君主
更新します。
――兵士達が処刑されて、一週間後。
「ま、まだこんなに……」
「終わりが見えないっすねえ……」
机の上で幾つもの山となっている所狭しと積み重なった書類たち。その書類の山の隙間で、俺とチェシャはげっそりと痩せこけた真っ青な顔で頭を抱えていた。
「琉人殿! チェシャ殿! この位で息を上げている場合ではありませんぞ! さあ、こちら追加分でございます。目を通してくださいませ」
そう言って、容赦なく机の上に更なる書類の山を積み上げていくセバスチャン。
「お、おい! 勘弁してくれ。せめて少し休憩を――」
「なりません!」
「そこを何とか、頼むっす!」
「いけません! 先程休息を取ったばかりではありませんか。さあ、公務にお戻りください」
「このっ! 鬼め!」
「酷いっす! 悪魔っす!!」
「何とでも申されませ。『疲弊したこの国を皆と立直す』という琉人様とチェシャ様の宣誓を実現させるためなら、私は鬼でも悪魔でも……それこそ魔獣にだってなりましょう」
そう言うとセバスチャンは、矍鑠と笑う。
清々しいまでの笑顔だが、この状況は見ているだけで少しイラっとしてくる。
そして俺の横には本物の魔獣がいる訳なのだが……はてさてどちらが魔獣らしいのやら。
サラスの策に嵌められたと悟った俺とチェシャは、当然最初君主就任など断ろうとした。
しかし、あそこまで熱烈に大歓迎してくる上に、固辞の言葉を口にしようものなら総出で地に頭を擦り付けんばかりの勢いで懇願してくる住民たちの意志をどうしても跳ねのけることが出来ず――結局は流されるままに、その場で君主就任を承諾してしまった。
そして当然の如く就任の挨拶を求められたのだが……流石に何も言わない訳にはいかず、かといって台本など当然用意などされていない。
かくなる上は――意を決した俺は、重い口を開いた。
「勇者として召喚されながら暴政を敷いた須郷によって弱った皆の心も体も、そしてこの国自体も、我々が皆と必ず立直して見せよう。そして約束しよう。あのような悪夢の再来は、断じてないと。皆の心に、そしてこの地に巣くっていた悪夢は遂に昨夜終わったのだ! 国民諸君、今日からは我々と共に新たな道を歩もうではないか!」
とまあ、こんな具合に――その場を切り抜けようとついそれらしい言葉を並べ立ててしまったワケなのだが、しかしこれが須郷の暴政で苦しんでいた人々の心に思いの外響いてしまった。
結果として過度な期待を背負う羽目になった俺達は、領主の勝手知ったるセバスチャンを世話役に迎えて、日夜こうして膨大な政務に殺されかかっ……もとい勤しんでいるのである。
しかし、当然縁もゆかりもないこの場所で拠点とすべき住宅など無く、かといって領主が代々使っていた館は俺が爆発炎上させて跡形もなく消失してしまった。
そのため俺達は、政務と居住の拠点としてエルド郊外にあるかつての領主が保養に使っていた別宅を受領。
そこで俺とチェシャ、世話役として迎えたセバスチャンと身寄りがなくて行く当てが無いフラン、そしてもう一人――この状況を創り上げた元凶と一緒に暮らすことになった。
しかし、俺とチェシャが地獄を見ているこの執務室に、肝心の元凶の姿は無い。
全く、一体どこへ雲隠れしているのやら……神様相手だが、思わず毒づいてしまう。
そんな時、俺とチェシャに思わぬ救世主が現れた。
「まあ、そんなに根を詰め過ぎても仕方ないですし、紅茶くらいは如何ですか?」
ティーカップとポットを乗せたお盆を片手に入室してくるフラン。
「フランよ。気遣いはありがたいが、生憎お二人は今――」
「よし、良いところにやって来たな!」
「ありがとうっす、フランちゃん! 折角の好意を無にするのは良くないので休憩っす!」
苦言を言いたげなセバスチャンを凄まじい勢いで捲し立てて黙らせた俺とチェシャ。
そんな俺達にフランはにこやかな笑みを、対するセバスチャンは苦笑を浮かべている。
「全く貴方たちときたら……まあ、確かに折角淹れてくれたのです。冷ましてしまうのも忍びない。良いでしょう。では、五分だけ休憩と致しましょう」
溜息交じりに懐中時計を確認しながら、そう呟くセバスチャン。
その言葉を合図に、フランが給仕を始める。
「どうぞ、チェシャちゃん」
「ありがとうっす! うん? この味って……」
「そう、琉人様に教わったの。チェシャちゃんに飲んでもらいたくて、頑張ったんだ!」
「フランちゃん……感激っす!」
「きゃっ! もう、危ないってば!」
抱き付いてきたチェシャを優しく抱きとめたフラン。そして二人は、和気藹々と笑い合う。
少なくとも外見的には年の近い二人によって、それはもう仲睦まじくて微笑ましい、それこそ見ているだけで思わず和んでしまうような雰囲気が醸し出されていった。
元の世界で凡そ友人たり得る人物に恵まれたことが無い俺にすら、これがどれだけ代え難く大切な関係であるのかということは嫌という程よくわかる。
そして俺もこんな関係を誰かと築くことが出来たら……いや、考えたところで無意味だ。
「よかったな、二人共」
「はいっす!」
「ええ、本当に。琉人様も、是非」
「ああ、お願いするよ」
にこやかに笑うと、俺の机まで紅茶の入ったティーカップを運んでくれるフラン。
「――きゃっ!」
しかし、給仕服のロングスカートの裾を踏んでしまったフランはそのまま転倒。
持っていたティーカップも宙を舞い、そのまま俺のズボンに中身の紅茶をぶち撒けた。
「――あっつ!」
「琉人様! 大丈夫でございますか?」
「ああ、問題ない。それより、フランは――」
大丈夫か?
そう続けようと思った言葉を、思わず呑み込んでしまった。何故なら、ふと視線を送ったフランがまるで強盗を前にした少女のようにガタガタと震えながら頭を抱えていたのだから。
「――ふ、フラン?」
「いや……やだ……やめてください……ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……」
身を縮こまらせて、光の無い虚ろな瞳に涙を溜めて譫言のように恐怖の言葉を呟く。
それに呼吸が酷く荒い。このままでは、下手をすれば過呼吸になってしまいかねない。
「こ、これは一体……? フランよ、君は一体何に怯えて――」
「よせ。本人にそれを喋らせるのは、余りにも酷だ。それよりセバス、悪いが俺の着替えを用意しておいてくれないか?」
「――えっ? は、はい。承知致しました」
軽く一礼すると、セバスチャンは颯爽と退出していく。
「チェシャ、悪いがお前はあの子を慰めてやってくれ。多分、それはお前にしか出来ない」
「は、はいっす!」
いそいそと駆け寄ったチェシャは、なおも小刻みに震え続けるフランをそっと――だが強く抱きしめる。
「――!? ちぇ、チェシャちゃん?」
「大丈夫っす。大丈夫っすよ! フランちゃんには、アタシが付いているっす」
まるで幼子をあやすかのように優しくその背中を撫でるチェシャ。
すると過呼吸気味だったフランの息遣いも少しずつ正常へと戻っていき、顔色も震えも収まっていった。
「……ありがとう、チェシャちゃん」
「なんのなんのっす! アタシの胸なら、いつでも貸すっすよ!」
はにかむチェシャに、フランもまたはにかんで答える。
そして徐にチェシャの胸から起き上がると、居住まいを正して正座をするなり俺に真っ直ぐに視線を向けてくる。
「琉人様、この度は誠に申し訳ありません。いかような罰でも……お受けいたします。何なりとお申し付けください」
そしてそのまま、深々と頭を下げる。
それはまさに、ジャパニーズ土下座スタイル。一葉を見て真似たのか、将又この世界にある文化なのかは判然としない。それでもやはり、謝罪の意思だけは強く伝わってきた。
「で、でも、そんなに酷い罰を下さないで欲しいっす。フランちゃんにも、悪気があったワケじゃ――」
「ありがとう、チェシャちゃん。でも、いいの。これは私のケジメだから。恩人である琉人様に非礼を働いた以上、罰は受けなきゃ。例え、どんな悍ましい罰でも……」
そのあどけなさが残る顔立ちには不釣り合いなほど悲壮な覚悟が伝わってくる。
それにしても、悍ましい罰――か。
須郷のことだ。粗相の罰とでも称して、彼女に何を強要していたか……考えるだけで胸糞が悪くなってくるというもの。
なるほど、そんな胸糞悪い罰を日常的に受けていれば、こんな反応も頷ける。
俺は溜息交じりになおも頭を下げ続けるフランに近付くと、そのまましゃがみ込む。
「怪我は無いか?」
「――えっ?」
「だから、怪我は無いかと聞いている。とりあえず今は、それだけが心配だ」
「――あっ、はい! 特に何も無い……です」
一瞬呆けるフラン。だがすぐに我に返ると、たどたどしい口調でそう答えた。
「そうか、ならよかった。では悪いが、零れた紅茶と割れたティーカップの後片付けをお願いできるか? あと、もう一度紅茶を淹れ直して来てくれ」
「はっ、はい! それは勿論。それで……」
「それで? 何だ?」
「あの……罰の方は、如何に?」
「……いや、それが罰だが?」
俺が小首を傾げながらそう言い放つと、フランは実に不思議そうな表情を浮かべて固まってしまった。
「どうした? 不服なのか?」
「いっ、いえ。決してそういうワケでは……。しかし、あの前領主は罰と称して私や仲間にあんな酷い仕打ちをしてきました。だから私は、それが悪いことをした罰なんだって、そう思い込んできました。悪いことをした私が悪いんだって、そう自分に言い聞かせて……。
だから罰がこんなに軽くていいのかって、つい不安になってしまって――」
そこまで聞いた途端、俺は思わず盛大な溜息を漏らしてしまった。
「なら、そんな基準はさっさと捨て去ることだ。悪いことをした? あんなのはただのミスだろう。そして、ミスは誰にだってある。俺だって、チェシャだって、時にはミスをする。そして須郷や一葉だって、ミスをするんだ。まあ、アイツらのミスはミスで片付けられないようなヤバい所業だったけどな。
確かに、ミスを悪いと思う気持ちは大事だ。その気持ち、決して忘れるな。でも、そんな殊勝な気持ちに付け込んで人を虐げるのは絶対に間違っている。だから、そんな間違った常識はさっさと捨ててしまえ。いいな?」
「――はっ、はい!」
暫く言葉を失ったのち、力強い返事を返してくれたフラン。
その表情は実に晴れ晴れとした、いい笑顔だった。
するとタイミングよく、ドアがノックされる音が響く。
「琉人様。お着替えを部屋にご用意致しました。お召替えを」
「ああ、分かった。じゃあ、あとは頼むぞ」
「はい、お任せを!」
そう言い残して立ち上がると、俺はそのまま退出した。
するとドアの向こうには、ニヤニヤと笑みを浮かべるセバスチャンの姿があった。
「どうした? そんなに笑って」
「いえ。さぞかし辛い思いをしたであろうあの子が、あんな楽しそうな声を出すなんて……。やはり領主に――いいえ、君主に貴方をお迎えしてよかった」
「まだ即位してたった一週間だ。そう判断するのは早すぎる。何もかもこれからだろう? 君主としての俺の資質が証明されるのも、独立したばかりのこの国が苦難に直面するのも」
「はっ! 左様でございますな」
「まあ、いずれ来る苦難よりも目の前の課題が先だ。裾を踏むくらいということは、多分サイズが合っていないんだろう。早急に採寸と仕立て直しの手配を頼む」
「承知致しました」
「それと……子供の前に聞けるような話ではなかったから聞かなかったが、頼んでおいた仕事はどうだ?」
先ほどまで柔和な笑みを湛えていたセバスチャンだが、俺がそう聞いた途端に顔付きが変わった。それこそ、まるで兵士を処刑した時のような力強く凛々しい顔付きに。
「万事抜かりなく。それと、こちらをお納めください」
そう言って手渡された書類の束。
それに軽く触りだけ目を通りたが、それだけでわかる。中々に難しい依頼をしたにも関わらず、どうやら本当に彼は仕事を着実にこなしてくれたらしい。
「やはり貴方は、優秀なバトラー……家事や雑務で使い潰すには惜し過ぎる逸材だ。そんな貴方を解雇するなど、やはり須郷は見る目が無い。この書類、着替えがてらじっくり見させて貰うよ」
「お褒め頂き、光栄の至り。ええ、どうぞごゆっくり――といっても、早めにお戻り頂けると助かります。公務がまだ、山のように残っております故」
「分かっている。全く、もう少しその辺の融通を利かせてくれたら、完璧なんだがな……」
「ほっほっほっ……ご冗談を。完璧な人間など、この世にはおりますまい。あの須郷なる勇者は無論のこと、この老骨もフランも、そしてチェシャ様や貴方様とて――」
まるで何かを見透かしたかのような、鋭い眼光に射竦められる。
直感でわかる。やはりこの老人、タダ者ではない。
須郷の件にしてもそうだ。
あの日、手持ちの爆弾の数故に俺が館に仕掛けられた爆弾の数は僅か。精々が館の一角を吹き飛ばすのが限界というレベルで、あの大きな館を爆発炎上全焼させるには程遠い。
恐らく、セバスチャンが館中に爆薬でも仕込んでいたのだろう。館に仕えていた彼なら、それが出来る。
そして、一葉はあの拠点を訪れたタイミングから察するに、セバスチャンはまさにあの日ことを起こすつもりでいたのだろう。
恐らくは一葉が須郷に不信感なりを抱いていることも、悟っていたのかも知れない。
外観からして広いあの館で、一葉だけがセバスチャンの不審な動きを掴めたという所からして余りにも出来過ぎている。須郷や一葉などより遥かに館の勝手を知っている彼ならば、見つからずに行動を起こす ことなど容易だっただろう。それなのに敢えて一葉にだけ悟らせ、そして仲間に引き込んだ。
一葉のスキルで秘密裏に人質たちを回収して、そして自分は仕込んだ爆薬を作動させて須郷たちを始末する――そんな計画を立てていたように思えて仕方がない。
尤もこれは、俺のただの妄想かも知れない。
セバスチャンに聞いたところではぐらかされるだけだろうし、他に真実を知る者はいない。館を調べようにも、既に瓦礫の山だ。調べようもない。
なおも向けられる鋭い眼光に俺は何も言い返すことなく、そのままセバスチャンに背を向けて自室へと向かった。
如何でしたでしょうか?
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