落涙
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「これでは話が先に進まぬ。……仕方がないので、貴様の記憶だけは戻してやる。心落ち着かせつつ、心して受け取るがよいぞ」
サラスがそう言い終えるのが先か、はたまた俺の頭の中に濁流の如き膨大な量の記憶が入り込んでくるのが先か――気付けば俺は、喉が枯れそうなほどの絶叫を上げていた。
記憶は一切の拒否反応を示すことなく、まるであるべき場所に戻っていくかのように自然と俺の脳の中に入り込んできて、次第に思い出せなかった記憶が鮮明に蘇ってくる。
辛い思いばかりした元の世界のこと、異世界召喚に巻き込まれてこの世界にやってきたこと、この世界で拷問を受けたこと、そして最後には処刑されたことまで――記憶の濁流が治まって全てを思い出した頃には、俺は膝をついて崩れ落ちて涙を流していた。
「これは……こんな……嘘だ!」
「残念だが、嘘ではない。紛れもない事実だ。そしてそれは、貴様が一番よく分かっているのではないか? 貴様は死んだ。誰にも愛されることなく、誰にも理解されることなく、誰にも手を差し伸べられることなく、ただ嘲笑と蔑視と嫌悪と苦痛の中で無様にな」
サラスは、冷笑と共に実に冷淡な口調で言い放つ。
その一言についカッとなった俺だが、蘇った記憶のリアリティを前に嘘だと断じて非難することも出来ず、八つ当たりに床を殴りつけるしかなかった。
漆黒の闇を殴った筈なのに、妙に手応えがある。拳にじんわりと痛みが走った。ギリギリと歯を食いしばってワナワナと震える俺に、サラスは憐憫を込めてそっと呟いた。
「多くの人々の悪意を集めてしまったようだな。……辛かったろう。可哀そうに」
「俺が……悪意を集めた? アンタも、全部俺が悪いって言いたいのか?」
「吾輩は事態の当事者ではない。その場に居合わせた訳でもない。ただ貴様の記憶を覗いただけの傍観者だ。故に『貴様に一切非は無かった』と断じてやることは出来ぬ。だが、吾輩が見た限りにおいては、貴様は何も悪くない。強いて言うなら、運が悪かった、かな」
「……どういう意味だ?」
「人間は誰しも悪意を持ち、常にその矛先を探している。そしてその矛先は、得てして弱い者に集まってしまうのだ。人間は、自分は傷付かない安全なところに身を隠しながら、他の誰かを傷付けるのが大好きだ。心当たりはあるだろう?」
心当たりが無いと言えば、嘘になる。ただし、ある一点を除いてだが。
「俺が弱い者だと……? そんな筈ない! 俺は強くなろうと、必死に――」
「勘違いしないで欲しいのだが、何も貴様が弱者だと笑っている訳ではない。そもそも、強さに様々な形があるように、弱さにもまた様々な形がある。例えば、多数決における少数派もまた数の原理における弱者だろう? そして貴様は、まさにその数の原理のおける弱者だった。事実周囲の人間が、この国の民が、悉く貴様を拒絶したではないか。そうして弱者に甘んじるしかなかった貴様に、皆揃って悪意の矛先を向けた。それだけの話だ」
否定することが出来なかった。何も言い返すことが出来なかった。心の底で、その通りだと認めてしまう自分がいた。
そうだ……確かに俺は、常に孤独だった。つまり俺は、弱者から抜け出すことなど最初から出来る筈がなかったのだ。それなのに強くなろうと一人あがいていたとは、滑稽すぎるではないか。自嘲の笑いが、一筋の涙と共に止めどなく込み上げてきた。
「だがな、吾輩は思うのだ。確かに貴様は、数の原理においては常に弱者だったかも知れない。その領域で強者になることは、出来なかったかも知れない。それでも、孤独に耐え、イジメに耐え、嘲笑に耐え、侮蔑に耐え、拷問に耐え、そして死を宣告されてもなお最後まで意地を通し続けた貴様は、数に物言わせることしか出来ぬ他の有象無象とは、群れなければ何もできない臆病者共とは比較にならない程に人として強いと。誰よりも誇り高いとな」
力強くそう言い放ったサラスは、そのまま俺の頭をそっと撫でた。
瞬間、俺は思った。懐かしい、と。今味わっているこの感覚には、どこか覚えがあった。どこだったか……思案している内に漸く思い出した。そう、あれはまだ両親の仲が良かった頃の話。昔はこうして、よく両親に頭を撫でて貰っていた。最後に撫でられたのは、もう十年近く前のこと。時が経ってすっかり忘れていたその感覚を、俺は今こうして思い出した。
誰かに認められることは、誰かのぬくもりを感じることは、誰かと一緒に居ることは、こんなにも安らぎと幸せに満ちていたのだと――そんなことを俺は、ずっと忘れていたのだ。忘れていたけど、ずっと欲しかったこの感傷に浸ったせいか、俺は気が付けばサラスに抱き着きながら声を上げて泣いていた。これまでの絶望や怒りからくる涙ではない。もっと穏やかで、もっと綺麗な感情からくる涙だった。
泣きじゃくる俺を、サラスは何も言わずにそっと抱きしめてくれた。不思議な感覚だった。相変わらず顔立ちは判然とせず、表情も見えない。それなのに彼女からは、まるで聖母の如き慈愛を感じる。胸に抱かれるだけでホッとする、そんな凄い安らぎを俺に与えてくれる。
傷付いた心が癒されていく心地よい感覚に、俺は気が済むまでずっと溺れていた。
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