混乱
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兵士たちに連れて来られたのは浴場だった。
城の浴場というが貴人が使うような豪華な設えなど無く、だが一般家庭によくあるような浴室とは比較にならない程に広い。まさに銭湯か公衆浴場といったところである。実際俺を連行している兵士曰く、ここは彼ら城詰の下級兵士が利用する浴場なのだという。
拷問でボロボロになった上に、一週間分の血と汗と涙を吸って饐えた匂いを放つようになってしまった学生服を脱ぎ捨てて、俺は浴槽に浸かる。
まだ完治していない傷にお湯がしみてかなり痛むが、それでもかなり心地いい。体の汚れと共に、心に巣くっていた恐怖や悲しみまでもが湯船に溶けていくような気分だった。
そして体を洗って浴場を出れば、そこには着替えまで用意されていた。流石に着ていた学生服と同じ服という訳にはいかなかったようだが、それでも清潔に洗濯されてシミ一つない純白のシャツにピシッと折れ目の付いた黒いスラックスだ。ボロボロで匂う学生服を着続けるよりも比較にならないくらいマシというもの。
用意された服に袖を通す前に、兵士によって治療が行われた。なんでも、そのまま着れば服に血が付いてしまうという。確かにその通りだと思い、俺は彼らの治療を大人しく受けた。
兵士というだけあって傷の手当はお手の物らしく、患部には薬剤を塗ったガーゼを貼り付けた上で綺麗に包帯が巻かれていく。お陰で全身包帯まみれになったが、手当のお陰で痛みは大分和らいでいた。
そして綺麗な服に身を包み、衰弱し切った体では満足に歩けないので彼らの肩を借りて浴場を後にする。汚してしまって申し訳ない気持ちにもなったが、兵士たち曰く『自分たちが掃除するから気にしないでくれ』とのこと。彼らのその言葉でも、ここ数日碌な目に遭っていない俺にはどうしようもなく嬉しく聞こえてしまう。我ながら、単純になったものだ。
そして兵士たちに案内されながら進むこと数分、遂に目的地だという大きな扉の前が見えてくる。その扉の前にはゴルドンが控えており、俺を認めるなりこちらへ近付いてきた。
「王女様の命により、貴様への取調べは中止となった。……随分急な話ではあるがな」
俺と正対するなりそう告げるゴルドン。口振りや態度からは、彼がその決定に不服であるということがしかと伝わってくる。
一方、今日になって突然扱いが変わった上にこのセリフときて益々何が何だか分からない俺は、怪訝な眼差しでゴルドンを睨みつける。
「一体どういう風の吹き回しだ? 何がどうなっている?」
「私にも分からん。だが、何でも貴様と一緒に召喚された勇者様全員が連名で進言を行い、それを受けての決定だとは聞いている」
「進言? ……それは一体どんな?」
「さあな。そこまでは俺も知らん。詳しくは王女様より直接お話しされるとのことだ」
ゴルドンの話からは、まるで要領を掴むことが出来なかった。尤も、この男は所詮近衛兵の一責任者に過ぎないといったところ。そこまで詳細な情報は下りてきていないのだろう。
しかし、収穫もあった。勇者からの進言があり、それによって俺への待遇が変わったということ。強烈に思い当たる節がある。いや、それしか考えられない。即ち――
「約束を守ってくれたんだな、三崎……」
ぽつりと独り言を漏らしながら、思わず顔が綻ぶ。
ゴルドンも配下の兵士たちも不思議そうな顔を浮かべているが、今やそんな表情など全く気にならない。
彼女は俺を裏切らず、約束を守ってくれた――その事実が溜まらなく嬉しかった。
いや、三崎だけじゃない。彼女の話では『クラスメイト全員で王女に掛け合っている』ということだった。そしてゴルドンも『勇者様全員で連名の進言』と言っていた。つまりクラスメイトたちも、俺を救うために尽力してくれたということ。元の世界では俺を苦しめた彼らが俺を……つい目頭が熱くなるのを感じた。
どうやら、ここ最近急激に涙腺が脆くなったらしい。今にも泣きだしてしまいそうなほど、俺の心は喜びに満たされている。きっと扉の向こうでクラスメイトたちに対面したら、すぐに涙腺崩壊してしまうだろう。泣き顔を見せるのは恥ずかしくてむず痒い気もするが、そんなことはどうでもいい。今すぐにでも彼らと対面して、命の恩人たちへ深々と頭を下げて礼を言いたい気分だった。そしてよしんば、友人としての関係性を構築できれば――恐怖と絶望から解放された俺の頭の中は、自由の身になった後の想像で一杯だった。
ニヤニヤと笑う俺がさぞかし不自然に見えたのだろう。ゴルドンは眉根を顰めながら首を捻っている。しかし、特に問いただすこともせず扉を数度ノックする。
「この扉の向こうで、王女様を始めとした皆様がお待ちだ。勇者様たちも列席されていると聞いている。くれぐれも失礼の無いようにしろ。いいな?」
相変わらずゴルドンは高圧的な物言いだが、今はそれすらも気にならない。それくらいに俺は有頂天だった。俺がこくりと頷くと、ゴルドンは配下の兵士と共に扉を開く。
こうして開かれた扉の先に広がっていたのは、豪奢な奥行きのある広大な空間。
置かれた調度品や天井の絵画に床の絨毯や柱の彫り物に至るまでの全てが手の込んだ見事な仕上がり。美術にはあまり詳しくない俺でも、それが悉く高価な逸品であることは容易に想像がついた。
そして最奥の一際高い所には金細工が目を引く玉座が据えられており、そこには頭上に黄金の王冠を頂き、その身を舞台の緞帳を思わせる真紅のマントを纏ったクレア王女が鎮座している。彼女の脇には金の飾緒があしらわれた軍服に身を包んだ厳つい男性と眼鏡を掛けた神経質そうな男性が控えており、察するに軍務の顧問と政治経済の顧問といったところ。彼らこそ、まだ若き王女から全幅の信頼を勝ち得た臣下たちなのだろう。
そして玉座の前にはクラスメイトたちと花藤先生が整列しており、扉が開く音に反応してこちらの方へと振り返っていた。
ほんの一週間なのに、もう数か月彼らの顔を見ていないように錯覚してしまう。それくらい、この一週間が悪い意味で濃密だったのだ。その上彼らは俺の命の恩人たち。彼らの顔を見ただけで、思わず頬が緩んでさえしまった。
俺は緩む顔を必死に堪えて、室内へと足を踏み入れた。一歩、また一歩と玉座へ近付いていく。そしてその間にも、俺はクラスメイトたちをつぶさに観察していた。流石に一週間しか経過していないので、異世界に来たからといってもそこまで目立った変化は彼らには無い。寧ろ、誰よりも大きく変化しているのは間違いなくこの俺だろう。
しかし、観察する中でいくつか気になることがあった。クラスメイトたちが俺に浴びせてくる視線が、酷く冷たいのだ。とても再会を祝するような温かみは感じられない。まるで犯罪者でも見るかのような、それこそ極寒の眼差しだった。
それに何より不思議なのが、クラスメイトの中に三崎の姿が何処にも無いのだ。恐らく、俺を助けるために一番尽力してくれたのは彼女の筈。それなのに何故ここにいないのか? 考えれば考えるほど奇妙なこの状況を前に、有頂天だった俺の胸に一抹の不安が生じる。
そして、その不安は次の瞬間には現実もモノとなった。
「これより高階琉人への判決を言い渡します。貴方は『魔神の手先』としてこの世界に潜入し、この国に混乱を齎しました。よって貴方に死刑を申し渡します。これは神シュミルによる厳正な審判の結果であり、下される罰は神シュミルによる断罪です。この裁きの結果は厳粛に受け止め、一切の不義申し立てをしないように。以上です」
スクッと立ち上がるなり、昂然と言い放つクレア王女。その言葉に、俺が耳を疑った。
今確かに、「判決を言い渡す」といった。その上俺を『魔人の手先』だと断定していた。
そして何より……俺に「死刑を申し渡す」と言った。
耳朶に飛び込んだ理解不能な言葉の数々が幾度も頭の中で反響してはグルグルと回り、そしてますます俺を混乱させていく。
――これは一体、どういうことなのか? 俺にはもう、何が何だか分からなくなっていた。
如何でしたでしょうか?
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