復活
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「――うと……りゅう……琉人……琉人様ぁあああっ! 起きて……起きてっ!」
まるで仄暗い水の底へと沈んでいっているかのように薄ぼんやりとした覚束ない意識の中で、微かだが絶えず俺を呼ぶ声が聞こえる。
それこそ、陸上から呼びかける声を水中から聞いているかのようにくぐもって聞こえるのだが、しかしその声が今にも泣きそうな必死な声であることだけはよく分かる。
「……誰だ? 俺を呼ぶのは、一体誰だ?」
その声に、確かな聞き覚えはある。
しかし、どうしても誰の声だか思い出せない。
というか、そもそも俺はどうしてこんな風に仄暗い水の中を沈んでいるのだろうか?
……ダメだ、何も思い出せない。
ただ二つ、確実な予感として思うことがある。
一つは、このまま水の底に沈んだら、俺が俺でなくなくなってしまうだろうということだけ。
それこそ、俺という自我が消えて無くなるだろう。
そしてもう一つは、俺を呼ぶその人に無性に会いたいということ。何がなんでも、絶対に。
「……こうしちゃいられないな。ここから出なきゃ!」
この水中から脱出しなければならないという確信に似た何かに突き動かされるままに、俺は必死に藻掻く。藻掻いて藻掻いて、ひたすらに水面を目指す。
けれど水面はどこまで行っても見えてこない。いや、寧ろ遠ざかっている気すらする。
纏わり付いてくるこの水が、酷く重くて俺の自由を奪っていく。気分としては、ヘドロの海を泳いでいるかのようだ。……いや、ヘドロの海とか泳いだことないし、そもそも水質事態は酷くクリアなのだが。
◇
絶えず必死に藻掻き続けて、どれくらいが経っただろうか?
必死に水面を目指していた筈なのに、意識は明るい水上へ浮上して覚醒するどころか、どんどんと深い闇の方へと落ちていっている。明るい水面を目指している筈なのに、仄暗い水の底へとどんどん足を引っ張られているのだと、実感としてそれがわかった。
必死に藻掻いても、浮上するどころか水底に引きずり込まれていく――そんなことを繰り返しているうちに、蓄積した疲労から俺は否が応でも段々と理解させられていく。
「ああ、そうか……これはもう、どうしようもないな」
今の俺の力では、この状況を打開することなど出来そうにない。
つい最近まで、俺は神の如き全能感を手にし、それを散々味わっていた気がする。ハッキリとした記憶はない。だが、感覚としてそれを覚えているのだ。そしてその力で、何だってやってのけた気がする。それこそ、望むまま、思うがままに。
それなのに、今はこんな水の中から出ることすら出来ない。満足に泳ぐことすら出来ない。
覚えている全能感が嘘のように、何もできない。
ちっとも、力が出ない。
どうしようもない無力感を噛み締めながら、俺は悟った。ーーこれが最期なのだと。
そして最期とは、抗いようが無いほどの絶対に、それでいて酷く呆気なくやって来るモノらしい。
ああ、そうか。もうダメなのか――どうしようもない諦観に俺の心を支配された瞬間、俺は抵抗することすらやめてしまった。もう無駄だと、何をしても無価値だと、そう痛感して悟ってしまったから。
そうしていつの間にか、俺は水上を目指して足掻くことすらやめてしまった。もうどうでもいいや、そんな惰性から。
俺が抵抗を止めると、俺の身体は加速度的に早く水底目指して進んでいく。
まるで障害物の無い坂を、全力で転がり落ちていくかのように――
水底に着いた瞬間、俺は消える。泡のように、それは呆気なく。理屈ではなく、それを確信している。
だが、抵抗はしない。だって、ムダだと分かっているから……。
「ああ、これはいよいよ終わりだな。もう、何もかも……」
『おいおい、もう諦めるのか? お前らしくもない。我輩の知る貴様は、もっと強い意思と情念を持っている男だぞ?』
「――えっ?」
諦めの極致に辿り着いて何もかもがどうでも良くなった瞬間、どこからともなく声が聞こえてきた。
しかし、周囲を見渡せど、やはり誰もいない。どこまで行っても、仄暗い水しかない。
「……誰だ?」
『貴様、この吾輩を忘れたのか? 貴様を導き、そして貴様と共にある、この吾輩を』
「……サラス?」
『……覚えているではないか、それでよい』
高慢で、自信満々で、それでいて酷く安心感を得られる優しい声――それを聞いた瞬間、薄ぼんやりとしていた筈の俺の意識が急速に覚醒した。
まるで電源が入って再起動したかのように、急に。
「サラス? 俺は……俺は一体――っ!?」
覚醒した瞬間、全てを思い出した。
そうだ、俺はーー
『そうだ。お前は、花藤鏡花の一撃をその身に受けて派手に吹っ飛ばされてしまった。しかも今は、生死の境を彷徨っている状態だ』
「生死の境……俺は、死ぬのか?」
『バカを言うな! 貴様を死なせるものか。約束したではないか。吾輩と、そしてチェシャが貴様を死なせはしないとな』
言われて、ふと昔のことを思い出す。
そう、アレは俺が作った俺の復讐で死んだ者たちの墓所での一幕だった。
『吾輩たちが最後まで絶対に守ってやるから、そのつもりでいろ。分かったか? このお人好しが!』
『アタシたちが最後まで絶対に守るっすから、そのつもりでいろっす! 分かったっすか? このお人好しが!』
二人同時に、そんなことを言われたのだ。
忘れろと言われても、忘れられる筈が無い。
だって、俺の人生の中でこれ以上に優しい言葉を掛けられたことなど、一度も無いのだから。
酷く嬉しくて、顔が真っ赤になったのを必死に隠したことをよく覚えている。
『そうだ! 吾輩もチェシャも、お前を絶対に死なせはしない。我輩たち二人で、貴様を蘇らせる。だから、貴様は絶対にあきらめるな!』
「蘇らせるって、どうやって……?」
『貴様の中に、吾輩の力を更に注ぎ込む。今、貴様に注ぎ込める力を全てな。力を受け取ったら、その力を全力で怒りや憎しみといった負の感情と共に爆発させろ! そして、こんなうっとおしい水など、貴様の行く道を遮る全て吹き飛ばせ!』
「そんなことが出来るのか?」
『吾輩と、そしてチェシャを信じろとしか言えない。どうだ? 信じてくれるか?』
聞かれるまでもない。俺の答えは決まっている。
「……愚問だな。俺は、お前たちを信じる。だから、頼む!」
『任せておけ! さあ、こんなところをさっさと出るぞ!』
「ああ!」
力強く、そう答える。
すると、瞬間――
「おお……体の中に、何か入ってくる感覚がある。これが、更なる――」
柔らかで心地よい感触と共に、藻掻き疲れて体中から抜けていた力が急速に蘇ってくる。
活力が、体力が、気力が、漲ってくる。
『力は注がれた。あとはーー』
「ああ! 感情と共に爆発させるだけ……だったな。ならーー」
目を閉じて、自分の内と対面する。
俺の負の感情……そんなモノ、考えるまでもない。
「俺は、こんなところでは終われない! 俺は絶対生きて、そして……花藤鏡花を斃す! そして、全てを終わらせる! だから……だから……俺の行く手を邪魔するなぁぁあああああああああああああっ!」
全力で、感情と共に漲る力を解放する。
すると力は漆黒のオーラとなって体外に放出され、そしてそれが俺の身体に纏わり付いては肉体を変貌させていく。
そう、天藤との戦いで見せた、あの姿のように。
いや、それよりも遥かに禍々しく、しかし遥かに逞しく強靭な姿となってーー。
そして、肉体の変化が完了した瞬間、俺は。
「はぁあああああああああああああああ……でやぁああああああああああああああっ!」
腹の底からの絶叫と共に、全力で力を爆散させた。
すると、周囲に吹き飛んだ衝撃波だけで、この鬱陶しかった水を全て吹き飛ばす。
跡形もなく、それこそ最初から存在しなかったかのように徹底的に。
「これが……俺の力?」
『そうだ。貴様は、今や全盛期の我輩にすら匹敵する、更なる進化を遂げたのだ』
「そうか……これが、全力の神の力!」
『さあ、チェシャが心配している。そろそろ目を覚ましてやれ。これ以上心配させるな。最高の功労者を』
「功労者?」
『帰ればわかるさ。それとーー』
途端に、言い難そうに言い淀むサラス。
そんな彼女に、俺は小首を傾げる。
「どうした?」
『次会う時には、我輩にも――いや、何でもない。早く帰れ! 現世へな!』
「ああ。そして、お前を絶対に取り戻す。今度は、ちゃんと会いに行くよ。俺の中に宿った力の残滓としてのお前ではなく、本物のお前に」
『……!? 気付いていたのか。ふっ! 流石は、吾輩が見込んだ男だ』
「まあな。……迎えに行くよ、サラス。そう長くは待たせない」
『ああ。期待して、待っているぞ』
そう言って、俺の中に残っていたサラスの残滓は消えていった。
きっと、こうなる可能性を見越して仕込んでおいたバックアップなのだろう。
本当に俺の神様は、抜け目がない。
「お前が俺の信頼に応えてくれたように、俺もお前の期待に応えるさ。そのためにも、まずはそろそろ起きないとな。チェシャを安心させてやりたいしな」
目を閉じ、強く念じる。
そうして俺は、深い眠りから目を覚まして死の淵から生還を遂げた。
――二人のお陰で手に入れた、更なる力と共に。
◇
「――うっ……ううう……」
薄ぼんやりとした目を、少しずつ開ける。
すると温かな光と共に目に飛び込んできた光景に、俺は思わず瞠目してしまう。
何故なら俺は――寝込みをチェシャに襲われて、唇をがっつり奪われていたから。
「んんっ!?」
自分でもビックリするくらいの、素っ頓狂な声が漏れる。
すると俺の目覚めに気がついたチェシャは、徐に顔を上げるなり目を潤ませて顔をクシャッと綻ばせる。
「琉人様! よかった……よかったっす!」
涙ながらに、抱きついて来る
その抱擁の強さだけ、俺は強く思われていたということだろうか?
そう考えると、何だかこそばゆい。
そして抱擁の強さは、どんどん強まっていく。
まだ強まるのか、全く嬉しいこと――アレ? 気のせいか、何だか段々……
「チェシャ……ぐ……ぐるじい……」
「ぎゃあぁあああああっ! 琉人様!?」
ぐったりする俺に、チェシャは困ったようにオロオロし始める。
そんな彼女がどうしようもなく可愛くて、愛おしくて――俺は自然に、彼女の頭に手を置いていた。
「り、琉人さま?」
「ただいま、チェシャ! そして、ありがとうな!」
するとチェシャは、どこか気恥ずかしそうに、だが満面の笑みを浮かべてこう答えてくれた。
「お帰りなさいっす、琉人様!」
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