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(……私ったら何もわかってなかったんだわ。ホリーの気持ちも知らずに恋の相談したりして。私が一緒にいたからディーンもなかなかホリーに申し込めなかったのかもしれない。それなのにディーンが申し込んでくれたら、なんて甘い夢見て告白する気になって。ホントにバカだ、私)
泣きすぎて鼻水まで出てきてしまった。グスッ、と鼻をすすりあげていると、パキッと枝を踏む音が聞こえた。
ハッと振り返ると一人の男子生徒が立っていた。ボサボサの金髪で顔がハッキリ見えないが、制服のラインの色から二年生だとわかった。(ナターシャは三年生である)
「ごめんなさい。泣いてるから気になっちゃって」
「き、気になさらないで……グスッ……一人で泣きたかったからここまで来ただけなんです……」
「ここ、人が来ないから隠れるにはいいですよね。僕もよく来てたんだけど……初めて他の人に会いました」
「グスッ……私も滅多に来ないんだけど……グスッ、一年生の時にここを見つけてて。たまに、一人で来てたのよ……グスッ」
「大丈夫ですか? ハンカチ、僕のも貸しましょうか」
「いえ、本当に気になさらないで……グスッ、出来ればもう向こうへ行っていただいた方が嬉しいです……」
「あっ、ごめんなさい。そうですね……じゃあ、失礼します」
男子生徒は足早に去って行った。
こんな所までわざわざ走って来たのに、結局泣き顔を人に見られてしまった。そんな自分が可笑しくなって、ナターシャはフッと微笑んだ。
(笑える元気があるなら大丈夫かな……。ディーン……好きだったけど、もう思いを告げることは諦めよう。今更告白するのは自己満足でしかないし、ホリーに悪いもの。二人が幸せならそれでいい)
よし! と声を出して立ち上がり、スカートの芝を叩いて落とした。そろそろ午後の授業が始まる時間だ。
木立を抜けて戻ろうとすると、足元にハンカチが落ちていた。というより、ハンカチの上にキャンディとメモが置いてあった。
『目を冷やすのにこのハンカチ使って下さい』
(もしかして、さっきの二年生かしら? 目……そういえば、腫れてるかも。ありがたく使わせてもらいましょう)
ナターシャはキャンディの包みを開き、口に放り込んだ。
「……美味しい」
名前も知らない彼の優しさにまた泣けてきた。
裏庭のポンプから水を汲み、冷たい水でハンカチを濡らして目元に当てた。熱くなった目がひんやりとして気持ちがいい。
(教室に戻って、ホリーの隣で普通にしていられるか不安だわ……いっそ、ここでサボってしまおうかしら)
だがそれではきっと、ホリーが気にしてしまうだろう。気を使わせてはいけないと思い、戻ることにした。
始業チャイムギリギリになんとか席に滑り込むと、隣の席のホリーが謝ってきた。
「ごめんね、ナターシャ」
ナターシャは慌てて手を振った。
「ううん、ホリー、私こそ知らずにあなた達の邪魔をしていたことを謝らないといけないわ……ねえ、いつからディーンのこと好きだったの……?」
その時、教師が入ってきて授業が始まったので、この質問には答えをもらえなかった。
「ナターシャ、中庭のベンチでお話しましょうか」
授業が終わるとホリーが言った。
回廊の形になった校舎に囲まれ美しく整えられた中庭は、ベンチがいくつか据えられており生徒の憩いの場になっていた。その分、どの校舎からも見える位置にある訳だから、泣いてしまわないように気をつけなければとナターシャは気を引き締めた。
ホリーは噴水の見えるベンチに座って、話し始めた。
「ごめんね、ナターシャ。あなたがディーンのこと好きだって知っていたのにこんなことになってしまって」
「ううん、謝ったりしなくていいのよ。むしろ私の方こそ、ホリーがディーンを好きだとは知らずに自分の相談ばかりしてごめんなさい。いつからディーンを好きだったの?」
「彼はいつもカフェでナターシャに声を掛けていたわね。ずっと、素敵な人だなあって思って見ていたの。でも友達の好きな人だから諦めなきゃ、応援しなきゃって思ってて。そしたら昨日、ナターシャが孤児院へ慰問に行くので休みだったでしょう? 一人で昼食を取っていた私にディーンが話し掛けてくれて……」
ホリーは一旦言葉を切って、深く息を吸った。
「……私のことが前から気になっていたって言ってくれたの。あまりにも突然で、でも嬉しかった。卒業パーティーのパートナーも申し込んでくれたから、お受けしてしまったのよ。あなたの気持ちも考えずに、本当にごめんなさい」
ホリーは手で顔を覆い、俯いて泣き始めた。
「ホリー、泣かないで。私、責めたりしていないわ。二人を祝福してるの、本当よ」
それでもホリーは泣き続け、次第に声も漏れ始めた。
「ホリー、泣かないで……」
ホリーを抱き締めようとした矢先、人影が現れた。
「ナターシャ」
ディーンだった。いつも明るく声を掛けてくれていたディーンが、今はとても冷たい声でナターシャの名を呼んだ。
「ホリーを泣かせたのか」
「ディーン、違うわ。いえ、違わないのかしら……でも、泣かせるつもりはなかったのよ、本当に」
ディーンは刺すような視線をナターシャに向けたままホリーを優しく抱き寄せ立ち上がらせた。
「もう大丈夫だ、ホリー。僕が君を守るから」
「ディーン? それはどういう……」
「ナターシャ、ハッキリ言っておく。もう、僕とホリーに関わらないでくれ」
「え?」
「あと半月で卒業だから我慢しようと思っていたが、またホリーを泣かせるなんて許せない。二度と話しかけるな」
そう言ってディーンは踵を返しホリーの肩を抱いて立ち去った。その間もホリーはずっと泣き続けていた。
(何……? いったい何が起こったの?)
回廊の校舎からは野次馬がこちらを見ていた。ヒソヒソ話をしている人達もいる。早くここを立ち去らないと……そう思うのに身体が震えて足が動かない。
永遠にも思える時間が過ぎていった。