提案
更新します。
俺が何食わぬ顔で戻った頃には、既にサラスの治療――に見せかけたスキルの解除――は一通り終わっていた。先ほどまで恐怖と疲労と絶望に満たされていた部屋が、今ではサラスへの羨望と感謝と助かったことへの安堵に満たされている。
「先生、お疲れ様でした。こちらをどうぞ」
そう言って、俺はサラスにガラス製のコップを差し出す。
コップはキンキンに冷やされて水滴が付いており、中には氷の浮いたお茶が注がれている。
そして同じものが、俺の後ろで控えている女性たちの持つ盆の上に幾つも乗っている。そこまで確認した瞬間、サラスの目が鋭く光った。
「あら、ありがとう。では、ありがたく頂きます」
俺の意図を察したのだろう。柔和な笑顔で俺からコップを受け取ったサラスは、それをグイっと一気に飲み干した。
「皆さまもどうぞ。色々とお疲れでしょう? 患者の皆様も容態が安定したようですし、まずは一息つかれた方がよろしいかと。患者の皆様も、快気祝いに是非どうぞ」
俺がそう言うと、住民は女性たちのお盆から次々とお茶を手にとっては冷えたお茶を喉へと流し込んでいく。コップは次々と空になっていき、遂には全てのお茶が住民たちの喉へと消えていった。
「本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げればよいのやら……」
俺たちを案内したあの男、カヤルとかいう少年の父親であるだけではなく、なんとこの集落の長も務めているという。集落を護る長として見せざるを得なかった険しい態度は鳴りを潜め、今では実に礼儀正しく深々と俺たちに頭を下げてくる。
無論、これはいわばマッチポンプ。正直ここまで礼を言われると少しは気が引けてしまうが、全てを白状して楽になりたいと思うほどの罪悪感はない。
いや、そもそもこの程度で罪悪感など抱いている場合ではない。何せ俺たちは、もっと非道な行いに手を染めようというのだから……。
内心ではそんなことを考えながらも、噯にも出さずに人当たりの良い笑顔を張り付ける。
「いえいえ。私たちは成すべきことを成しただけです。お気になさらずに。ですが、感謝して頂けるのであれば、一つお願いがあるのですが――」
「勇者たちの申し出を呑んでこの集落を明け渡せというのでしたら、申し訳ないがお断りする。貴方たちは命の恩人だ。でも、その願いだけは聞けない」
俺が本題を切り出すのを待たずして出されたその言葉には、どんな交渉も無駄だと言わんばかりの不退転の覚悟がひしひしと感じられる。
「……何故そこまで頑なにこの土地にこだわるのですか? 分かっているとは思いますが、相手は仮にも王国の後押しを受けた勇者たちです。もし、このまま勇者の申し出を拒否し続ければ、今度は王国そのものが動くでしょう。下手をすれば、国家反逆とでも言い訳を付けてこの集落は襲撃される可能性すらある。そこまでのリスクを冒してでも、貴方たちがこの土地に執着する理由は一体何なのですか?」
そう問うてみれば、長の男は顔を顰めてどこか悔しそうな表情を浮かべた。
「貴方の言う通り、我々が根を張れる土地なら他にもあるでしょう。ですが、ここは父母から受け継いだ先祖伝来の土地。先達たちが懸命に開墾して、一生懸命作り上げて、様々な困難にも挫けずに必死に守ってきた魂の宿る地なのです。そして今は、子孫たる我々が後世まで守っていかねばならない場所でもある。もうここは、我々の誇りと言っても過言ではないのだ。
それをいくら国の命令を受けた勇者とはいえ、『要塞を作ることにしたから無条件で明け渡せ』などと……そんな横暴、到底聞ける訳がない! その上、勝手に魔獣討伐を行った癖に『付近の魔獣を討伐して守ってやったんだから、その礼と思って土地を寄越せ』だの『新しい土地など、そんなのは自分たちで探せ。今はただ命令を聞いて土地を差し出せ。さもなくば、どうなるか分からない』だのと……彼らの言は最早我々への侮辱に等しい! 一体どこまで我らを虚仮にすれば気が済むのか! そんな屈辱的な扱いをされてなお引き下がれるほど、我々は従順にはなれません。誇り無き生よりも誇りある死を望む――それが我々の揺るぎない意思なのです」
話を聞いて、勇者たち――いや、元クラスメイト共の馬鹿さ加減に思わず頭が痛くなってきた。
よくもまあ、こんな横柄で人を舐め腐った交渉で結果が得られるなどと思えたものだ。
自分たちにある勇者という肩書の力を過信したのか、将又頼まれていないとはいえ魔獣から救ってやったのだから見返りがあって然るべきとでも思ったのか、あるいはただ本当に馬鹿なのか、それは分からない。
ただ一つ言えるとするならば、上手くいく見込みのない交渉をさっさと打ち切って強硬手段に出ようという佐藤たちの判断は、強ち間違っていないといったところか。これほどまでに土地へ愛着を持つ住民相手なら、猶更だろう。
それにしても、住民たちのこの土地への愛着も凄まじいモノがある。
考えてみれば、ここは魔獣が出現した森からそう離れていない場所にある。つまり多かれ少なかれ魔獣の脅威に晒された筈なのだ。
それでも逃げなかったというところを鑑みるに、この土地に対する彼らの愛着は相当なもの。いや、この土地と心中する覚悟を決めているようにすら見受けられる。ここまでくれば、もういっそ愛着よりも執着と表現した方が適切かも知れない。
だが、何にせよ構うことはない。寧ろ好都合というモノ。アイツらの愚かさ、そして住民たちの憤りと誇りと執着――全てを纏めて利用させて貰うとしよう。
「なるほど、よく分かりました。皆様のこの集落に掛ける思い、実に感動した。ですが、勘違いしないで頂きたい。私の依頼は、勇者たちの言いなりになれというモノではありません。寧ろその逆――私だけではなく、貴方たちにとっても非常にメリットのあるお願いです」
「……逆とは? それに我々にも利がある? 貴方たちは一体、何が望みなのですか?」
不安そうな表情を浮かべる長に、俺は悪意を滲ませた歪んだ笑みを浮かべる。
「簡単な話です。私たちはこれから、あの勇者たちを始末しようと考えています。つきましては皆様には、その協力をお願いしたい。どうです? 貴方たちにも、メリットのある話でしょう?」
その瞬間、長を含めたこの場にいる集落の全員の顔が漏れなく凍り付き、そして陸に上がった魚のようにパクパクとさせるだけで言葉を失っていた。
如何でしたでしょうか?
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