身体はどこも悪くないの……人がいない所に行きたいわ」
「じゃあ僕、そこまで一緒に行きます」
歩きながらナターシャはさっきディーンに言われたことを思い返していた。なぜディーンはあんなに怒っていたんだろう? あの目は、怒りと蔑みのこもった目だった。自分は彼をあそこまで怒らせることをしたんだろうか……?
「着きましたよ」
彼に言われてハッと顔を上げると、芝生の上にハンカチが敷いてあった。
「ここに座って下さい」
「あなたのハンカチ? さっきも貸していただいたのに、また使わせてしまうの申し訳ないわ」
「大丈夫ですよ。いつもハンカチは二枚以上持ってます。こういう時に役に立つんだって今日わかりましたよ」
彼は笑って言った。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
陽が当たって暖かな芝生にそっと座った。ナターシャの隣に腰掛けた彼は、
「僕、二年のキースといいます。お名前、お聞きしても?」
「私は三年のナターシャ・クライトンです。ナターシャと呼んでいただいて構いません」
「ではナターシャ、今日は二回もあなたの悲しい顔を見てしまったけれど……もし吐き出した方が楽になるなら、僕でよければお聞きしますよ。もちろん、口外などしませんし」
「ありがとう、キース。今はまだ混乱していて、何がどうなってるのかわからないの。昼休みは、失恋して泣いてたんだけど……」
「さっきの二人がその失恋の原因ですか?」
「ええ、まあ、そうなるのかしら。でも私、二人を責めるつもりなんて全く無くて。話を聞くだけのつもりだったのに、何か誤解させちゃったみたい……」
ナターシャの目にジワジワと涙が溢れてきた。どうしてあんなにディーンに嫌われてしまったんだろう。ホリーにも、もしかしたらずっと嫌われていたのかもしれない。
「私、気づかないうちに人を傷付けていたのかな」
ポツリと呟くと、
「他人を傷付けない人間なんていませんよ。あなたは彼女を傷付けていたかもしれないけど、あなたも今、彼女達に傷付けられている。お互い様ですよ」
「お互い様……そうかしら」
「向こうがもう関わらないでくれと言うのなら、それでいいじゃないですか。いつかまた、分かり合える日がくるかもしれません。その時に笑って許せるようになればいい」
(そうね……私の顔を見るのも嫌なのかもしれない。そこまで怒らせた原因を知ることが出来ないのは辛いけど、いつかまた話が出来たらその時……聞かせてもらおう)
「ありがとう。ちょっと楽になったわ」
「ちょっとだけですか」
「ううん、かなり。一人だったらワンワン泣いていたかも」
「泣いてもいいですよ」
「え?」
「ここは誰もいないし、思いっきり泣いたらいい。僕の背中、貸します」
そう言ってキースはクルリと背を向けた。
(やだなあ、優しくされたら涙腺が……)
ナターシャはキースの背中におでこをつけ、しばらく静かに泣いた。涙がこぼれるたびに、辛く惨めな気持ちが減っていくような気がした。
「……グスッ」
(しまった、また鼻が……)
するとキースが後ろに手を回してハンカチを渡してきた。
「まだハンカチ持ってたの……?」
「これでお終いです。使って下さい」
「グスッ、ありがとう……あなたってヘンな人ね……」
ナターシャは鼻をすすりながら笑った。キースがいてくれて良かった、と思った。
「三枚とも、綺麗に洗濯して返すわ」
「いつでもいいですよ。家にはまだたくさんありますから」
「……どれだけ持ってるの」
二人はふふっと笑った。
その日、帰宅したナターシャは兄にパーティーのパートナーを頼んだ。社交の場があまり得意でない兄は渋ったが、父に一喝されて承諾した。
「卒業パーティーに相手がいないなんてねえ。私の娘時代には考えられないわ」
娘が失恋したとは知らない母は、傷口に思い切り塩を塗ってきた。
「社交界に出たら良さそうな人を早く見つけなさいね。見つからないようならお見合いですよ」
言われなくてもわかっている、と思った。たぶん地方の男爵家に嫁ぐことになるだろう。
(王都の社交界からは距離を置いた方がいいのかもしれないわね……)
昨日の高揚感とはうってかわった今日の切なさに、眠れないまま夜は更けていった。